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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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十六 幻影

「あ~、嫌だ嫌だ、何だって俺がこんな目に遭わなけりゃならないんだ!」


 きつい斜面を登りながら、フランツ中尉は自分の運命を嘆いていた。

 一か月も陸路を旅して、ようやく南部方面軍の司令部にたどり着くた時はよかった。

 現地司令官のフェルナンド少佐が、熱烈な歓迎ぶりを見せたからだ。

 だが、彼は満面の笑みでフランツの手を握って振り回しながら、こうのたまったのだ。


「よく来てくれた、中尉! 間に合わないのではないかと肝を冷やしたぞ。

 もう準備はできているのだ。さっそく出かけよう」

「は? どこへですか?」

「決まっているだろう、最前線だよ。他にどこがある?」


 南部方面軍の司令部は、帝国で辺境と呼ばれる夜森の開拓地にある。

 そこから三十キロも進めば、トルゴルとの国境である。

 前線というのはそこのことなのだろう――フランツはそう軽く考えていた(仮にも情報部なのだから、少しは予習すべきであった)。


 フェルナンド少佐は、直衛の二個小隊を率いてすぐさま出陣した。事情を理解していないフランツも、強引に馬に乗せられた。

 少佐の部隊が司令部を出たのは、午前十時頃のことである。

 その日の午後には、一行は国境地帯に達したが、部隊は構わずに深い森を進み続けた。


 最初のうちは道筋のあちこちで、塹壕を掘って守りについている兵の姿が見えた。

 それが進むにつれてまばらとなり、やがて味方は見かけなくなった。


 部隊がようやく停止したのは日暮れ近くで、少し開けた草地に出たところであった。

 そこは物資の集積所で、警備に就いていた兵たちがすぐに駆け寄り、馬の世話に当たってくれた。


「今夜はここで泊りとなる。炊事兵から食事を受け取ったら、寝床を確保したまえ。

 明日も早いからな、睡眠は大切だぞ」


 早く行けと言わんばかりの少佐に、フランツは食い下がった。

「いやいや、ちょっと待ってください、司令官殿。

 自分は着任したばかりで、まだ作戦内容も聞いておりません。

 前線というのはどこにあるのですか? 自分は何をすればよいのですか?」


 少佐は首をひねった。

「変だな、君は情報部から何も聞いていないのか?」

「何ひとつ。上司に訊ねましたが、課長は『極秘任務で、自分も知らない』と言っていました」


「何だ、ちゃんと知っているじゃないか!」

「司令官殿、自分を揶揄からかっておられますか?」


「きみの上司はちゃんと説明しているではないか?

 これは極秘任務だ。当然、駒に過ぎない君に作戦内容を明かすはずがない。

 君も情報部なら、それくらい分かるだろう?」

「で、では、せめて自分の役割くらい、教えてください。

 トルゴル軍には魔導士はいないと聞いております。なぜ自分が必要なのですか?」


「うむ。敵に魔導士がいないのは事実だ。だから君に戦闘をさせるつもりはない。

 君の仕事は、最前線に着いたら説明するよ。それまでは物見遊山だと思って、気楽に構えたまえ」

「それはどこなのですか?」


「ここから約六十キロほど南下した場所だ。あと丸二日はかかるな」

「ということは、そこまでは南部方面軍が制圧しているということですか?」


 無茶苦茶な話であった。

 敵陣を百キロ近く侵攻する――もちろん無理を重ねれば、不可能ではないだろう。

 だが、それでは補給が続かない。南部方面軍に、そんな広範囲を守備できる兵力などないからだ。


 フランツがそれを問うと、司令官は笑って答えた。

「問題はない。要はここのような物資の集積所、あとは水場や渡河地点といった要所さえ守れればいいのだ」

「しかし、それでは補給路が寸断されます」


「そうなったら、また敵を追い払えばよいではないか?

 大体、トルゴル軍が領土を取り返したとして、そこに防御の兵を置くと思うか?

 君だって道中見てきただろう。ここはただの原生林だぞ。そんな所を守って、どんな得がある?」


『それは帝国軍にこそ、言うべき言葉だろう』

 中尉は出かかった言葉を、どうにか呑み込んだ。

 こんな森に侵攻して、我々にどんな得があるというのだ?


      *       *


 馬が通れるよう、森の中には細い林道が切り拓かれていたが、悪路には変わりなく、行程はなかなかはかどらなかった。

 こんな無防備な部隊など、いくらでも不意打ちにできそうなものだった。

 しかし実際には、森を延々と南下していっても、トルゴル軍の襲撃は一度もなかった。


 同行する他の士官に聞いてみると、敵の攻撃対象は、補給部隊に限定されているという。

 帝国側も補給の馬列に手厚い護衛をつけていたので、あまり大きな被害は出ていないそうだ。

 せいぜいが荷物を積んだ馬を奪われ、負傷者が何名か出るくらいで、死者が出るような激しい戦闘はないらしい。


 四日目になって、ようやく少佐の部隊は〝最前線〟に到着した。

 そこは、いかにも急造の陣地といった赴きだった。

 兵士たちは塹壕を掘ったり、土嚢に土を詰める作業に追われていて、野ざらしの物資を収容するための小屋も、まだ完成していなかった。


 強行軍を強いられてきた部隊には、ようやく休憩が許されたが、フランツはその恩恵にあずかれない。

 司令官用の中型テントがで立ち上がると、さっそく呼び出しがかかったのだ。


 テントの中には簡易テーブルと折りたたみ椅子が置かれ、そこにフェルナンド少佐と、直衛小隊の指揮官二人が座っていた。

 彼らの二個小隊はそれなりの経験を積んだ下士官たちで構成され、普段は新兵の教育係を務めているらしい。


 フランツ中尉が椅子に腰をかけると、さっそく会議が始まった。

 目の前のテーブルには、手描きの周辺地図が広げられている。


「さて、いよいよ目的地の目前に到達した。

 ここまでも大変だったと思うが、あと一息だ。各員一層の奮励を期待するものである」


「ええと、ここが目的地じゃないのですか?」

 フランツが手を挙げて不満を洩らした。


「ああ、我々の真の目的地はここだ」

 少佐は地図の一点を指さした。


「ここだって……真っ白じゃないですか?」

「山だからな。誰も登ったことはないし、仕方のないことだ」


「山に……登るんですか?」

「そうだ。そしてフランツ中尉、君の役割はこの山中で感知魔法を使い、魔力反応を見つけることにある」


「なるほど、山奥に籠って修行している魔導士がいるのですな……って、紙芝居の虹男かよ!」

「魔導士ではない。魔力反応だと言っただろう? 具体的にいうと、探すのは〝呪符〟だ」


「何で山の中に呪符が……ああクソ! もういいですよ。

 それで、この山のどの辺にあるのですか?」

「人の話を聞いていないのか? それを探すのが君の役目だと言っただろう」


「要するに、何も分からないと?」

「いや、そうでもない。恐らく目印があるはずだ。

 私の聞いたところでは、洞窟か池か――とにかく、対となる二つの特異な地形があるはずだ。

 その中間付近に、その呪符が仕掛けられているらしい」


「要するに、よく分からないということですな」

「何も分らんよりはましだろう?

 明日はまず直登して、高所から目印となる地形を探す。

 ここから二個中隊を引き抜くから、ヨゼフ中尉の小隊に任せる。

 新兵たちには、三日分の水と食料を運ばせるのだ」


 ヨゼフと呼ばれた壮年の男は、遠慮がちに質問した。

「三日で見つかりますでしょうか?」

「見つからなければ、いったん戻って補給して、再度調査に赴く。

 スミス中尉の小隊は、手分けしてここの新兵たちの指揮に当たれ。絶対にトルゴル兵を近寄らせるな」


      *       *


 かくして、フェルナンド少佐を指揮官とする八十名の軍勢は、翌早朝に陣地背後の山に向かった。


 フランツが悪態をつくほど、その道のりは険しいものだった。

 道はなく、傾斜はきつい。

 山の至るところから、硫黄臭のするガスが吹き出し、高度を稼ぐとあっという間に植物がまばらとなった。

 だが、そのおかげで六合目あたりまで登ると、かなり見晴らしが利いた。


 少佐の命令で小休止が命じられ、士官たちは単眼鏡を手に、分散して眼下の地形を探った。

 そのうちの一人が、二つの洞窟らしきものを見つけた。

 少佐は大いに喜び、手近な方の洞窟を目指して下り始めた。


 一つ目の洞窟は、かなり大きなものだった。

 いわゆる溶岩洞と呼ばれる、火山でよく見る洞窟である。

 フランツ中尉が明かり魔法で中を照らし、少佐たちが後に続く。


 洞窟の中は砕かれた岩が散乱し、ひどく荒れていた。

 あちこちの床に、明らかに人の手になる穴が掘られている。

 深さは分からない。そのすべてが埋められていたからだ。


 外で待っていた兵たちを呼んで、岩やがれきを取り除かせてみたが、深さは三メートル近くあった。

 そして、底が近くなると、朽ちた木の杭とともに、砕けた人骨が無数に出てきた。


 フランツが顔をしかめ、穴から上がってきた。

「典型的な落とし穴の罠ですな。

 底に先の尖った杭を埋めて、落ちた間抜けは串刺しになるって仕掛けです。

 どうやって穴を偽装したのかまでは分かりませんが、後から入った連中が安全のために埋めたんでしょう」


 洞窟の奥行きは百メートルちょっとで、そう深いものではなかった。

 行き止まりのあたりでは、床や壁が掘られた跡がそこかしこにあり、侵入者が何かを探し回ったことが窺えた。


 手掛かりを得たフェルナンド少佐は、意気軒昂であった。

「つまり、この洞窟は目印であると同時に、盗掘者を罠にめるための囮でもあったということだな。

 よし、我々は核心に近づきつつある。

 今日はこの洞窟で野営して、明日はもう一方の洞窟を目指す。

 その途中に、本命の洞窟があるはずだ。フランツ中尉、頼んだぞ!」


      *       *


 翌朝、勇んで出発した一行であったが、上から見るよりも対となる洞窟までは距離があった。

 しかも、登りではないものの、急斜面を回り込むのは案外大変で、足を滑らせて滑落する者が続出した。

 数時間かかって、ようやく半分ほど進んだところで、フランツが声をあげた。


「司令官殿、魔力反応です!」

「何、本当か!?」


「間違いありません……のですが、呪符にしては反応が強烈ですな。

 もっと微弱なものだと思っていたのですが」

「まさか、魔導士ということはないだろうな?」


「それはありません。その、何と言うか……魔力に人間特有の揺らぎがないのです。

 もしこれが呪符の反応だとしたら、とんでもなく強力なものですよ。

 少なくとも、自分には作れませんね」

「よし、いいぞ! 距離はどれほどだ?」


「このまま進んで、約一キロといったところです」


      *       *


「このあたりです」

 先頭に立っていたフランツが立ち止まり、フェルナンド少佐の方を振り返った。

 少佐は周囲を見回したが、困惑した表情を浮かべるだけだった。

 荒涼とした光景は何も変わらず、一行の右手には岩だらけの急斜面があるだけだったからだ。


 フランツはその岩肌に手を当ててみた。

 掌にひんやりとした岩肌の感触がある。何も不審な点はなかった。

 少佐も同じように、両手で斜面を探ってみたが、やはりそこには固い岩しかない。


「本当にここで間違いないのか?」

 少佐が疑わし気な声を発したのも無理がない。


「ええ。もちろん、感知魔法は精密さを欠きますが、これだけ近づいたら間違えようがないです。

 少佐、ちょっとこちらに来てください」


 フェルナンドがすぐに身体を寄せてきた。

 フランツは岩肌に手を押しつけてから、掌を広げて少佐の顔の前に突き出した。


「何の真似だ?」

「よく見てください。手に砂がついていません」


 少佐は慌ててフランツの真似をした。

 岩肌に触ると、ざらっとした砂の感触がある。だが、その掌を見詰めても、汗ばんだ皮膚に砂粒がひとつも付いていない。

「どういう……ことなのだ?」


「つまり、こういうことです」

 フランツは拳を引いて、思いっきり岩肌に殴りかかった。


 少佐は思わず目をつぶった。中尉の拳が裂け、血が噴き出すと思ったのだ。

 だが目を開くと、彼は信じがたいものを見た。

 フランツの腕が、肩の近くまで岩壁に突き刺さっていたのである。


「幻術の一種なんでしょうが、入口に何らかの抵抗が張ってあります。そこに偽の触覚まで与えるなんて、どれだけ高度な術なのか……正直、理解の範疇を超えていますね」

 彼はそう言いながら、ずぼりと岩肌の中に身体をめり込ませ、そのまま姿を消してしまった。


 少佐も慌てて後を追った。

 幻影の抵抗は、かなりしっかりしていて、少し押したり寄りかかったくらいでは、びくともしない。

 だが、覚悟を決めて自分の頭を岩に打ちつけると、あっさりと抵抗が消えた。

 おそらく、これは物理的な障壁ではなく、多分に心理的な仕掛けなのだろう。

 恐怖を乗り越えてしまえば、自由に出入りできるということだ。


 少佐が洞窟の中に入ると、フランツ中尉の明かり魔法によって、内部が煌々と照らされていた。

 奥行きは二十メートル足らずだが、横幅が広く天井も高かった。

 そして、これが自然の洞窟ではないことが、ひと目でわかった。


 壁はほぼ垂直で、床も滑らかで一切の凹凸がない。

 しかも、床は油脂で磨かれたように黒光りしていて、魔法の明かりを艶々と反射している。


 少佐が振り返ると、入口の周りを部下たちが取り囲み、不思議そうに空間をぺたぺた触っているのが見える。

 どうやら、中からだと幻影が作用しないらしい。


 外の部下たちは、まだこの仕掛けを理解しておらず、どうやって中に入れるのか分からないでいるようだった。


 少佐はずぼりと外に頭を突き出した。

 部下たちは「わっ!」と声を上げ、思わず尻餅をつく。

 岩壁からいきなり少佐の生首が生えてきたのだから、驚くなという方が無理だった。


「いいか、私が呼ぶまで、お前たちはこのまま待て。

 私はフランツ中尉と二人きりで調査する」


 彼はそう言うと、再び頭を引っ込めた。

 部下たちが慌ててその場所を触っても、そこには岩肌があるだけだった。

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