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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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十五 追撃

 トルゴル軍の野営地は騒然としていた。

 捕えられた帝国兵が至るところに並ばされ、尋問のために順番に連行されていった。

 その間にも、新たな捕虜が続々と送り込まれてくる。

 この戦闘で、帝国側の六割が死亡し、五十人近くが拘束されたのだ。


 後から来る帝国兵は、ほとんどが負傷していて、救護兵による手当を受けていた。

 彼らはエイナの小隊によって、戦闘不能にさせられた者たちであった。


 トルゴルの藩兵たちは、それらの対応に追われていた。

 そこには大勝した歓喜の表情はなく、疲労と焦りしか感じられない。


 野営地に着いた王国の魔導士たちは、そのまま藩王に呼ばれ、彼のテントに向かった。

 藩王は大木の大枝に設けられた監視所から戻ってきていて、上機嫌であった。


 彼が見物していたのは、地上から三十メートルの高所で、戦場がよく見渡せた。

 戦闘が始まると、あちこちで派手な炎が上がり、閃光とともに雷鳴が響いてくる。

 そのたびに敵兵がばたばたと倒れ、それを見た周囲の者たちは、恐怖に駆られて逃げ出した。


「まるで巣を壊されたアリのように、帝国兵どもは慌てふためいておった。実に愉快な光景であったぞ!

 そなたたちの働きは見事であった」


 藩王から慰労の言葉がかけられ、整列した魔導士たちは、胸に手を当てて謝意を示した。


「しかし、魔法の威力は聞きしに勝るものだな。わが軍にも欲しいくらいだ」

「お言葉ですが、お国には呪術師がおりますでしょう」

 オコナー大佐が穏やかに指摘すると、藩王は鼻を鳴らした。


「確かにな。だが、奴らは偏屈なのだ。

 なかなか呼び出しに応じない上に、協力には莫大な対価を要求してくる」


 大佐は部下の方を振り返った。

「ケネスは呪術師と戦ったことがあると聞いたが、どうなのだ?」


「呪術は魔法とは全く体系が異なります。

 底が知れないところがありますし、精神魔法は厄介です。

 味方にいたとしても、あまりお近づきにはなりたくありませんな」


 ケネス大尉が顔をしかめながら、ぼそりと感想を洩らした。

 エイナも心の中でうなずいていた。彼女も呪術師が不気味で、よい印象を持っていなかった。


 そこへ、アハド百人長が遅れて入ってきた。彼も藩王に呼ばれていたらしい。

「おお、アハドか。どうだ、何か分かったか?」


 百人長はサラーム風の敬礼をして答える。

「はっ。捕虜の大半は新兵で、作戦内容をほとんど知らされていないようです。

 何名か士官もおりましたが、彼らはさすがに口が固く、この場で吐かせるのは難しいと思われます」

「では、まだ何も分からぬのか?」


「そうでもありません。

 新兵はべらべら喋ってくれますから、ある程度の状況は掴めます。

 まず、消えた八十名の敵軍ですが、やはり背後の山に登っています。

 それと、その指揮を執っているのは、かなり上位の幹部のようです。

 何名かの捕虜が、司令官のフェルナンド少佐ではないかと証言しております」

「ほう、現地指揮官が直接出張ってきているとな?

 それは、ますます穏やかではないな……。どうだオコナー、追撃は可能か?」


 大佐はちらりとケネスに視線を送り、察した大尉が代わって答える。

「残念ながら、部下どもの魔力残量が怪しくなっております。

 敵の司令官が帯同しているとすれば、向こうもそれなりの精鋭で周りを固めているでしょう。

 八十名の新手を相手にするならば、明日まで出発を待った方が安全です」

「そうか。では、今度は余も同行しよう」


「は?」

 全員が驚いて藩王の顔を見上げた。


「危険です! それに、陛下に山登りをさせるわけには……」

「アハド、あまり余を馬鹿にするな。山ぐらいで音を上げるほど、老いぼれてはおらんわ。

 それにこの者たちの強さは、そなたも余とともに観戦したであろう?

 圧倒的ではないか、危険などあり得ん。それよりも、余はもっと間近で魔法を見てみたいのだ」


 オコナー大佐は困ったような笑いを浮かべ、ケネスは露骨に口をへの字に曲げている。

 正直に言って、藩王の同行は迷惑極まりないのだ。


「アハド百人長殿」

 エイナが遠慮がちに手を挙げた。


「何だ?」

「追撃をすると言っても、帝国軍の足取りが分からないのでは、どうしようもないのでは?」


「ああ、それならば心配はない。捕虜の中には、補給担当もいたのだ。

 その男の話では、別動隊が山に向かったのは二日前、携行した水や食料は三日分だったそうだ。

 だから、彼らはそろそろ下山するはずで、明日中に戻ってくるのではないかと言っていた。

 不案内な山の中だ。当然、帰りも行きで選択した経路をなぞるはずだ。

 要するに、敵の帰途を急襲できる位置を確保して、待ち伏せればよい」

「何だアハド。余に山登りがどうのと脅したのは、偽りであったのか?」


「いえ、敵に対して有利を取るためには、それなりの高所に陣取らねばなりませんゆえ、陛下が後悔される程度の登りは経験できます」

「ふん、よくよく言い逃れるな。

 まぁ、いい。とにかく、明日の早朝のうちに出陣する。ケルトニアの諸君は、魔力の回復に努められよ。

 アハドは捕虜の移送で忙しかろう、もう行ってよいぞ」


 藩王の言葉で、アハド百人長は現場の指揮へ戻っていった。

 彼がテントを出るのを見送ったオコナー大佐は、振り返って藩王に微笑みかけた。


「さて、藩王様には、そろそろお心の内を明かしていただきたいものですな」

「何の話だ?」


「帝国が何を探しているのか、陛下には見当がついておられるのではありませんか?

 私どもへの同行をお望みなのも、そこに関係すると拝察いたします」


 藩王はけらけらと笑った。

「油断ならん奴だのう。だが、まぁ……余も半信半疑なのだ。

 それを確かめるためにも、山に登った帝国の彼奴輩きゃつばらを捕らえて尋問したい。

 種明かしはそれまで待っておれ」


 彼は手を振って、魔導士たちに下がるよう仕草で命じた。

 最後の会話は、エイナたちにはまったく理解できなかった。


      *       *


 翌早朝、魔導士たちは野営地を出発した。

 藩王が同行するということで、オコナー大佐も護衛を兼ねて加わった。

 大佐がお偉いさんの相手をしてくれることに、ケネス以下の魔導士たちは、胸を撫でおろした。


 昨日は戦場となった帝国軍の野営地に人影はなかったが、あたりには異臭が漂っていた。

 戦死者は塹壕にまとめられ、トルゴル藩兵によって埋められる手筈になっていたが、現時点では手つかずである。

 気温が低いので、それほど腐敗は進んでいないが、死体から洩れ出した糞尿が吐瀉物に混じり、強烈な臭いを発していたのだ。


 塹壕に渡された板を通る際、藩王も折り重なった死骸見たはずだが、彼は顔色を変えなかった。

 むしろ、王国の若い魔導士たちの方が、嘔吐をこらえるのに必死であった。

 とても昨日一日で〝慣れる〟ような光景ではなかったのだ。


 帝国が陣を築いていたのは、比較的樹間が広くなった草地で、そこを過ぎると急に傾斜がきつくなる。

 一行はあまり無駄口を叩かず、息を弾ませながら斜面を登っていった。


 八十名もの帝国軍が通過しているだけに、踏み荒らされた跡が山道のように残っていた。

 それを二時間近く辿ったところで、彼らは谷のようなあんに出た。

 ケネス大尉はここで部隊を二つに分け、両側の斜面の上に登らせた。


 この辺までくると、高度が上がったせいで低木しかなかったが、それでも身を隠すには十分だった。

 両側から見下ろすような形で敵が戻ってくるのを待ち、一斉に上から魔法を撃ち込めば、まず勝利は疑いない。


 二つの小隊が位置につくと、あとは待機するだけである。

 汗で濡れた身体はたちまち冷え、背負った背嚢から薄い毛布を出してくるまっても、少しも暖まらなかった。

 ロジャーの第一小隊の側にはオコナー大佐と藩王が、エイナの側にはケネス大尉がついていた。


 エイナのすぐ隣りでは、ケネスが座り込んで煙草を吹かしている。

 彼女はあまり煙草の匂いが好きではないが、男臭い体臭を隠してくれるのはありがたかった。

 逆に、自分の匂いをケネスに気づかれないかの方が気になる。

 せっかくの休息なのだから、本当は汗を拭きたいのだが、人のいない茂みに行くのも、小用を足すように思われるのが嫌で憚られた。


 五、六十メートル離れた反対側の斜面には、第一小隊が陣取っているはずだが、低木に紛れてその姿は見えなかった。

 エイナは特に意識することなく、感知魔法の呪文を唱えた。第一小隊の配置を確認しておきたかったからだ。

 ただ、ごく近距離にいる相手なのだから、感知範囲を狭めて魔力を節約すべきなのだが、彼女はなぜか最大範囲の探査を行ってしまった。

 なぜそんなことをしたのか、エイナ自身も説明ができなかった。


 エイナはケネス大尉が咥えていた煙草を奪い取り、地面に捨てて軍靴で踏みにじった。

「あっ!こいつ、何をしやがる。まだ半分も吸ってないんだぞ?」

「しっ! 煙は駄目です。気づかれたらどうするんですか?」


「何か見つけたのか?」

 途端にケネスが真顔になった。


「魔力反応を感知しました。距離およそ二キロ、西北西の方角で、こちらに向かって移動しています」

「二キロって、お前化け物か? いやいや、それより本当に魔導士なのか?」


「間違いありません。相手は一人ですが、反応は強烈です。かなりの手練れではないかと思います」

「まぁ、指揮官だとしたら、護衛に魔導士を連れていたとしても不思議じゃないな。

 どうする?」


「敵はまだ気づいていないはずですから、魔法防御の結界でこちらの存在を秘匿します。第一小隊にも伝令を出して報せます」

「よし、正解だ」


 エイナはすぐさま部下に指示を出した。

 山に登った敵は、味方の陣地が壊滅していること、ましてや魔導士部隊が待ち構えていることを知らない。

 感知魔法を使おうなどと思わないだろう。

 万が一、猜疑心の塊りのような敵であったとしても、エイナほど広い感知範囲を持っているとは思えない。


 エイナが派遣した伝令によって、反対側の部隊も対魔法結界を張ったようだった。

 結界内にいる限り、敵の感知魔法には引っかからないが、その代わり自分たちも魔法を使えなくなる。

 ただ、さきほど確認した位置から推測すると、あと三十分ほどで敵は鞍部を通過するだろう。そのぎりぎりで、結界を解除すればよいのだ。


 彼女は低木の茂みに身を隠しながら、先ほど感知した敵のことを、ぼんやりと考えていた。

 魔導士が持つ魔力には、ある程度の特徴がある。総魔力量、得意とする系統などによって、脳内で知覚する光点の明るさや揺らぎが変わるのだ。

 それはごく微妙な違いであって、個人を特定し得るものではない(マグス大佐のような化け物は別だ)。


『あの感じ、何だか初めてじゃない気がするわ……。でも、まさかね』

 頭に浮かんでくる人物の顔を、彼女は強引に消し去った。

 そんなことはあり得ない――と思ったからだった。


      *       *


「というわけで、君には南部方面軍に異動してもらうことになった。

 現地でフェルナンド少佐の指揮下に入るのだ。

 なぁに、どうせ一時的な措置だから、三か月もあれば戻ってこられるだろう」


 課長はそう言いながら、手元の書類にサインをして、〝既決〟の書類箱に放り込んだ。

「ちょ、ちょっと待ってください! 何が『というわけで』ですか?

 課長はその〝わけ〟とやらを、ひと言も説明していませんぜ」


 ここは、港町クレアの高台にある、東部方面軍の司令部――その一画を占有している、情報部東部課の課長室である。


 新年が明けて十日ほどが過ぎた。

 年度替わりのお祝い気分も抜け、ようやく落ち着いてきた時期である。

 冬にしては陽ざしが暖かく、眠気を催す穏やかな午後のことだった。


 課長は眼鏡を鼻の頭に押し下げ、上目遣いでフランツ中尉を見上げた。

「無茶を言うな。自分の知らないことを説明できるほど有能だったら、私はもっと出世しているはずだ」

「……ってことは、この異動は上からの?」


「ああ、情報部長から直で来た極秘命令だ。

 どうやら、現在情報部で動かせる魔導士は、君以外にいなかったみたいだな」

「勘弁してくださいよぉ! 俺はついこの間、王国で死にそうな目に遭ったばかりですよ?

 少しはいたわってくれたって……」


「何を甘えたことを言っている? 私は君の母親ではないぞ。

 それに、トルゴル軍には魔導士がいない。楽な任務のはずだから、骨休めのつもりで行ってこい!」

「課長! あんた、ここからトルゴルまで、どれだけかかるか分かって言ってるんですか? 片道で一か月ですよ?」


「それくらいなら、私だって知っている。

 ああ、言い忘れたが、帝都に寄ってはならんぞ。これはあくまで極秘の任務だ。向こうに着くまで、身分を変えてもらう。

 偽造身分証は装備係で用意してある。それと、会計にも話は通してある。

 君は最近、会計係のミレーネに粉をかけているそうじゃないか?

 経費を受け取るついでに、彼女の尻を撫でてやれ。あのは感じやすい。きっと喜ぶぞ」


 フランツ中尉は、課長の禿げあがった頭に関して、けしからぬ言葉を吐きかけた。

 だが、それより課長の叱責の方が早かった。


「いつまで突っ立っている!?

 用は済んだ。とっとと準備にかかりたまえ!」

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