十五 追撃
トルゴル軍の野営地は騒然としていた。
捕えられた帝国兵が至るところに並ばされ、尋問のために順番に連行されていった。
その間にも、新たな捕虜が続々と送り込まれてくる。
この戦闘で、帝国側の六割が死亡し、五十人近くが拘束されたのだ。
後から来る帝国兵は、ほとんどが負傷していて、救護兵による手当を受けていた。
彼らはエイナの小隊によって、戦闘不能にさせられた者たちであった。
トルゴルの藩兵たちは、それらの対応に追われていた。
そこには大勝した歓喜の表情はなく、疲労と焦りしか感じられない。
野営地に着いた王国の魔導士たちは、そのまま藩王に呼ばれ、彼のテントに向かった。
藩王は大木の大枝に設けられた監視所から戻ってきていて、上機嫌であった。
彼が見物していたのは、地上から三十メートルの高所で、戦場がよく見渡せた。
戦闘が始まると、あちこちで派手な炎が上がり、閃光とともに雷鳴が響いてくる。
そのたびに敵兵がばたばたと倒れ、それを見た周囲の者たちは、恐怖に駆られて逃げ出した。
「まるで巣を壊されたアリのように、帝国兵どもは慌てふためいておった。実に愉快な光景であったぞ!
そなたたちの働きは見事であった」
藩王から慰労の言葉がかけられ、整列した魔導士たちは、胸に手を当てて謝意を示した。
「しかし、魔法の威力は聞きしに勝るものだな。わが軍にも欲しいくらいだ」
「お言葉ですが、お国には呪術師がおりますでしょう」
オコナー大佐が穏やかに指摘すると、藩王は鼻を鳴らした。
「確かにな。だが、奴らは偏屈なのだ。
なかなか呼び出しに応じない上に、協力には莫大な対価を要求してくる」
大佐は部下の方を振り返った。
「ケネスは呪術師と戦ったことがあると聞いたが、どうなのだ?」
「呪術は魔法とは全く体系が異なります。
底が知れないところがありますし、精神魔法は厄介です。
味方にいたとしても、あまりお近づきにはなりたくありませんな」
ケネス大尉が顔をしかめながら、ぼそりと感想を洩らした。
エイナも心の中でうなずいていた。彼女も呪術師が不気味で、よい印象を持っていなかった。
そこへ、アハド百人長が遅れて入ってきた。彼も藩王に呼ばれていたらしい。
「おお、アハドか。どうだ、何か分かったか?」
百人長はサラーム風の敬礼をして答える。
「はっ。捕虜の大半は新兵で、作戦内容をほとんど知らされていないようです。
何名か士官もおりましたが、彼らはさすがに口が固く、この場で吐かせるのは難しいと思われます」
「では、まだ何も分からぬのか?」
「そうでもありません。
新兵はべらべら喋ってくれますから、ある程度の状況は掴めます。
まず、消えた八十名の敵軍ですが、やはり背後の山に登っています。
それと、その指揮を執っているのは、かなり上位の幹部のようです。
何名かの捕虜が、司令官のフェルナンド少佐ではないかと証言しております」
「ほう、現地指揮官が直接出張ってきているとな?
それは、ますます穏やかではないな……。どうだオコナー、追撃は可能か?」
大佐はちらりとケネスに視線を送り、察した大尉が代わって答える。
「残念ながら、部下どもの魔力残量が怪しくなっております。
敵の司令官が帯同しているとすれば、向こうもそれなりの精鋭で周りを固めているでしょう。
八十名の新手を相手にするならば、明日まで出発を待った方が安全です」
「そうか。では、今度は余も同行しよう」
「は?」
全員が驚いて藩王の顔を見上げた。
「危険です! それに、陛下に山登りをさせるわけには……」
「アハド、あまり余を馬鹿にするな。山ぐらいで音を上げるほど、老いぼれてはおらんわ。
それにこの者たちの強さは、そなたも余とともに観戦したであろう?
圧倒的ではないか、危険などあり得ん。それよりも、余はもっと間近で魔法を見てみたいのだ」
オコナー大佐は困ったような笑いを浮かべ、ケネスは露骨に口をへの字に曲げている。
正直に言って、藩王の同行は迷惑極まりないのだ。
「アハド百人長殿」
エイナが遠慮がちに手を挙げた。
「何だ?」
「追撃をすると言っても、帝国軍の足取りが分からないのでは、どうしようもないのでは?」
「ああ、それならば心配はない。捕虜の中には、補給担当もいたのだ。
その男の話では、別動隊が山に向かったのは二日前、携行した水や食料は三日分だったそうだ。
だから、彼らはそろそろ下山するはずで、明日中に戻ってくるのではないかと言っていた。
不案内な山の中だ。当然、帰りも行きで選択した経路をなぞるはずだ。
要するに、敵の帰途を急襲できる位置を確保して、待ち伏せればよい」
「何だアハド。余に山登りがどうのと脅したのは、偽りであったのか?」
「いえ、敵に対して有利を取るためには、それなりの高所に陣取らねばなりませんゆえ、陛下が後悔される程度の登りは経験できます」
「ふん、よくよく言い逃れるな。
まぁ、いい。とにかく、明日の早朝のうちに出陣する。ケルトニアの諸君は、魔力の回復に努められよ。
アハドは捕虜の移送で忙しかろう、もう行ってよいぞ」
藩王の言葉で、アハド百人長は現場の指揮へ戻っていった。
彼がテントを出るのを見送ったオコナー大佐は、振り返って藩王に微笑みかけた。
「さて、藩王様には、そろそろお心の内を明かしていただきたいものですな」
「何の話だ?」
「帝国が何を探しているのか、陛下には見当がついておられるのではありませんか?
私どもへの同行をお望みなのも、そこに関係すると拝察いたします」
藩王はけらけらと笑った。
「油断ならん奴だのう。だが、まぁ……余も半信半疑なのだ。
それを確かめるためにも、山に登った帝国の彼奴輩を捕らえて尋問したい。
種明かしはそれまで待っておれ」
彼は手を振って、魔導士たちに下がるよう仕草で命じた。
最後の会話は、エイナたちにはまったく理解できなかった。
* *
翌早朝、魔導士たちは野営地を出発した。
藩王が同行するということで、オコナー大佐も護衛を兼ねて加わった。
大佐がお偉いさんの相手をしてくれることに、ケネス以下の魔導士たちは、胸を撫でおろした。
昨日は戦場となった帝国軍の野営地に人影はなかったが、あたりには異臭が漂っていた。
戦死者は塹壕にまとめられ、トルゴル藩兵によって埋められる手筈になっていたが、現時点では手つかずである。
気温が低いので、それほど腐敗は進んでいないが、死体から洩れ出した糞尿が吐瀉物に混じり、強烈な臭いを発していたのだ。
塹壕に渡された板を通る際、藩王も折り重なった死骸見たはずだが、彼は顔色を変えなかった。
むしろ、王国の若い魔導士たちの方が、嘔吐を堪えるのに必死であった。
とても昨日一日で〝慣れる〟ような光景ではなかったのだ。
帝国が陣を築いていたのは、比較的樹間が広くなった草地で、そこを過ぎると急に傾斜がきつくなる。
一行はあまり無駄口を叩かず、息を弾ませながら斜面を登っていった。
八十名もの帝国軍が通過しているだけに、踏み荒らされた跡が山道のように残っていた。
それを二時間近く辿ったところで、彼らは谷のような鞍部に出た。
ケネス大尉はここで部隊を二つに分け、両側の斜面の上に登らせた。
この辺までくると、高度が上がったせいで低木しかなかったが、それでも身を隠すには十分だった。
両側から見下ろすような形で敵が戻ってくるのを待ち、一斉に上から魔法を撃ち込めば、まず勝利は疑いない。
二つの小隊が位置につくと、あとは待機するだけである。
汗で濡れた身体はたちまち冷え、背負った背嚢から薄い毛布を出してくるまっても、少しも暖まらなかった。
ロジャーの第一小隊の側にはオコナー大佐と藩王が、エイナの側にはケネス大尉がついていた。
エイナのすぐ隣りでは、ケネスが座り込んで煙草を吹かしている。
彼女はあまり煙草の匂いが好きではないが、男臭い体臭を隠してくれるのはありがたかった。
逆に、自分の匂いをケネスに気づかれないかの方が気になる。
せっかくの休息なのだから、本当は汗を拭きたいのだが、人のいない茂みに行くのも、小用を足すように思われるのが嫌で憚られた。
五、六十メートル離れた反対側の斜面には、第一小隊が陣取っているはずだが、低木に紛れてその姿は見えなかった。
エイナは特に意識することなく、感知魔法の呪文を唱えた。第一小隊の配置を確認しておきたかったからだ。
ただ、ごく近距離にいる相手なのだから、感知範囲を狭めて魔力を節約すべきなのだが、彼女はなぜか最大範囲の探査を行ってしまった。
なぜそんなことをしたのか、エイナ自身も説明ができなかった。
エイナはケネス大尉が咥えていた煙草を奪い取り、地面に捨てて軍靴で踏みにじった。
「あっ!こいつ、何をしやがる。まだ半分も吸ってないんだぞ?」
「しっ! 煙は駄目です。気づかれたらどうするんですか?」
「何か見つけたのか?」
途端にケネスが真顔になった。
「魔力反応を感知しました。距離およそ二キロ、西北西の方角で、こちらに向かって移動しています」
「二キロって、お前化け物か? いやいや、それより本当に魔導士なのか?」
「間違いありません。相手は一人ですが、反応は強烈です。かなりの手練れではないかと思います」
「まぁ、指揮官だとしたら、護衛に魔導士を連れていたとしても不思議じゃないな。
どうする?」
「敵はまだ気づいていないはずですから、魔法防御の結界でこちらの存在を秘匿します。第一小隊にも伝令を出して報せます」
「よし、正解だ」
エイナはすぐさま部下に指示を出した。
山に登った敵は、味方の陣地が壊滅していること、ましてや魔導士部隊が待ち構えていることを知らない。
感知魔法を使おうなどと思わないだろう。
万が一、猜疑心の塊りのような敵であったとしても、エイナほど広い感知範囲を持っているとは思えない。
エイナが派遣した伝令によって、反対側の部隊も対魔法結界を張ったようだった。
結界内にいる限り、敵の感知魔法には引っかからないが、その代わり自分たちも魔法を使えなくなる。
ただ、さきほど確認した位置から推測すると、あと三十分ほどで敵は鞍部を通過するだろう。そのぎりぎりで、結界を解除すればよいのだ。
彼女は低木の茂みに身を隠しながら、先ほど感知した敵のことを、ぼんやりと考えていた。
魔導士が持つ魔力には、ある程度の特徴がある。総魔力量、得意とする系統などによって、脳内で知覚する光点の明るさや揺らぎが変わるのだ。
それはごく微妙な違いであって、個人を特定し得るものではない(マグス大佐のような化け物は別だ)。
『あの感じ、何だか初めてじゃない気がするわ……。でも、まさかね』
頭に浮かんでくる人物の顔を、彼女は強引に消し去った。
そんなことはあり得ない――と思ったからだった。
* *
「というわけで、君には南部方面軍に異動してもらうことになった。
現地でフェルナンド少佐の指揮下に入るのだ。
なぁに、どうせ一時的な措置だから、三か月もあれば戻ってこられるだろう」
課長はそう言いながら、手元の書類にサインをして、〝既決〟の書類箱に放り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 何が『というわけで』ですか?
課長はその〝わけ〟とやらを、ひと言も説明していませんぜ」
ここは、港町クレアの高台にある、東部方面軍の司令部――その一画を占有している、情報部東部課の課長室である。
新年が明けて十日ほどが過ぎた。
年度替わりのお祝い気分も抜け、ようやく落ち着いてきた時期である。
冬にしては陽ざしが暖かく、眠気を催す穏やかな午後のことだった。
課長は眼鏡を鼻の頭に押し下げ、上目遣いでフランツ中尉を見上げた。
「無茶を言うな。自分の知らないことを説明できるほど有能だったら、私はもっと出世しているはずだ」
「……ってことは、この異動は上からの?」
「ああ、情報部長から直で来た極秘命令だ。
どうやら、現在情報部で動かせる魔導士は、君以外にいなかったみたいだな」
「勘弁してくださいよぉ! 俺はついこの間、王国で死にそうな目に遭ったばかりですよ?
少しは労わってくれたって……」
「何を甘えたことを言っている? 私は君の母親ではないぞ。
それに、トルゴル軍には魔導士がいない。楽な任務のはずだから、骨休めのつもりで行ってこい!」
「課長! あんた、ここからトルゴルまで、どれだけかかるか分かって言ってるんですか? 片道で一か月ですよ?」
「それくらいなら、私だって知っている。
ああ、言い忘れたが、帝都に寄ってはならんぞ。これはあくまで極秘の任務だ。向こうに着くまで、身分を変えてもらう。
偽造身分証は装備係で用意してある。それと、会計にも話は通してある。
君は最近、会計係のミレーネに粉をかけているそうじゃないか?
経費を受け取るついでに、彼女の尻を撫でてやれ。あの娘は感じやすい。きっと喜ぶぞ」
フランツ中尉は、課長の禿げあがった頭に関して、けしからぬ言葉を吐きかけた。
だが、それより課長の叱責の方が早かった。
「いつまで突っ立っている!?
用は済んだ。とっとと準備にかかりたまえ!」