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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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十四 戦場の現実

 ロジャー中尉の第一小隊は、敵の塹壕まで五十メートルの地点まで接近していた。

 これほど近づけるのは、身を隠せる巨木が林立している原生林のお陰だ。

 彼らは木の幹に寄りかかり、北側の空を注視していた。


 エイナたち第二小隊が、彼らと分かれて北に向かったのが二十分ほど前のことだ。

 迂回するといっても、わずか数百メートルの距離である。もう位置について準備も整っているはずである。


 じりじりする時間はさほど長くは続かなかった。

 広葉樹の森の上空に、一筋の黄色い煙が上がったのだ。


「よし、やれ!」

 ロジャーの命令が下ると、腹に響くようなゴロゴロ音とともに閃光が走った。

 太い稲妻が地をえぐり、馬防柵が吹っ飛んだ。

 不意を喰らった帝国兵、視覚も聴覚も奪われ、状況を把握できなかった。


 その間に飛び出した六人の魔導士から、放射状に光の球が放たれた。

 光球は塹壕の手前で急激に上昇し、ほぼ垂直に塹壕の中に飛び込むと、たちまち連続した爆発が起こった。

 狭い通路に広がった結界の中で炎の渦が暴れまくり、超高熱の地獄が現出する。

 巻き込まれた帝国兵は、自分に何が起こったのかも理解しないまま即死した。


 暴虐の炎は十数秒で嘘のように消え去り、焼けた塹壕の土壁からは、白い水蒸気がもくもくと立ち昇った。

 兵士の肉体は炭化して、残ったのは白い灰と骨ばかりであった。


 ロジャーの小隊は、勢いをつけて塹壕を跳び越すと、二手に分かれた。

 北側に二人、南側にロジャーを含む四人である。

 その行動は、事前に打ち合わせていたものだ。


 彼らは第二小隊とは真逆に、防御を捨てて攻撃に特化していた。

 正面の敵を壊滅させた後は、塹壕に沿って南北に戦果を拡大することにしたのだ。

 北側はエイナの小隊が迫っているはずだから、その方向へ敵を追いやるだけでよい。

 主力の四人は、逃れる先のない南側に攻撃を集中し、完全に制圧する覚悟であった。


 塹壕の中央部を襲った悲劇に、周囲の帝国兵は狼狽うろたえながらもどうにか対応した。

 甲高い擦過音をあげ、至近距離から矢が飛んできた。

 しかし、魔導士固有のマジックシールドが自動発動し、矢はすべて弾き飛ばされ、あえなく地面に散らばった。


 魔導士がいない帝国軍に残された手段は、絶望的な突撃をして近接戦闘に持ち込むか、逃げるしかない。

 もちろん指揮官たちは前者を選んだ。

 だが、徴兵されて半年余りの新兵たちは恐怖に駆られ、命令を無視して逃げ出してしまった。

 大半が田舎の農業青年である。魔法の恐ろしさを目の当たりにした彼らに、軍学校の速成教育など、何の意味もなさなかった。


 王国の魔導士にしてみれば、敵の行動がどうであれ、することはひとつである。

 魔導士たちは逃げる敵の背中に向け、ファイアボールを撃ち続けた。

 あちこちで起こる爆裂音と、悲鳴じみた喚き声が戦場に響いた。


 ファイアボールは強力な魔法だけに、消費魔力も大きい。

 それを連続して撃ち続けるのだから、魔導士たちの負担はかなりのものであった。

 彼らは王国の魔導士二百人余から選抜された、特別優秀な者たちである。

 そんな無理が利くのは、保有魔力が大きいからだ。


 ただ、最初に敵の戦意をくじいてしまえば、そこまでする必要はなかったのだ。

 もっと威力の小さな魔法でも、十分に敵を掃討できたはずだった。

 そのあたりに、実戦経験の乏しさが表れていた。

 要するに、彼らは興奮して冷静さを欠いていたのである。


 帝国兵たちは生き延びるため、非常手段をとった。

 周囲で起きる爆発と炎に怯え、暴れ出した馬の綱を解いて尻を叩き、魔導士たちの方へ追いやったのだ。


 向かってくる馬の群れにファイアボールが撃ち込まれ、数頭が炎に包まれたが、それは相手をさらに狂乱させるだけだった。

 魔導士たちは塹壕の中へ飛び込み、焼けた土壁に背中を押しつけ、暴れ馬が走り去るのを待つしかなかった。


 数分だが魔法攻撃が止んだ。おかげで南端にいた帝国兵たちの多くが、森の中に逃げ込むことができた。

 もちろん、彼らは待ち構えていた藩王の軍に囲まれ、簡単に武装解除させられた。

 それでも、命を永らえられたのは幸いであった。


      *       *


 ロジャーの隊に比べると、エイナたち第二小隊の戦いぶりは、かなり冷静であった。

 隊長であるエイナは、王国魔導士の中で最も多くの実戦を経験していたから、当然の結果である。


 彼女はまず、ファイアウォールを塹壕の内部に発生させ、あっという間に敵兵力の半数を奪った。

 塹壕は大木を避けるためあちこちに凹部があり、そこにいた帝国兵は、炎の壁に追われて塹壕から飛び出してきた。


 待ち構えていた小隊の攻撃陣は、次々にファイアボールで狙い撃ちにする。

 敵が総崩れとなったのを確認したエイナは、部下に過剰な攻撃を止めさせた。

 それよりも、威力は低くても素早く撃てて、消費魔力も少ない魔法を使わせたのだ。


 特に活躍したのは、ノーマの風魔法であった。

 彼女が起こす突風や局所的な竜巻は、広範囲の敵を宙に舞い上げ、地面に叩きつけた。

 敵は死にこそしなかったが、激しい衝撃で骨を砕かれ、動けなくなってしまった。

 ほかの者は弱い雷撃魔法を撃ち込み、敵をばたばたと倒していったが、これも気絶させるだけで命までは奪わない。


 行動不能に陥った敵兵は、救護せずに放置した。

 ケネス大尉が言ったように、少人数のエイナたちに捕虜をとる余裕はない。

 もし逃亡されたとしても、トルゴル兵に任せればよいのだ。


 エイナの適切な指揮によって、第二小隊の進撃は順調だった。

 ただ、そんな彼らにも戦場の現実が、容赦なく突きつけられた。


 敵の多くは塹壕に配置されていたから、魔導士たちは生き残りがいないか、確認しながら進んでいった。

 結界を伴うファイアボールの超高熱で焼かれた死体は、ほぼ白骨化していたから、まだ直視できた。


 それに比べて、ファイアウォールは文字どおり単なる炎の壁である。

 しかも、発生する炎と地面の間には、二、三十センチの隙間が生じるのだ。

 この魔法によって命を落とした敵兵たちは、人間としての原型を十分すぎるほど留めていた。


 死体は焼け、衣服や髪の毛は燃え尽きていたが、肉体そのものは、皮膚がまだらに焦げているだけで、血や体液が滲み出し、生臭い湯気を立ち昇らせていた。

 彼らの目は飛び出さんばかりに見開かれ、口を大きく開け、手は喉を掻きむしっていた。


 帝国兵たちは焼け死ぬよりも早く、高温の空気を吸い込んだ結果、気道と肺が焼け爛れて窒息死していたのだ。

 生きながら焼かれた苦悶の表情、虚空を見上げる白く濁った眼球、じゅくじゅくと血が滲みだす裸体……、そんな生々しい敵兵の死骸を、王国の魔導士たちは見続けなければならなかった。


 髪の毛や脂が焼けた異臭を嗅いだ途端に、数人が塹壕に屈みこんで嘔吐した。

 びしゃっというい音をたて、吐瀉物が生焼けの敵兵の顔に浴びせられる。

 ミハイルだけはどうにか堪えていたが、顔色は蒼白だった。


 エイナは少し顔をしかめただけで、そんな部下たちを叱らず、とにかく先を急がせた。

 彼らは生まれて初めて人を殺したのだ。自分の魔法がどんな結果をもたらすか、それを自覚するのは大切なことだった。


 百メートルほど進んだところで、前方に二つの大型テントが現れた。

 交替で睡眠をとっている兵士たちの宿舎なのだろう。

 この騒ぎで目覚めた者が数人、軍服に袖を通しながら、不思議そうな顔で出てくるのが見えた。


「ノーマ、テントを風で吹き飛ばせ」

「了解です」


 まだ青い顔をしているノーマが短い呪文を唱えると、たちまち突風が起きた。

 大型テントの帆布は風船のように膨らみ、ロープで固定する杭が抜け、空高く舞った。


 まだ熟睡していた兵士たちも、簡易ベッドごと数メートル吹っ飛ばされた。

 突風の威力の大部分をテントが引き受けたため、彼らの被害は軽微だった。


 だがそこへ、エイナの凍結魔法が容赦なく撃ち込まれた。

 一瞬で広範囲が白く凍り、立ち上がっていた者は、身体を強張らせて地面に倒れた。

 四十人ほどの敵が、たった一撃の魔法で沈黙させられたのだ。


「凄い……ですね」

 ノーマが引きった表情でつぶやいた。

 彼女が知っている凍結魔法は、もっと効果範囲が狭かったし、威力もこれほどではなかった。自分の小隊長が、どれほどの魔力を持っているのか、想像しただけで背筋が寒くなる。


「全員、死んだのでしょうか?」

 彼女は無意識のうちにエイナに身体を密着させ、腕を掴んだ。その手が小刻みに震えている。


「いや、よほど運が悪くない限り、助かるはずだ。凍傷で指は失うだろうがな」

 エイナは淡々と答え、部下たちに倒れた敵兵を無視して前進するよう指示した。

 二手に分かれた第一小隊の二名が、すぐ近くまで来ているはずだった。

 彼女は攻撃の多くを部下に任せ、何度か感知魔法を使って味方の状況を確認していたのだ。


 もはや塹壕に敵の姿はなく、恐怖にかられて森に逃亡したのだろう。

 エイナの魔法によって凍りついた下草が、軍靴に踏まれてぱりぱりと音を立てる。

 周囲の地面からはもうもうと水蒸気が上がり、視界が悪かった。


 揺らめくもやの向こうで、何かが光ったような気がした。

 常人以上の視力を持つエイナでなければ、手遅れだったかもしれない。


「魔法防御!」

 エイナが絶叫し、凍った地面に身体を投げ出した。


 防御担当のカール少尉は、魔法の準備態勢を維持したまま、同僚の活躍を指をくわえて見ているだけだった。

 突然降ってきた命令に、彼は反射的に手を突き出し、溜め込んでいた魔力を放出した。


 対魔法防御が張られたのと同時に、靄の中から二つの光球が飛び出してきた。

 それらは紙一重の差で結界に衝突し、爆散して炎を撒き散らしたが、あっという間に消滅した。魔法効果が打ち消されたのだ。


「馬鹿が! ロジャー殿は何をしているのだ!?」


 エイナは悪態をつきながら身を起こした。

 帝国軍に魔導士がいないことは、感知魔法で確認済みである。

 ということは、攻撃魔法を放ったのは、味方の第一小隊だということになる。


 彼女は腹を立て、ずんずん前へ進んでいった。

 部下たちも慌ててその後を追う。もちろん、魔法障壁を張ったままである。


 エイナが凍らせた範囲を抜けると、やっと視界が開けた。そこには、二人の兵士が、呆然として立ち尽くしていた。

 クレール少尉とミシェル少尉、いずれもエイナのひとつ上の先輩である。

 だがこの際、先輩後輩は関係ない。エイナの方が階級も上なのだ。


「貴様ら、味方を殺す気か!」

 彼女が怒鳴りつけたのは、当然であった。


「いや、視界が悪くてその……。そっちがここまで来ているとは思わなかったんだ。

 動くものはとにかく撃てって言われていて……。

 済まなかった、その……中尉殿・・・


 エイナは大げさに溜息をついてみせた。

「確認もせずに撃っていたら、いくら魔力があっても足りないぞ。

 そもそもこちらの位置など、感知魔法で把握できていただろう!?」


 先輩たちは返す言葉もなく、気まずそうにうなだれるだけだった。


「まぁいい。だが、この件はロジャー小隊長に報告しておくからな。

 北側の制圧は完了した。そちらの状況は?」

「はっ、小隊長とは連絡がとれていませんが、多分……順調ではないかと思います」


『だ~か~らぁ、感知魔法で互いの動きを確認しなきゃ、駄目じゃない!』

 エイナは心の中で嘆いたが、口には出さない。


『これは大きな反省点よね。後でロジャー先輩と話し合う必要があるわ。

 ううっ、気が重い……絶対、生意気な女だと思われちゃう』


 王国では、まだ通信魔導士の育成にまで手が回っていない。

 こうした作戦では、互いの状況を確認するのは常識だろう――エイナはそう思っていたので、腹立たしくて仕方なかった。


 第二小隊はロジャーたちと合流するため、さらに南下を続けた。

 第一小隊の二人も一緒だったが、なぜか遅れがちだった。

 エイナは彼らが追いつくのを待ち、体調が悪いのかと訊ねた。


「いえ、そういうわけではないのですが……。

 さっき魔力を使ったせいで、身体が重いのです」


 要するに、ファイアボールの撃ち過ぎで、魔力切れを起こしかけているのだ。

 あちこちに焼け焦げた跡があり、白骨が転がっているのがその証拠である。


 エイナは部下に〝躊躇するな〟と言ったし、実際に緒戦では、かなりの敵兵を殺害している。

 だが、相手が総崩れとなった後は、必要以上に敵の命を奪わなかった。

 敵に情けをかけたというよりは、魔力を節約して予想外の事態に備えた方がよい――というのが、彼女の考え方である。


 第一小隊が最初に突破した地点まで戻ると、ケネス大尉が木箱の上に座り、煙草を吹かしていた。

 エイナは彼に状況を報告したが、同士討ちのことは黙っていた。

 二人の先輩は、明らかに安堵した表情で、エイナに感謝の視線を送った。


 ケネスもまた、感知魔法で二つの小隊の動きを把握していたようだった。

「ロジャーたちも、北側の制圧を終えたようだ。今、こちらに向かっている。

 お前たちは、ここで小休止をしていいが、誰か一人はアハド百人長のところへ報告にいけ」


 エイナはカール少尉を派遣した。

 彼は一度防御魔法を使っただけで、小隊の中で一番元気だったからだ。


 彼女は残った部下たちを集め、草地で車座となり、簡単な訓示をした。

「本日の反省は夕食後に行う。それまでに、各自意見をまとめておけ」


 ほどなくロジャーたちが帰還した。

 全員が揃うと、ケネスは野営地に戻よう指示を出した。

 第一小隊の面々は、やはりかなり疲れているようで、少し遅れがちだった。


 おかげでエイナは、ケネスと並んで歩くことになった。

「第一小隊の奴らは張り切り過ぎだな。ロジャーも馬鹿じゃないから、もうそのことに気づいているだろうよ。

 エイナ、お前の方はどうだった?」

「はっ、部下たちには、やはり死体がこたえたようです」


「そういや、お前は最初から割と平気そうだったな。

 人を殺した経験があったのか?」

「悪質な冗談はやめてください。私は辺境育ちですから、人の死はそう珍しくはありませんでした。

 孤児となった私を育てた夫妻は、私の目の前でオークに殺されましたから。

 それに、もしかしたら……」


「ん?」

「いえ、何でもありません」


『自分が人の死に動揺しないのは、吸血鬼の血を引いているためかもしれない』

 エイナはそんなことを思ったが、それは絶対に認めたくなかった。

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