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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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十三 初陣

 突然のことに魔導士たちは戸惑ったが、もっと慌てたのは宿の主人である。

 部隊が宿泊していたのは、特に高級ではなく、至って一般的な宿である。

 そんなところに藩王が現れたのだ。宿の従業員はもちろん、主人さえもどう対応してよいのか分からなかった。


 すぐにオコナー大佐が呼ばれたが、宿の主人が平伏して中で休むよう懇願しても、藩王は馬に跨ったままで降りようとしなかった。

 混乱の中、大佐が応対に出て、やっと事情が判明した。


 藩王は自身のために必要となる準備が理由で、出発が延期されたことを知らされていなかったのだ。

 『なぜ、そんなにも悠長なのだ?』と側近に問い詰めたことで、原因が自分にあったことを知り、藩王は激怒した。


いくさに出ると言い出したのは、ほかならぬ余の方である。

 それなのに、余の寝床や食事のために予定を遅らせるとは、何という傲慢だ?

 貴様らは、兵が生きるか死ぬかの戦場を侮辱するつもりか!?」


 藩王ニザムは、側近たちが奔走した準備をすべてキャンセルさせ、自ら馬を駆ってケルトニアの援軍部隊のもとに赴いた。その行動は、彼なりの謝罪であった。

 事情を聞いたオコナーは、苦笑いを浮かべてしまった。もとはといえば、王の気まぐれが原因である。叱責を買った側近たちが気の毒だった。

 だが、間違ってもそれを口には出せない。


「こちらの準備は整っておりますれば、今しばらくお待ちください」

 大佐はそう断って、ケネスに迅速な出立を命じた。

 半時も経たないうちに魔導士部隊は準備を終え、トルゴル兵の先導で東へと出発した。


 藩王国の都であるアウランから、前戦となる密林地帯の奥までは、およそ百二十キロもある。

 部隊は最低限の荷物だけを馬につけ、細い林道を進んでいった。

 藩王は供も連れず、立派な馬に跨っていたが、乗馬の技術はなかなかのものであった。

 贅沢三昧の自堕落な生活をしているわけではなく、きちんと鍛錬を積んでいるらしかった。


 道中は携帯食が中心の粗末な食事となるが、藩王は不満をひと言も洩らさず、固いパンや干肉を黙々と齧っていた。

 夜は当たり前に野宿で、簡易テントの下で毛布にくるまり、誰よりも先にいびきをかいていた。


 こうした行動は、一緒にいるのがエイナたちだからこそ可能なのだろう。

 もしこれがトルゴル兵であったなら、絶対に許してくれないはずである。

 藩王は終始機嫌がよく、旅の不自由を愉しんでいる節があった。


 アウランを出発してから三日目の早朝、一行は前線部隊が派遣した斥候と合流した。


 斥候は藩王が輿こしではなく、当たり前の顔で馬に乗っているの見て、気絶しそうなほど驚いた。

 だが、ケルトニアの魔導士たち(トルゴル兵は、エイナたちがリスト人であることを知らない)は誰も気にしていないので、抗議もできない。

 それよりも役目の方が優先である。斥候は藩王の到着を報せるべく、馬腹を蹴って駆け去っていった。


 アハド百人長の率いる部隊の宿営地は、小さな池の周囲に開けた草地で、中型テントがいくつも並んでいた。

 エイナたちの到着に備えてそのひとつが空けられ、ニザムが占有することになった。

 藩王が特別扱いを受けるのは当然で、彼も何ひとつ文句を洩らさず、臣下の言われれるままになっていた。

 ただ、その表情は少し淋しそうであった。


 藩王のテントは、そのまま作戦指揮所となり、さっそく百人長から現状の説明が行われた。

 手書きの地図の上には、敵味方を示す駒が置かれていて、視覚的に理解がしやすかった。

 敵の位置は、この野営地から三キロほどと、かなり近い。


「敵は三日前から進撃を停止しました。

 現在はこのように防衛線を構築し、居座る構えを見せています。

 相変わらず、敵が何を考えているのか、さっぱり分かりません」


 百人長が指し示した地図上には、敵の防衛線を示す鉤型の太い線が描かれている。

 指揮官の口調には、怒気が滲んでいた。


「防衛線は三百メートルにも及び、塹壕を掘って土嚢を積み上げ、さらにその前方に馬防柵が組まれています。

 敵がこれほど強固な陣地を構成したのはこれが初めてで、我々も驚いているところです。

 斥候の観察では、敵の総兵力は百二十人ほどで、うち四十人が交替で睡眠をとっているようです」


「ちょっと待ってくれ」

 ケネスが即座に手を挙げた。


「あんたが都に来た時の説明じゃ、敵兵力は二百人って話だったぜ。

 八十人は帰っちまったのか?」

「それが……」

 百人長は困った表情を浮かべた。


「行方不明なのです。

 もちろん、帰還したわけではありません。いつの間にか姿を消したとしか言えません」

「じゃあ、土の中に潜ったか? んなわけねえ!

 進んでもいない、戻ってもいないとなれば、向きを変えたってことだろう?」

 ケネスは地図上の敵陣の背後を指さした。その方向は空白で、何も描かれていなかった


「そっちは山です」

「ああ?」


「千メートル級の急峻な山があるだけです」

「その山を越えると、どこに出るんだ?」


「さらに高い山が待っているだけです。

 ここはコルドラ大山脈の南端に当たるんですよ」


 ケネスは肩をすくめた。

「ここまで攻め込んできて、呑気に登山か。

 帝国人の考えることは分らんな」

「同感ですね」


「どうします? 大佐殿」

 ケネスは隣りに立っているオコナー大佐に指示を仰いだ。


「知れたこと。当初の目的を思い出せ。

 まずはこの防衛線を突破して、敵勢力を駆逐する。

 登山中の奴らのことは、それから考えればいい」

「了解です」


 ケネスは振り返り、地図を覗き込んでいた魔導士たちを睨みつけた。

「ロジャーの第一小隊は、正面から防衛線を突破しろ。迅速にだ!

 その上で、休憩中の敵兵を急襲し、これを殲滅。

 しかるのち、各自の判断で戦果を拡大しろ」


「エイナ!」

「はい!」


「てめえの第二小隊は、回り込んで敵の逃げ道を塞げ。

 そのまま攻め上がって第一小隊と合流したら、残敵を掃討するんだ」

「了解です」


「あの、大尉殿」

「何だ、ロジャー?」


「敵が降伏した場合は、いかがいたしますか?」

「馬鹿野郎、人数差を考えろ。

 そんな暇を与えるな。敵が命乞いをする前に殺してしまえば、捕虜にする手間を省けるだろう?」

 小隊長であるロジャーはケネスの言葉に動じなかったが、彼の部下たちは一様にぎょっとした表情を見せた。


「お言葉ですが、情報を引き出すためには、捕虜も必要だと思います」

「そんな心配はしなくていい。お前らひよっこに、そこまで期待はしていねえ。

 敵も新兵ばかりだ。かなりの数が森に逃げ込もうとするだろう。

 お前らの人数と手際じゃ、それを防ぐのは不可能だ。

 逃亡兵を生け捕りにするのは、アハド殿の部隊にお任せする。

 それでよろしいな?」


 アハド百人長は、半ば呆れたような顔でケネスの命令を聞いていたが、話を振られたことに慌ててうなずいた。

「それは構いません。

 だが、本当に大丈夫なのですか? 小隊といっても、たったの六人でしょう。

 あの防御陣地を抜くには、最低でも三倍の兵力が必要だと思っていましたが……」


 ケネスはにやりと笑ってみせた。

「そうか、トルゴルは魔導士と戦ったことがなかったのだな。

 心配するな、魔導士はひとりで百人の兵に匹敵する。

 それを考えれば、むしろ過剰戦力なんだが、こいつらのほとんどは実戦が初めてだ。

 まぁ、多少のヘマはあるだろうが、万が一にも負けることはない」


「アハド、余はどこで観戦すればよいのか?」

 それまで黙っていた藩王が口を開いた。


「はっ、現地は森林地帯ですから、見通しが利きません。

 ただ、物見の監視所に登れば、比較的安全に戦場が見渡せると存じます」

「ほう、監視所か。この辺りにそのような高所があるのか?」


「いえ、大木の大枝に組んだ足場を、木の葉で偽装したものです。

 縄梯子で昇り降りするのですが、その、陛下にそのようなことを……」

「何、構わん。面白そうではないか! アハド、その方も供をせよ。

 今の戦場は、魔導士戦が花形だと言うぞ。お主も見ておいて損はないはずだ」


「御意」

 アハドは深々と頭を下げた。


 ケネスとしては、ホッとするやり取りであった。

 お偉いさんに戦場でうろうろされては、やりにくいどころではないからだ。


「よし、ではただちに出発だ。

 エイナの第二小隊は、攻撃位置に着いたら狼煙のろしを上げろ。

 第一小隊は、それを合図に突っ込め。

 俺はロジャーたちの後ろにつく。よほどのことがない限り、手助けはせんから、自分たちの力でどこまでできるか、試してみろ!」

「はっ!」


 全員が敬礼をし、藩王の天幕から急ぎ足で出ていった。

 その後を追おうと歩き出したケネスの背中に、アハド百人長が声をかける。


「彼らはこれが初陣なのですか?」

「そうだ。あんたらには悪いが、この戦いは奴らひよっこの度胸試しだ。

 だが、結果は出して見せる。俺はそういう連中を選んだからな」


「お手並み拝見といきましょう。ではご武運を」

「ああ、あんたもな」


      *       *


 トルゴル軍の宿営地から先は、道のない完全な原生林となる。

 王国の魔導士たちは、徒歩で戦場を目指した。

 道はなくても、魔導士は測量術にけているから、簡単な地図とコンパスさえあれば、迷うことがない。


 エイナたち第二小隊は、途中でロジャーたちと分かれ、森を北上して所定の位置に着いた。

 敵の塹壕線が終わる地点が、巨木の間からどうにか窺える。その背後には、巨大な山塊が迫っていた。


 いくら帝国軍の人数が多くても、長く延びきった占領地すべてを防御するのは不可能だった。

 その点で、彼らは合理的な考えをしていた。

 要は大切な部分さえ、がっちりと守ればいい。それ以外のところを食い破られても損害は少ない。

 空いた穴は、後で塞げばいいだけの話だった。


 エイナたちは木の幹を盾にしながら、じりじりと敵陣に近づいていく。

 距離が二百メートルを切ると、敵の様子がはっきりと見えてきた。

 彼らの注意は防衛線と対峙する森に向けられている。


 エイナたちの方向は、彼らが通過した進撃路に当たり、あまり警戒が感じられなかった。

 だが、塹壕がない代わりに、X字型に組まれた二重の馬防柵が設置されており、急襲に対する備えはしてあった。


 塹壕の背後では、動き回る兵士たちの姿も見えた。

 あちこちで煙が上がっているのは、食事の準備をしているのだろう。

 トルゴルは温暖な地域であるが、さすがに二月だと寒い。特に、この辺りは山裾であるから、思ったより標高があるのだ。

 じめじめした塹壕に籠る者たちは、熱いスープを欲しているに違いない。


 エイナは部下たちを集めて、役割分担を確認した。

「ミハイルは対物理障壁を展開、皆はその範囲から出ないよう注意してくれ。

 カールは対魔法防御の準備。いつでも発動できるようにしておけ」


 これに対し、ミハイルが不平を述べた。

「小隊長殿、防御の必要はないと思いますが?

 どうせ俺たちに矢は効かないんだし、接近を警戒するより、攻撃魔法で圧倒する方がいいと思うぜ。

 それに対物理はまだ分かるが、魔法防御は無駄じゃないか?

 敵に魔導士がいないことは、感知魔法でも確認済みのはずだ」


 彼は同級生だけあって、上官であるエイナに対する敬語をすぐに忘れてしまう。

 それでも〝小隊長殿〟と呼んでいるのは、後輩たちの手前仕方がない。


「いや、帝国軍には、対魔導士戦の経験が蓄積されている。

 一般兵にも対策兵器が支給されているという話もある。油断すべきではない。

 魔法防御の方は……、まぁ、万が一の時のお守りのようなものだ。

 とにかく、私は絶対に部下を死なせたくない。黙って命令に従え」

「了解です」

 ミハイルはエイナの立場を配慮したのか、あっさりと引き下がってくれた。


「攻撃の方だが、マイクはファイアウォールが使えるな?」

「はい。自分は火系に特化しておりますから」


「範囲はどのくらいだ?」

「最大で百メートルほど」


「それは凄いな。よし、では塹壕に沿ってファイアウォールを発生させろ。

 敵のほとんどは塹壕内だ。まとめて焼き殺してやれ」

「ですが、敵の塹壕線は真っ直ぐではありません。

 かなり討ち洩らすことになりますが?」


 マイクの言うとおり、帝国兵の塹壕は樹木を避けて掘られているため、ジグザグになっていた。

 ファイアウォールは、あまり複雑な設定ができないのだ。


「それで構わん。効果範囲の狭いファイアボールをちまちま撃つより、よほど効率がいい。

 私とノーマは残敵掃討に専念する。

 ノーマは風系と聞いているが、ファイアボールは使えるのか?」

「はい、大丈夫です」


「では、呪文詠唱が終わった者は手を挙げろ。

 全員の準備が整った時点で突入する。

 念のため言っておくが、攻撃を躊躇するな。

 相手は同じ人間だが、それ以前に敵だ。情けをかけたら自分が死ぬことになるぞ。

 分かったな!」


 全員が無言で敬礼をした。

 すでに呪文の詠唱に入っていたからだ。


 エイナは胸ポケットから筒状の狼煙のろしを取り出し、先端を包んでいる油紙を取り去った。

 そこには硫黄とリンを練った発火薬が塗られていて、固いものにこするだけで着火するようになっている。


 五分を経過すると、次々に部下たちが手を挙げ始めた。

 さすがに選抜された魔導士だけあって、詠唱時間が短い。

 ミハイルが真っ先に手を挙げ、『どうだ?』という顔でエイナを見た。

 だが、当のエイナは、彼よりも早く詠唱を終えていたのだ。


 最後の一人が手を挙げた瞬間、エイナは傍らの木の幹で狼煙を擦りつけた。

 しゅうっという音をたて、黄色い煙が立ち上った。


 同時に、エイナの抑えた叫び声が響いた。

「総員、突撃!」

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ああ……エイナがどんどんマグス大佐の貌になっていく……
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