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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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十二 忖度

 翌日、軍司令部に出勤したスチュワート中将は、さっそく行動を起こした。

 いつもより一時間も早く執務室に現れた彼に、副官は目をみはった。


「中尉、フェルナンド少佐の定例報告は、そろそろであったな?

 詳しい予定を教えてくれ」

「はい。すでに現地を出発したという報告が届いております。

 途中でトラブルがなければ、十一日後に帝都に到着する予定です」


「そうか、あまり時間がないな。

 中尉は編成部長の秘書に……ああいや、違うな。相手はオズモンドだ、わしが直接訪ねた方が早い。

 よし、わしはこれから編成部へ行ってくる。中尉は補給部のクレメンス中将に、面会を申し入れてるのだ。

 今日の午後以降、早ければ早い方がいいと伝えてくれ」


 彼は副官に命令を伝えると、足早に執務室を出ていった。

 編成部は各現場からの要請を集約し、人員の補充を調整する部署である。

 その部長を務めるオズモンド少将は、スチュワートと同期で気の知れた間柄であった。


 中将は一階上の編成部に赴き、秘書官室の扉を叩いた。

 返事を待たずに入ってきた彼を、女性秘書官が驚いた顔で出迎えた。


「これはスチュワート中将閣下、どうなされました?」

「オズモンドはいるか?」


「は、はい。ただいま執務中でございます」

「そうか。ちと、急ぎの用でな。通してもらうぞ」


「えっ。ですが、午前中の来客はお断りするようにと……」

 慌てて止めようとする秘書を、中将は構わず押しのけ、執務室に通じる扉を開けた。


 机に書類の山を築き、前かがみで没頭していたオズモンド少将が顔を上げ、鼻にかけていた眼鏡を押し上げた。

「何だ、貴様か」


 ずかずか入ってくる中将の背後で、女性秘書が拝むような仕草で何度も頭を下げているのが見えた。

 少将は苦笑いを浮かべて、椅子から立ち上がった。

 スチュワートは勧められる前に、応接のソファに腰をおろし、貧乏揺すりをしながら少将を待つ。


「何事だ、ずいぶん乱暴だな。仮にも貴族様なのだろう?」

「ちょっと頼みがあってな。あまり時間がないので、無礼は承知の上だ。

 貴様とわしの仲ではないか、そう固いことを言うな」


「金なら貸さんぞ?」

「抜かせ。借りたいのは新兵だ」


「ん? 南部方面への補充なら、先月遣ったばかりだぞ。

 二個中隊を送ったから、当分持つはずだ」

「それとは別の話だ。三個大隊欲しい、どうにか融通してくれ」


「気でも違ったか?

 貴様のところは全部合わせて三個大隊だ。それを倍にしろだと?

 そんな大事なら、上から命令があるはずだ。わしは何も聞いとらんぞ」

「正規の命令はない。だからこうして頼みに来たのだ。

 貴様の裁量で、内密に増員してもらいたい。

 何も一度に寄こせとは言わん。むしろ、月に一個中隊程度が、目立たなくて都合がいい。

 一年あれば、それで三個大隊になる。

 北部方面に送る新兵を、適当な理由をつけてこっちに回すくらい、貴様ならできるだろう?」


「そんな無茶苦茶が通るわけがないだろう、だから理由を言え!」

「わしが昨夜、皇帝陛下の晩餐に招かれたことは、貴様も聞いておろう?」


「ああ、皆が首を捻っておったぞ」

「いいか、ここだけの話だぞ!

 これは陛下のご内意なのだ。それ以上のことを話したら、わしも貴様も断頭台送りになる。だから察してくれ」


「待て、まてまて待て! 本当に陛下のご内意なのか?」

「ああ。でなければ、わしだって横紙を破るような真似はせん。

 よくよく考えろ。確かに軍規違反に当たるから、断っても問題ない。

 だがそうなれば、貴様は確実に陛下のご不興を買うことになるのだぞ!」


「むう……くどいようだが、本当に(・・・)ご内意なのだな?」

「侯爵の名にかけて誓おう」


「よし、分かった。

 ただ、すぐには無理だ。最初の一個中隊を送るまで、ひと月は待ってくれ」

「それで構わん。ただし、一年以内に三個大隊の増派は確約してくれ。

 陛下がお待ちになるのは、一年が限界だろう。

 それまでに成果を出さないと、文字どおりわしの首が飛ぶ。

 同期の貴様だからこそ、ここまで打ち明けたのだ。頼んだぞ!」


 中将はオズモンド少将の手を握り、三度大きく振ってから立ち上がった。

 秘書官室への扉を開けると、銀のお盆にカップを乗せた秘書官とぶつかりそうになった。

 彼女はいきなり出てきた中将に、慌てて口ごもった。


「あっ、あの、せめてコーヒーでもお飲みになってから……」

「それは君と少将で飲めばよい。

 秘書官殿には済まないが、私のせいで仕事を増やしてしまったようだ。

 少将は君の助けを必要としている。早く行ってやりたまえ」


      *       *


 これ以降も、スチュワート中将は精力的に動き続けた。

 補給や装備の手配はもちろん、最終的に倍の兵力を受け入れるのだから、兵舎の増築も必要だった。

 それら全てを、軍の命令系統の外で、こっそり進めなければならないのだ。


 普通なら、そんな無理は通らない。

 だからこそ、中将は各部門のトップと直談判を行ったのだ。

 そして、必ずこうささやいた。

「ここだけの話だが、これは陛下のご内意である」


 彼らはいずれも将官である。実務も重要であるが、それ以上に政治に気を遣わねばならない。

 出世を重ねてきた者たちほど、いかにしてライバルを蹴落とすかが、最大の関心事となる。


 だからこそ、中将の〝ご内意〟という言葉は効いた。

 皇帝の不興を買うのは、絶対に避けねばならなかった。

 名ばかりとはいえ方面総司令の肩書と、ビュート侯爵という権威が、スチュワート中将の言葉に重みを持たせた。


 だから、誰一人として、この話を疑わなかったのだ。

 事を内々に進めるという条件は、事態の重要度を示唆するものだった。

 その代わり、どの部署も対応に時間を要求してきた。


 中将の奔走と熱弁によって、一週間ほどでほとんどの準備に目途がついた。

 現地指揮官のフェルナンド少佐が帝都に到着したのは、そのすぐ後のことだった。


 中将は少佐を呼び出し、トルゴルの勢力圏の原生林に侵攻し、南部の山岳地帯を確保せよと命じた。

 さすがに少佐にだけは、これまでの詳しい経緯を打ち明け、成功の暁には彼を今以上の地位に引きあげると約束したのだ。

 そして、兵力と補給の手当も万全だと太鼓判を押し、何も心配するなと言い切った。


 だが実は、ひとつだけ解決していない問題が残っていた。

 それは、魔導士の確保である。


 魔導士は極度の人手不足であったから、どこにも予備が存在しなかった。

 もともと配属がない南部方面に、新たに魔導士を押し込むには、どこかの戦線から引っこ抜くしかない。

 そんなことをすれば、現場の猛反発を喰らうのが目に見えている。

 こればかりは、いくらトップの高官でも、いかんともしがたい。


 最終的に目的の山地まで侵攻しても、感知魔法を使える魔導士がいなくては、洞窟の位置が特定できない。

 作戦はあまり派手には行えないし、戦力の増強にも時間がかかるため、少佐にはじわじわと敵地に浸透するよう言い含め、現地に帰還させた。

 一年近くをかける作戦であるから、魔導士の手配はもっと先でもよい。


 その後も中将は八方手を尽くしたが、年末に至っても魔導士は見つからないままだった。

 現地からは、着実に侵攻が進んでおり、二月末には目的地に達するとの観測が報告されてきた。

 もう時間は残されていない。中将は必死で解決策を探った。


 そしてある時、彼は突如として天啓を受けた。

『そうか! 身内でどうにかするから難しいのだ。

 魔導士を持っているのは、何も軍だけではない。

 奴らに借りを作るのは癪だが、背に腹は代えられん!』


 決意を固めた中将は、副官に命令を下した。

「中尉、情報部に赴き、部長と面会の約束を取りつけてきたまえ」


 情報部は軍から独立した組織で、規模は小さいが自前の戦力を保有していた。

 魔導士も少数だが配属されており(通信魔導士は相当数抱えている)、任務の性質上、軍よりは融通が利くはずだった。


 予想はしていたが、中将と面談した情報部長はかなりの抵抗をみせた。

 リスト王国における魔導士の配備が進み、同国での活動に魔導士の重要性が増している――というのが、その理由である。

 部長は『陛下のご内意であれば、考えないでもない』と譲歩の姿勢を見せつつ、その内容を知りたがった。


 すでに情報部は、南部方面軍がトルゴルに謎めいた侵攻を開始し、相当範囲を占領していることを察知していた。

 そして、そこが軍事的には何の意味も持たない原生林であることに、首を捻っていたのだ。


 このため交渉はかなり長引き、とうとう越年してしまった。

 中将は粘り強く秘密を守り抜き、最終的には情報部長も渋々要請を受け入れた。

 やはり、皇帝の不興を買いたくなかったのだ。


「ちょうど東部に、適任の魔導士がおります。

 もともと軍の魔導士官ですから、そちらへ派遣しても支障はないでしょう。

 ただ、東部からトルゴル方面に移動させるとなると、準備を含めて一か月は覚悟してもらいますぞ」

「つまり、二月の上旬には現地に着任できるということだな?

 それはありがたい。ぎりぎり間に合いそうだ」


      *       *


 再び話はトルゴルに戻る。


 藩王への拝謁を終えたエイナたちは、翌日にも前線に向け出発するつもりでいた。

 しかし、藩王の同行が決まったことで、その出発は四日も延ばされた。


 藩王の宿泊用の豪華な大型テント、その調度品や呆れるほど大量の食料、湯あみ用の風呂と水桶、それらを運ぶ馬車や人夫を集めるためである。

 一応、前線までは、樹木を伐採した林道が切り拓かれていたが、これらの大荷物を馬匹で運ぶとなると、一体どれだけの時間を要するのか、考えただけで気が遠くなりそうだった。


 同時に、前線の部隊からは急遽指揮官が呼び戻され、現状の確認と作戦計画を立案する会議が行われた。

 この会議には、エイナたち魔導士部隊は呼ばれなかった。

 王国の魔導士たちは憤ったが、オコナー大佐とケネス大尉は平然としていた。


 トルゴル軍としては、よそ者に聞かせたくない話もあるだろう……彼らはそう言って、若い魔導士たちをなだめた。

 結局、その会議の終了後に、エイナたちにも現地指揮官からの状況説明の場が設けられ、まるきり無視されたわけではない、ということが分かった。


 帝国軍の侵攻部隊は、トルゴル支配地域に入り込んでから、ひたすら南下を続けており、現在は南部の山岳地帯に迫る勢いとのことだった。

 現地指揮官は、アハド百人長(大隊長に当たる)という、精悍な顔つきをした男であった。

 彼は大きな地図に両軍の駒を置きながら説明したあとで、困惑した表情で付け加えた。


「このままだと、帝国軍は山に突き当りますが、まさか、そのまま山登りをするとも思えません。

 本当に敵が何を考えているのか、まったく分からないのです」

「帝国軍の規模はどの程度だ?」


 ケネスが百人長に訊ねた。彼は、いわば中隊長なのだが、大隊長相当の指揮官にも、平然とため口をきいていた。


「およそ二百人、これまではせいぜい百人前後でしたから、かなり増強されていますね」

「それで、百人長殿の部隊はどれくらいなのだ?」


「こちらは九十人ほど――当初は百二十人でしたが、この半年でそこまで減りました」

「劣勢というわけか?」


「いえ、損耗率でいえば、敵はこちらの倍以上の損害を出しています。

 向こうは新兵ばかりで、我々とは技量も経験も比べ物にならないほど未熟です。

 ただ、いくら数を減らしても次々に補充されるので、それに付き合っていられないのです」

「では、今まではどんな戦術を?」


「遅滞防御に徹しています。

 我々はいくら敵の侵攻を許しても、痛くも痒くもありません。

 私の部隊はできるだけ敵に出血を強い、適宜後退を繰り返しています。

 その結果、延びきった補給線を、別の部隊が叩いて敵の体力を削っているのですが、なかなか音を上げてくれないのです」

「状況は理解した。

 我々の目的は、敵を圧倒して敗走させることだ。

 百人長殿にとっては不満かもしれんが、トルゴル軍にはその後詰を頼みたい」


「こちらの手は借りないと?」

「物は考えようだ。我々は目前の敵を倒すことだけに集中する。

 占領地の奪還と、集積された物資の奪取はそちらに任せる。

 これまで後退を重ねて消耗してきたのだろう? たまには楽をして、兵にいい思いをさせてやってくれ」


「分かった。藩王国の兵力には、もう余裕がないのだ。正直に言って助かる」

「詳しい作戦と分担は、現地で偵察してから検討しよう」


 打ち合わせを終えたアハド百人長は、そのまま馬に乗って部隊の元へと戻った。

 残されたエイナたちは、もうすることがない。

 一応、状況が事前に知れたのはありがたいが、現場は常に変化している。

 このままあと二日、無為に過ごすのは、あまりにもったいなかった。


 ところが、翌朝事態は一変する。

 突然、宿の前に馬に乗った藩王が現れ、いますぐ出発すると告げたのである。

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