十一 余興話
スチュワート中将は、皇帝主催の晩餐会に何度も出たことがある。
名前だけは方面軍総司令官であるから、国の重要な式典には、当然のように招かれるのだ。
そうした席では、〝いかにも〟といった豪華な料理が饗される。
見た目が華やかで、こってりとした濃厚な味付けが多い。
ところが、この日の料理はまったく違ったものだった。
口に入れてみると、塩味も脂も控えめで、かなりあっさりした印象であった。
もの足りないかと言われるとそうでもなく、しっかりと出汁が利いているから、十分な満足感が得られた。
また、肉だけの皿がなく、たっぷりの煮野菜が入ったソースと絡めてあった。
全体として、腹八分目で済むような量で、皇帝の夕食としては質素とすら言える。
中将は知らなかったが、これはレイアが皇帝の健康を気遣って、年月をかけて少しずつ変えていったものだった。
中将がこれまで出席してきた晩餐会は、長大なテーブルに数十人が並ぶという、大がかりなものであった。
それが、この日は四人掛けのテーブルで、皇帝とレイアが並んで席に着き、その対面に中将が座るという、一般家庭のようなセッティングである。
食事は和やかに進み、ごくありきたりな話題に終始した。
メインの皿が下げられ、食後のお茶とデザートの菓子が並ぶと、いよいよ皇帝が本題を切り出した。
「毎夜余が眠る前、レイアが物語をしてくれることは、中将も聞き及んでおろうな?」
「はい。レイア様はことのほか語り上手とのこと、誠に羨ましい限りでございます」
「うむ。レイアを側室に迎えてから、およそ四千夜は褥をともにしてきたと思うが、一度として同じ話を聞いたことがない。
しかも、そのどれもが面白い。余はすっかり、ベッドで絵本をせがむ幼子になってしまった。
手玉に取られるとは、まさにこのことだ。まったく、恐ろしい女だとは思わんか?」
さすがに肯定するわけにはいかず、中将は頭を下げるに留めた。
「昨夜もいつものように、レイアの話術にはまったのだが、それがたまたまトルゴルの話であった。
それで、中将がその方面の担当だったことを思い出してな、そなたを呼んだというわけだ。
中将は〝征服王の宝剣〟という伝承を知っておるか?」
スチュワートは必死で記憶を探った。
フェルナンド少佐の報告書には、最初にトルゴル王国の概論が載っていた。
敵国の軍事はもちろん、政治・経済・文化についても紹介した章である。
その一節に民俗に関する記述があり、宝剣の話が出てきたはずだ。
「あまり詳しくは存じませんが、かの国では、古代にトルゴルが大陸を制したと信じられているそうです。
その大帝国を一代で築いたのが、確か……征服王ムガル三世だとか。
ところが、征服王はその絶頂期に息子の一人に毒を盛られ、玉座を追われたといいます。
反乱軍の襲撃を受け、都を脱出した王は、秘密の洞窟に逃れたところで息絶えました。
ただその今際に、天下無双と謳われた宝剣を岩に突き刺し、これを抜いた者は世界を手に入れるだろう……と言い残したそうです」
皇帝は嬉しそうに目を細めた。
「ほう、なかなかどうして、詳しいではないか!
さすがは方面総司令、敵国の民情にも通じているとは、見事な心がけだ」
「お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」
中将は頭を下げながら、心の中で『切り抜けた!』と喝采をあげた。付け焼刃でも、準備はするものである。
「まぁ、レイアが語ったのは、もっと〝見てきたような〟話であったがな」
(※ 本章の第一話こそ、レイアが語った内容そのものである。)
「して、その秘密の洞窟とやらは、どこにあるのだ?」
皇帝が、さも当然な顔で訊ねてきた。
もちろん、中将がそこまで知るはずがない。彼は口ごもりながら、どうにか言い逃れようとした。
「こっ、この話は、あくまで言い伝えの類でありまして、遺跡の実在は確認されていないはずです」
「だが、トルゴルの民は信じているのであろう?
ならば、全く根拠がないとは言い切れないはずだ。
世界を手に入れられる宝剣――余のもとにあってこそ、相応しいとは思わんか?」
「御意にございます。もし実在するものなら、万難を排して手に入れ、陛下に献上いたします。
ですが、そのありかが知れないとあっては、如何ともしがたく……」
「ほう、南部方面総司令にして、名門ビュート侯爵でも叶わぬか?」
中将は言葉に詰まった。
『何だこれは? 無理難題にも程があるではないか!
どう応えるのが正解なのだ?』
脂汗をかいて黙り込む中将を、気の毒に思ったのだろう。
それまで微笑みながら話を聞いていたレイアが、救いの手を差し伸べた。
「陛下、おからかいも程ほどになさいませ。中将閣下がお困りではないですか」
「そうだな。いや中将、これは余が悪かった。許せよ」
「滅相もございません。レイア様ならば、ここで気の利いた返しができるのでしょうが……、自分は無骨者ゆえ、恥じ入るばかりでございます」
「ご自分をお責めになってはいけませんわ。今のは陛下がお悪いのです。
そもそも、この話は二千年以上も前のこと。もし宝剣が実在したとしても、とうに錆びて朽ち果てているでしょう」
「だが、黒の宝珠はそうではあるまい。
ん? 何だ、中将は宝珠のことは知らんのか?」
「宝珠……ですか? いえ、不勉強で申し訳ないのですが、まったく存じません」
フェルナンド少佐の報告書には、そんな話は出てこなかったのだ。
「宝剣の柄頭には、黒い宝石が埋め込まれていたそうなのだ。
当時の呪術師が、千人の奴隷の命と引き換えに生成した魔石でな、剣に凄まじい魔法効果を与えたらしい。
見てみたいと思うのは、人情であろう?」
「左様でございますな」
「実は昨夜、陛下がお休みになられた後で、少し考えていたのです」
レイアが考え深そうな表情で、再び口を挟んだ。
「何をだ?」
「宝剣を隠した、洞窟のありかをです」
「今のはあくまで戯言だぞ。
まさか、レイアは伝承を真に受けているのか?」
「何の根拠もなしに、二千年も信じられてきたはずがない……そうおっしゃったのは、陛下ではございませんか。
そもそも、征服王の最期が伝えられたのは、一緒に王宮を脱した側近たちがいたからです。
つまり、証人がいたということですわ」
「ふむ……、続けろ」
「では、これも余興と思ってお聞きください。
古代トルゴル帝国の首都は、現在のアウランだと言い伝えられています。
アウランの周囲は古くから農耕が盛んで、開けた土地だと聞いていますが、なぜか昔も今も、東部の原生林だけは、手つかずのまま残されています。
王が使ったという抜け道は、都の陥落に備えたものでしょうから、無人の森へ通じていたと考えるのが妥当でしょう」
「そして、最終的にたどり着いたのが、秘密の洞窟です。
洞窟であるなら、森より山の可能性が高いと思います。
ちょっと、地図を持ってきてもらえますか?」
レイアが侍従の一人に声をかけると、控えの部屋から衝立が運び出されてきた。
その衝立には、大きな地図が貼られていた。
帝国の全領土を含む大陸北部の地図で、当然トルゴルを含む周辺国も描かれている。
彼女はあらかじめ、こういう展開を予想して準備をしていたことが分かる。
レイアは侍従から渡された細い棒で、教師よろしく地図を指し示した。
「トルゴル東部の森林地帯は、わが国が開拓を進める夜森につながっており、国境も定まっていないため、両国の争いが起きていると承知しております。
この夜森は、ご覧のようにコルドラ大山脈に囲まれています。
私はこの山岳地帯のどこかに、件の洞窟があると思っています」
「ふむ、一応の理屈は立っているな。
だが、そうなると相当に範囲が広くなるぞ。山を虱潰しに探すわけにもいくまい?」
「陛下のおっしゃるとおりです。
ですが、二千年という時をお考えください。
洞窟が山にあるだろうくらいのことは、私でなくても簡単に思い至るでしょう。
トルゴルでは有名な逸話ですから、一攫千金を夢見た盗賊たちが、探さなかったはずがありません。
いくら範囲が広くとも、欲にかられた盗賊たちが、二千年間探し続けたのです。
それでも、見つかったという話は聞きません。なぜでしょう?」
「洞窟の入口に、何か仕掛けがあるということか?」
「さすがは陛下でございます。
私もそう思います。ほかならぬ王の隠れ家であるなら、容易に見つからぬよう、対策を施さない方がおかしいのです。
そこで私が思い出したのが、昨年秋のマグス大佐の報告書です」
いきなり思いがけない人物の名が出たことで、皇帝はますます面白がった。
「そんなものまで読んでいるのか? あれは軍機のはずだぞ。……まったく、油断のならん奴だな。
まぁいい、ミア(マグス大佐のこと)の報告書というと、ノルド付近の山地で、リスト王国の召喚士とやりあったという話だな。
それがどう関係するのだ?」
「はい。マグス大佐は、王国の召喚士が突然出現して驚いたと報告しておりました。
そこは岩だらけの斜面で、隠れる場所もないのに、まるで岩壁を通り抜けてきたようだったと。
私はそれを読んだ時、王国の者たちは魔法で隠された洞窟から出現した――つまり、幻術が使われたのではないかと考えました。
陛下もご存じのように、精神操作系の魔法は黒魔術に属し、わが国では使用が禁止されています。
しかし、呪術師ならどうでしょう?」
「トルゴルはサラーム教の国、黒の宝珠も呪術師の手で創り出されたのであったな」
「洞窟の位置は王族しか知らず、その入口は幻術が仕込まれた呪符によって、巧妙に隠されているのではないでしょうか?」
「それでは、お手上げではないか?」
「そうでもございません」
レイアは微笑んだ。
「コルドラ大山脈の成り立ちにまつわる伝説、陛下もご存じでしょう?」
「話が飛びまくるな。暴龍ナムグルと巨人ゴリアテの戦いのことだな」
「はい。世界を焼き尽くし、そのすべてを呑み込もうとした暴龍ナムグルに、始祖の巨人ゴリアテが挑み、死闘の末に討ち果たしたという神話です」
「巨大な龍の骸は石と化し、それが大陸を二分するほどの大山脈となった。子どもでも知っている話だな」
「ゴリアテはどうやって、龍の息の根を止めたのでしょう?」
「確か、龍の巨大な顎に捕らえられながら、急所を大鉞の折れた柄で貫いた……のではなかったか?」
「そうです。龍の急所とは、二つの鼻穴の間だったと言われています。
そして、征服王の剣の柄には、その暴龍が巻きつく彫金が施されていたそうです。
ちょうど柄頭が龍の急所、すなわち鼻先に当たり、黒の宝珠はそこに埋め込まれたのだとか。
では、もう一度地図をご覧ください」
レイアは再び指し棒を地図に当てた。地図は彩色されており、コルドラ大山脈は焦げ茶色に塗られている。
「そう言われてみれば、山脈は龍の姿に見えませんか?」
確かに、北海に面した北を尻尾、夜森の南を頭とすれば、そう見えないでもない。
特に、山脈は南端で二手に分かれているので、龍が口を開いているようである。
そして、龍の弱点だという鼻先が、ちょうど現トルゴル領の東南に突き出している。
「偶然の符号とは思えません。恐らく洞窟の近くには、二つの鼻穴に擬せられる地形があるはずです。
囮の洞窟か、あるいは池かもしれませんが、目印がなければ王自身が迷ってしまうでしょう」
「だが、入口を隠す幻術はどうする?」
「簡単です。呪術も魔法であることに変わりありません。
つまり、呪符には強力な魔力が封じられていることになります。
わが軍の魔導士なら、魔力感知ができますから、容易に場所を特定できるはずです。
私の推理、いかがでしょうか?」
レイアがにこりと笑うと、皇帝は満足そうに拍手をしてみせた。
一方のスチュワート中将は、気負いこんで立ち上がった。
「さすがはレイア様です。小官、誠に感服いたしました。
ですがこの先はお任せください。ただちに現地に命じて、宝剣を手に入れてみせます!」
だが、レイアは『あらあら』という顔をし、皇帝は呆れたように口を開いた。
「中将、血迷ったか? レイアが言ったであろう、『これは余興』だと。
こんな僻地に侵攻して、軍事的にどんな意味がある?」
「は? いや、しかし……」
「しかしも案山子もあるか。
いいか、本格的にトルゴルを攻めるのは、西部戦線が片づいて、エウロペからケルトニアを追い出した後の話だ。
伝説の答え合わせは、トルゴル全域を占領した後でやればよい。
そんな剣がなくても、余は世界をこの手で掴み取ってみせるわ。
だがまぁ……黒い宝珠とやらを見つけたら、それはそれで褒めてやろう。磨き直してレイアにくれてやろう」
晩餐の余興話は、それでお開きとなった。
中将は退席を許され、皇帝とレイアの前を辞した。
もちろん、彼の謂われなき罪が暴かれることはなく、投獄もされなかった。
* *
『おかしい……。では何のために、わしは呼ばれたのだ?』
その夜、帝都の自宅に帰ったスチュワート中将は、書斎に閉じ籠って自問していた。
『まさか、レイア様の余興話を聞かされる――それだけのためか?
いいや、そんなはずはない!
あの陛下が、そんなぬるいことをするか? いや、わしは試されておるのだ。
ここで陛下の真意を汲めぬようでは、わしに未来はない』
『だが、あそこまで話しておきながら、陛下はトルゴル侵攻を否定された。
いや、そこに軍事的な価値がないことなど、わしにだって分かる。
だが、陛下は百万の帝国軍を統べるお方だぞ。伝説の謎解きをする程度の気まぐれを、誰が非難しよう?
もう一度、陛下のお言葉を、すべて思い返すのだ!』
彼は普段吸わない葉巻を立て続けにふかし、必死で考え続けた。
そして数時間後、ついに答えを導き出したのだ。
『陛下はレイア様の賢さを、臣下であるわしに自慢したかった。それは間違いない。
そこでレイア様は、わざわざ洞窟の場所まで特定してみせたのだ。当然、陛下はその褒美を与えたいと思っているはずだ。
だとすれば、何が相応しい? 決まっている、話に出てきた黒の宝珠以外にありえないだろう!
最後にはっきり、こうおっしゃったではないか。
宝珠を見つけたら褒めてやると、そして宝珠はレイア様にくれてやると!』
『だが陛下は、全軍を統帥するお立場であらせられる。
軍事上の価値がない作戦を、命じるわけにはいかないのだ。
だからこそ、陛下はわしに謎をかけたのだ。
余の意向を忖度せよと!
つまり、わしが〝あくまで内々に〟兵を動かし、宝珠を手に入れることをお望みに違いない!!』
『ああ、危ない危ない!
もし、陛下の真意に気づかなんだら、わしは無能な阿呆と断じられ、破滅するところだったぞ!』