表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
263/358

九 藩王国

「ふぇぁぁっ……!」

「こら、変な声を出すな!」


 肩までお湯に浸かっていたノーマが、興奮したように膝立ちになった。

「だって、エイナ先輩!

 あたし、こんな贅沢なお風呂入ったことないですぅ!!

 ここは天国ですか!?」

「お湯をかけるな馬鹿! ちゃんと小隊長と呼べ!」


「いいじゃないですか、お風呂に入っている時くらい」

「駄目なものはダメだ!

 っていうか、人の顔に何を押しつけている!?」


 エイナの目の前には、ノーマの巨大な乳房が迫り、乳首が鼻に当たりそうだった。

 話には聞いていたが、実際に見ると凄い迫力である。

 叱られたノーマは口を尖らせ、再び身体を湯に沈めた。


 魔導士たちはオアシス都市アギルに到着し、さっそくエイナはノーマを連れて公衆浴場を訪れていたのだ。


「それにしても、湯船からどんどんお湯が溢れ出ていますよ。

 いくら湧水が豊富だからといって、もったいないと思いませんか?」

「いいんだ、これは温泉だからな。

 そろそろ上がらないとのぼせるぞ。私についてこい」


 エイナはタオルを身体の前に当て、溢れた湯が流れる大理石の床に出た。

 ノーマの方は下だけ隠し、胸をゆさゆさ揺らしながらついてくる。

 二人は衝立で区切られた一画に向かった。


 そこには藤で編んだベッドが並び、数人の裸の女性が寝そべり、マッサージを受けていた。

 エイナが説明する。

「ここの名物の〝垢擦り〟だ。気持ちがいいぞ」


 その声に気づいて、待機していた垢擦り女がお喋りを止めて立ち上がった。

「おや、エイナさんじゃないか? 久しぶりだねえ!

 ねえちょっと、サーイヤ、来てごらんよ!」


 元気そうな中年女が大声を出すと、奥の溜まり場から小太りの女が顔を出した。

「まぁ、エイナさん! お元気ですか?」

 彼女は駆け寄ってきて手を握り、ぶんぶん振り回した。

 エイナは慌ててもう片方の手でタオルを押さえた。


「サーイヤさん、それにアイーシャさんも元気そうですね?」


 この二人の垢擦り女は顔見知りであった。

 以前、サーイヤの息子が行方不明になった事件があり、エイナたちがそれを解決したことがあるのだ。


「今回も何かの任務ですか?」

 サーイヤは軽々とエイナを抱き上げて、空いているベッドに転がし、タオルを剥ぎ取った。小柄なのに、凄い力である。

 アイーシャが同じように大きなノーマをひょいと抱え、隣りのベッドに寝かせた。


「このはノーマ、私の部下で学校の後輩でもあるんです」

「任せときな! 腕によりをかけてあげるよ。もちろん、お代はいらないさ。

 それにしても、こっちのお嬢さんは立派な胸だねえ!

 エイナさんに少し分けてあげればいいのに」


 アイーシャは余計なことを言いながら、二人の間に衝立を入れた。

「ああああ、そんなぁ!」

 エイナの裸が見たいノーマの悲痛な声は、あっさりと無視された。

 垢擦りはプライベートを保って、心身ともにリラックスさせるものなのだ。


 たっぷりのシャボンをつけたヘチマで全身を擦られると、旅で溜まった垢が大量に出てくる。お湯で流されると、ぴりぴりした刺激を感じた。

 次に顔や手足、股間まできれいに剃ってもらった後は、香油を塗り込んでの全身マッサージとなる。


「うあぁぁぁぁ!」

 あまりの心地よさに、ノーマは思わず呻き声を上げてしまう。


「どうだい、気持ちいいだろう?

 あんまりよすぎて、おしっこを洩らすお客さんは珍しくないんだよ」

 アイーシャが〝がはは〟と豪快に笑い、バレていないと思ってたノーマは、茹でたカニのように真っ赤になった。


「それで、今度はどちらに行かれるのですか?」

「はい、トルゴルなのですが……」

 衝立を通して、エイナの声が聞こえてきた。

 ノーマは唇の前に指を立ててアイーシャに合図をした。

 わざとらしい上官口調も可愛いが、やっぱりいつもの優しい言葉遣いの方がいい。

 彼女は憧れの先輩の声を、一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてた。


「おやまぁ、それはまた!

 でも、何だってリストのお方がトルゴルへ? あそこはケルトニアの植民地のはずですよ」

「そうなんだけど、ごめんなさい。詳しいことは言えないのよ」


「あらあら、そうでございましょうとも!

 出過ぎたことを訊いて、ごめんなさいね」

「いえ、気になさらないで。

 それより、サーイヤさんはトルゴルのこと、何か知っています?」


「そうですねぇ、同じサラーム教徒といっても、あたしたちはペルシニア人ですから……。

 トルゴルの人とは、だいぶ様子が違うんでございますよ」

「ああ、サラーム教でも宗派があるのね?」


「そのとおりです。

 トルゴル人は気位が高くて、威張っているもんですから、あまり好きじゃありませんね。

 あの人たちは、自分たちが預言者様の子孫で、かつてはこの大陸の西から東まで、すべてを支配したっていうのが自慢なんです。

 それにしては戒律が緩くて、女はだらしない恰好しているって噂ですよ。

 昔の大帝国が滅んだのも、堕落した罰が当たったに違いありません。

 その点、あたしらは立派にサラームの教えを守ってますからね」


 サーイヤはそう言って胸を張ったが、彼女だって袖なしの短い上着に、腿まで露わにした半ズボン姿である。

 サラーム教では、女性はみだりに肌を見せてはいけないと教えている。

 だが、これは職業上必要な恰好で、女同士だから許されるというのが、彼女の理屈である。


「へえ……そんな大帝国があったなんて、魔導院じゃ習わなかったわ。いつの時代なのかしら?」

「なに、どうせトルゴル人の法螺ほらか、お伽噺の類に違いありませんよ。

 あたしらペルシニア人の間では、〝トルゴルの宝剣〟っていう俚諺ことわざがありましてね、要するに〝法螺話〟っていう意味なんです。

 トルゴル人は何かというと、自分たちの国には、世界を支配する宝剣が隠されているんだって自慢しますからね。

 何でもどっかの洞窟の奥に、岩に刺さった宝剣があって、それを引き抜いた者は、世界を支配できるそうですよ。

 そんなものがあるんだったら、あたしらアギルの垢擦り女が、真っ先に抜いてみせますよ!」


 サーイヤは、拳を握って剣を抜く真似をしてみせた。

 ぷちっという音がして、エイナが「きゃっ!」と悲鳴をあげる。


「あらあら、ごめんなさい! つい大事な毛をむしってしまったわ。

 せっかくきれいなハート形に整えたのに……。

 すぐに直しますから、もうちょっと剃らせてくださいまし」


「いえっ、いいです! 遠慮します!!」

「でも、それじゃ大事な時に恥をかきますよ?」


「大丈夫です! 当分その予定はありませんからっ」

「あらぁ、そうなの? エイナさんいい人がいないんですか? 意外だわぁ」


 うつ伏せになって盗み聞きに集中していたノーマは、がばっと跳ね起き、アイーシャの頭を抱き寄せた。垢擦り女もかくやという怪力である。

 彼女はアイーシャの耳元でささやいた。

「ねえ、サーイヤさんから、抜いた毛を譲ってもらえないかしら?

 いくらでも出すわ!」


      *       *


 アギルでは、乗ってきた馬車を業者に預けた。帰途にまた使うからである。

 業者は馬の面倒を見て、客が戻ってくれば、馬車ともども無償で引き渡す。

 その代わり、期間内は馬と馬車を使って自由に稼ぐことが許され、約束の期間内に客が戻らなければ、質流れのように収納できるのだ。


 準備を済ませた一行は、川船に乗り込んだ。

 アギルにはコルドラ山脈を源としたユルフリ川が流れ、遥か西海岸の都市国家セレキアに通じているのだ。


 船の旅は快適とは言い難かったが、下り船だから旅程が大幅に短縮できる。

 西海岸の都市国家群は、すべてケルトニアの支配下なので、セレキアまでたどり着けば後は簡単である。


 セレキアからは大型帆船に乗って、海路トルゴルに向かうのだが、二日もあればトルゴルの首都、ビザンティヌスに着いてしまう。

 首都では国王に拝謁するのかと思ったが、そのような儀式は行われなかった。

 帝国に国境を侵されても、そもそも関心が薄いのだろう。


 一行は、駐留ケルトニア軍の施設で一日休んだだけで、軍の馬車を借りて陸路で東北を目指した。


 目的の地域は、ハイダラバード藩王国が支配していた。

 同国はトルゴルでも最大の支配領域を誇っており、都であるアウランは国内最古の都市であった。

 ただ、領地の大半を占める東部は深い森に覆われ、ほとんど開発が進んでいなかった。

 帝国との国境も、この森の果てにあった。


 ハイダラバードの藩王は、ニザム二十三世である。

 名門ではあるが、それほど覇気のある人物ではないと評され、ケルトニアからも警戒されていない。

 ケルトニアの関心は、藩王が帝国との国境を自前の軍勢で維持することに尽きる。

 ニザムはその役割を、三十年近く忠実に果たしてきた。


 それが一年半前から帝国軍の侵攻を許すようになり、森林地帯に突出部を作られてしまったのだ。

 これは藩王国が弱体化したわけではなく、帝国軍の規模が増強されたためである。

 藩王ニザムは当然のように国王に支援を要請したが、名ばかりの王にできることは、宗主国であるケルトニアに泣きつくことのみであった。


 ケルトニア軍は困惑した。帝国の動きには、軍事的な意味が見い出せなかったからである。

 そんな所に戦力を割けるはずがない。かといって、現地の要請をいつまでも無視することもできない。

 その結果、考え出されたのが、リストの魔導士の訓練場とする案だった。


 国境の帝国軍は、徴兵されたばかりの新兵主体で、貴重な魔導士は一人も配属されていなかった。

 わずか二小隊でも、強力な火力と防御力を持った魔導士部隊を投入すれば、駆逐は容易と思われた。

 莫大な費用がかかる傭兵部隊を動かすことなく、必要経費だけで無報酬の戦力を当てられる。

 そして、敵の指揮官クラスを捕虜にすれば、敵の目的も自ずと判明するというわけだ。


 首都ビザンティヌスを発った王国の魔導士部隊は、五日後にアウランに到着した。

 さすがに今度は、現地藩王への表敬訪問が必要であった。

 一行は市内の宿に投宿すると、さっそく藩王の館に使いを出した。


 ケルトニア軍の軍服と礼服は、ビザンティヌスで調達済だったので、魔導士たちは翌日、真新しい礼服で威儀を正して藩王の館に向かった。

 オコナー大佐はさすがに悠然としたものだったが、王国の若い魔導士たちはかなり緊張していた。


 白い大理石で築かれた藩王の屋敷は、緑の庭園に浮き出た砂糖菓子のようであった。

 だが、正門を潜って馬車を走らせると、近づいてくる邸宅が、とんでもない規模であることに気づかされた。


 王国の高く聳える城とはまったく異なり、すべて平屋建てで、大きなシラサギが翼を広げたようなイメージである。

 玄関に着くと、降り立ったオコナー大佐を先頭に、魔導士たちが隊伍を組んで進いいでいく。


 頭に白いターバンを巻き、黒々とした髭を生やした衛兵が両脇に整列し、抜き身の湾曲刀シャムシールを一斉に捧げた。

 経験の浅い魔導士たちは、それだけで圧倒されてしまった。


 館の中に入ると、その圧力はさらに増した。

 立ちこめる濃密な香、天井を埋め尽くす漆喰細工、繊細な模様が織り込まれた絨毯、掲げられた陰鬱な肖像画、そしてどこからともなく聴こえてくる不思議な旋律。

 それらはわく的で、かつ退廃的な雰囲気を醸し出していた。


 そして、いよいよ謁見の間に通された彼らが見たものは、半裸の美女にかしずかれた男の姿だった。


 事前の情報によれば、ニザム二十三世は、まだ五十代前半のはずである。

 だが、玉座にだらしない恰好で座っている彼は、酒焼けした赤ら顔に濁った瞳とたるんだ皮膚をした、老人のような印象だった。

 家臣たちが皆、白ターバンなのに対し、ニザムだけが漆黒の布を頭に巻いている。


 魔導士たちが玉座の前に整列すると、先頭のオコナー大佐が片膝を突き、胸に手を当てて深々と礼をとり、ケネス大尉以下の魔導士たちもそれに倣う。


 ニザムは大儀そうに身を起こし、玉座にしなだれかかっていた美姫を抱き寄せると、その赤い唇に口づけをした。

 くちゃくちゃと噛んでいた果実の砂糖漬けの、種を口移しに吐き出したのだ。


「オコナーか。久しいのぉ。

 貴公は出世して、本国の魔導士総監を務めておったと聞いていたが……、どうした、へまをやらかして左遷でもされたのか?」

「ご期待に添えなくて申し訳ないですが、まだ首の皮はつながっております」


「では、なぜ貴公のような大物が、このような僻地に赴いたのだ?」

「言うまでもございません。陛下をお助けするためでございます」


「抜かせ! 援軍の要請を一年もほったらかしおって、今さら忠義(づら)か?

 しかも、連れてきた兵がそれだけとは、わしはとことん馬鹿にされているらしい」

「とんでもございません。

 ここに引き連れし者どもは、いずれも有能な魔導士ばかりでございますれば、帝国軍など早晩追い散らしてみせましょう」


「ほう……魔導士とな?

 面白い。何を企んでいるのか、今宵は酒でも舐めながら、じっくりと聞き出さねばならんな」

「どうか、お手柔らかに願います。

 して、帝国軍の動きはいかがでしょうか?」


「相変わらずわけが分らん。

 本気でトルゴルを攻めるのなら、森を突っ切って都を目指すのが常道であろう?

 それなのに、きゃつらは国境沿いに森林地帯の奥地を南下しておる」

「では、さっそく明日にでも赴き、ひと当たりしてみましょう。

 ついては、土地勘のある案内人と、馬を拝借したく存じます」


「許す。だが、その口ぶり……貴公も出張るのか?」

「御意。ですが、あくまで私は見届け役で、戦闘に介入するつもりはございません」


「だろうな。

 ふむ……、だが、なかなか面白そうだ。それならば、明日は余も出陣しようではないか」

「は? それは、いくら何でも……。

 万が一にも御身に危険が及んでは、私の皺首ひとつでは責任が取れませぬ」


「何だ、余の観閲は不満か?

 それとも、オコナーほどの魔導士が、余を守る自信がないと申すか?」

「いえ、決してそのような……」


「ならば決まりだ。貴公には部屋を用意させておる。余の夕餉につきあえ。

 他の者どもは、下がってよろしい」


 こうなると否も応もない。

 かくして、エイナたち王国魔導士の初陣は、藩王の臨席を賜ることになったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
健全でよかった 度しがたい変態は存在しなかったんだ.......!
乙女の○毛はお守りになりますからね(苦しい擁護)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ