八 試合
衝撃で息が止まり、目に入った砂で涙が溢れ出た。
呼吸はすぐに回復したが、目がかすんで、すぐには状況が把握できない。
混乱した頭は『起きろ! 逃げろ!』と警告を発しているのだが、情けないことに身体がついていかない。
どうにか顔を上げたが、そのぼやけた視界に映ったのは、ケルトニアの軍靴だった。
「君たちは全員戦死した。気分はどうかね?」
オコナー大佐の穏やかな声が、上から降ってきた。
「最悪です」
エイナはそう答えるのがやっとだった。
どうにか視力が回復して周囲を見回すと、身体を起こしているのは、ミハイルただ一人だった。
他の四人は地面に倒れたままで、呻き声をあげてうずくまっている。
「ミハイル、下級生たちを起こして集合させろ」
エイナはそう命じて、立ち上がった。
軍服についた砂を払い、オコナー大佐に敬礼をする。
「勉強になりました。手加減していただいたことに、感謝いたします」
「うむ。どういう作戦を立てたのだ?」
「はい。まず、対魔法障壁を展開して、しかるのち攻撃魔法で挟撃する手筈でした。
ですが、大佐殿の攻撃が予想外に早く、防御が間に合いませんでした」
「私の位置は、探知魔法で確認済みだったのだな?」
「そうです」
「だったら、なぜ防御が遅れた?
十分の猶予があったのぞ。選抜されるほどの魔導士なら、詠唱可能だろう」
「それはその、役割分担を決めてからと……」
「それがぬるい。なぜ、自分の得意な魔法を最初から唱えない?
別の役割を振られたのなら、その時点で呪文を切り替えればいいだろう」
「返す言葉もございません」
エイナが叱責を受けている間に、ミハイルに起こされた部下たちが、ぞろぞろと集まってきた。
大佐は小隊を整列させ、改めて講評を行った。
内容は、エイナに言ったことの繰り返しだった。
そして、最後にこう締めくくった。
「よいか、魔導士同士の対戦において、死命を制するのは魔法発動までの時間だ。
単独で立ち向かう場合には、例え無駄に終わろうとも、防御の準備はすべてに優先する。
今回のような集団戦では、攻防の準備を同時に行えるという利点がある。
それなのに、諸君は与えられた時間を無駄に費やした。敗れたのは必然である」
オコナー大佐が口を閉じたのは、エイナたちの質疑に応じるためである。
さっそく四期生のデレクが、悔しさを滲ませた表情で手を挙げた。
「我々は、どうやって倒されたのでしょうか?
あの目くらまし、そしてその後の攻撃魔法の種類を教えてください」
「なるほど、それすら理解できなかったというわけか。
よかろう、初回ということで特別サービスだ」
「私が使った魔法は、明かり魔法と風魔法の二つだ。
どちらも初級魔法――特に明かり魔法は、諸君が初めて習った魔法のひとつだろう」
「でっ、ですが! 明かり魔法は照明のためのものです。あれほど強烈な閃光を放てるなど、教本にも書かれていません」
「そうだろうな。だが、考えてみたまえ。
この魔法において、明るさの強弱は放出する魔力量に左右される。
つまり、大魔力を投入すれば、敵の視界を奪うほどの光量を実現できる……ということになる。
では、なぜそれが教本に書かれていない?
誰か分かる者はいるか」
ミハイルが手を挙げて答えた。
「初級魔法は術式が単純である反面、許容魔力量に限界があります。
過剰な魔力を投入すれば、魔力が逆流して術師の身体に危険が及ぶと承知しています」
「うむ、正解だ。具体的には、魔力を放出する手指が破裂することになる。
だから教本では、そのような危険を犯さないよう、載せていないのだ。
だが、戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんな心配をしていられるか?
命を失うことに比べれば、手首から先が吹っ飛ぶ方がましだろう」
「だから、魔力が尽きかけた魔導士は、一か八かでそれを試すことになる。
初級魔法は魔力消費が少なく、呪文が短いという利点があるからだ。
その結果、失敗して殺された者がいた一方で、敵の視界を奪い、逃げおおせた魔導士もいたのだ。
その経験は仲間に広がって、今では有効な実戦魔法となっている」
「諸君を打ち倒したのも、風系魔法の基本技だ。船の帆に風を送るために使われているから、見たことがある者も多いはずだ。
大きな船を動かせるのだから、効果範囲を絞り込めば、人間を吹っ飛ばすくらい簡単にできる。
絞り込みにはちょっとしたコツがいるが、先制攻撃に使える手だ。覚えておくといい。
ほかに質問はあるか?」
だが、部下たちはうなだれたまま、黙り込んでしまった。
「エイナ小隊長、君はどうだ?」
「はっ。大佐殿は、どうやって移動されたのでしょうか?」
「ん、どういう意味だ?」
「探知魔法によれば、大佐殿は距離四十五メートルで静止していたはずです。
明かり魔法の遠隔操作は、自分も試したことがありますが、五十メートルが限界でした」
これは、蒼城市で部下を井戸に降ろし、暗渠を探らせた際の経験である。
「私が四十五メートル地点にいたとしたら、問題ないだろう」
「それだけ離れると、魔法の維持だけで精一杯になります。そんな不安定な状態で、瞬間的に高密度の魔力を送り込むのは不可能だと思います。
それに、自分は風魔法に詳しくありませんが、確かそれも近距離魔法だったと記憶しています。
ということは、大佐殿は十分の間に、見つからないぎりぎり――衝立の陰まで接近していたとしか考えられません」
「君の推測どおりだとしたら、探知魔法の結果と矛盾するが?」
「自分たちが油断したのは事実ですが、こちらが行動開始と同時に攻撃魔法を放つ可能性もあったはずです。
ですから、大佐殿は魔法防御を使った上で、移動したと考えられます。
結界内にいる限り、魔法は遮断されて感知不能となりますから、これなら理屈に合います。
ですが、実際には感知魔法の反応は消えず、移動も確認できませんでした。
自分にはそのからくりが、どうしても分かりません」
オコナー大佐は、面白そうにエイナの顔を見詰めた。
「なるほど、小隊長に選ばれるだけはあるな。
君の推測は正しい。私は移動前に囮を作ったのだ」
「そのような魔法は初耳です。教えていただけますか?」
「残念ながら、それはできない。
これも戦場で生み出された、既存魔法の応用だとだけ言っておく。
まぁ、現在は我が軍だけの技術だが、そう遠くないうちに帝国が解析して、たちまち陳腐化するだろう。
そうなって機密指定が解除されたら、ケネス大尉に教えてもらうことだ。何しろ、この技術を開発したのは、ほかならぬ彼だからな」
* *
距離を置いた場所では、一期生組がケネス大尉と対戦していたが、エイナたちと同様の結果に終わった。
開始の合図と同時に全員が叩きのめされ、あっけなく勝負がついたのだ。
その後、両小隊は集合させられ、改めてオコナー大佐から訓示を受けた。
午前の訓練はこれで終了し、昼食休憩を挟んだ午後からは、いよいよ小隊同士の対戦となった。
両隊とも午前と同じ轍は踏まず、防御魔法で守りを固めて、攻撃魔法を撃ち込む展開となった。
その結果、膠着状態で時間切れの引き分けとなる、何ともしまらない試合となってしまった。
午後の試合は二回で打ち切られ、あとは魔導院の教室を借りての討議となった。
まずエイナとロジャーの両小隊長が、自分たちのとった作戦や役割分担を説明した。
これに各魔導士が意見を出し合うという形式だったが、試合が行き詰っていたので、議論は低調なものだった。
最後にケネスが総評を述べたが、それは辛辣なものだった。
「まず、退屈な試合を見せられた、俺と大佐殿に申し訳ないと反省しろ。
貴様らの作戦には、何の工夫も見られない。最初の俺たちとの試合で、貴様らは一体何を学んだのだ?
いいか、今から小隊ごとに分かれ、明日の作戦について話し合え。
もし、今日と同じくだらない戦いを見せたら、貴様らを原隊に帰して選考をやり直す。
考える頭のない連中を戦場に放り込んだら、死体袋が増えるだけだからな。
以上だ、解散!」
この夜、両小隊が遅くまで作戦を検討したことは言うまでもない。
翌日の対戦は様相が一変した。
それぞれが練り上げた作戦で、相手を出し抜こうとしたのだ。
その努力が見事に功を奏すこともあれば、空回りすることもあった。
その結果、引き分けはなくなった。
審判役のケネスが危険と判断して割って入ることもあったが、大抵は危機に陥った小隊の方が、降参を表明して勝負が決した。
魔導士たちが考案した作戦は、方向性が二つに分かれた。
ひとつは攻撃魔法で圧倒しながら別動隊が肉薄し、一気に斬り込む方法である。
対魔法防御は物理攻撃には無力で、呪文に集中している魔導士は周囲の状況を知覚できないから、肉薄してしまえば簡単に倒せるのだ。
ただ運動場は平坦で、双方の中央に設置された衝立以外に身を隠す場所がないから、奇襲や伏兵を仕掛けづらい。
相手の攻撃担当は、対魔法防御を盾代わりにして、その後方から魔法を撃ってくる。
丸見えの状態で接近すれば、殺してくださいと言うようなものだった。
そのため、偽装した攻撃に紛れて接近するのだが、これはかなりのリスクを伴った。
うまくいった事例のひとつが、砂混じりの土質を利用した風系魔法だった。
竜巻を発生させて砂を舞い上げ、戦場全体の視界を悪化させて突入する手段である。
お互いがこうした目くらましの偽装攻撃を捻り出したが、パターンがばれてしまえば、あっさりと見抜かれるようになる。
危険な割に成果の薄い方法であった。
その結果、彼らはもうひとつの作戦に比重を移すようになった。
それは、防御魔法の弱点を突いた魔法攻撃である。
対魔法防御は、その圏内で起きるあらゆる魔法反応を消滅させるが、物理的な障壁ではない。
エイナの小隊は、敵を直接狙うのではなく、防御範囲の手前を狙って、ファイアボールの多重攻撃を行った。
この魔法は、球状の結界の中で超高熱を発生させるが、それは十数秒しか持続しない。
魔法効果が終了すると炎は消え去り、熱せられた高温の空気は、そのまま周囲に拡散してしまう。
対魔法防御は、半径十~十五メートル程度の範囲をカバーするから、熱気が届く前に上昇して影響が及ばない。
だからエイナたちは、ファイアボールの後方から、魔法で風を起こしたのだ。
数千度の熱風が、防御結界を素通りして内部の魔導士を襲うことになる。
双方の魔導士たちは、訓練期間の最終盤で、ほとんど同時にこの方法を思いついた。
お互いが同じ攻撃を行った結果、ケネスとオコナー大佐が強力な風魔法で熱気を吹き払い、全滅を回避してくれた。
もうこの頃になると、お互いが相手の生死を考慮せずに〝勝つこと〟に没頭していたのである。
* *
こうして、五日間の激しい訓練は終了した。
選抜魔導士たちは満身創痍の状態で、目だけがギラギラした幽鬼のような姿に変わり果てていた。
通常の医師だったら、絶対安静を言い渡していただろうが、魔導院には医療系魔導士が配属されていた。
火傷や凍傷、切り傷などの外傷、捻挫や骨折などは、回復魔法で治癒が可能だった。回復魔導士は連日の酷使で、訓練終了後に魔力切れを起こし、昏倒するはめとなった。
魔導士たちは、毎日のように軍服を駄目にするので、装備課から正式な抗議が出されたくらいだった。
これだけの地獄を潜り抜けただけあって、小隊の連係は短期間で飛躍的に向上し、見違えるようになっていた。
オコナー大佐は、そんな彼らを満足そうに見渡し、トルゴル王国に向けて出発することを宣言したのであった。
* *
彼らは馬車二台に分乗し、王都から赤城市に向かった。
赤城市では、これに大量の水と馬の飼料が積まれた二頭立ての荷馬車が加わった。
赤城市を過ぎれば、ハラル海と呼ばれる、岩石砂漠地帯を渡らなければならないからだ。
赤城市からオアシス都市アギルまでの街道は、十数年前まで廃道に近い荒れようだった。
それが、ケルトニアと王国の交易が盛んになった影響で、両国が整備を進めてかなりましになっていた。
それでも、荒れた険しい道であることには変わりなく、アギルまで六日はかかる。
馬車の御者は、選抜魔導士たちが交替で務めた。
この頃の馬車は、板バネの懸架装置が普及していて、だいぶましな乗り心地になっていた。
それでも、未舗装の悪路では振動と騒音が激しく、一日揺られているだけで、乗員はかなりの疲労を覚えた。
夜は馬車の中で、男女間関係なしの雑魚寝である。
馬車といっても、木の荷台に幌がかかっているだけなので、冬の砂漠はもの凄く冷えた。
寝る時は軍服の上に外套を重ね着し、ごわごわした毛布にくるまる。
途中に給水できる中継所はあるが、水は恐ろしく高価なので、風呂やシャワーなど望むべくもない。
他人の体臭が気になるところだが、自分も匂っているので、すぐに鼻が慣れてしまう。
男たちは平気だったが、若い女性であるエイナとノーマには、これがなかなか辛かった。
一日の終わりに、馬車の片隅で一人が毛布を広げて目隠しし、固く絞ったタオルで身体を拭くのが唯一の楽しみだった。
「お風呂に入りたいですぅ!」
「アギルまでの辛抱よ」
ノーマが嘆き、エイナが慰める会話が、毎日繰り返された。
オアシス都市のアギルでは、豊富な地下水が湧き出しており、大きな公衆浴場があるのだ。
エイナは気晴らしに、その立派なお風呂の様子を話して聞かせ、ノーマは目をきらきらさせて聞き入った。
「絶対一緒に行きましょうね!」
道中で何度も約束させられ、そのたびに指切りを要求されるので、エイナはだんだん怖くなってきた。
たまたまエイナが御者当番の時、退屈したケネス大尉が中から出てきて、話し相手になってくれたことがあった。
エイナは前から聞きたかったことを、思い切って切り出してみた。
「うちの小隊のノーマですけど、大尉殿の推薦というのは本当ですか?」
「そうだ。今回卒業した五期生の中じゃ、飛び抜けていたからな。
まぁ、ちょっと性格に問題はあるが」
「やっぱり、あっちの趣味ですか!?」
「何だ、趣味って?
あいつは見た目より気が強くてな、攻撃魔法に酔って見境がなくなるんだよ」
「そうですか……、私は大尉殿が、胸で選んだのかと思っていました」
「馬鹿にするな、確かにデカいのは俺の好みだが、あんなしょんべん臭い小娘は論外だ。
それより、お前の方こそノーマにえらく懐かれているじゃねえか。
いつの間に手を出した?」
「やめてください!
襲われそうなのは、こっちなんですから」
「ほう、何かされたのか?」
「あの娘、寝るときは絶対に私の隣りにくるんです」
「そりゃそうだろう。女はお前らしかいないんだから」
「それで、手をつながないと眠れないって言うんですよ」
「ああ、そういうこともあるだろうさ。俺もよく言われるぜ?」
「それ、どこの商売女ですか?
いえ、別につなぐのはいいんですけど、眠っているうちに、手を引っ張り込まれるんですよ」
「どこにだ?」
「目を覚ますと握られた手が、あの娘のお腹の上にあるんですよ」
「軍服を着たままだろう、何が問題なんだ?」
「えとあの、何というか指にこう、変な感触が残っているんですよ。
それで、たまに指先が……」
「指先が?」
「やっぱり、もういいです!」
結局、エイナの悩みは、未解決のまま終わってしまった。