七 再会
魔導院は王城の壁外にあるが、壁を潜る通路があって、直接行き来できるようになっている。
エイナが母校を訪れるのは、久しぶりのことだった。
彼女はまず、召喚の間に隣接する審問官たちの部屋に顔を出した。
挨拶ついでに、集合場所がどこか聞こうと思ったのだ。
審問官の老人たちは、にこやかにエイナを迎えてくれ、他の魔導士たちは運動場(兼訓練場)にいると教えてくれた。
「一期生まで来ておるが、同窓会でもやるのかな?」
その審問官は、無邪気に訊ねてきた。
「まさか。合同訓練ですよ」
「ほう、それは熱心なことじゃのう。まぁ、せいぜい頑張んなさい」
老人はそれ以上詮索せずに、自分の机へと戻っていった。
研究職である審問官の興味は、王国独自の召喚術と幻獣に向けられていた。
魔法科の卒業生も確かに可愛い教え子だが、積極的な関心は持っていなかったのだ。
エイナは魔導院に通じる長い廊下を渡り、学舎の手前で外に出た。
その先に広い運動場があるのだが、院と寄宿舎を囲む外塀によって目隠しされ、通りからは見えないようになっていた。
行ってみると、軍服姿の十人余りが集まっていた。
懐かしい顔ばかりで、先輩や後輩たちに混じって、同期も二人見つけた。
エイナは自然と小走りになった。
先輩たちへの挨拶もそこそこに、同級生のもとに駆け寄る。
ヴィンス・トールマンとミハイル・バーンズだ。二年ぶりの再会だが、どちらも軍で鍛えられ、立派な若者になっていた。
彼らはエイナとともに学年の首席を争った仲で、特にミハイルはライバルといってよい存在だった。
ヴィンスは赤城市の第三軍に配属され、制服の衿章は准尉のままである。
一方のミハイルは第二軍(黒城市)の所属で、もう少尉に昇進していた。
ヴィンスの昇進が遅いわけではなく、ミハイルの方が早いのだ。
真っ先に徽章に目が行くのは軍人の習性である。エイナの階級に気づいたヴィンスが、羨望まじりの声を上げた。
「へえ、エイナも少尉になっていたのかぁ。ミハイルといい、凄いじゃないか!
まぁ、二人とも飛び抜けていたから当然か」
「えと、あの……ごめん、私、中尉に昇進したの」
ミハイルが驚いた顔で喰いついてきた。
「え? でも徽章は?」
「それが、さっき辞令を受け取ったばかりで、まだ装備課に行ってないのよ」
「二十歳で中尉って、冗談だろう。お前、何をやったんだよ?」
「ミハイル、〝お前〟呼びはさすがにまずいよ。同期だって、上官だぞ」
「いいのよヴィンス。実際のところ、トルゴル派遣の都合で発せられた、異例の措置なんだって」
ヴィンスがはっとした表情を浮かべた。
「ってことは、エイナが小隊長をやるのかい?
そうか、俺たちみんな少尉か准尉だもんな。指揮官が同じ階級って訳にはいかないか。
俺は一期組で、ロジャー中尉が小隊長に決まっているから、全然その辺のこと気にしていなかったよ」
「じゃあ、ミハイルは私と同じ三期組なの?」
「そうだよ。小隊長は俺かエイナだと思っていたんだが……くそっ、正直ちょっと悔しいよ。
じゃあ、俺が副隊長ってことで我慢してやろう」
「おいおい、小隊に副隊長なんてないだろう。ミハイルの負けず嫌いは変わってないな……、何だか安心したよ。
じゃあ、俺は一期組の方に行くよ。二人ともまたな」
ヴィンスが離れると、ミハイルの表情が緩んだ。
友人の前では意地を張っていたが、エイナと再会したのは、彼にとってかなり嬉しいことなのだ。
「そうか、エイナは組み分けの発表を聞いてなかったんだな。じゃあ、副隊長の俺から説明してやるよ。
おい、みんな集まってくれ!」
ミハイルは近くにいる後輩たちに声をかけ、四期生と五期生が、すぐに二人の周りに集合した。
「どうせ顔と名前は知ってるだろうけど、改めて紹介だ。
まず、四期生がカール・ボイドとデレク・ドネリー、それとマイク・ジータの三人。
カールが第四軍で、デレクとマイクは第一軍の所属だ。
そして五期生からただ一人選抜された、期待の新人がノーマ・オハラ。
ちなみに、選抜された十二人のうち、女性はエイナとノーマの二人だけだぞ」
「お久しぶりです、エイナ先輩!」
ノーマがエイナの手を握って、ぶんぶん振り回した。
エイナは彼女の顔を見上げ(ノーマの方が背が高い)、引き攣った笑いを浮かべた。
ノーマは五期生の首席だが、エイナとは違った意味で目立つ存在だった。
長身・金髪で、十二歳で入学してきた時から、女性的な意味で発育がよかった。
エイナが卒業する年になると、まだ十五歳の彼女は、学院随一の巨乳という評価を揺るぎないものとしていた。
男子たちは、ノーマの制服はサイズが合わなくて、特注された物だと噂し合っていた(もちろんデマだ)。
このノーマだが、どうしたわけか二学年上のエイナに、少し過剰に懐いていた。
エイナは魔法の才能が群を抜いていたし、六歳から一度も首席を譲っていない美女のシルヴィアと同室で、いつも一緒だったから、本人の自覚以上に目立つ存在だった。
ノーマが憧れたとしても不思議はない。
ただ、その接近の仕方が度が過ぎていて、エイナは少し苦手にしていた。
『この娘、ちょっと危ないわ』という、女としての防衛本能が働いたのだ。
「こらこら、少し馴れなれしいぞ」
幸いなことに、ミハイルが彼女を引き離してくれた。
「いいか、エイナ殿は俺と同じ少尉の徽章を付けているが、本日付で中尉に昇進されたそうだ。
つまり、俺たちの小隊長となることが確実――ということだ。
これからは気安く〝先輩〟と呼ぶんじゃない。小隊長殿、もしくは中尉殿だ!」
「はい!」
号令がかかったわけでもないのに、後輩たちは気をつけの姿勢で敬礼した。
彼ら全員がまだ准尉だったから、中隊長相当の肩書を持つエイナは、眩しく見えたのだ。
エイナは苦笑いを浮かべて答礼を返した。
「確かに小隊長の内示はうけているが、まだ正式発表されたわけではない。
それまでは中尉殿でいい。これから一緒にやっていくのだ。よろしく頼む」
エイナの上官口調は自然で板についていた。これも第三軍での経験のお陰である。
しばらくすると、ケネス大尉がケルトニア軍の制服を着た人物を伴い、魔導院の建物から出てきた。
ばらばらだった全員が、すぐさま二列に分かれて演壇の前に整列する。
一期組はロジャー中尉、三期組はエイナが先頭になり、以下は階級と卒業期順に並ぶ。これは暗黙の了解であった。
「傾注!」
ケネスが大声で怒鳴り、全員が直立不動となる。
「各小隊の組分けは先に発表されたとおりだ。
今さらかもしれんが、小隊長を任命する。アドキンズ中尉、並びにフローリー中尉、前へ!」
「はっ!」
二人が声を揃え、大股で一歩前に出る。
「この二人が、それぞれの小隊長だ。
部下を殺すも生かすも、お前たちの指揮にかかっている。心して務めるように」
「了解しました!」
「よし、すでに聞いていると思うが、貴様らは全員トルゴル王国東部の国境地帯に向かう。
出発は三十日、それまで五日しかないが、ここでできうる限り、部隊としての習熟訓練を行う。
そして、王都の正門を出ると同時に、貴様らは軍籍を剥奪され、ケルトニア軍に雇用される傭兵部隊となるのだ。
そこで、貴様らの雇用主となるお方を紹介する。
ケルトニア連合王国軍、魔導士総監のクリス・オコナー大佐だ」
ケネスの紹介により、ケルトニア軍の制服に身を包んだ大佐が、小さな踏み段に足をかけ、木箱のような演壇に上がる。
「総員敬礼!」
すかさず号令がかかり、全員が一糸乱れぬ敬礼を見せる。
大佐がゆったりとした動作で答礼を返した。
オコナー大佐は、魔導士一人ひとりの顔を確認してから、ようやく口を開いた。
「リスト王国の若き魔導士たちよ、私は諸君の顔に浮かぶ覚悟と意欲を見て、非常に満足している。
諸君は近く、はるばる異国の地に赴き、戦場の洗礼を浴びることになるだろう。
そこでは人と人が殺し合う、言葉では言い尽くせない非情な現実が待ち受けている。
初めてその惨状を目の当たりにして、ある者は嘔吐し、またある者は精神を病むやもしれん。
だが、それは古より、あまたの兵士が克服してきた試練である。
〝戦場での経験は兵を強く育てる〟
我々はその信念に基づいて、諸君をその地獄へと招待するのだ」
広い運動場に、大佐の低くよく通る声だけが響きわたった。
しわぶきひとつ聞こえず、若い魔導士たちは、ただ彼の言葉だけを胸に刻み込んだ。
「あるいは、諸君はこう思うかもしれない。
『たった十二人の経験に、どれほどの価値があるだろう?』と。
しかし、そうではないのだ。
帰国後の君たちが指揮官として、あるいは教育指導者として、十人、百人にその経験を伝えることで、影響は確実に広がる。
それによって、千人の大部隊を派遣したのと同じ効果が得られるのだ。
選ばれた諸君は先駆けであり、全軍魔導士の希望となる。そのことをまず、よく理解してもらいたい」
「さて、戦場における魔導士の重要性が増していることは、論を俟たない。
同時に、その戦術と運用も日々進化している。
近年における一大変化といえば、帝国軍の呪われた魔女、ミア・マグス大佐が創設した、魔導士を核とした機動部隊であろう」
「わがケルトニア軍は、優越する帝国軍魔導戦力に対抗するため、塹壕を活用した縦深防御戦術を編み出し、敵に多大な出血を強いた。
これに対し、帝国軍が出した答えが、マグス大佐の即応魔導大隊だったのだ。
これは、魔導士と騎兵・歩兵・工兵・輜重隊の各科を統合した大隊で、ひとつの師団を縮小して機動性を持たせた、画期的な編成だった。
だが、それ以上に重要だったのは、魔導士の集中運用という思想である」
「マグス大佐は徹底的な訓練と、実戦重視主義で各科の連係を鍛えあげ、各戦線で猛威を振るった。
大佐自身が伝説級の魔導士である上に、その配下に〝異名持ち〟と称されるエース級の戦力を三人も加えていたのだ。
その威力の凄まじさは、経験した者でなくては想像すらできないだろう。
現在では、マグス大佐の部隊は解散されたが、彼女が育てた魔導士たちが指揮官となって、同じような部隊がいくつも生まれている」
「それと同時に、前線では自然発生的に変化が起き始めた。
それまで帝国では、ひとつの大隊に一人の魔導士という配置が常識だった。
それが、連隊や師団規模で魔導士を集結させ、戦力を集中させるようになったのだ。
これはある意味、即応機動大隊よりもやっかいだった。
異名持ちのような災厄ではないが、戦場に無数の魔導士小隊が湧き出したからである」
「今では、わが軍でもこの戦術を取り入れ、激戦区では日々、魔導士同士の潰し合いが発生している。
それによって、ただでさえ希少な魔導士の消耗が激増し、その不足を訴える声は悲鳴に近いものとなっている。
こうした戦場における最新の流行は、遠からず貴国にも波及するだろう。
諸君にはその戦術をいち早く身につけ、仲間や後進に伝えてもらいたい。
奮闘を期待する! 私からは以上である」
* *
訓示の後に行われた訓練は、予告以上に厳しいものだった。
その内容は、さまざまな条件を設定し、二つ小隊同士が敵味方に分かれる、実戦形式の訓練だった。
ただ最初の対戦は、特別にケネスとオコナーが、敵役を一人で務めることになった。
一期生組はケネス大尉、エイナが率いる三期生組の相手はオコナー大佐である。
運動場には、職員によって木製の衝立が運び込まれた。
高さが二メートルほどの薄い板塀で、目隠しの役割を兼ねる障害物である。
対戦に先だって、オコナー大佐はエイナの小隊に、設定を説明してくれた。
「今回は、正体不明の敵小隊と遭遇したという設定である。
彼我の距離は五十メートルと近距離だが、間を遮る樹木によって、相手はまだ視認できないという状況だ。
事前の情報から、敵には魔導士がいることが強く疑われる。
諸君には行動開始まで、十分間の猶予が与えられている。その間に、部隊内の役割分担を決め、準備を整えるのだ」
そして、大佐はにやりと笑って付け加えた。
「前もって忠告しておくが、訓練と侮ると死ぬことになるぞ。
戦闘での殉職は二階級特進だが、訓練中の事故死は一階級だ。当然慰留金の額も違ってくる。
家族に恨まれないよう、くれぐれも留意したまえ」
大佐は縁起でもない言葉を口にして、板塀の向こうへ去っていった。
訓練を手伝ってくれる魔導院の職員が、砂時計をひっくり返してカウントダウンが始まる。
十分が経過するまで、攻撃は禁じられている。
エイナは部下を集めて指示を出した。
「攻撃陣はデレクとマイク、それにノーマが担当、私が指揮を執る。
防御はミハイルが指揮を取れ、カールとの役割分担は任せる」
「デレクは探知魔法が使えるか?」
「はい」
「よし、まずは相手の位置を特定しないことには、攻撃のしようがない。所在を把握次第、全員に知らせてくれ。
マイクとノーマはファイアボールの呪文詠唱に入れ。デレクの情報をもとに、全力で叩き込め。
私は相手の対応を確認しつつ、二の矢を放つ。
敵が魔法防御を使用した場合、攻撃魔法で圧倒しながら、防御担当は突撃して肉弾戦を挑め。
何か質問はあるか?」
エイナの指示は、簡潔かつ必要十分なものであった。
彼女は自称副隊長のミハイルに防御を任せたが、それは同期生として彼の特性をよく理解していたからだった。
ミハイルはエイナと同じ〝万能型〟で、さまざまな系統の魔法が使えたが、どうしても得意の型というものがある。
それが防御魔法だったのだ。
エイナたちが話し合いを終えたタイミングで、時計の砂が落ち切った。
「時間です」
「敵の位置を報告!」
エイナの鋭い声に、デレクが即座に応えた。
「前方西北西、距離およそ四十五メートルの地点に静止、移動の気配はありません!」
「よし、ノーマ!」
「でっ、でも、これって訓練ですよね?
本当に死にますよ!?」
「黙れ! 躊躇うと死ぬのはこっちだぞ!!」
だが、エイナの叱咤は間に合わなかった。
彼女たちの目の前で、突然何かが炸裂したのだ。
エイナは腕で目をかばいながら怒鳴った。
「ミハイル! 対魔法防御!!」
言われるまでもなく、ミハイルは魔法防御の呪文を詠唱中であった。
あと三十秒もあれば、障壁は展開できるはずだったのに、敵の仕掛けは圧倒的に早かった。
強烈な閃光で視界が奪われると同時に、彼らの身体は宙に浮き、次の瞬間、地面に叩きつけられていた。