六 辞令
大方針が決まってしまえば、もう君主が臨席する必要がない。
ここでレテイシアは退席し、あとは細部の詰めに入った。
折衝は、主としてマリウスとエドモンド准将の間で行われた。
まず、派遣する魔導士の人数が話し合われた。
ケルトニア側からは六人を一小隊として、二小隊を編成する案が出された。
これは通常の小隊の半数であるが、魔導士は個々の戦力が高いので、問題ないという見解である。
マリウスはケイトに意見を求め、十二人なら選抜可能だろうという回答を得た。
その上で、王国側から出発の時期について提案があった。
「そうなると、これから選抜を行い、招集して訓練を実施することになります。
すべての準備を整えるには、最低でも二か月半は欲しい」
マリウスが希望を伝えたが、これは余裕を持たせた日程だ。
トルゴルから支援の催促を受けているケルトニアは、できるだけ急ぎたい。
案の定、エドモンド准将が難色を示した。
「それでは三月の出発になってしまいます。準備ならひと月あれば十分でしょう。
これは現実の戦争です。敵は待ってくれませんぞ」
「では、一月末までに準備を終えるということでどうでしょう?」
「やむを得ないでしょう。承知しました」
次は指揮系統の確認である。
形式上、派遣魔導士は一時的に軍籍を離れ、傭兵の身分でケルトニアと契約する。
金銭が目的ではないので、ケルトニアは報酬を支払わない。代わりに、期間中の経費と補給に責任を持つ。
准将からは、そのための覚書の素案が提示され、事務方の精査・修正を経て、後日調印されることとなった。
「派遣先がトルゴル王国だと、藩王との折衝もあるでしょうし、地理が不案内です。
貴国には、現地の事情に通じた指揮官を出してもらいたい」
「当然ですな。総指揮官は、ここにいるオコナー大佐を当てるつもりです」
「オコナー殿は貴国の魔導士部門の責任者のはず。そのような贅沢が許されるのですか?」
大佐は朗らかに笑った。
「なに、構いません。実は、これは私のたっての希望なのです。
書類の束に署名するだけの毎日には、いささか飽きておりましたから、たまには現場に出たいのです。
何より、王国の若い魔導士の才能を、この目で見てみたいという気持ちが強い」
「それならばよろしいのですが……」
「私は以前トルゴルに駐在したことがあって、藩王とのコネもある。
逆に、貴国に関しては何も知らないのだ。
したがって、私が直接指揮を執るのではなく、ケネスを中隊長に据えようと考えております。
ケネスとは一緒に働いたこともあり、私と気心が通じていますし、彼は貴国の魔導士をよく知っている。
連れていくことを、お許し願えるかな?」
マリウスはケイトを顔を見合わせ、二人はうなずきあった。
「了解です。わが国の魔導士たちの多くが、フォレスター大尉の指導を受けています。大尉が隊長を務めてくれるなら、彼らも安心でしょう」
要職にあるオコナー大佐が、わざわざ新米魔導士の指揮を(間接的にではあるが)執るのは、異例の対応である。
もちろん、ケルトニア側が親切心で、こんなことを言い出すわけがない。
目的は、王国魔導士の能力を、その目で見極めることだろう。
もっとあからさまにいえば、使い物になるか(ケルトニアが利用できるか)を判断するつもりなのだ。
派遣魔導士の選抜は、ケイトとケネスが協力して行うよう命じられた。
使節団は覚書の調印が済み次第、オコナー大佐を残して帰国することになった。
その他、細々とした打合せを経て、協議は無事終了した。
* *
当り前だが、シルヴィアはこの会議に参加していない。
その代わりに、後でマリウスの執務室に呼ばれ、その詳細を教えられた。
そして、四帝にこの件を説明するよう、すぐさま飛び立つことを命じられた。
数日をかけて国中を飛び回り、ふらふらになって帰ってくると、シルヴィアは再び四古都への飛行を命じられた。
選抜された各軍団の魔導士に、そのことを報せ、異動命令書を交付するためだった。
そのため、彼女は誰が選ばれたかを、いち早く知ることになった。
先輩・後輩を問わず、全員が顔見知りであるが、その名を見れば『なるほど』と思うような者ばかりだった。
彼(彼女)らは魔導院に在学中から、その才能を誰もが認めていたからだ。
ただ、たった一人だが、そのリストに名前が上がっていない人物がいた。
それが、シルヴィアの親友であるエイナであった。
一月の中旬以降、各地から招集された魔導士たちが、続々と王都に入ってきた。
そして最後の一人が王都にたどり着いた同じ日、エイナが蒼城市から帰ってきたのだった。
* *
四か月ぶりに王都に戻ったエイナは、何はともあれ参謀本部に向かった。
直接の上司であるケイトと、総務部長へ帰還を申告するためである。
それが終われば、今日は仕事をせずに下宿へ帰ってよいことになっていた。
総務部長への申告は問題なく終わった。総務からは人事部と会計課に連絡され、エイナの異動と清算経費の書類が回された。
ケイトは不在だったので、代理の中尉に申告することになった。
中尉の話では、最近のケイトはもの凄く忙しいらしく、魔導院に行ったきりで、めったに帰って来ないということだった。
エイナはトルゴル派遣の話を知らないので、どういうことなのか理解しないまま、下宿に帰ることになった。
ファン・パッセル家(エイナの下宿先)に入ると、家主のロゼッタが飛んできて、エイナを抱きしめてくれた。
長旅で薄汚れていたエイナは、ただちに風呂に放り込まれ、メイドたちが総出で彼女を洗いあげた。
ファン・パッセル家は王国屈指の豪商だけあって、立派な大理石の湯船がある。
安宿の木桶に溜められた、ぬるくて少ないお湯とは比べ物にならない贅沢である。
エイナは極楽気分を堪能し、メイドに身体や髪を洗われることにも抵抗しなかった(普段なら絶対に拒否する)。
風呂から上がって、清潔な下着と部屋着に着替えると、溜め込んだ疲労がどっと襲ってきた。
彼女の入浴中に、食堂では夕食が用意されていた(まだ夕方の四時前で、外は明るかった)。
しかし、テーブルに着いたエイナは、バターつきパンを手にしたまま舟を漕ぎ出し、何度もテーブルに額を打ちつける始末だった。
ロゼッタは溜息をついて、メイドたちに命じて熟睡しているエイナをベッドに運ばせるのだった。
そんな具合だったので、夜の八時を過ぎて、へとへとのシルヴィアが帰ってきた時には、エイナはすでに夢の中であった。
* *
翌朝、四時半ぴったりに、エイナは目を覚ました。
この国の人たちは、習慣として夜明けとともに起き出すので、冬の起床は遅くなりがちであった。
だが、エイナは季節に関係なく、同じ時間に起きる習慣を身につけていた。
特に、蒼城市で小隊長という職に就いてからは、四時前に目覚めるようになっていたから、彼女の感覚では〝寝坊〟である。
エイナは思い切りよく起き上がった。
無意識に唱えていた明かり魔法で、部屋に照明が灯る。
床で寝ていたカー君がむくりと頭をもたげた。彼は基本的に睡眠を必要としないのだ(そのくせ、昼寝は大好き)。
『おはようエイナ、相変わらず早起きだね』
ベッド脇の椅子の上には、新しい下着とシャツ、そして制服が置かれていた。
メイドたちが用意してくれたのだろう。
顔を洗い身支度を整え、反対側のベッドで寝ているシルヴィアを起こさないよう、そっと部屋を出る。
階下へ降りて中庭に出ると、外はまだ真っ暗で、降るような星空だった。
冬の寒気で頬が痛い。
入念に柔軟体操をしてから剣を抜き、型や素振りを繰り返す。
この起き抜けの稽古も、エイナの中ですっかり習慣づいたものだった。
いい感じに身体が温まったところで家に入り、厨房に顔を出してメイドや料理人に挨拶をする。使用人たちも早起きなのだ。
部屋に戻り、机に向かって報告書をまとめているうちに、室内が薄っすらと明るくなってきた。
振り返ってシルヴィアの方を見ると、まだすやすやと寝息を立てている。
もう六時を回ったころだ。朝食は七時の決まりだから、そろそろ彼女を起こさなければならない。
エイナは脱ぎ散らかしてある制服を拾ってたたむと、シルヴィアの肩を揺さぶった。
もちろん、そんなことで彼女が起きるはずがない。
これまでのエイナだったら、シルヴィアが目を覚ますまで、辛抱強く繰り返すところであった。
『エイナは優しすぎるんだよ。
メイドさんみたいに、お尻を叩けばいいのに……』
カー君の呆れたような声が、頭の中に響く。
だが、四か月の小隊長経験で、エイナの意識は変わっていた。
彼女は短い呪文を唱えると、指先を寝ているシルヴィアの首筋に近づけた。
ぱちんっ!
小さな破裂音とともに、指先から青白い小さな稲妻が走った。
「ぴゃっ!」
悲鳴が上がり、ばね仕掛けの人形のように、シルヴィアが跳ね起きた。
「何? なに!」
彼女は慌てて左右を見回し、ベッド脇で悪戯っぽく笑っているエイナに気づいた。
「おはよう、シルヴィア。久しぶりね。もう朝よ。早く着替えて顔を洗いなさい」
「う~……」
シルヴィアはしぶしぶ起き上がり、首筋を押さえながら着替えを始めた。
『凄いや! エイナ、いま何をしたの?』
カー君が興味津々で訊いてくる。
「魔法で静電気を起こしたのよ。
私、雷撃系はあまり得意じゃないんだけど、これは初級魔法なのよ」
乾燥した冬の間、うっかり金属のドアノブに手を近づけると、同じような現象が起きることがある。
瞬間的な痛みを感じて顔をしかめがちだが、その放電は数千から数万ボルトの高電圧なのだ。
若い娘が揃った朝食は、久しぶりに賑やかなものとなった。
エイナはすっかり元気を取り戻し、焼きたての白パンを頬張りながら、蒼城市での冒険をしゃべり続けた。
まだ少し、ぼうっとしているシルヴィアは、おとなしく聞き役に回っていた。
霧谷屋敷の妖精事件を教えてあげたくてうずうずしたが、それは今夜の楽しみに取っておけばいい。
「やっぱり王都はいいわね!
でも、また雑用係の毎日が始まるかと思うと、緊張感のある現場が恋しくなるわ」
エイナは食後のお茶を飲みながら、そう話をしめくくった。
「あら、エイナ。あんたに安息の日々は許されないわよ」
シルヴィアが意味ありげな顔でにやついた。
「何よ、どういう意味?」
「いくらあんたが相手でも言えないわ、軍機だもの。でも、ひとつ予言してあげる。
多分、登城したら呼び出しが待っているはずよ。ケイトさんか、ひょっとしたらマリウス様かもね」
「?」
シルヴィアはそれ以上教えてくれないので、エイナは頭の中に疑問符を浮かべるしかない。
何か新しい任務が待っているらしい、とは想像できるが、その内容となると見当がつかなかった。
そして、いざ王城の南塔に入ると、シルヴィアの予言は見事に的中した。
その日の門衛を務める近衛兵は、エイナの顔を見るなりメモを差し出した。
そこには、こう書かれていた。
『エイナ・フローリー少尉は、朝一番でケイト・モーリス少佐のもとへ出頭せよ』
* *
ケイトの顔には疲労の色が浮かんでおり、目の下には隈ができていた。
彼女が忙しいという話は昨日聞いていたが、よほどの激務が続いていたらしい。
エイナが入室すると、シルヴィアは書類の山から顔を上げ、引き出しから何かを取り出して立ちあがった。
エイナは直立不動となり、ケイトと対面した瞬間、見事な敬礼をしてみせた。
「エイナ・フローリー少尉は昨日帰還、原隊に復帰いたしました!」
ケイトは物憂げに答礼を返した。
「申告があったことは聞いているわ。そのままの姿勢で聞きなさい。
あなたは本日付で中尉に昇進しました。おめでとう、これが辞令です」
彼女は手にした羊皮紙をエイナに差し出した。
エイナはそれを受け取ったが、戸惑いを隠せなかった。
「自分が……中尉ですか?」
エイナが准尉から少尉に昇進して、まだ一年も経っていない。
そこから中尉に上がるには、早くても二、三年かかるはずだった。
中尉となれば、中隊長の資格を得る。少尉とは重みが違うのだ。
「異例なのは分かっているけど、これは必要な措置なの。
あなたには小隊を率いて、トルゴルへ行ってもらうわ」
「トルゴルって……えと、あの、西のトルゴル王国ですか?」
「そうよ」
「外国じゃありませんか!」
「そうよ」
「ケルトニアの植民地ですよ?」
「そうよ。
……まぁ、いいから話を聞きなさい」
ケイトはことのあらましを説明してくれた。
エイナは呆然とするばかりだった。
「あなたの小隊の部下は五人だけだけど、みんな魔導士よ。
全員が少尉、もしくは准尉だもの、部隊長が中尉でないと、バランスが取れないの。
もうひとつの小隊は、ロジャー・アドキンズ中尉が指揮を執ることになっているしね」
ロジャーのことは、もちろん知っている。
魔法科一期生の中でも抜きんでた存在で、黒城市に配置後はいくつかの手柄を立て、同期でただ一人中尉になった出世頭である。
「彼には一・二期生と三期生の一部を率いてもらうわ。
エイナは残りの三期生と、四・五期生を担当することになるわね。
先輩が部下にいては、何かとやりづらいでしょう?」
「はぁ……」
「直接指揮を執る中隊長は、ケネス大尉よ。あなたとはつき合いも長いし、やりやすいでしょう?
それと、その上にケルトニアのクリス・オコナー大佐がつくわ。まぁ、総監督みたいなものね。
ケネスの話だと、かなりの大物らしいわよ。どう、贅沢な編成でしょう?」
「私たちは観察対象、いえ、実験材料というわけですか?」
「平たくいえば、そういうことね。
話を戻すけど、ロジャーの小隊長はすんなり決まったのよ。彼は実際に小隊長をやっているものね。
ところが、三期生以下の隊長には、そんな経験のある人材が見当たらなかったの」
「もしかして、私の第三軍への異動は……?」
「多分、そのとおりよ。
あなたは王国魔導士で一番実戦経験があるけど、部隊指揮は初めてでしょう?
最初から、トルゴル派遣を念頭に置いた人事だったみたい。
レテイシア陛下とシド閣下が、こっそり計画したんだと思うわ、マリウス様も知らなかったもの。
あのお二方は、悪だくみが大好きだから、意気投合したんだと思うわ」
ケイトは苦笑いを浮かべながら、小さく溜息をついた。
「出発は月末の三十日、一週間もないの。その間は、特別訓練を受けてもらうわ。
あなたも、このまま魔導院に行きなさい。もうみんな集合しているはずよ」