五 提言
ケルトニアの使節団が王都に入ったのは、シルヴィアの帰還から六日後のことだった。
王都では近衛軍の儀仗隊が待ち受けており、彼らを先導して王城へと向かった。
粛々と行進する車列を、見物する市民もいたが、王都に外国の賓客が訪れるのは珍しくもない。
赤城市での、全市を挙げた熱狂的な歓迎に比べれば、いたってそっけない対応だった。
もちろん王城に入ってからは、大国の使節を迎えるに相応しい歓待の行事が執り行われた。
この日は、女王レテイシアへの謁見と晩餐会が催され、本格的な話し合いは翌日に持ち越された。
王城会議室での協議では、正面の上座に女王がつき、長テーブルを挟んで両国の出席者が向かい合った。
ケルトニア側は五人、三人の使節と事務方に加え、魔導院で指導に当たっているケネス・フォレスター大尉も同席していた。
王国側は外務部長、首席参謀副総長、情報部長、そしてケイト・モーリス少佐の四人である。
最初に外務部長が立ち上がり、王国の出席者を紹介した。
ケイトを除く三人は、すでに前夜の晩餐会で顔合わせが済んでいたが、ここは公式の場なので、初めての顔をして挨拶をするのだ。
次いで、エドモンド准将が自国側を紹介した。
レテイシア女王は、会議の仕切り役という立ち位置である。
「使節団の方々は、遠路はるばる大儀であった。
まず、私から今回の使節派遣の経緯を説明しよう」
「私がケルトニア国王陛下よりの親書を受け取ったのは、七月のことであった。
陛下はイゾルデル帝国が、わが国の脅威となっていることを憂慮されておられる。
そして、共通の敵である帝国に対抗するため、王国軍の強化は焦眉の急であると説かれていた。
ケルトニアとしては、そのための協力を惜しむものではない。
先にケネス・フォレスター大尉を派遣し、魔導士養成の一助としたのは、その端緒である――とのことだった」
「もちろん、協力はそれで終わりではない。
それから一年が経過し、ある程度の成果があったことは喜ばしいが、同時に課題も見えてきた。
陛下としては、その課題を克服するために、さらなる支援を提供するというご意思を示された」
「誠に願ってもないことであり、わが国としてはもろ手を挙げて歓迎する次第だ。
私は陛下にそうお返事し、数か月の折衝を経て、今回の使節団派遣が実現したのである。
ケルトニアから、具体的にどのような支援がいただけるのかは、私もまだ聞き及んでおらぬ。
この場で有益な提言がなされることを、心から期待している」
女王のもったいぶった挨拶が終わると、両国の出席者は胸に手を当てて目礼した。
マリウスは内心で『この女狐め』と思いながら、殊勝な表情を崩さなかった。
レテイシアが話したことは、おおむね事実なのだろうが、支援の詳細を知らないというのは、絶対に嘘だという確信があった。
親書の内容は初耳だが、それを外務部や参謀本部に最後まで明かさなかったことには、不思議と腹が立たない。
むしろ機密保持のためには、それが正解だったのだろう。
レテイシアは自分が何も言わなくても、マリウスならすべてを察するだろうと信じていたのだ。
魔導士がらみの案件だと、いま初めて明かしたのに、その部門責任者のケイトがちゃんと出席している。
女王はそれを、当然のことだという顔をしている。それが何よりの証拠だった。
使節団の方は王国側のそんな事情は知らず、すべて承知していると思っている。
エドモンド准将が話を切り出した。
「レテイシア陛下からお話があったとおり、今回は魔導士養成支援の第二弾だと承知してもらいたい。
私の隣りにいるクリス・オコナー大佐は、わが国の魔導士部隊の責任者で、自身も歴戦の魔導士だ。
具体的な内容は、彼から説明してもらう」
シルヴィアの報告によって、マリウスはケネス大尉を呼び出し、オコナー大佐の身分を確認済みである。
帝国の〝異名持ち〟ほど有名ではないが、現場叩き上げで堅実な指揮を執ることで知られた人物だという。
ケネス自身も、若いころに彼の下で働いたことがあったそうだ。
オコナーは背は高くないが、がっちりとした体格をしており、五十代後半に見えた。
彼は准将の着席と同時に立ち上がり、落ち着いた表情で口を開いた。
「現代戦において、魔導士の重要性は論を俟ちません。
この分野では帝国が先んじており、それが故にわが国は苦戦を強いられております。
貴国が召喚士という、特殊な戦力を有していることは存じておりますが、だからといって魔導士を軽視してきたのは、大きな誤りだと言わざるを得ません。
遅ればせながら、魔導士の育成に取り組まれたのは、誠に喜ばしいことであります」
彼の前置きは、ここにいる全員が承知していることである。
それをわざわざ口にするのは、彼の慎重な性格を表していた。
「さて、ここに同席しているフォレスター大尉からは、定期的に報告書を受け取っております。
それによれば、貴国の養成機関が輩出する魔導士は平均的な質が高い一方で、十分な人数が確保されていないとあります。
ケネス、これについて補足してくれたまえ」
指名された大尉は素直に立ち上がった。
目上の者に対しても、不遜な態度を取りがちな彼も、かつての上司には頭が上がらないのだろう。
「王国の魔導士養成が、少数精鋭という状況にあるのは、複合的な原因があります。
最大の問題は、国民の間に魔導士の存在が認知されていないことです。そのため、魔導士になろうとする者が出てこないのです。
この国は長年、召喚士に頼ってきましたし、魔導士がほとんどいなかったのですから、それは仕方がありません。
そこにいるケイト少佐が国中を飛び回り、有望な候補生をどうにか掻き集めているのが実情です。
すぐれた魔導士である少佐が、直接スカウトしているわけですから、質が高いのは当然といえるでしょう」
ケネスはそう言って着席した。
オコナー大佐は、話題に上がったケイトの方を向いた。
「モーリス少佐、現在の王国魔導士の総数はいかほどか?」
「二百四十人余です。来月には第五期生が卒業しますので、三百人を超えることになります」
「ありがとう。
少なくとも千人を超さないと、国民の認知が広がるのは難しいでしょうな。
この構造的な問題を解決するには、二つの方法しかありません。
ひとつは時間です。あと十年もすれば、徐々に魔導士が身近な存在となり、それを志す者も増えてくるでしょう」
「もうひとつの方法とは?」
外務部長が手を挙げて訊ね、マリウスがわずかに顔をしかめた。
彼にはその答えが分かっていたからだ。
「簡単です。貴国が帝国に宣戦を布告することです。
数十万の帝国軍が魔導士を先頭に立てて貴国に侵攻し、豊かな農地を焦土にするでしょう。
そうなれば、国民は否応なしに魔導士の存在を心に刻み、二度と忘れないはずです」
オコナーの言葉は、残酷ではあるが真実だった。
帝国は百万人の軍勢を擁している。ケルトニアと戦争をしながらでも、三十万程度の軍を動かす余力を持っている。
それに対し、王国は全軍を合わせても十五万人である。それでも、十年前より五割も増えているのだ。
外務部長が下を向いたのを確認し、大佐は話を続けた。
「つまり、今のところ貴国の魔導士を、大幅に増やすことは不可能だということになる。
となれば、現状保有している魔導士の質を向上させる――我々に残された道は、それしかありません。
ケネス、これについて意見を述べたまえ」
再びケネス大尉が立ち上がった。
「先ほど自分は、王国の魔導士の質が、平均として高いと申しました。
それは能力の話であって、戦力としての評価ではありません」
「能力はあっても、戦力としては不十分だということだな。
それはなぜだね?」
「彼らは皆若く、圧倒的に経験が不足しています。
特に、実戦の洗礼を浴びていないのが大きい。あらゆる兵を鍛えるのは、実際の戦闘経験であります。
この国は平和の代償として、弱兵に甘んじるほかないのです」
「よろしい。座りたまえ」
オコナー大佐は、王国側の出席者を一人ずつ睨みつけた。
「聞いたとおりです。
貴国の魔導士三百人をまるごと戦場に放り込むのは、さすがに無茶でしょう。
ですがそのごく一部に限定すれば、できないことはありません。
我々はそのための戦場を用意できる。今回の提案の骨子は、そこにあります」
大佐は再び王国側の表情を窺ったが、彼らの反応は予想外のものだった。
誰一人として、驚いた様子を見せなかったのだ。
やや戸惑ったようなオコナーに対し、マリウスが口を開いた。
「戦場は物見遊山で出かけるところではありません。
私も元は帝国の魔導士でした。地獄と呪われた西部戦線で、貴国と戦ったこともあるのです。
戦争であれば当然人は死にます。それは魔導士といえども例外ではありません。
貴官はただでさえ貴重な魔導士を、経験と引き換えに磨り潰せと仰せか?」
しかし、オコナーも動じない。
「我々もそこは考えております。
お言葉にあったエウロペ戦線なら、そのご懸念はもっともでしょう。
要は激戦地ではなく、ほどよい難度の戦地を選べばよいのです。
それでも危険が皆無とは申しませんが、貴国の魔導士の中から選りすぐった者ならば、十分に切り抜けられると考えております」
マリウスはにやりと笑った。
「なるほど、それがトルゴル王国東部というわけですか」
その瞬間、ケルトニア使節たちの表情が固まった。
レテイシアがそれを面白そうに眺めている。
「どうしてそれを……?」
オコナーは訊ねずにいられなかった。
「大国ケルトニアから見れば、リスト王国は田舎の後進国でしょうが、それなりに情報も集めています。
現在貴国が交戦しているのは帝国のみ。
その主戦線は西部戦線ですが――ああ、いや、貴国ではエウロペ戦線と呼ぶのでしたな。
それ以外にも帝国と対峙して、小競り合いを繰り返している戦場がある。
それが貴国の植民地、トルゴル王国の東部、帝国にとってはトリ川南部の辺境に当たります。
ここはトルゴル・帝国の双方にとって、戦略的にほとんど意味のない地域です。
これまで小規模な衝突はあっても、それほど本格的な戦闘が起きていません。
戦っているのも現地トルゴルの藩兵で、帝国側も新兵の訓練場程度にしか思っていなかったはずです」
今度はマリウスがケルトニア側を見回す番だった。
「それが一年ほど前から、なぜか帝国側が攻勢に出た。
投入されるのは、相変わらず新兵を中心とした弱い部隊だが、兵力を増強したようですな。
その結果、帝国は国境地帯から浸透して、南へ占領地を拡大させている」
「ですが、ここは未開の森林地帯で、先ほども言ったように占領する利点が何もない。
むしろ占領地が拡大するほど、その維持のため、さらなる兵力を費やすことになります。
貴国にはトルゴルの宗主国としての責任があるから、現地を支配する藩王からの支援要請を断れない。
兵力をつぎ込んで帝国を押し戻しても、一銭の得にもならないが、帝国の目的も知りたい。
わが国から魔導士を掻き集めて投入すれば、余計な金がかかりません。いやいや、よく考えられたものです」
顔をしかめたオコナー大佐に替わって、エドモンド准将がにやにやしながら応じた。
「なかなか穿った見方ですな。
我々は貴国の情報力を見誤っていた。正直に認めねばなりますまい。
だが、例えそうだとしても、貴国の魔導士を鍛えるという目的には、何も変わらないでしょう。
うまい話ほど、信用できないものはありません。
双方にとって利益のある取り引きだと思えば、むしろ納得がいくのではありませんか?」
「そのように腹を割ってもらえると、こちらも話がしやすいというものです。
ですが、わが軍の兵士を帝国と戦わせるというのは、外交的にまずくありませんか?」
「それなら心配は無用です。
貴国で選抜された魔導士は、一時的に軍籍を離れていただきます。
その上でケルトニアの傭兵として、こちらの指揮のもとに戦っていただくのです。
わが軍は、もともと傭兵を主体としていますから、何も問題はないでしょう」
「なるほど、そちらの提案については理解いたしました。
そうなりますと、あとはレテイシア陛下のご裁断を仰がねばなりません」
その場の全員が、女王の方に視線を向けた。
* *
場面は一週間前、赤龍帝リディアの執務室にさかのぼる。
『トルゴル東部国境の情報を集めよ』
リディアの伝言を聞いたシルヴィアであったが、彼女にはその真意が掴めなかった。
「なぜ、トルゴルなのでしょう?」
訊き返すシルヴィアに、リディアは鼻を鳴らした。
「あの准将、私の赤龍帝という称号に難癖をつけてきただろう?
まぁ、とっさのことだったので、私の反論も屁理屈だったのだが、それでも相手を黙らせることができたのは、幸いであった。
あの時、准将は私の立場を『藩王のような地位』だと、勝手に納得していた」
「はい、確かに」
「シルヴィアは〝藩王〟という称号を聞いたことがあるか?」
「詳しくは知りませんが、トルゴル王国の地方領主のことだと記憶しています」
「そうだ。そもそも藩王という称号自体、ケルトニアがトルゴルを植民地化した後に作られたものだ。
他にそんな称号を使っている国など、聞いたこともない。
だが、なぜ准将は、そんな一般に知られていない称号を持ち出した?
ケルトニアは貴族制度の本場だ。地方領主の意味なら、侯爵に例えるのが自然だろう。
准将の頭の中では、トルゴルに大きな関心が寄せられている証拠といえる。
彼らがサラームの動向を気にしていたのも、無関係ではあるまい」
「なるほど……」
「トルゴルはケルトニアの版図で唯一のサラーム教国で、帝国とも国境を接している。
そこでは、昔から両国が小規模な紛争を繰り返していた。
最近、その状況に変化が起きているとすれば、今回の件と連動しているかもしれん。私の言う意味が分かるな?」
「了解しました。
ですが、リディア様はケルトニア側の意図も読めたとおっしゃいました。
その件についてもご説明を願います」
「うむ。
准将は私に対し、優位な立場を取ろうと躍起になっていた。
雑談の中でそれが如実に表れたのが、私の愚痴への反応だった」
「首長国連邦への対応を、第三軍に任せっきりにしている……という、あれですか?」
「そうだ。それに対して准将は、実戦経験が兵を強くするとと言って、私を慰めようとした。
だが、その同情は上辺だけで、むしろ王国軍の実戦不足を揶揄し、馬鹿にしている顔だった。
連中が、魔導士養成事業に口を出そうとしているのは明らかだ。
恐らく彼らの提案とは、わが国の魔導士を戦場に送り込み、経験値を積ませようというものだろう。
ただ相手が強すぎては、犠牲の方が大きくなる可能性がある。
だが、それがトルゴル国境だったらどうだ? そこには双方とも、まともな戦力を投入していないはずだ。
ひよっこ魔導士でも、十分に戦えるだろう?」
「わが国を援助するという口実で、利用する魂胆ですか?」
「そのとおりだ。
恐らくトルゴル国境で、何か情勢の変化が起こり、ケルトニアも対応を迫られているんだろう。そう考えれば、全てがつながる。
マリウス殿に、そのことを伝えてほしい」
シルヴィアは赤龍帝の洞察力に、感動すら覚えた。
彼女はその言葉を胸に王都へと帰還し、マリウスに報告したのであった。
そしてリディアの推測は、外務部が握っていた情報によって、見事に裏付けられたのである。
* *
再び会議室に話を戻す。
裁定を委ねられたレテイシアは、満足そうにうなずいたのである。
「よかろう。わが国はケルトニアの提案を受け入れよう」