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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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四 晩餐会

 大太鼓とシンバルが打ち鳴らされ、金管楽器が空気を切り裂いた。

 大門内側で、左右に分かれて待機していた軍楽隊が、至近距離から全力のファンファーレを浴びせたのだ。

 それは物理的な衝撃となって、ケルトニア使節団を襲った。


 前衛の護衛騎馬は、棹立ちとなった馬をどうにか押さえ込み、慌てて槍を構えて周囲を見回す。

 その慌てようを嘲笑うように、軍楽隊は両脇から大通りに進み出て、勇ましい行進曲を演奏しながら、使節団の前に整列した。

 そして、車列を先導する恰好で、足並みを揃えて進みだした。


 ようやく状況を把握した使節団は、呆然としながらも、その後をついていかざるを得ない。

 門が完全に開いていない時は、無人に見えた大通りであったが、実際に門を潜ると大違いの光景が広がった。

 通りの両側には、赤城市民がびっしりと詰めかけていて、軍楽隊のファンファーレに唱和して、大歓声を送った。


 軍楽隊に先導されて進む使節団は、群衆の投げ上げる花と紙吹雪、そして歓呼の声に包まれた。

 市民はケルトニア国旗の小旗を振りながら、屋台で買った酒や料理を頬張ることも忘れていない。まさにお祭り騒ぎである。


 彼らが進行を妨げないよう、その前では純白の第一種礼装を着込んだ兵士が、規制線代わりに整列していた。

 そして使節団が近づくと、一斉に抜剣して〝捧げ剣〟の姿勢を取る。そのたびに、市民からは大歓声が上がるのだ。

 これが南大門から赤城まで数キロの間、延々と続くのである。


 赤城に着けば歓待されるだろう。そう軽く考えていた使節団は、正直に言って度肝を抜かれた。

 彼らは歓迎を当然のこととして、粛々と受け入れるべきだった。それなのに、不意を突かれて慌てるという、醜態をさらしてしまった。


 使節団の面々だって、あらかじめ礼装には着替えていたのだ。

 赤城に入ったところで馬車から降り、護衛の兵士を先頭に堂々と入城し、大国の威儀を知らしめる予定だったのだ。

 その機先を制されたのであるから、外交の緒戦は王国側の圧勝となった。


 まさに赤龍帝の思惑どおりだった。


 一時間ほどをかけた行進は、街の中心部に聳える赤城の正門を潜ることで、ようやく終わりを告げた。

 市民の熱狂は収まったが、歓迎に協力してくれた彼らのために、軍からは酒樽が無料で放出された。

 南大通りは一日中市民で溢れかえり、その喧騒は地鳴りのように赤城内にも伝わっていた。


 使節団は城内の貴賓室に案内され、旅の疲れを癒す時間が与えられた。

 アギルから赤城市までの陸路では、満足に身体を洗えなかったから、たっぷりのお湯で旅の埃を落とせたのはありがたかった。


 彼らは冷静さを取り戻し、勝負はこれからだと自らを鼓舞した。

 第三軍の事務方からは、五時に赤龍帝に謁見、その後休憩を経て、六時から晩餐会というスケジュールが伝えられた。


 謁見自体は儀式であり、互いの顔合わせといった意味しかない。

 その後の晩餐会の方が、外交上の重要行事である。


 赤龍帝のリディアが、まだ三十代の女性だという情報は、当然使節団も把握していた。

 それに対して使節の三人は、いずれも六十歳前後の高官である(護衛兵と世話役の事務方はもっと若い)。

 まずは謁見の場で貫禄の違いを見せつけ、最初の失点を挽回せねばならない。

 彼らは礼装に勲章と大綬たいじゅ(肩から斜めにかける飾り帯)を着け、身なりを整え直して謁見に臨んだ。


 使節たちは、赤龍帝が軍人である以上、軍服を(礼装であっても)着用していると思い込んでいた。

 彼らは軍人であるから体格も大柄である。女性である赤龍帝を見た目で圧倒できると高をくくっていたのだ。


 壮麗な謁見の間に案内され、赤龍帝の席の前で使節が整列したところで、侍従がリディアの入場を告げた。

 ところが、胸に手を当てて敬意を示した彼らの前に現れたのは、華やかな総レースのドレスに身を包んだ姫君であった。


 真珠と銀糸の刺繍で彩られた純白のドレスに、浅黒い肌と、緩いウェーブのかかった漆黒の髪が見事な対比となっている。

 その顔立ちは愛らしく、二十歳そこそこにしか見えない。

 無骨な中年女性を想像していた使節団の予想は、見事なまでに裏切られた。

 彼女が優雅な身のこなしで椅子に腰を下ろすと、使節たちは片膝をついて、ひれ伏したい衝動にかられた。


 謁見の儀式は単純である。

 使節側が王より賜った派遣文書を提出し、それぞれの官姓名を名乗る。


「赤龍帝リディア・クルスである。お役目大儀であった」

 赤龍帝は書類に目を通した上で返却し、そう言葉をかける。

 それで終わりだった。


 リディアの態度は堂々としており、まるでレテイシア女王その人であるかのように振舞った。

 その気品と美しさに、使節たちは完全に気圧されてしまった。

 自分たちの胸を飾る数々の勲章も、彼女の黒髪を飾る小さなティアラに比べれば、ブリキのおもちゃに思えたのだ。


      *       *


 こうなった以上、晩餐会こそは巻き返しの最後のチャンスである。

 赤城の料理人が腕によりをかけたご馳走も、秘蔵の美酒も、味わう余裕などない。

 使節団の長であるエドモンド准将は、乾杯が済むとさっそくリディアに挑みかかった。


「正直に申しまして、我々は貴国についてあまり詳しくはないのです。

 使節を務める以上、ある程度事前に予習はしたのですが、それでも腑に落ちないことがございます」


 リディアは笑みを浮かべ、無垢な少女のように首をかしげたみせた。

「はて、どのようなことかな?」

「貴国にはリディア様を含め、四帝と呼ばれる方々がおられる。

 それぞれが強力な守護獣を従える召喚士で、王国を四つに分割して統治していると聞き及んでいます」


「うむ、その認識で間違いはないと思うぞ。どこが疑問なのだ?」

「その称号でございます」


「私は赤龍を召喚した故に赤龍帝を名乗っておる。ごく自然なことだと思うが?」

「赤龍に関してはそのとおりですが、問題は〝帝〟にあります」


「ほう?」

「帝とは皇帝を表し、国王よりも上位の称号というのが、我々の常識です。

 リスト王国はレテイシア女王陛下が治める国であるにも関わらず、その配下であるリディア様が帝を称するとは、奇怪なことではありませんか?

 一体、四帝とはどのようなご身分なのか、浅学菲才せんがくひさいの我々に、是非ともご教示願いたいものです」

 

「なるほど、伺ってみればもっともな疑念だな。

 では、私の方でもひとつ聞ききたい。皇帝のさらに上に立つ者は誰だ?」

「そうですな、我々の文明が未熟だった昔は、宗教が今よりも力を持っておりました。

 そのため、教皇が皇帝よりも上位の存在だったと承知しております」


「確かにな。

 例えばイゾルデル帝国だが、もし講和のために貴国の王が皇帝と会見したとする。

 その際に上座につくのは皇帝の方だ。

 教皇の権威が失われている現在、その皇帝でも礼を取らざるを得ない者とは、誰だと思う?」

「お戯れはおよしください。もし、そのような者がいるとすれば、それはもはや神でしょう」


 リディアは大きくうなずいた。

「貴官の言うとおりだ。

 そして、我々四帝が召喚した幻獣を、わが国では〝神獣〟と呼んでいる。

 私は確かに赤龍を召喚したが、それを支配しているわけではない。

 神に等しい力を持つ龍の意思を伝える、いわば巫女のような存在なのだ」


 エドモンド准将は、ここぞとばかりに口を挟んだ。

「その神獣とやら、是非ともお目にかかりたいものですな」


 使節団には、さまざまな密命が下されている。

 王国の最重要軍事機密である、四神獣をその目で確かめることも、そのひとつなのだろう。

 だが、リディアはその希望を鼻で笑い、一蹴した。


「無礼なことを申すでない。

 彼らは見世物にあらず。国家存亡の危機でなければ、姿を現わさないと知れ。

 話を戻すぞ」


「神獣を動かす時のみ、我ら四帝は女王陛下の権威を凌駕する。

 神の代弁者として王の上に立てる者、それゆえに帝なのだ。

 だが、分はわきまえておる。それ以外の平常時は、地方行政官と軍団長を兼ねる王の臣下に過ぎん。

 相当の裁量権は持っているが、外交に口を出すことはできんし、参謀本部の命令も聞く。

 どうだ、理解したか?」


 リディアをやり込めようとした准将は、返り討ちにあって引き下がるしかなかった。

「なるほど、赤龍帝閣下は王を戴く地方の支配者、つまり藩王のような地位にいるわけですな」

「そうだな。確かに似ているかもしれん」


 この会話には、シルヴィアも聞き耳を立てていた。

 彼女はリディアの計らいで、晩餐会の末席に加わることを許されていたのだ。

 リディアがどうやって使節団から情報を引き出すのか、個人的にも興味があったのだが、今のところ小競り合いといった感じである。


「ところで、貴官たちは使節といっても、軍事顧問団だと聞き及んでおる。

 大国ケルトニアから見れば、わが軍はよほど遅れているのだろうな。

 どのような指導をいただけるのか、私も第三軍を預かる身として関心がある」


 今度はエドモンド准将がやり返す番だった。

「我々はレテイシア陛下より正式な招聘を受けた使節団です。

 無論、貴国への協力は惜しまないつもりですが、それはレテイシア様に直接お伝えせねばなりません。

 いくら赤龍帝閣下であっても、その前に洩らすとお思いですか?」


 リディアは可愛らしい笑い声を上げた。

「これは一本取られた。どうだ准将、これで引き分けということにして、お互いほこを収めぬか?」

「御意」


 面目を保った准将の顔に、ほっとしたような笑みが浮かんだ。

 これもリディアの計算のうちなのだろう。


 その後の会話は和やかなものとなり、リディアは西部戦線の戦況に関心を寄せ、ケルトニア側は首長国連邦、特に勢力拡大が著しいナフ国のことを聞きたがった。


 リディアはそれが少し意外なようだった。

「ケルトニアほどの大国でも、サラーム教国の動向が気になるものか?」

「もちろんです。我々の版図には、トルゴルというサラームの大国も含まれております。文化の違いが大きいので、その支配には気を遣うのです。

 西海岸の都市国家群も、ペルシニアの圧迫を受けております。もし首長国連邦と手を組めば重大事ですからな。

 我々は、決して帝国だけを見ているわけではないのです」


「なるほど、大国なりの悩みか。わが軍もその広い視野を学ぶべきだな。

 何しろ参謀本部は、帝国への備えで頭がいっぱいだ。

 帝国とは宣戦布告どころか、断交すらしていないのにだぞ?

 それなのに、現実に紛争が起こっている首長国連邦のことは、わが第三軍に任せっきりだ。

 実に嘆かわしい」

「よいではありませぬか。そのおかげで、第三軍は実戦経験を積んでおられる。

 兵を強くするには、実戦が一番の早道ですぞ」


「ケルトニア軍が傭兵を重用するのも、その経験を買っているというわけか?」

「ご明察です。経費はかかりますが、新兵を一から鍛え上げるのに比べれば、遥かに安上りですからな」


 リディアは何か言いたげであったが、その言葉を呑み込んでしまった。

 この後は、当たり障りのない話題に終始し、そのまま晩餐会は終わりを告げた。


 赤龍帝、そして使節団の退席を見送ってから、シルヴィアも席を立った。

 彼女は不満であった。リディアは何も情報を引き出せず、その気もなさそうに見えた。

 せっかく赤城市に留まっていたのに、帰ってどう報告すればいいのだろう。


 シルヴィアが与えられた部屋に戻ると、扉の前に城の兵士が立っていた。

 その男はシルヴィアを見ると、近寄よって耳打ちをした。


「リディア様がお呼びです。ご案内しますので、ついてきてください」


 彼女が連れていかれたのは、またしても執務室だった。

 赤龍帝はドレス姿ではなく、ごく普通の制服に着替えていた。

「ああ、来たか。応接のソファに座れ」


 そう指示をしたリディアは執務机を離れ、シルヴィアの対面に腰を下ろした。

 それはひじ掛けつきの椅子で、小柄な彼女のために、クッションがいくつも置かれている。

 シルヴィアの側は三人は座れる長椅子状である。

 リディアはだらしなく足を開き、身体をクッションに預けて沈み込ませた。


「お疲れのようですね?」

「ああ、疲れたよ。猫を被るのは性に合わんが、こんな時は自分の見た目に感謝したくなる。謁見での連中の阿保面を、シルヴィアにも見せたかったぞ。

 だが……寄る年波で、この手もだんだん厳しくなってきた。

 何しろ私は四帝の最古参だからな。小じわを隠すため、化粧が欠かせないのだよ」


 若いシルヴィアは、賢明にも下手な慰めを口にしなかった。


「それでだ。

 シルヴィアは予定どおり参謀本部に戻ってもらう。明日の朝一番で発て。

 それで、マリウス殿に報告する内容の確認をしておきたい」

「使節団に魔導士がいるという事実ですね」


「マイルズに確認させたが、クリス・オコナー大佐がそれだ。

 晩餐会では、エドモンド准将の隣りに座っていた奴だな。

 確か、魔導院にケルトニアから派遣された魔導士がいたはずだ。そいつに聞けば、オコナー大佐がどういう人物か、判明するだろう」

「了解しました。それだけでも、十分に有益な情報です」


「それだけって……お前、何を言っている?

 晩餐会で得た情報の方が、遥かに重要だぞ」

「え? いやあの、自分が聞いていた限りでは、特に有益な情報はなかったように思いますが……」


 リディアは再び〝ぼふん〟とクッションの中に身体を埋もれさせた。

 そして、天井を仰いだまま溜息を洩らす。

「いいか、政治は腹の探り合いだぞ?

 私が使節団連中を驚かせたり、やり込めたのには、ちゃんと理由がある。

 エドモンド准将に失点を挽回したいという、焦りを生じさせるためだ。

 そのお陰で、准将は優越感を振りかざして、べらべらと情報を洩らしてくれではないか。

 あれはただの軍人だな。腹芸もできぬようでは、使節は務まらん」


 リディアは反動をつけて身体を起こし、顔を近づけて声を潜めた。

「よいか。マリウス殿に、今から言うことを、しかと伝えるのだ。

 トルゴル王国は、東部で帝国と国境を接している。

 以前から小競り合いが続いていたはずだが、最新の情報を掻き集めておけ。

 ケルトニアの提案は、恐らくこうだ……」


 そして、赤龍帝は驚くべき内容を語り始めた。

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