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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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三 赤龍帝

 マリウスの執務室を辞したシルヴィアは、更衣室で重い飛行服を着込み、王城の中庭に向かった。

 そこには、芝生の上で腹ばいになって寝ている(寒くないらしい)、カー君の姿があった。

 もともと今日は、朝一番で黒城市へ飛ぶ予定であったから、すっかり準備が整っている。


 カー君はシルヴィアの気配で目を覚まし、頭を上げるとぶうぶう文句を垂れてきた。

「シルヴィア遅い~! 一体、いつまで待たせるのさ。

 マリウス様の呼び出しって、何だったの?」


「今日の行先は、赤城市に変更だって。呼び出しはその件よ」

 シルヴィアは慣れた仕草でカー君の背中によじ登り、安全ベルトを飛行服の金具に取り付けた。


「えー、聞いてないよぉ! 赤城市って、一番遠いとこじゃん。

 あ~あ、僕、楽しみにしていたのに。これって幻獣虐待じゃない?」

「あんた、黒城市に何か用でもあったの?」


「うん。僕のお気に入りのケーキ屋さんで、年末限定のお菓子が発売されたんだよ。

 カボチャのタルトでね、つまようじの旗が刺してあるの」

「あんたは女子か! どこからそんな情報を仕入れてくるのよ、まったく。

 馬鹿言ってないで行くよ!」


 シルヴィアは踵でカー君の脇腹を蹴った。

 カーバンクルはぶつぶつ文句を言いながら、黒いコウモリのような翼を広げる。

 そして四肢をぐっと踏ん張り、地面を蹴ると同時に羽ばたいた。


 警備の近衛兵の目の前で、シルヴィアを乗せた大きな身体がふわりと浮かび、みるみる上昇していく。

 そして、城の塔よりも高く上昇すると、南に向けて勢いよく飛び出していった。


「毎度のことながら、よくあんな翼で飛べるもんだなぁ……」

 空を見上げた兵士が、感心したようにつぶやいた。


      *       *


 シルヴィアが赤城に到着したのは六時過ぎで、もうすっかり暗くなっていた。

 広い前庭に降り立ったカー君の周りには、警備の兵たちが慌てて集まってくる。

 彼女が来ることは知らされていないから、兵たちの顔にも緊張の色が浮かんでいた。


 シルヴィアはベルトを外し、カー君の背中から滑り降りたが、思わずよろめいてしまった。

 すかさず兵たちが身体を支え、彼女の飛行服を脱がしにかかる。

 寒空の中を丸一日飛んできたため、手足がすっかり凍えてしまい、自分ではボタンも外せなかったのだ。

 身動きするだけで関節がきしみ、痛みで顔が歪む。


 気の利いた者が毛布を持ってきて、シルヴィアの身体を包んでくれた。

「お辛いでしょうが、とにかくこちらへ!」


 二人の兵士がシルヴィアを両側から支え、城内へと連れていく。

 他の者たちは、カー君の身体から荷物を降ろし、飛行用の装着具を外しにかかった。


 城内に入ると、彼女は手近な小部屋に案内された。

 そこは夜勤に当たる警備兵の控室らしく、散らかっていて空気は煙草臭かったが、暖炉には薪がくべられ十分に暖まっていた。

 暖炉の前に椅子が運ばれ、シルヴィアは毛布にくるまったまま、そこに座らされた。


 運んでくれた兵士が、心配そうに湯気の立つカップを渡してくれた。

「安物の茶葉ですが、身体が温まります」


 それはヤギ乳で煮だした甘いお茶で、南方では日常的な飲み物である。

「ありがとうございます」

 シルヴィアは掠れた声で答えたが、全身の震えで歯がかちかち鳴ってしまう。


「いま、別の者が報せにいっています。

 ゆっくりしていただきたいのですが、まずはリディア様のもとにお連れせねばなりません」

 兵士は済まなそうな表情を浮かべたが、シルヴィアは首を振って『大丈夫』という意思を伝えた。

 伝令とは、そういう仕事なのだ。


 赤龍帝へ報告にいった者は、五分あまりで戻ってきた。

 息がはずんでいるので、走ってきたのだろう。

「グレンダモア少尉殿、リディア様がお会いになるそうです。

 ご案内しますので、一緒にお出でください」


 シルヴィアはうなずき、手を温めていたカップをテーブルに置き、立ち上がった。

 わずか五分でも火にあたったことで、かなり身体は動くようになっていた。

 彼女は世話をしてくれた兵士に毛布を渡し、丁寧に礼を言ってから部屋を出た。


 シルヴィアが案内されたのは、赤龍帝の執務室であった。

 部屋はきれいに片づいていて、壁紙も調度も女性らしく、華やかな雰囲気だった。

 大きな花瓶には、冬だというのに生花がたっぷりと活けられていた。さすがに南部である。


 シルヴィアの顔を見ると、机に向かっていたリディアはすぐに立ち上がり、駆け寄ってきた。

 彼女は長身のシルヴィアよりも、頭一つ分ほど背が低い。

 申告のため敬礼しようとしたシルヴィアの腕を、リディアはぶら下がるように引き戻した。


「そういう堅苦しいのはよい。

 まずは座れ。この寒空を飛んできたのだ、さぞ大変だったろう」

 彼女はそう言ってシルヴィアの腕を引っ張り、応接のソファへと連れていった。


「エルフの一件以来だな。で、何があった?」

「はい。近々、ケルトニアの使節団が訪れることが判明しました。

 西回りのルートですから、赤城市へ入国することになります」


「そんな話、聞いておらんぞ! いつだ?」

「予定どおりなら、あと四日だそうです」


「正気か? 迎える側を何だと思っている! 外務部はどうして今まで黙っていた?」

「それが、外務が知ったのも昨日のことで……、その、レテイシア様が伏せておられたようなのです」


「陛下が? ……それは臭いな。

 その使節団というのは、どういう性格のものだ?」

「軍事顧問団と伺っています」


「ほう、そうか。……魔導士がらみだな」


 シルヴィアは内心で舌を巻いていた。

 リディアは見た目の可愛らしさに反して、気が強く喧嘩早い性格だということは、よく知られていた。

 てっきり自分同様「わが国を馬鹿にするのか!」と怒り出すと思っていたのだ。

 だが、彼女はそれを冷静に受け止めるばかりか、一瞬でマリウスたちと同じ結論にたどりついたらしい。


 シルヴィアは今回の経緯を、要領よく説明した。

 そしてリディアに対し、使節団から情報を入手せよとの、参謀本部・外務部連名の依頼を伝えた。


 話を聞き終えると、リディアは少し考え込んだ上で口を開いた。

「魔導士と言えば、お前と一緒にいた女魔導士、何といったかな……」


 いきなり話が飛躍したので、シルヴィアは少し戸惑った。

「エイナですか?」

「そう、エイナだ。あの娘はどうしている?」


「彼女でしたら、九月末から期限付きで第四軍に異動しています」

「第四軍に? なぜだ」


「はぁ……参謀本部にいると現場が分からないだろうと、蒼龍帝から実地研修の提案があったようです。

 小隊長として一般兵の部下を率い、ボルゾ川の沿岸警備をしていると聞いています」

「なるほどな、レテイシア様がシドの奴を動かした――いや、その逆かな?

 時期的に、使節団派遣の打診と符合するな」


「何の話でしょう?」

「なに、今のは私の独り言だ。気にするな。それより、お前は情報を持ち帰る役だな?」


「はい、そのように命令されています」

「ならば、給料分働いてもらおう。

 使節団が四日後に赤城市に入る予定なら、もうアギルを発っているだろう。

 お前には使節団の現在位置を確認してもらおう。

 上空は無警戒だろうが、見つからないように飛ぶのだぞ」


「承知いたしました。ですが、どうして見つかってはいけないのですか?」

「相手は他国の軍事に口を挟もうという、業腹ごうはらな輩だぞ。

 度肝を抜いてやるくらい、許されるだろう?」


 子どもが何か悪戯を企んでいるような、リディアはそんな笑みを浮かべていた。


      *       *


 ケルトニアから王国へ向かうには、二つの方法がある。

 一つは北海回りの船で大陸東端の南カシルに入り、ボルゾ川を遡って北部の黒城市に至るルートだ。

 日数が大幅に短縮できるが、冬は北海が凍るので、夏前後の五か月しか使えないという欠点がある。


 もう一つは西の海を南下して都市国家セレキアに上陸、ユルフリ川を遡上してオアシス都市アギルに至り、そこから陸路で砂漠を横断して赤城市に入る。

 通年使えるルートだが、アギルからの陸路は道が悪く、時間がかかるのが難点だった。


 ハラル海と呼ばれる岩石砂漠を渡るには、馬やラクダを使っても一週間はかかる。

 つまり予定どおりなら、ケルトニアの使節団は、まさに砂漠の道の半ばあたりを進んでいることになる。


 赤城の客室で熟睡したシルヴィアは、翌日元気を取り戻して飛び立った。

 アギルまでの街道が悪路であっても、空を飛ぶカー君には関係ない。

 彼女たちは三時間足らずの飛行で、街道を進む馬車の列を発見した。


 見つからないようかなり高度を取っていたが、馬車と荷車、それに警護の騎馬が確認できた。

 そんな編成は商人ではあり得ず、ケルトニアの使節団とみて間違いないだろう。

 赤城市までは約百キロ、道の状態と馬車の速度から考えて、ちょうど三日の行程と見ていい。つまりは〝予定どおり〟ということだ。


 シルヴィアは赤城に戻り、その旨を赤龍帝に報告した。

 三日後の到着が確定したことで、城内は混乱を極めた。

 郊外の練兵場では訓練内容が変更され、上官の怒号に合わせて整列や行進が繰り返された。

 城の前庭では、朝から晩まで軍楽隊の練習が続き、せわしなさに拍車をかけていた。


 赤城内では大掃除と飾り付けが同時進行で進められていたが、南大門から城に至る大通りでも同様の準備が繰り広げられた。

 通りに面した商人たちは出店の準備に奔走し、花屋は時季外れの特需にほくほく顔だった。

 印刷所では王国とケルトニア、双方の国旗が紙に刷られ、市民に無料で配布された。それを適当な棒に糊付けして、小旗を作るのだ。


 南部の人たちは、陽気でお祭り好きである。

 大国ケルトニアの使節が訪問するというのは、彼らにとって恰好の娯楽であった。

 別に外国の馬車が見たいわけではない。それを肴に呑み、騒ぎたいだけなのだ。


      *       *


 突貫作業の準備期間が過ぎ、いよいよ予定当日となった。

 その日の朝、シルヴィアが再び使節団を確認し、彼らの到着が午後二時頃と推測された。

 普段は開放されている南大門はぴたりと閉じられ、出入りする旅人や商人は、脇の小さな通用口から出入りしていた。

 東西南北の大門はいわゆる〝二階門〟で、上部に攻撃や見張りに使用する回廊がある。


 予定時刻の一時間ほど前、リディアはシルヴィアを連れてその回廊に登った。

 そこには数人の兵士がいて、単眼鏡を目に当てて街道を見張っていた。

 シルヴィアは、その中に顔見知りがいることに気がついた。


 それはマイルズという男で、魔導院の二年先輩だった。

 といっても彼は魔法科だったので、そう親しくはない。

 卒業後は訓練を経て、赤城市の第三軍に魔導士として配属されたことも知らなかった。

 それにしても、なぜ魔導士が見張りなどをしているのだろう?


 リディアは後ろから近づき、マイルズの肩をぽんと叩いた。

「どうだ、まだ引っかからないか?」


 マイルズはそれが赤龍帝だと気づき、慌てて背を伸ばして敬礼をした。

「はっ、まだ反応はありません!」

「感知範囲というのは、どのくらいなのだ?」


「申し訳ないのですが、自分の魔力は平凡です。

 最大出力でも、半径一・五キロといったところです」


 リディアは軍服のポケットから金鎖を引っ張り、懐中時計を確認した。

「なら、もうそろそろだな。邪魔をしてすまない、監視を続けろ」


 シルヴィアは二人の会話から、何となく状況を察した。

 彼女は以前、エイナが同じ魔法を使っているのを見たことがある。


「ひょっとして、感知魔法ですか?」

 リディアは可愛らしい顔に笑みを浮かべ、うなずいた。

「ほう、よく分かったな」


「まさか、ケルトニアの使節団に、魔導士がいるということですか?」

「そうだ。

 奴ら提案が魔導士関係だというのは、こちらの憶測に過ぎん。

 使節団はそれなりの高官で構成されている。もし、その中に魔導士がいたとしたら、その裏付けになるだろう?

 事前に証拠を掴んでいれば、参謀本部の対応も楽になるというものだ」


 リディアがさらに話をつづけようとしたその時、マイルズが緊張した声を上げた。

「きました! かなり強力な魔力反応です」


「大物というわけか。魔導士を統括する責任者といったところだな。

 よし、後は任せるから、手筈どおりにやれ。

 私は城に戻る。シルヴィア、行くぞ」

「使節をお迎えされないのですか?」


 リディアは苦笑した。

「馬鹿を言え、私は赤龍帝だぞ。

 南部を支配する城主がのこのこ出ていっては、それこそ属国の振舞いと軽んじられるぞ」

 そう言い捨てると、彼女はきびすを返して階段を降りていった。


      *       *


 使節団の車列が南大門の前に到着したのは、それから十五分ほど後のことであった。

 先導の騎馬が進み出て、警備の兵に馬上から張りのある声で名乗りを上げる。


「我々は、ケルトニア連合王国より遣わされた使節団である!

 赤龍帝閣下にお目通りを所望する。開門されよ!!」


 門衛たちは顔を見合わせてうなずいた。

「連絡は受けております。

 疑うわけではありませんが、これは私どもの役儀ゆえ、無礼は承知ながら確認をさせていたきたい」


 そう応えた兵士は、手にした槍を同僚に預け、馬車の方に近づいた。

 すると馬車の窓が上げられ、中から丸めた羊皮紙が差し出された。


 衛兵がそれを受け取って広げてみると、そこには使節団全員の階級・姓名ともに、ケルトニア王の名においてその身分を保証すると記されていた。

 その最後には直筆の署名があり、印璽がくっきりと押されていた。


 警備兵は丁寧にその羊皮紙を丸め、うやうやしい仕草で返却した。

 そして、振り返って仲間の兵たちに向けて大声で告げる。

「開門!」


 巨大な扉がゆっくりと開いていき、その隙間から塵ひとつなく掃き清められた、大通りの石畳が覗く。

 通りには人の姿がなく、遠くに赤城の尖塔と特徴的な青いドームが輝いて見える。

 衛兵たちは両脇に退き、使節団の車列も動き出した。

 扉はまだ完全に開いていなかったが、通過には支障がない。


 馬の蹄と車輪のごとごとという音が響き、一行が大門を潜った瞬間のことであった。

 ケルトニア人たちは、突然殴られたような衝撃を受けたのである。

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