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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第八章 トルゴルの藩王
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二 使節団

 十二月に入ると、参謀本部も何かと慌ただしい雰囲気に包まれる。

 王国では新年が年度変わりとなるので、政府機関はどこも決算作業に追われるのだ。

 参謀本部の総責任者であるマリウスのもとに集まる、各種報告書や決裁文書は膨大なものとなる。

 多忙なマリウスの机には、平常時であっても書類が山積みとなりがちだが、特にこの時期は悲惨な状況に陥りがちだった。


 秘書のエイミーが翌日の予定の最終確認をしていると、五時の鐘の音が聞こえてきた。

 王城には南北二つの塔があるが、参謀本部はそのうちの南塔に入っている。

 どちらの塔にも先端に鐘が吊るされていて、一時間ごとに鳴らされ、城内や王都の市民に時刻を知らせている。

 この時代にも時計は存在するが、高価で一般には普及していないのだ。


 続き部屋となっているマリウスの執務室からは、もう長い時間物音が聞こえてこず、静まり返っている。

 今日は午後から書類処理に専念しているのだが、あの溜まりようでは、半分も片づいていないだろう。

 エイミーは椅子の上で背筋を反らし、思いっきり伸びをした。


『きっと今日も遅くまで残られるのでしょうね。

 そろそろコーヒーでもお出ししよう』

 秘書官室には、来客のために湯沸かし用の暖炉と流しが付属している。


 エイミーがひざ掛けを脇に寄せ、立ち上がったタイミングでノックの音がした。

 誰かがこの部屋を訪ねてくることは珍しくはない。だが、もう終業時間も近い五時である。

 彼女は小首をかしげながら、「どうぞ」と応えた。


「あら、こんな時間にどうしたんですか?」

 顔を出したのは顔見知りである。外務部のサミュエル次官だ。

 彼は三十代半ばで次官になったやり手で、外務部と軍の連絡・調整役も務めていた。


 外交はレテイシア女王の専権分野だった。

 方針の決定においては、実務を担当する外務部の意見を求めるし、一応は貴族院にもはかる。

 だから独裁というわけではないが、決定権はあくまで女王のものだった。


 軍は基本的に外交に口を出さない。

 とはいえ、他国――特に帝国とケルトニアという二大国との関係は、軍事上欠くことのできない情報である。

 そのため、軍を指揮する参謀本部と外務部は、日ごろから連携を密にしていた。

 したがって、マリウスの毎日の予定には、あらかじめサミュエルとの打ち合わせ時間が組み込まれている。

 ただ、それは朝一番であって、こんな遅い時間ではない。


 次官は済まなそうな表情で、エイミーに懇願した。

「実は、緊急にシルヴィア少尉をお借りしたいのだ。

 詳しい事情は明日説明するのだが、その場に少尉を同席させてほしい。

 そうすれば、レクチャーの手間を省けるからね。

 もちろん、少尉の予約が埋まっていることは承知しているし、調整を強いられる君にも迷惑をかけることになる。

 マリウス様には事前に仁義を通しておきたくて、こんな時間に押しかけたのだよ」

「シルヴィア少尉の予定が土壇場で変わるのは、よくあることです。だから気になさらないでください。

 少々お待ちください、マリウス様に伺ってまいりますわ」


 秘書官はノックをして執務室に入った。

 暗くなった部屋で、大きな執務机だけがランプで照らされていた。

 机の脇の床には〝既決〟と書かれた箱がいくつも置かれ、そこに山のような書類が積まれていた。

 

「どうした?」

 すぐにマリウスが顔を上げる。

 彼の顔が見えるということは、それだけ書類が片づいたという証拠である。

 エイミーは内心驚きを禁じ得なかった。一体、どれほど集中して事務処理に当たっていたのだろう?


「サミュエル次官がお見えです。

 緊急の用件で、明日シルヴィア少尉を借りたいとのことで、その事情説明をされたいそうです」

「分かった。すぐに通してくれ。

 それと、済まんがコーヒーも頼む」


「思いっきり熱くて苦いやつですね?」

 エイミーがにこりと切り返す。

 マリウスは苦笑いを浮かべ、しっしっと手を振った。


 秘書官室に戻ったエイミーと入れ替わりに、サミュエル次官が招き入れられると、彼女はコーヒーの支度に取りかかった。

 マリウスの面会者には、身分の高い人物も多いので、コーヒー豆も茶葉も極上品が用意されている。

 しかも、それらは元秘書官のロゼッタからの差し入れで、経費節減を推奨する会計課から感謝されていた。

 それにも関わらず、エイミーはもう一種類のコーヒーを、切らさないよう購入していた。


 コーヒーの木は王国で育たないため、豆は全量が南方からの輸入である。

 そのため庶民にとっては贅沢な嗜好品で、質の悪い二等品や代用コーヒー(タンポポの根や大豆が原料)が多く飲まれていた。

 エイミーが買っているのもそれなのだが、別に彼女が経費をケチったわけではなく、マリウスの頼みであった。


 マリウスは元々帝国の魔導士官で、若いころは過酷な西部戦線で地獄を体験している。

 彼は見た目によらずに頑健な身体をしていたが、それでも激務で疲れ切ってしまう時がある。

 そんな時は、泥と血にまみれた塹壕で覚えた、ただ苦いだけで火傷しそうに熱いコーヒーが懐かしくなるのだ。


 もちろん、そんなものを外務次官には出せないので、カップには別々の粉でコーヒーを淹れ、銀のお盆にのせて執務室に運ぶ。

 彼女が中に入ると、応接のソファに座った二人が、ぴたりと話を止めた。

 マリウスの顔は、もの凄く不機嫌そうだった。


 テーブルの上に受け皿(ソーサー)とカップを置いて、エイミーは秘書官室に戻った。

 お盆を流しに置いてから自分の席に着き、シルヴィアの予約を確認する。

 明日は黒城市への飛行フライトが予定されていたが、幸いさほど重要な案件ではなく、伝書バトでも代用可能であった。


 ハトの脚に着ける通信用の管には、薄い専用紙を丸めて入れるのだが、それは広げても便箋一枚分の大きさである。

 小さな文字でびっしりと書き込むにしても、伝えられる内容には限界がある。


 したがって、伝文を要領よくまとめるのは、かなり面倒で才能が必要な作業であった。

 下手をすると、伝文の作成だけで数時間かかることもあるのだ。


 だが、これがシルヴィアならば、口頭で説明するだけで済む。

 彼女は頭がよく優れた理解力を持っているので、一度のレクチャーで要点を把握してくれる(それ故に便利使いされるのだが)。


 申し込んだ参謀からは呪われそうだが、エイミーは容赦なく予約をキャンセルとした。

 そして、四角い付箋を一枚はがし、そこに美しい筆致でこう書き込んだ。


『シルヴィア・グレンダモア少尉は、出勤後ただちに首席参謀副総長の執務室に出頭せよ』

 後は帰るついでに、南塔の出入りを管理する衛兵に引き継ぎを依頼すればいい。


 エイミーの耳に、六時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。

 彼女は帰り支度を始めながら、お腹が空いていることを思い出した。


『この間お洋服を買ったから、外食は論外ね。家に帰って何か作るのも面倒だし……。

 うん、酒保で我慢しよう。うるさくて煙草臭いけど、適当な男に奢らせればいいわ』


      *       *


 翌朝、参謀副総長の執務室には、マリウスとサミュエル、そしてシルヴィアが顔を合わせていた。


 シルヴィアは霧谷屋敷の妖精事件の解決後、参謀本部での通常業務に復帰していた。

 〝空飛ぶ伝令〟という任務は肉体的には過酷だが、逆に精神的には楽で、時に退屈ですらあった。


 今日は出勤するなり門衛に予定の変更を告げられ、少しわくわくしていた。何か面白そうな事件が起きたのに違いない。

 外務部のサミュエル次官は、以前にも仕事で会ったことがある。


 マリウスはすでに事情を把握しているらしく、次官はシルヴィアに向かって説明を始めた。


「昨日のことですが、レイテイシア女王陛下から外務部に通達がありました。

 〝ケルトニアから使節団が向かっているから、迎える準備をするように〟という内容です。

 今の時期、北海は凍っていますから、南回りの陸路を取ったことになります。

 つまり使節団がケルトニアを発ったのは一か月も前、当然事前のやり取りがあったはずです。

 いつもなら、その段階で陛下からの指示があるのですが、今回はひと言もありませんでした。これは尋常なことではありません」


「なぜ、陛下はそのようなことを?」

 シルヴィアが訊ねたのは当然だった。

 レテイシア女王は英邁えいまいをもって知られる君主である。理由もなく外務部をないがしろにするはずがない。


「恐らくは、情報が洩れることを恐れたのでしょう。

 情報部や軍内に対しても、帝国の間諜が手を伸ばしているのは、周知の事実ですから」

「でも、ケルトニアの使節なら、これまでだって何度も来ているはずです。

 陛下の通達は、本当にそれで全部なのですか?」


「全部です。これだけでは何も分からないのと一緒ですから、当然うちの部長もすっ飛んでいきましたよ。

 ですが、陛下の口は想像以上に重くて、追加の情報は二つだけでした。

 一つは使節団の具体的な到着予定で、順調ならあと四日で赤城市に入るだろうということでした」

「そんな……ぎりぎりじゃないですか! あ、だから私を?」


 次官はうなずいた。

「そうです。一刻も早く第三軍と赤龍帝に伝えなければ、彼らが恥をかくことになります。

 それと、もう一つの情報は、使節団の性格です。

 陛下は〝軍事顧問団〟だと明言されました」


「はぁ!?」

 シルヴィアの声が思わず裏返った。

「何ですかそれ、わが国はいつからケルトニアの属国に成り下がったのですか!?」


 彼女が憤ったのも当然である。

 顧問ということは、他国の軍事に口を出すということだ。

 そんな屈辱を受け入れれば、自分たちが属国だと認めたことになる。


 ここで、マリウスが初めて口を開いた。

「軍事顧問団を迎え入れるとなれば、軍部に事前説明があるべきだろう。

 しかし、現在に至るまで、陛下からの説明は一切ない」


「マリウス様は、どうしてそう落ち着いてらっしゃるのですか?」

 シルヴィアの怒りが、今度はマリウスの方に向かう。


「シルヴィアこそ落ち着くべきだな。

 もし、そんなことが早期に発表されてみろ。

 君のように怒り出す者が出てくるのは、目に見えている。

 参謀本部は派遣の裏を探ろうと躍起になるし、過激派による反対運動や妨害工策が画策されるだろう。

 当然、情報は駄々洩れとなって、帝国に伝わってしまう。

 だから、陛下はそんな猶予を与えなかったのだ」


 しかし、シルヴィアは納得しない。

「わが軍は陛下の剣であり、盾であることを誓っています。

 それを信じられぬと!?」


「それくらい考えられなくては、政治などできないのだよ。

 陛下は誇り高いお方だ。ケルトニアの軍門にくだる気など、はなからお持ちではない。

 危険性を排除するのは別の問題だ。レテイシア様は軍を信じておられる。それなのに、我々が陛下を信じないでどうする?」


「う……」

 参謀副総長の冷静な言葉に対し、シルヴィアも黙らざるを得なかった。


「それに、陛下のお考えはある程度推測できる。サミュエル君も私と同意見だった」

「是非、伺わせてください」


「ケルトニアの方でも、わが軍の体制や戦略に口を出す気はないだろう。

 現在でも帝国との国交は維持されているし、両国ともすぐに戦争を起こすだけの余力を持っていない。

 つまり、大規模に軍を動かすことはあり得ない。ケルトニアもそのくらいは分かっているさ。

 彼らが狙っているのは魔導士だろう。

 魔導士は戦線の推移を決定づける戦力でありながら、常に不足に悩まされている。

 特に魔法戦で押されているケルトニアにとって、事態は深刻なのだ」

「それって、要するに王国から魔導士を引っこ抜くということですか?」


「ほう、さすがに察しがいいな。

 表面上は、魔導士養成への協力を提案し、こちらに損はないと思わせる。

 そして数年以内には、派遣要請を呑まざるを得ない状況に追い込むつもりなんだろう。

 陛下はそれを承知の上で、相手の手土産だけを奪おうとしておられる。

 まったく、恐ろしいことをお考えになるね」


「そこで、少尉に依頼する任務だが……」

 マリウスの後を、サミュエル次官が引き取った。


「まずは赤龍帝に対し、差し迫った状況を伝えることが第一。

 次に今話した、軍と外務部の推測を説明すること。

 まぁ、赤龍帝には不要かもしれないがね。いずれにしろ意思統一は必要だ。

 そして第三。ケルトニアの使節団を歓待しながら、できるだけ情報を引き出すよう依頼してほしい。

 少尉は使節団の到着まで赤城市に留まり、情報が得られ次第、王都に持ち帰ってほしい」

「了解しました。

 でも、使節団ともあろう人たちが、簡単に情報を洩らすでしょうか?」


 シルヴィアの素朴な疑問に対し、マリウスとサミュエルは顔を見合わせ、いきなり笑い出した。

 わけの分からない彼女は、思わずむっとした声を上げる。

「何がおかしいのでしょうか?」


 マリウスは目尻の涙を拭って弁明した。

「いやいや、悪かった。

 少尉は赤龍帝と話したことがあるかね?」

「はい。西の森(エルフの里)に向かう途中で拝謁しました。

 少しだけお話もしましたが、もっぱらカー君のことでした。

 帰りにもお会いしましたが、ご挨拶程度です」


「そうか、では知らないのも無理はないな。

 世間では蒼龍帝のシド殿を〝悪魔〟と噂するが、なかなかどうして。

 赤龍帝のリディア殿も、お姫様の皮を被った〝化け物〟だぞ。

 彼女が相手なら、使節だって口を滑らすさ」


 シルヴィアの脳裏に、浅黒い肌で少女のような見た目をした、赤龍帝の可愛らしい姿が浮かんだ。

 そして口をついて出た言葉は、何とも間の抜けたものとなった。


「はぁ、そんなものですか……」

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