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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
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十七 手土産

「それを先に言ってくださいませ」

 店の主人は安堵して、満面の笑みを浮かべた。


『勝手に口を挟んだのはお前だろう』

 辺境伯はそう思いながらも、黙って先を促した。

 商人とは、わずかな沈黙にも我慢ができない生き物なのだ。


「それはフランツ氏の娘さんですね。

 彼はシュナイダー商会の三代目で商売は堅実、信用もなかなかのものです。

 目立つことを好まない男なのですが、当時は仲間内でえらく話題になりましたよ。

 商人の子、それも女の子を大学に入れたってね。

 確か、イレーネという名前ではなかったですか?」

「ああ、その女性で間違いない」


 家庭教師に応募した際、彼女は自分の名をイレーネ・タウアーだと言っていた。

 亡くなったという夫の姓を名乗っていたのだろう。

 彼女は実家については市内の古着商ということ以外、何も語らなかったのだ。


「トマス、そのシュナイダー商会の場所は分かるか?」

「もちろんでございます」

 主人はそう答えると、カウンターの向こう側に戻り、棚から分厚い帳面を取り出した。

 それは住所録らしく、彼は眼鏡をかけて頁をめくりはじめた。


「ああ、ありましたありました」

 彼は小さなメモ紙に住所を書き写し、その下に簡単な略図まで描いてくれた。

 辺境伯はそれを受け取り、上着のポケットに入れた。


「助かったよ。忙しいのに済まなかった」

「このくらい、お安い御用でございます。

 それはそうと、セドリック様はおすこやかでございましょうな?」


「うむ。そういえば、あれも少し背が伸びたようだ。

 また服を仕立てねばなるまい。近々屋敷に来てもらうことになろうが、その時は手紙を出すからよろしく頼む」

「毎度ありがとうございます。

 あの年頃は伸び盛りでございますから、少し大きめに仕立てたほうがよろしいかと存じます。

 去年仕立てた服はいったんお預かりして、丈を直せばまだ着られるでしょう。

 それでは、ご連絡をお待ちしております」


 伯爵は軽く手を上げて帰りかけたが、途中で足を止めて振り返った。

「屋敷に来てもらうのではなく、この店で直接あつらえることもできるのか?」


 トマスはきょとんとした表情を浮かべた。

「それはもちろん。生地選びから採寸まで、何でもやらせていただきます。

 何かお急ぎのものでも?」

「いや、ちょっと聞いてみただけだ。邪魔をしたな」


 伯爵は少し慌てたように言い訳をして、今度こそ店を出ていった。


      *       *


 辺境伯は翌朝も市街へ出かけた。

 ただし、今度は馬車に乗り、メイドも一緒だった。


 朝の身支度の時、主人に供を命じられたミーナは少し驚いていた。

 彼女はまだ三十代で、メイドの中でも新参者であった。

 それでも、出張の供は何度か経験している。

 行き先は白城市や王都が多かった(辺境の領地を視察する場合は、年嵩のメイドが選ばれる)。

 田舎育ちの彼女にとって、それらは憧れの都会であった。


 出張におけるメイドの仕事は、身の回りの世話である。

 朝はその日の服を用意して着せ、帰ってくると上着の埃を払い、シャツや下着は宿の洗濯係に出す。

 入浴時に主人の背中や髪を洗うのも、彼女の仕事だ。

 当然、裸を目にすることになるが、貴族の家ではそれが当たり前なので、お互いに何とも思わない。


 だから伯爵が外出してしまえば、部屋の掃除以外に仕事がない。

 帰りの予定時刻までは、外出しても構わなかったから、見物や買い物のし放題である。

 メイドは基本的に住み込みだから、全員が独身(寡婦や離婚も含む)であった。

 ミーナの場合は、事情があって一度も結婚をしていない。


 霧谷屋敷のメイドになるのは、簡単なことではない。

 高い家事能力に加え、厳しい行儀作法を修めなければならないからだ。

 その代わり、給料は信じられないほど高かった。実家に半分仕送りしたとしても、十分な貯金が残せるのだ。

 伯爵の外出中、可愛らしい小物や菓子類をたくさん買うくらい、何でもなかった。


 ミーナはその楽しみを奪われた不満より、なぜ自分が連れていかれるかの方に興味があった。

 今回の白城市行きは、セドリックの家庭教師を探すためだと聞いている。

 てっきり行き先は口入屋(職業斡旋業)だろうと思っていると、馬車が止まったのは大通りに面した立派な建物だった。

 掲げられた看板には〝シュナイダー商会〟と書かれている。


 伯爵は馬車を降りると、ミーナを連れてその中へ入っていった。

 そこは不思議な空間だった。

 壁一面にさまざまな衣服がかかっている。ドレスやスーツのようなものもあったが、男女を問わず圧倒的に質素な普段着が多い。

 大きなカウンターの先には、テーブルと椅子を衝立ついたてで仕切った商談用のスペースがいくつも並んでいた。


「ここは輸入古着の卸商だ」

 ミーナがきょろきょろしているせいだろう。伯爵が小さな声で解説してくれた。


 二人がカウンターに近づくと、物腰の柔らかい若い女性が、にこにこしながら近づいてきた。

「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件でしょうか?」

 挨拶をしながら、素早く主従に視線を走らせる。

 伯爵の身なりは立派なものである。一流の店であつらえたことは、職業柄ひと目でわかる。

 その背後に控えているメイドの制服もよい生地で作られており、これも特注品だろう。


 応対の娘は、相手が上客であると確信し、とろけた飴のような声を出した。

「失礼ですがお客様、お名前をちょうだいできれば幸いでございます」


「これは失敬。私はネロ・クリスト伯爵だ。人は辺境伯と呼んでいる。

 約束もなしで申し訳ないが、この店の主人に会いたいのだ」

「しょ、少々お待ちください!」


 受付の娘は顔色を変え、すっ飛んでいった。

 奥へ向かう途中、同僚の腕を捉まえて耳打ちをする。

『あのお客様を応接へご案内して!

 一番いいお茶を出すの! そうよ、あの高い奴!

 だっても糞もないわ! あの方、クリスト辺境伯よ!!』


 辺境伯とミーナは奥まった応接に通された。

 商談用の簡易な間仕切りと違って、ちゃんと壁で囲まれた部屋である。

 伯爵は舶来品のソファに腰を下ろすが、ミーナはその後ろで立ったままだ。


 ここまでくると、彼女も自分の役割が理解できた。

 伯爵も初めての訪問なのだ。辺境伯だと名乗っても、それを証明する手だてはない。

 自らの身なりと態度、そしてよくしつけられた使用人を見せつけることで、相手を信用させるのである。


 二人は五分ほどしか待たされなかった。

 慌てた様子で入ってきた男は、まず伯爵に向けて深々と頭を下げた。


「このようなむさくるしい所に、高名なクリスト辺境伯様にお越しいただいたのは、私どもの名誉とするところです。

 私はこの商会の代表をしております、フランツ・シュナイダーと申します。どうかお見知りおきをお願いいたします」

「いや、こちらの方こそ、突然押しかけて悪かった。非礼を許してくれ」


「とんでもございません。

 それより、本日はどのようなご用でお越しいただけたのでしょうか?

 恐れながら、私どもはしがない古着商でございます。辺境伯様のお役には立てないのでは……」

「ああいや、商売の話ではないのだ。

 フランツ殿にはイレーネという娘ごがいると承知しているが、間違いはないかね?」


「はい、確かにイレーネは私どもの長女でございます」

「そうか。実はイレーネ嬢には、最近まで息子の家庭教師を務めてもらっていたのだ」


「なんと、そうでございましたか!

 娘からは四年前、さる貴族のご子息を教えることになったと便りがありました。

 本来ならば、その時にご挨拶に伺わねばならぬところでございますが、どなたのお屋敷かも書いておりませなんだ。

 さぞかし礼儀を心得ぬ親だと、辺境伯様には呆れられたことでしょう」

「いや、それはこちらの台詞せりふだ。

 イレーネ嬢は、ご実家のことをあまり話してくれなくてな。

 そなたに礼状のひとつも送るべきところ、そんな事情で果たせなかったのだ」


 お互いの言い訳に、フランツはようやく笑みを浮かべた。

「まったく、わが娘ながらあの強情さには困り果てております。

 あれ(・・)は結婚して以来、かたくなに私どもと関わることを拒絶しております。

 数か月前、突然顔を見せたと思ったら、『家庭教師を辞めてきた』としか言わず、たった数日でまた出ていきました。

 それで辺境伯様がいらしたということは、あの……ひょっとして、娘は何か不始末をしでかしたのでしょうか?」

「いや、むしろ逆だ。イレーネ嬢は実によくやってくれたのだ。

 彼女が辞めるに至った原因は、すべてこちらにある。

 私はそれを謝罪して、戻ってくれるよう説得したいのだが、いかんせん彼女の居所が分からぬ。

 ご両親ならばご存じかと思って、失礼を顧みず訪ねてきた次第だ」


      *       *


 商会を出た伯爵とミーナは、待たせてあった馬車に乗り込んだ。

 伯爵はフランツから教えてもらった住所を御者の男に伝えた。


「では、こちらへ向かえばよろしいのですね?」

「そうなのだが、しばらく待ってくれ」


 伯爵は窓から首を引っ込め、向かいの席のミーナに顔を向けた。

「話を聞いていたから分かるだろうが、私はイレーネ女史に戻ってもらえるよう頼むつもりだ」

「はい。それがよろしいかと思います。

 セドリック様は、イレーネさんにことのほか懐いておられました。

 私どもも、急に辞められたことを残念に思っていました」


「まぁ、それにはいろいろあってな。

 とにかく、私としてはこの話をうまくまとめたい」

「さようでございましょうとも」


「それでだな……その、お前に教えてほしいことがあるのだ」

「何でございましょう?」


「つまりその、お前とイレーネ女史は、確か同じような年齢であったな?」

「はい」


「いいか、これは例えばの話だ。お前に仲のよい男性の友人がいたとする」

「残念ながら、そのような殿方はおりません」


「だから〝例えば〟だと言っているだろう。

 その友人が、心ない言葉でお前を傷つけたとする。いや、男に悪気はなかったのだ」

「はぁ……」


「その男は悪かったと思い、お前に謝るつもりで訪ねてきた。

 だが、お前はまだ怒っているだろうから、どうにか機嫌を取りたいのだ。

 こうした場合、手ぶらで行くよりも、何か手土産を持っていった方がよいと思うのだが、どうだろうか?」

「まぁ、何もないよりはよいでしょうね」


「その場合、お前のような年頃の女性は、何を贈られたら嬉しいのだろうか?」

「それは私ではなく、イレーネさんのことだと理解してよろしいでしょうか?」


「む……あくまで例えばの話なのだが……まぁ、それでも構わん」


 ミーナは我慢ができなくなって、身体を屈めて笑い出してしまった。

「も……申し訳ございません。

 ですが、それならそうと、最初からそうお訊ねになってくださいまし」


 彼女は上体を起こし、目尻の涙を拭った。

「そうですねぇ……私でしたらお菓子で機嫌を直しますけど、イレーネ先生は甘い物を控えていらっしゃるようでした」

「ほう、彼女は甘い物が嫌いであったか」


「そうではございません。殿方は察しが悪すぎます。

 とにかく、こうした場合はお花が無難でございましょう」

「花……でよいのか?」


「はい。きれいなお花で心が和まぬ女はおりません。

 お二人の間がぎくしゃくしておられる今は、あまり親し気な物はかえって逆効果です。

 お花がちょうどよいかと存じます」

「なるほど。どんな花がよいのだ?」


「種類は何でも構いません。ただし、ひとつ条件がございます」

「何だ?」


「伯爵様がご自身でお持ちになり、直接手渡すことでございます。

 間違っても、私に持たせて一緒に来いなどとお命じなってはなりません」


「駄目なのか?」

「なりません」


「だが、男が花を抱えて女性を訪ねるなど、芝居に出てくる色男みたいではないか?

 それはちと恥ずかしいな」

「その恥ずかしさの分だけ、お花の価値が上がるのです」


      *       *


 かくして、馬車は大通りの花屋に寄ることになった。

 ミーナは渋る伯爵を引きずっていき、てきぱきと指示をして、花屋に大きな花束を作らせた。

 見事に咲き誇った真紅の薔薇である。


 花屋は美しい包装紙で棘を取り除いた茎をくるみ、薔薇と同じ真紅のリボンで飾り結びをつくった。

 ミーナはそれを受け取ると、大事そうに胸に抱えて馬車に戻った。

 伯爵も乗り込んで扉を閉めると、狭い空間はたちまち甘い香りでいっぱいになった。


 豪勢な花束に埋もれたミーナは、うっとりと目を閉じていた。

 こんな派手な花束を抱え、一人暮らしの女性を訪ねるのかと思うと、伯爵の心には羞恥心が湧き出してくる。


「お前はさっき、私自身が抱えていかねばならんと言ったではないか」

 メイドは目をぱちりと開くと、主人の抗議をあっさりと却下した。


「イレーネ様のお住まいに着くまででございます。

 伯爵様は、それまでにお覚悟を決めてくださいませ。恐れながら、まだお迷いになっているようにお見受けいたしますよ。

 骨はミーナが拾って差上げます。心置きなく出陣なさいませ!」

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ミーナさん、察し良い~のナイスキャラクター(^^)d こうなってくると、独り身の事情も気になってきます!
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