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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
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十六 家庭教師探し

「本当に……よいのだな?」


 解放されたミラージュの、それが去り際に残した言葉だった。

 シルヴィアは苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

 辺境伯は複雑な表情だったが、セドリックはにこにこして手を振っていた。


 妖精が姿を消すと、セドリックはメイドに付き添われて子ども部屋に戻され、応接にはシルヴィアと辺境伯の二人だけが残された。


「さて、それでは説明してもらおう」

 口を開いた伯爵の表情は、心なしか強張っているように見えた。


「ご子息に魔力があるだろうことは、早い段階で予測できていました。

 伯爵もご存じとは思いますが、現在わが国は、魔導士の養成に力を入れております」


 シルヴィアの前置きに、伯爵もうなずいた。

「その件については、二十年も前から女王陛下が何度も口にしておられた。

 陛下は実権を握られて以来、経済官僚の反発を押し切って軍の拡張を進めてこられた。

 帝国の脅威が日々深刻になる以上、それは当然のことだ。

 しかし、いたずらに規模を拡大するだけでは、とてもあの軍事大国には対抗できない」


「そうですね。もともとわが国は召喚士の力に頼り過ぎていましたから」

「ああ、軍の定数に合わせて召喚士も増やせるのなら、それで問題はない。

 だが、現実はどうだ? すべての国民を検査しても、召喚士の適性を持った子どもは年に十人も見つからない。

 大きな戦力となる国家召喚士に至っては、二年に一人生まれればいい方だ。

 国軍十万人体制の目標には、とても間に合わないのは明らかだ。

 それならば帝国やケルトニアのように、魔導士を量産して戦力の要とするしかないのだ。陛下の取り組みは、むしろ遅すぎるくらいだった」


「魔導院に魔導士課程が新設されたのは十年余り前、私がまだ在学中のことでした。

 科が違うとはいえ、合同の授業もありましたし、同じ寮で生活する仲間です。私のルームメイトも魔導士の候補生でした。

 ですから、魔導士の適性を持つ者がどんな人種かは、よく知っているつもりです。

 彼らはおしなべて知能が高く、特に計算能力が常人とはかけ離れています」

「セドリックもその範疇に入るということか?」


「ざっくり言えば、そのとおりです。まぁご子息の場合、極端過ぎるのですが……。

 それと彼が谷から帰った後、疲労で眠り続けたという話も、その傍証となりました。

 魔導士は魔力切れを起こすと身動きができなくなり、昏睡状態に陥ります。

 セドリック様は試練だと騙され、犯人に限界近くまで魔力を奪われたに違いない。

 私はそう考え、そこから事件の構図を考えていきました」

「なるほどな……。それで、セドリックはこの先どうなるのだ?」


「ご子息のことは、すでに軍に報告しております。

 遠からずケイト・モーリス少佐が、この屋敷を訪ねてくると思います。

 彼女は人材発掘の担当者で、自身も優れた魔導士です。

 ご子息に魔導士の適性ありと判断されれば、その道へ進むよう勧誘が行われるでしょう」

「具体的には?」


「十二歳をもって、王都の魔導院に入学することになります。

 魔導院は全寮制ですから、十八歳までお会いすることもできなくなります。

 卒業時に正式な魔導士の資格が与えられれば、自動的に軍務に就くこととなるでしょう。

 もちろん、これは強制ではありませんし、まだ五年近くの時間があります。

 それまでにご子息とよく話し合い、決断されればよろしいのです」


 辺境伯は深い溜息をついた。その顔には、苦笑いが浮かんでいる。

「話し合う――か、結果など見えているがな」

「と、申されますと?」


「私はあれ(・・)の父親だぞ?

 あの小さな身体には、抑えきれないほどの好奇心が詰まっている。

 今はたまたま、勉学がその捌け口になっているに過ぎないのだ。

 その目の前に、魔導という未知の餌をぶらさげてみろ。あっという間に喰いつき、夢中になるのが目に見えている。

 断言するが、そのケイトとかいう女が帰った瞬間に、あれは私に懇願するだろう。

 手に入る限りの魔導書を取り寄せてくれと。

 そして、魔導院に入学するまでには、いっぱしの魔導士気取りになっているはずだ」

「つまり、説得は無駄だと?」


「君は何か勘違いしているようだ。

 わが伯爵家は、あまたの武人を輩出してきた家系だぞ?

 息子が軍人として国家に奉仕することは、名誉以外の何ものでもない」

「ですが、ご子息は唯一の跡取りですよね?」


「何も軍人になったからといって、必ず死ぬと決まったわけではあるまい?

 たとえそうであったとしても、私は息子を誇りに思うだろう。

 もともとこの家は、甥を養子にして継がせるつもりだった。どうということはない」

「でも、魔導院に入ったら、もうまともに会えなくなるのですよ。

 この広いお屋敷に一人というのは、お淋しいのではありませんか?」


「私を侮辱するつもりかね?

 君も貴族の娘なら、矜持きょうじというものを理解しているはずだがな」

「失礼いたしました」


 これ以上、この問題に口を挟むのは、明らかに悪手であった。

 シルヴィアは話題を変えた。


「取りあえず、事件は一応の解決を見ました。

 ご子息の護衛と事件の調査という任務は、終了したものと承知いたします」

「うむ、その点については大いに感謝している」


「残る私の役目は家庭教師だけなのですが、上からは最低でも一か月は務めるよう言われております。

 そうなると、残る期限は二週間ほどとなります。代わりの目途は、つきそうでしょうか?」


 伯爵は再び溜息をついた。

「その条件を出したのは私だからな、もちろん分かっている。

 だが正直に言って、まったく見通しが立っていない。

 大学出の人物で、家庭教師をしている者などめったにいないのだ。

 ましてや、こんな何もない田舎で住み込みとなれば、いくら高給を出してもなり手がいない」

「もう少し、条件を緩めてはいかがでしょう?

 大学出というのは、さすがに……」


「分かっている。だがその辺の教師に、あれを教えることができるだろうか?

 君も実際に相手をしているのだから、私の言う意味が理解できるはずだ」

「まぁ、確かにそうですね」


 シルヴィアは苦笑せざるを得ない。優秀すぎる生徒にも限度というものがある。

 セドリックの教師が務まるのなら、大学の教壇にだって立てるだろう。


「その点、臨時とはいえ君はよくやっているよ。

 何しろ、あのセドリックが認めているのだからね」

「それはどうも。

 あの、差し出がましいのですが、イレーネさんに戻ってもらうことは、難しいのでしょうか?

 彼女が辞めたのは、ミラージュが見せた幻影のせいです。

 その原因が取り除かれたのですから、事情を話せば分かってもらえると思うのですが……」


「それはそうなのだが、複雑な事情があってね。

 まぁ、私も家庭教師探しに本腰を入れるつもりだ。明日にでも白城市に発とう。

 息子のことは頼むぞ」


 伯爵はイレーネが辞めた〝事情〟とやらには、触れてほしくないらしい。

 やや強引な話の幕引きに、シルヴィアは「お任せください」と、引き下がるしかなかった。


 翌朝、辺境伯は馬車を仕立てさせ、供に一人のメイドを連れ、白城市に向けて旅立った。

 見送るセドリックと使用人たちには、こう言い残した。

「一週間の予定だが、場合によっては数日延びるかもしれない」


 それに対して、セドリックはくったくのない笑みを浮かべた。

「どうかお心のままに。僕は父上を信じています」


      *       *


 ざあっという音とともに、雨の音が聞こえた。

 イレーネは読みかけの本に栞を挟んで立ちあがり、外の様子を窺った。

 二階の窓からは、急な夕立に降られて右往左往する、通りの人々が見下ろせる。


 ふいに風が吹き込み、イレーネの顔に雨粒が打ちつけらた。

 彼女は慌てて鎧戸を下ろした。

 部屋が薄暗くなったので、ランプをテーブルの上に移し、エプロンのポケットからハンカチを出した。

 顔についた水滴を拭ってから椅子に座り、湿ったハンカチを広げた。


 ありきたりな白い木綿生地だが、可愛らしいレースの縁飾りがあり、隅には彼女のイニシャルが刺繍されている。

 それは去年の誕生日に、セドリックが贈ってくれたものだった。


「夕飯、何にしようかしら?」

 彼女はぼんやりとつぶやき、小さな台所の方に目をやった。

 まだ竈に火も入れていなかった。暗く寒そうで、当然ながら誰もいなかった。


 ここは白城市にある、アパートメントの一室である。

 石造りのしっかりとした建物だが、独身者向けの小さな部屋が並んでいる。

 それでも狭く感じないのは、彼女の家財が極端に少ないからだ。


 イレーネがこの部屋に越してきてから、もう四か月が経つ。

 霧谷屋敷を辞し、生まれ故郷の白城市に戻ってすぐに契約したのだ。

 もちろん、実家には最初に顔を出した。

 老いた両親は温かく彼女を迎えてくれた。


 家庭教師を辞めたことを打ち明けても、両親はそれほど驚かずにむしろ喜んだ。

 娘が昔のように、一緒に暮らしてくれると思ったからだろう。

 だが、彼女は翌日には不動産屋を訪ね、三日目には部屋を決めてしまった。


 別に両親と不仲というわけではない。

 だが、彼女が結婚する際にちょっとしたごたごたがあり、イレーネは親の援助を受けないと決めてしまった。強情な性格は生まれつきである。

 そのため、不幸な事故で夫と子を亡くし、寡婦となった時も、裕福な実家には一切頼らなかった。


 夫はそれなりの財産を遺してくれたし、三年近い家庭教師生活のおかげで、生活には余裕があった。

 なにしろ霧谷屋敷は田舎である。お金の使いようがない上に、家賃も食費もかからない。しかも、伯爵家が提示した報酬は、相場の数倍であった。


 したがって、今の彼女は慌てて職を探す必要がない。

 もちろんその気になれば、大学出という学歴である。家庭教師の口などいくらでも見つかるはずだった。

 それなのに、この四か月というもの、イレーネは何もせずに漫然と時を過ごしていた。

 どうしてもセドリック以外の子を、教える気にならなかったのだ。


 初めて四歳の彼に会った時、彼女は心底驚いた。

 見るからに賢そうな少年は、読み書きどころか、すでに四則計算まで覚えていたのだ。


 セドリックに教えるということは、乾いた砂漠に水を撒くようなものだった。

 あっという間に水差しは空となり、少年は貪欲に次の一杯を要求し続けた。

 イレーネは、張った乳房を吸われるような強烈な快感を覚え、その虜となってしまった。


 夢中になって持てる知識を教え込んだ結果、彼女は怪物を育て上げたことに気づいて恐怖した。

 それでも、教えるのを止めることはできなかったのだ。

 あの眩しいような才能を、あの痺れるような快感を知ってしまった今、どうしてほかの子に教えるという気を起こせるだろう?


 テーブルの上には、ハンカチが広げられたままだったが、その脇に水滴がぽつんと落ちた。

 うつむいたイレーネの目から涙が溢れ出し、鼻先に雫が溜まっている。

 彼女は両手で顔を覆い、かすれた声でつぶやいた。


「どうして……あんなことをしてしまったのかしら」


      *       *


 辺境伯が白城市の南門を潜ったのは、翌日の夕方であった。

 途中の町で一泊して、二日で着いたのだから早い方だ。


 馬車は大通りをゆっくりと進み、中心部にほど近い立派な宿の前で止まった。

 ここは白城市における伯爵の定宿で、馬車の紋章を見た若い衆がすぐさま駆け寄り、積まれた荷物を運び出す。


 世話係のメイドを連れて宿の中に入ると、待っていた主人夫妻が深いお辞儀をした。

「これはこれは、クリスト伯爵様。珍しい時期にお越しでございますな」

「うむ、予約もせずに申し訳ないが、部屋は用意できるか?」


「もちろんでございます。ただいまご案内いたします」

「いや、私は所要があって、それを済ませてくる。

 一時間もかからずに戻るから、ミーナはその間に荷物を片付けておいてくれ。

 終わったら、自分の部屋(高級宿には使用人専用の部屋があった)で休んでよい」

 辺境伯はメイドにそう言いつけ、一人で外に出ていった。


 彼の目的地は、宿から徒歩で十分ほどしかかからない。

 そこは老舗の洋装店で、伯爵家が代々贔屓にしているところだった。

 伯爵が扉を開けて中に入っていくと、応対に向かおうとした若い女店員を押しのけ、店主がすっ飛んできた。


「おお、何ということだ!

 伯爵様がわざわざ足をお運びになるとは、もったいないことでございます」

「トマスも息災そうで何よりだ。

 もう閉めたのではないかと不安だったが、間に合ったようだな」


「とんでもないことでございます。

 最近は不景気でございますから、日がとっぷり暮れるまで見苦しく粘っている始末でして。

 ――それで、本日は何かお求めでしょうか?」

「いや、すまんが野暮用だ。ちょっと教えてほしいことがあってな。

 トマスは同業者には詳しいか?」


「はい、それはもう、古いだけが取り柄でございますから、それなりの業者でしたら存じております。

 誰の店でしょうか?」

「それが、名前は知らないのだ。

 古着の輸入と卸を手がけていて、かなり手広く商いをしているようだ」


 店の主人の表情に困惑の色が浮かんだ。

 何しろ王国では、昔から古着の流通が一大産業となっている。

 帝国から(最近はケルトニアからも)大量の古着を輸入し、それを選別、補修して卸す。それを小売商が都市住人に、行商人が農民に売り届けるのだ。

 国内最大の商業都市である白城市には、それこそ掃いて捨てるほどの業者が存在していた。


「あの、伯爵様。大変申し訳ないですが、それだけでは……」

「話は最後まで聞け」

 辺境伯は苦笑いを浮かべ、せっかちな店主を戒めた。

 そして、こう付け加えたのだ。


「その商人には三十代になる娘がいる。それが女の身で大学を出ているのだ。

 名はイレーネという」

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