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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
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十五 処遇

「僕に魔力……それってつまり、僕は魔導士になれるってことですか?」

 セドリックも呆然とした表情を見せた。


 事件の説明どころではなくなりそうで、シルヴィアは慌てて軌道修正を図る。

「ええと、その件に関しては、ちょっと複雑なんです。

 今まで黙っていたことは謝りますが、後で伯爵と二人きりで詳しい説明をするつもりです。

 それをご子息にどう話すかは、父親である伯爵が決めることになるでしょう。

 私の言う意味、分かりますか?」


 辺境伯はハッとしてうなずいた。

 ことはセドリックの将来にも関わることだ。場合によっては、明かさない方がいい話もあるだろう。


「承知した。この問題はいったん置いておこう。

 妖精殿、話の邪魔をして悪かった。続けてくれ」


 ミラージュはふんと鼻を鳴らし、少し見下したような笑いを浮かべた。

『龍の世界にもいろいろあってな、彼らには正統といわれる種族がある。

 黒龍、白龍、赤龍、蒼龍の四族で、それこそが〝本物の龍〟なんだそうだ。

 それ以外の……そうだな、緑龍や黄龍、東洋龍などは一段下に見られている。

 正統四種には、彼らの能力を高めるための糧とするため、特別に育てられた種族が仕えている。

 緑龍たちにはそれが与えられないから、魔力を持つエルフや人間、ドワーフなどを襲って喰う事件が絶えないのだ』


 ぎょっとした表情を浮かべる辺境伯を見て、妖精は少し気分をよくしたようだった。

 彼女が見せた幻影の脅しが、確実に効いているという証拠だったからだ。


『喰うというのは比喩的な意味だ。本当に頭からボリボリと噛み砕くわけではない。

 相手から精神だけを引き剥がし、それを吸収するということだな。

 私がこの少年を見つけたと報告したところ、緑龍は当初、彼を食わせろと要求してきたのだ。

 龍が言うように、少年が脳内に思い描く母親の幻で騙し、谷まで連れ出すことは可能だったと思う。

 だが、私が故郷に帰るために、無関係な人間の命を奪うのは、さすがに気が引けてなぁ……』


『それで、私は緑龍と何度も交渉し、少年の魔力を大量に捧げることで、どうにか納得させたのだ。

 父親を脅して月に一度少年を谷に呼び寄せ、私が彼の魔力を限界ぎりぎりまで吸い取って帰す。

 私は次のさくに、その魔力を緑龍に捧げる――それを一年続ければ、緑龍の力は確実に増すということだ。

 お前たち人間にしてみれば、気の長い話に思えるかもしれないが、数千年の寿命を持つ龍にとっては何でもない。

 結局その計画は、こうして水泡に帰してしまったがな……』


「ということは、契約が中断したことを知った緑龍が、霧谷に出現してセドリックを襲うとは考えられないか?」

 辺境伯が強張った表情で訊ねた。それは、彼が最も恐れる結末である。

 だが、ミラージュは笑みを浮かべて首を横に振った。


『それはない。龍たちには厳しい掟があるからだ。

 彼らに仕え、最終的に吸収される人間もどきの種族は、エルフが人工的に生み出したものだ。

 その代償として、龍族は魔力を持つ知的生命を襲わないと誓約した。

 理不尽な話だが、正統四族の龍は自分たちだけがその恩恵に浴しながら、その他の龍族にも誓約を順守させたのだ。

 それに反発して守らぬ者もいるが、多くは見つかって殺されてしまう。相手が異世界の人間なら、確実に露見するだろう。

 緑龍はそれくらいの損得勘定ができないほど、馬鹿ではないのだよ』


      *       *


『さて、私の話はこれでお終いだ。

 何か知りたいことがあるなら、遠慮なく訊くがいい』


 真っ先に手を上げたのは、シルヴィアである。彼女には、どうしても確かめたいことがあったのだ。


「伯爵宛の脅迫状は、あんたが届けたの?」

『そうだ。郵便受けが見張られていても、認識阻害をかければ造作もないことだ』


「その封筒や便箋はどうやって手に入れたの?

 そもそも妖精のあんたは、人間の文字が書けないでしょう?」

『封筒と便箋は、近くの街道を通りかかった行商人から拝借したものだ』


「盗んだってことね?」

『そうともいう』

「じゃあ、脅迫文は誰が書いたの?」

 シルヴィアがさらに迫る。これは人間の協力者がいなければ、成しえないことなのだ。


『そうだな……。その手紙は保管しているのか?』

「当然でしょう」

『ならば、持ってきてみろ。実際に見てもらった方が話が早い』


 辺境伯はシルヴィアの視線にうなずき、立ち上がって部屋を出ていった。

 そして数分後に戻ってきて、テーブルの上に三通の封筒を並べた。


『その手紙とやらを見せてみろ』

「これを見て、何が分かるというのだ?」


 伯爵はそう言いながら、封筒から折りたたまれた便箋を引き出し、それを広げた。

 だがその瞬間、彼の手は凍りついたように動きを止めた。

 それは最初の脅迫文で、何度となく読み返したもの――のはずだった。


『はて、私には何も書いていないように見えるがな』

 妖精がくすくすと笑い、辺境伯とシルヴィアは顔を見合わせ、改めて便箋に目を落とした。

 目の前にあるのは、インクの染みひとつない真っ白な便箋だったのだ。


「どういうこと? 説明してちょうだい!」

 険しい表情でシルヴィアが妖精に詰め寄る一方で、伯爵は慌てて他の手紙を確かめた。

 広げられた二番目も三番目も、何も書かれていない白紙の便箋だった。


 ミラージュは愉快そうな笑い声を上げた。

『どうもこうもない。お前は私を誰だと思っているのだ?

 私は龍だろうと人間だろうと、何でも出すことができる。

 手紙の幻影を見せるくらい、造作もないと思わないか?』

「でっ、でも! 元になる手紙を見なければ、幻は出せないんじゃないの?」


『そのとおりだ。

 だから私は、自分が伝えたい意志を封じた紙の幻影を作った。

 その意思を感じ取ったお前たちが、勝手に文字化して認識しただけだ』


「そんなことが……」

『なぜできないと思う? 理屈は通っていると思うがな。

 ほら、もう一度手紙を見てみろ』

 シルヴィアが便箋に視線を戻すと、そこには見覚えのある筆跡で、脅迫の文章が鮮やかに浮かび上がっていた。


『実際の便箋に幻影を重ね合わせるのは、そう難しい技術ではない。

 幻影には実体がないから、触られればすぐにバレるのが弱点だが、これなら完璧に騙せるだろう?』

「……」

 シルヴィアは黙り込んだ。言いたいことはあったが、今はその時ではないような気がしたのだ。


 しばらくの沈黙の後、辺境伯が再び質問した。

「私の息子は、母親そっくりの人物を見たと言っていたが、それも君が見せた幻なのか?」


『そうだ。こんな感じだな』

 ミラージュがそう答えると同時に、伯爵の眼前に忽然と女性が姿を現した。

 それは階段の踊り場に掲げられている、セドリックの母アンジェリカの姿そのものだった。

 身に着けたドレスや装身具も絵そのもので、幼さを宿した柔らかな笑顔も、見事に再現されている。


「お久しぶり。あなたもお元気そうですね」

 その幻は落ち着いた声を出して、軽く膝を曲げるカーテシーと呼ばれる礼をしてみせた。


 辺境伯は口を半開きにしたまま、目を丸くしている。よほどの衝撃だったに違いない。

 だが、その言葉は予想外のものだった。

「君は……アンジェリカではない。何者だ?」


 その幻影は、シルヴィアの目には肖像画そっくりに見えた。

 セドリックも同じ思いらしく、父親に訝し気な視線を送った。

 その一方、ミラージュは伯爵の反応に納得したようだった。


『ほう、そうか……なるほどな。

 この女は、そなたの息子が頭の中で描いていた姿だ。

 いわば、空想の人物だな。やはり、実際とは違いがあるのか?』

「ああ、アンジェリカはもっと小柄だったし、顔はそっくりだが、雰囲気に微妙な違和感を覚える。

 第一、声が全然違う。あれはもっと高い、小鳥がさえずるような喋り方をする。

 さっきの声は、……そう、まるでイレーネ女史のようだった」


 アンジェリカは、セドリックを産み落として間もなく亡くなった。

 したがって、少年はその生の声を聞いたことがない。姿は肖像画で想像できても、声の方はどうしようもないのだ。

 そのため想像上の母親の声が、何年も側にいていつくしんでくれた、家庭教師のイレーネに似てしまったのは、むしろ当然のことであった。


「もういい、不愉快だ」

 辺境伯は嫌悪感を隠さなかった。

 ミラージュは苦笑いを浮かべ、偽りのアンジェリカを消し去った。


「では、セドリックが持ち帰った証拠の品は、君が持ち出したのかね?」

『そうだ』


「他はともかく、最初の腕輪を入れていた箱には、鍵がかかっていたはずだが?」

『私がどれだけ準備に時間をかけたと思っている?

 この屋敷のことは半年以上、子細に観察してきたのだ。鍵のありかを探るのは、そう難しくはなかったぞ』


「イレーネ女史を追い出したのも、君の仕業か?」

『ああ、あの家庭教師は邪魔だった。

 いつも少年の側にいて、私が近づこうとすると無意識に割って入るのだ。

 人間の中には、時々勘の鋭い者がいるものだが、あの女もそうだった』


「それで、彼女を脅したのだな?」

 辺境伯の言葉には、少し怒気が混じっていた。


『最初は深夜に目覚めさせ、恐ろしい姿の怪物に〝出ていけ!〟と脅させた。

 だが、女は怯えはしたものの、夜が明けると平然としていた。

 困った私は眠っている女の頭の中を探り、その心の傷を探り出した。

 女を後悔とともにさいなんでいたのは、もう何年も前に亡くした夫と子どもであった。

 私はその姿を見せつけ、女をなじってやった。

 〝この家に取り入って、母親に収まるつもりか?〟とな……』


「何という残酷なことを……」

 伯爵が呻き、セドリックは思わず下を向く。


『こういうやり方は、私としても本意ではなかった。

 だから、やったのはたった一度きりだ。

 しかし、これが予想外に効いたのだ。女は沈み込むようになり、次第に元気をなくしていった。

 そして家庭教師を辞め、都会に帰ってしまったのは、お前たちも知ってのとおりだ。

 その際、もう一つ意外だったのは、そなたの態度だ』

 ミラージュはそう言って、辺境伯を指さした。


「私が……何をしたというのだ?」

『違う。お前は何もしなかっただろう?』


「そんなことはない、私は引き留めたぞ!」

『ああ、上辺だけの言葉ならな。〝息子のために残ってくれ〟だったか?

 だが、その頃の私は、女の頭の中をいつも探っていたから、よく分かるのだよ。

 あの女は、心の片隅でもっと違う言葉を期待していたぞ。その意味は分かるな?

 なぜ、それを言ってやらなかった?』

「それは……」


 妖精の言葉は、伯爵の心に深く刺さったようであった。

 シルヴィアには、何となくこの会話の意味が分かったが、ここで口を挟むほど、彼女は馬鹿ではなかった。


『さて、ほかに質問はあるか? 私はすべてに答えたつもりだ。

 そこの召喚士が言う、魔導院とやらに連行したいのなら、好きにするがいい。

 どうせ故郷に帰る望みは断たれたのだ。私は自分の身に何が起ころうとも、もう露ほども関心がない』


 辺境伯は疲れた表情で首を左右に振り、シルヴィアの方を見た。

 嫌な役目が回ってきたものである。


「分かりました。では、明日一日だけお休みをいただきます。

 王都にミラージュを送り届けてまいります。

 彼女は再び封印し、カー君に監視をさせましょう。そのうえで――」


「待ってください!」

 それまでほとん喋らなかったセドリックが、突然シルヴィアの話を遮った。


「どうしたの?

 いろいろと驚くような話ばかりだったけど、あなたはもうベッドに入る時刻よ」


「だからその前に、僕は父上に話をしなければなりません」

「何だ、言ってみろ」

 辺境伯は真剣な息子の表情に、少し戸惑っているように見えた。


「父上は『嘘は人として最も恥ずべき罪だ』と、僕に厳しく言い聞かせていたはずです。

 それなのに、父上は僕に嘘をつきました」

「だからそれは、お前の身を案じてのことだと説明したし、きちんと謝ったではないか」


「その事情は僕も理解しています。でも、それで父上が嘘をついたという事実は覆りません。

 ですから、父上は僕に償いをすべきだと思います」

「ふむ……では、私は何をしたらいいのだ?」


「僕の願いをひとつ、聞いていただきます」

「よかろう、約束しようではないか。ただし、私にできることであれば、だがな」


「簡単です。僕の願いとは、この妖精を故郷に帰してあげることです」

 辺境伯もシルヴィアも、そしてミラージュまでもが、驚いてセドリックの顔を見詰めた。


「な……何を馬鹿なことを言っている!

 嘘というならこの妖精こそ、お前を騙して利用しようとしたではないか?」

「彼女は脅すだけで、誰にも危害を加えませんでした。

 もちろん、父上に心配をかけたり、村の人が警備をするはめになったり、それとイレーネ先生には酷いことはしました。

 でもそれは、故郷に帰りたくて必死だったからと思えば、許してあげられると思うんです」


「それはそうかもしれんが……。私たちにそこまでする義理はないと思うぞ」

「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず――父上が教えてくださった俚諺ことわざです。

 それこそ貴族のあるべき態度だと、おっしゃったのは父上ではありませんか?」


「だが、そのためには……」 

「はい。残りの九か月もこれまでと変わらず、儀式を行えばいいのですよね?

 別に魔力を吸われるといっても、ちょっと疲れるだけで、次の日に寝坊すれば元気になれるんです。

 僕の方はどうってことありません。

 それにこの妖精は、仮初かりそめではあっても、僕にお母様を会わせてくれたんですよ?

 王都に送って実験材料にされるなんて、父上だって寝覚めが悪いのではありませんか?」


 辺境伯は何か言い返そうとしたが、やがて溜息をついて肩を落とした。

 そして、苦笑いを浮かべながら、シルヴィアの方を見た。


「聞いてのとおりだ。

 私はセドリックに願いを叶えると約束してしまった。

 君の骨折りには感謝するが、この妖精を解放してやってほしい」


 シルヴィアは、この妙に堅苦しい父子に微笑みかけた。

「私もそれでよいと思います。

 どう、ミラージュ? あんたも異存はないわよね?」


 妖精は少し首を傾げ、皮肉めいた笑みを浮かべた。


「不満があるわけないだろう。

 それにしても……人間とはおかしな生き物だな」

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