十四 捕獲
シルヴィアが霧谷屋敷に戻ったのは夕方も遅い時刻だったが、どうにか晩餐には間に合った。
セドリックはもう起きていて(昼過ぎまで寝ていたらしい)、少し気怠そうに見えた。
食事が終わり、セドリックが子ども部屋に入ったのを確認し、シルヴィアは辺境伯と話し合いを持った。
伯爵によると、三度目の儀式もこれまでと特段変わらなかったらしい。
今回セドリックが持ち帰った証拠の品は、銅製のねじだった。
それは屋敷のリビングに据えられた大きな柱時計のもので、毎正午にメイドが発条を巻くのに使っているものだ。
普段は振り子の扉裏に下げられているのだが、伯爵が確認してみると、それが消えていた。
前日の昼にメイドが使っているから、セドリックが谷に向かう朝までの間に盗まれたということだ。
母親に化けた女は、今回もセドリックにいろいろな質問をしたそうだが、そのほとんどがシルヴィアとカー君に関することだったという。
女が軍人で召喚士でもある家庭教師を疑い、警戒しているのは明らかだった。
ただセドリックは、シルヴィアが自分の警護と事件調査のために来たことを知らない。
あくまで父親の友人である貴族の娘で、屋敷に滞在する礼として家庭教師を引き受けたのだと思っている。
「――ということで、セドリックに関しては、目新しいことは起きなかった。
君の方は、王都で何か収獲があったのかね?」
伯爵の質問に、シルヴィアは笑顔を見せた。
「はい。犯人を捕らえる方策が整いました。
ただし、今すぐというわけにはまいりません。次の満月までお待ちいただきます」
「十五日ということは、あと六日か。いや、思ったよりも早いな。
前にも仄めかしていたが、それで事件は解決するのだな?」
「はい。犯人さえ取り押さえてしまえば、少なくともご子息の霧谷行きは止められます。
緑龍の脅しは、まず間違いなくはったりですから、心配はいりません。
事件の全容解明は、犯人が素直に供述するかどうかですね」
「その犯人というのは、人間ではないのだろう。話が通じる相手なのか?」
「それは大丈夫です。最悪でも、うちのカー君とは意思疎通できるはずです」
「なるほど。では、その犯人を捕まえたとして、取り調べた後はどうなるのだ?」
「人間に害を及ぼした幻獣ですから、魔導院に引き渡します。
審問官たちにとって、さぞ弄りがいのある玩具となるでしょうね」
シルヴィアは犯人を割り出し、その捕縛にも目途をつけている。
それでも伯爵に詳細を明かさないのは、犯人があまりにこの家の事情に精通しているからだ。
カー君が常に側にいる以上、ミラージュが近づくことは不可能なはずだ。
それにも関わらず、妖精はシルヴィアたちの出現に早い段階で気づき、情報を得ようとしている。
どういう方法で探っているのか不明な現段階では、うかつなことを口にすべきではなかった。
* *
その後しばらくは穏やかな日々が続いた。
シルヴィアはセドリックの教育に熱を入れる一方で、空いた時間には村や森を散策して、のどかな田舎の風景を楽しんだ。
絶景と名高い、雲海のような霧に浮かぶ森も目撃できた。
六歳から大人になるまで、王都という都会を出なかった彼女にとって、美しい自然は憧れだったのだ。
そして満月となる十五日がやってきた。
ちなみにこの世界では、王国を含めてほとんどの国々が太陰暦を採用していた。
そのため朔日(一日)が新月で、十五日が満月と決まっている。
夕食を早めに切り上げたシルヴィアはカー君に跨る、霧谷に向けて出発した。
屋敷から谷まで歩けば四十分ほどだが、空を行けば十分とかからない。
カー君は谷に進入すると、高度をぎりぎりまで下げ、ゆっくりと飛んでいった。
シルヴィアが心配そうに訊ねる。
「上からでも分かるもんなの?」
『多分ね。リリのとこで気配は覚えたから』
夜であっても、夜目の利くカー君は普通に飛行ができる。
特に今夜は、満月が皓々《こうこう》と地面を照らしていたので、シルヴィアでも何とか谷底の様子が見通せた。
そこには人はおろか、動物の姿も確認できない。
「妖精はいないのかしら?」
『いや、普通にいるし。
僕が上を飛んでるから、びっくりして隠れてるだけだね』
「でも、あたしには見えないわよ。満月の夜は姿を隠せないんじゃなかったの?」
『霊的な世界だっけ? そっちに行けないってだけで、人間の目をごまかすくらいはできるんだよ。
君たちの言葉でいうと〝認識阻害〟ってやつだね。
僕には効かないから、見えていないのはシルヴィアだけ。人間は騙しやすいんだよ』
カー君はゆっくりと谷の奥へと進んでいった。
やがて、儀式が行われる二重岩と洞窟跡の上空に差しかかった。
すぐにシルヴィアの頭の中に、カー君の朗らかな声が響く。
『あー、いたいた。多分、洞窟の中だ。
隠れているのが森じゃなくてよかったね』
カー君はふわりと谷底に着地した。
シルヴィアも飛行服からベルトを外し、地面に滑り降りた。
彼女は屋敷の庭師から借りた、龕灯(携帯用の照明器具)を洞窟に向けて照らしてみたが、蝋燭の弱い光では穴の奥までは見えない。
シルヴィアとカー君は並んで洞窟の中へ足を踏み入れた。
前に確かめたから、たいして奥行きがないことは分かっている。
「ねえカー君、ミラージュはどこ? あたし全然見えないんだけど」
『崩れた岩の上に座っているよ。僕たちを睨んでる』
「じゃあ、交渉はあんたに任せるわ」
『え~、僕?』
「しょうがないでしょ! あたしの言葉が通じるか分かんないんだから」
『仕方ないなぁ……。
えーと、ゴホン。あー、犯人に告ぐ。観念してお縄につきたまえ。
お前の家族は泣いているぞ?』
「そんな台詞、どこで覚えてきたのよ!?」
カー君の鼻面を殴りつけたシルヴィアの頭の中に、女の声が響いた。
『心配するな、人間。私はお前の言葉が理解できる。というより、頭の中が覗けると言った方がいいかな?
お前の方がセドリックよりも思考が読みやすい。やはり、召喚士だからかな?』
「そう、言葉が通じるなら話が早いわ。
どうせ逃げられないんだから、あんたの認識阻害とやらを解いてちょうだい。
あたしなら手荒なことはしないと約束できる。カー君に齧られるよりましでしょ?」
わずかな沈黙が流れ、やがてシルヴィアの目の前の岩の上に、青白い女の裸体が出現した。
小柄だが大人の女性の姿だ。ただ、屋敷の肖像画とは似ていない。
相手は妖精であったが、全裸を見せつけられたシルヴィアは、同性ながらたじろいでしまう。
「あんた、そんな恰好で恥ずかしくないの? 服くらい着ればいいのに」
『私たちから見れば、衣服などという煩わしいものを着ているお前たちの方が、よほど恥知らずに思えるがな。
妖精本来の姿が見たくないというなら、幻を出してやってもいいぞ?』
「分かった。そのままでいいから、答えてちょうだい。
あんたは幻影を使って伯爵家を騙し、セドリックから魔力を吸い取ろうとした。
それは、この谷に幻獣界への通路を開くため――あたしはそう踏んでいるんだけど、実際はどうなの?」
『それで大体合っている』
シルヴィアの脳裏に妙な違和感が走った。ミラージュの態度が素直過ぎる。
そして、追い詰められているというのに、平然と落ち着いている。
これほど複雑な事件を起こしたのである。シルヴィアは、もっと狡猾な犯人像を描いていたのだ。
「だけど、あんたたちミラージュには、通路を開くほどの力はないと聞いたわ。
だからあんたは、それができる存在――例えば妖精王に、セドリックから吸収した魔力を捧げてたんじゃないの?」
『いい線はいっているが、最後は駄目だ。
妖精王は高貴なお方だ。私たちのような小物は、はなから相手にしないだろう。
分からぬのか、ヒントは与えていたはずだぞ?』
妖精王以外に、二つの世界をつなげる能力を持った幻獣。
リリは確か『龍か古代巨人族』と言っていたはずだ。
「あ! もしかして……あんた緑龍と取り引きをしたの?」
『正解だ』
「でも、緑龍はこっちの世界にはいないはずよ?」
『それを言ったら、妖精王だっていないだろう』
「う……」
『仕方がない、説明してやろう。
私が辺境伯に見せた緑龍は、確かに向こうの世界に棲んでいる。
この谷は変なところでな、お前たちがいう幻獣界とつながっているのだが、それが不完全なのだ。
まともにつながるのは、月のうちわずか三日、朔の日とその前後だけで、それ以外は閉じている。
つながっているからといって、自由に行き来できるわけではないぞ。
お前はさっき〝通路を開くため〟と言ったが、あれは不正確だ。問題はそれを押し渡るだけの霊力なのだ』
『私などの力では、そんなことはとてもできない。
だが、私は帰りたかった。
わけも分からないまま、見知らぬ世界に放り出されたのだ。故郷に帰りたいと願うのは当然だろう?
私は何十年もかけ、帰還の手立てを必死で探った。
その結果、この谷で通路が開いた時、私の意識だけは元の世界に飛ばせることが分かった。要するに、幻影を向こう側に出せるということだ』
『そこである朔の日、昔会ったことのある緑龍のもとへ、自分の幻影を送り込んだ。
そして、私を元の世界へ連れ戻してくれるよう頼んだのだ。
すると欲深い緑龍は、その代償を要求してきた。
龍が望むような財宝など、私は持っていないし、手に入れる当てもなかった。
私が困っていると、龍は〝人間の魔力でもよい〟と言い出した。
龍は魔素を糧にする生き物だ。異世界人の魔力を大量に吸収すると、己の力が高まるそうなのだ』
「それでセドリックを見つけた、というわけね?」
『そういうことだ』
「分かったわ。まだ聞きたいことは山ほどあるけど、あまり遅くなれないの。
あんたは屋敷に連れて帰る。そこで、すべてを話してもらうわ」
『こうなっては仕方あるまい』
「悪いけど、逃げられるわけにはいかないの。拘束させてもらうわ」
『好きにしろ』
シルヴィアは細いロープで妖精の手足を縛った。
彼女の身体はあまりに柔らかく、きつく縛るとちぎれてしまいそうだった。
そして額には、封印のための呪符を貼り付けた。
『何だ、これは?』
「妖精の能力を封印する札よ」
『そんなものまであるのか? 人間というのは、変わった種族だな』
ミラージュは不服そうであったが、特に抵抗は見せなかった。
『やはり素直過ぎる』
一抹の不安を感じながら、シルヴィアは妖精の身体を抱き上げた。
ララと同じで彼女は異様に軽く、ほとんど体重を感じなかった。
これなら二人乗りでも、カー君に『シルヴィア、重い!』と不平を言われないだろう。
* *
霧谷屋敷に戻ると、もう夜の八時を回っていた。
シルヴィアが抱えてきた妖精に、メイドたちは青ざめながらも、すぐに伯爵へ知らせに行ってくれた。
急ぎ足でやってきた伯爵は、妖精の姿を見るなり大方の事情を察したようだった。
メイドに応接室を開けるよう指示すると同時に、セドリックを呼びにやらせた。
メイドが明かりを灯した部屋に入ると、辺境伯は椅子に座らされた妖精を見て、困惑したような表情を浮かべた。
妖精が全裸で縛られている上に、顔には呪符が貼られ、目隠しされているのだから無理もない。
裸と言っても人間とは違う。ミラージュの股間に性器はなく、胸の控えめな膨らみには乳首がなかった。
それでも、辺境伯はこの格好をセドリックには見せるのは、教育上問題があると判断した。
伯爵はシルヴィアの了解を得て、妖精の戒めを解き、呪符もはがした。
どうせ今夜は満月だから、カー君がついている限りは逃げられない。
伯爵はメイドに薄い毛布を持ってこさせ、それを妖精の肩にかけた。
ミラージュはなすがままで、おとなしく従っている。
どたばたしているうちに、ようやくセドリックがメイドに連れられてきた。
もう消灯時間を過ぎていたので、ベッドに入っていたはずであるが、きちんと服を着ていた。
来るまで時間がかかったのは、着替えのためと思われた。
セドリックは毛布を羽織った妖精の青白い顔を、物珍しそうに眺めていたが、何も質問せずに父親の言葉を待っていた。
辺境伯はまず、息子に嘘をついていたことを素直に詫びた。
そして、伯爵家に伝わる儀式というのは方便で、実際は正体不明の犯人に脅迫された結果だと説明した。
セドリックは驚いた顔をしていたが、すぐに状況を把握したようだった。
賢い彼のことだ、それなりに疑念を抱いていたのだろう。
伯爵の説明が終わると、今度はシルヴィアが立ち上がった。
「では、さっそく事件の真相をご説明します。
犯人は見てのとおり、この妖精です。彼女はミラージュという種族で、幻影を見せる能力を持っています。
ですから、伯爵を脅した緑龍も、セドリックが見たというお母様も、すべて彼女が生み出した幻だったのです。
では、彼女自身の口から、事件の経緯を語ってもらいましょう。
その後で疑問点を質問する、という流れでよろしいですね?」
全員がうなずき、シルヴィアはミラージュに話を始めるよう促した。
『私はお前たちが〝幻獣界〟と呼ぶ世界の住人だ。
ある日、不幸な事故で、私はお前たち人間の世界に飛ばされてしまった。
気がついた時には、あの霧の谷の洞窟に倒れていたのだ』
伯爵もセドリックも、頭の中に響いたやわらかな女性の声に驚いたが、それは一瞬のことだった。
二人ともカー君との会話を経験していたので、すぐに受け入られたのだ。
ミラージュは淡々とこれまでのことを語った。洞窟でシルヴィアに一度説明したおかげで、今度の方が簡潔に話がまとまっていた。
故郷に帰りたかったこと。そのための方法を必死に探し求めたこと。
月に三日だけ幻獣界とつながる谷の秘密。
二つの世界の通路は、自力では渡れないこと。
その三日間に限って、自分の幻影を幻獣界へ送れること。
幻影が緑龍と交渉した結果、帰還を手伝う代わりに人間の魔力を要求されたこと。
そして、谷に一番近い屋敷に住む少年が、高い魔力を持っていたこと。
そこまで説明が進んだところで、伯爵が堪らず声を上げた。
「ちょっと待て! セドリックに魔力だと? 一体何の話だ!?」