十三 妖精族
リリはララと名付けた妖精を膝に抱き、幼い子をあやすようにゆっくりと身体を揺らしていた。
「あなたの言うように、ミラージュだったら龍の幻影を見せたり、声だけで人を導いたりはできるわね。
でも、その少年の母親を真似るのは難しいと思うわ」
「どうしてでしょう?」
「えーと……まず大前提として、私のララは犯人じゃないわよ?」
「ええ、もちろんそんなことは疑っていません」
「だとしたら、それは人間に呼び出された幻獣ではない、ということになるわね。
私以外でミラージュを召喚した話なんて、大昔を除けば聞いたことがないもの。
その妖精が肖像画を見たとしても、出せる幻影はあくまで絵であって、召喚士の助けを借りない限り人間にはならないのよ」
「では、リリさんとララだったら、絵から人間を生み出せるのですか?」
「そうよ。私は肖像画をもとに、その人の姿を想像できるもの。
ララは私のイメージを読み取って、幻を作り出せばいいの。
彼女たちはもともと違う世界の住人でしょう?
だから、この世界で見た物が何なのか、ちゃんと理解できないのよ」
シルヴィアは頭が混乱してきた。
「ええと、あたしもよく理解できません」
リリは苦笑した。
「そうよね、無理ないわ。
それじゃ、舞台の背景として、ララにお城を出させるとするわ。
私はお城を見れば、それが石の建物だってイメージできるけど、ララにはそれが分からないの。
もし私の目を通さずにララ一人に任せたら、大きな樹木かしらと思って、風に揺れるお城になったりするわけ。
つまり、見た物の本質を理解していないと、どこか嘘臭くなって、すぐに偽物だってバレちゃうのよ」
「何となく分かってきました。
では、最初に龍の幻影を出せたのは、どういうことでしょう?
あの付近に龍が棲んでいるとは思えませんけど」
「多分、霧谷のミラージュが元の世界にいた時、実際に見たことがあって、記憶に残っていたんだと思うわ。
妖精は龍が何者か、私たちよりずっとよく理解しているから、幻といっても迫力があったでしょうね」
「ララが頭の中のイメージを読み取れるのは、召喚主、つまりリリさんだけなんですか?」
「そうでもないわ。
ある程度、妖精と親和性のある人間だったら、できるはずよ。
シルヴィアさんは召喚士だから、大丈夫じゃないかしら?
ララ、ちょっとやってごらんなさい」
ララはこくんとうなずいて、リリの膝の上から滑り降りた。
そして、シルヴィアの側に来ると、幼児が抱っこをせがむように両手を上に伸ばした。
シルヴィアが抱き上げてみると、その身体は驚くほど軽かった。触った手応えもあやふやで、現実感が希薄である。
「ごめんなさいね。その子、本当は飛べるんだけど、甘えん坊なのよ」
抱き上げられたララは、シルヴィアの胴に手を回してぎゅっと抱きつき、胸の膨らみに顔を押しつけてきた。
シルヴィアは反射的に妖精の頭を撫でてしまう。ふわふわの髪の毛は、まるで綿菓子のようだった。
『ねえ、何を出せばいいの?』
不意にシルヴィアの頭の中に、可愛らしい女の子の声が響いた。
その感覚には馴染みがあった。カー君との会話と同じだったのだ。
「驚いた。ララも召喚主以外と話ができるのね?
ええと……じゃあ、今からある男の子のことを思い浮かべるから、それを見せてちょうだい」
シルヴィアはそう言って、セドリックの姿や声を脳裏に描いた。
「シルヴィア先生、僕という生徒がありながら、こんなところで幼女と浮気ですか?」
耳馴れた声が後ろから聞こえ、シルヴィアは驚いて振り返った。
そこには品のいい服に身を包んだ、金髪の美少年が立っていた。
「凄いわね……本当にそっくりだわ」
シルヴィアは感心しながらセドリックに手を伸ばした。
しかし、その手は彼の身体を突き抜けて背中から出てしまった。
幻のセドリックは、自分の胸を貫いたシルヴィアの腕を見て、「うわぁ!」と驚いている。
「とってもきれいな子ね。うちの劇団の子役にほしいくらいだわ」
『駄目よ!』
ララの怒ったような声が響き、セドリックの幻影はあっという間に消えてしまった。
妖精はシルヴィアの身体から降り、再びリリの方へ駆け戻った。
リリはララの身体を膝の上に抱き上げると、シルヴィアに謝った。
「ごめんなさい。ララは素直でいい娘なのよ。
でも、独占欲が強くて嫉妬深いのは、妖精族に共通する性質らしいわ。
とにかく、今ので分かったでしょう?
召喚士や魔導士もそうだけど、やたらと勘のいい人間なんかでも、密着すれば頭の中が覗けるみたいよ」
シルヴィアは大きくうなずいた。謎がひとつ解決したのだ。
「だとすれば納得です。
今ご覧になった少年は、ミラージュに後ろから抱きつかれたそうです。
まだ確認は取れていませんが、彼は魔力を持っている可能性があります。
それで妖精は、少年が創り上げた母親のイメージを読み取れたのでしょう」
「なるほどねぇ……。
それで、シルヴィアさんは、そのミラージュの目的は何だと思っているの?」
「少年の魔力を吸い取るためではないか――そう考えています」
「何のために?」
「故郷に帰るためではないでしょうか?
事件が起きた霧谷は、幻獣界と不安定につながっている特異点だと思うのです」
「まぁ、妖精が自然繁殖しているってことは、その可能性はあるわね」
「二つの世界をつなぐ通路を開くには、大量の魔力が必要なんだと思います。
少年は谷から戻ると酷く疲労していて、その後丸一日眠り続けると聞きました。
ミラージュは限界ぎりぎりまで彼の魔力を吸い取り、それが完全に回復するのに一か月を要するとすれば、辻褄が合います」
「ララはどう思う?」
リリは、膝の上の少女に訊ねた。
『お話としては面白いわ。
でも、妖精の能力って、大したことがないの。
あたしたちミラージュだって、霊格からしたら中くらいだもん。
いくら魔力があったって、異世界への通路を開くなんて、とんでもないわ』
「もっと霊格の高い妖精なら、そういう力を持っているの?」
『そうね。妖精王だったら、ひょっとしてできるかもね』
「人間の魔力を吸い取ることはできるの?」
『一応ね。でも限りがあるわ』
「どのくらい?」
『その男の子が強い魔力を持っているとしたら、一回が限度じゃないかしら?
使う当てのない魔力を蓄えるのって、人間が重たい砂袋を背負ってるようなものよ。
それを何回も繰り返したら、動けなくなっちゃうと思うわ』
ララはシルヴィアにも聞こえるように話してくれた。
妖精は懐疑的だったが、魔力吸収の可能性自体は否定しなかった。シルヴィアにとっては、それだけでも収穫だった。
この場ですべての謎が解決するとは、彼女も最初から期待していなかったのだ。
後は当のミラージュを捕まえて、尋問すればいい話だ。
シルヴィアは二人の会話に割って入った。
「話を元に戻しましょう。
霧谷のミラージュを捕まえる方法ですが、そんなに難しいのですか?」
リリは肩をすくめた。
「もし、この子たちが本気で隠れたら、どうしようもなくなるわ。
妖精ってね、半分霊的な存在なの。
私たちが生きているのは物質的な世界なんだけど、そこには霊的な世界が重なり合っているんですって。
重なるって言ってもぴったり同じじゃなくて、微妙にずれてるのね。
私たちが死ぬと、魂は肉体を離れて霊的な世界に移動しちゃうし、新しい命が生まれるとその逆の現象が起こるらしいわ」
「何だか宗教じみてきましたね」
「もっとも、これはララの受け売りで、私も本当はよく分かっていないの。
とにかく妖精っていうのは、その二つの世界の狭間にいるんだって。
妖精の身体が軽かったり、ちょっと透けているのもそのせいらしいわ」
リリはそう言って、ララの身体を頭の上まで持ち上げてみせた。
よく見ると、妖精の青白い裸体に黒っぽい影が確認できる。
シルヴィアは、それがリリの黒髪だということに気づいた。
「ね? 私がララをこうして抱いたり触ったりできるのは、彼女が物質世界側にいる(完全じゃないけどね)からなの。
でも、霊的な世界に比重を移すと肉体がなくなって、姿も見なくなるの。触れることもできないから、捕まえることは不可能ね」
「それなら、そっちの世界でずっと暮らしていれば、誰にも見つからずに安全なんじゃないですか?」
「肉体がなかったら、踊って遊ぶこともできないし、子孫も増やせないでしょう?
だから普段はこっち側に来ているのよ」
「そうですか……捕獲手段はなし、ということですね」
「そうとも限らないわよ。さっき二つの世界は重なっているけど、微妙にずれているって言ったでしょ?」
「はい」
「その〝ずれ〟って、月の満ち欠けで変動するんだって。
それでね、満月の時が一番ずれの幅が大きくて、妖精たちも自由に移動できなくなるらしいわ。
だから、もし満月の前に霊的世界に籠ってしまわなければ、捕まえるチャンスはあるはずよ」
「でも、せっかく捕まえても、満月が過ぎれば逃げられちゃいますよね?」
「捕まえたら封印するのよ。ちゃんとそれ用のお札があるわ。
今では廃れちゃってるけど、妖精学って結構古い学問で、かなり研究が進んでいるのよ。
呪符は文献を見れば自分で作れるけど、審問官のおじいちゃんが持っているはずだから、それを貰った方が早いわね」
「ありがとうございます! 少し希望が見えてきました」
シルヴィアの表情が目に見えて明るくなった。
その気分は、リリにも伝染したようだった。
「その代わり約束よ。事件が解決したら、詳しいことを教えてほしいの。
これは新しい脚本のアイデアとして使えるわ!」
「えっ、駄目ですよ! 依頼人の秘密は守ってもらわないと……」
「もちろん、話の筋は変えるわよ。
第一、この事件にはロマンスがないもの。それを付け足さなかったら、芝居が成立しないわ。
想像してみて。犯人の動機の裏には、切ない愛の物語が秘められているの!」
「そ、そうなんですか……」
リリは自信満々であった。
彼女は脚本家として、これまでに数々のヒット作を発表したが、その裏で挫折も味わってきたのだ。
そしてその経験から、どんなジャンルであっても、そこにロマンスがなければ、観客は満足しないという真理を学んだのである。
「私が思うに、この事件の真相は〝愛〟よ、愛がすべてを解決するの!
あなたはきっと、それを見落としているんだと思うわ」
まことにありがたい先輩の忠告であった。
シルヴィアは引き攣った笑いを浮かべ、リリに礼を言って切り上げることにした。
別れの握手を交わしながら、リリは念を押した。
「忘れないでね。事件に行き詰ったら『そこに愛はあるのか?』と自問するのよ」
* *
王立劇場を後にしたシルヴィアは、魔導院に向かった。審問官から妖精封印用の〝呪符〟を得るためである。
リリから得た妖精捕獲の情報は、今回最大の収獲だった。
それについては心から感謝したが、最後の忠告は忘れることにした。
『面白い女だったね』
並んで歩くカー君が、リリに対する感想を洩らした。
「そうね。カー君もミラージュに会うのは初めてだったんでしょう?」
『うん。どんな気配なのか分かったから、次に霧谷へ行ったら、隠れていても見つけられると思うな』
「気配? 姿や匂いじゃなくて?」
『妖精は匂いがしないんだよ。あの種族は肉体の存在が希薄だからね。
その代わり霊圧は強いんだ。それをシルヴィアにも分かるように言うと、雰囲気とか気配ってことになるのさ。
シルヴィアったら、ちゃんとリリの話を聞いていたの?』
「あの、霊的世界とかって話?
悪いけど、あたし幽霊って信じない派なのよ」
『そういう話じゃなかったと思うけどなぁ……。
シルヴィアって頭はいいのに、変なところがズレてるんだよね』
「うるさいわね! ほら、もう魔導院に着いたわよ」
一般市民の魔導院への立ち入りは、ほとんど許可されなかった。
しかし、卒業生は別である。
特にシルヴィアは国家召喚士であるから、身分証の提示すら求められなかった。
上級研究職である審問官の老人たちも、彼女を手放しで歓迎してくれた。
シルヴィアが国家召喚士となることは、ほぼ確実と見られていたのに、召喚儀式の結果は予想外のものだった。
当の彼女は割と平然としていたが、期待していた審問官たちの落胆は非常に大きかった。
それが、数年遅れとはいえ、国家召喚士に昇格したのである。
審問官たちは、自分たちの目が正しかったのだと、大いに自信を持つに至ったのだ。
それだけにシルヴィアの突然の訪問は、気難しい老人たちを喜ばせた。
妖精の封印札がほしいという用件を伝えると、彼らは二つ返事で応じてくれた。
埃をかぶった書棚から、相当古そうな羊皮紙の札を持ち出してきた老人は、訝しげに訊ねた。
「こんなもん、何に使うんじゃ?」
「何って、妖精を捕まえるために決まってるじゃないですか。他に何に使えと?」
「そりゃそうじゃが、妖精なんぞ捕まえてどうするつもりじゃ?
あいつらは悪戯はするが、基本的には無害じゃ。道楽でいじめてはいかんぞ」
「そんなことしません」
「ならいいが……妖精の肉体は脆く、極度に臆病じゃ。手荒な扱いはもちろん、強い恐怖を与えただけでも簡単に死んでしまうぞ。
よくよく気をつけるがよい」
シルヴィアは封印の呪符を手に入れたが、その代償としてカー君を審問官たちの生贄に差し出した。
魔石によって姿と能力を変えるカーバンクルは、老人たちの格好のおもちゃだったのだ。