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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
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十二 リリ

 黒龍野会戦とは、十五年ほど前、王国北東部に住む少数民族ノルド人の保護を名分に、帝国が進駐した事件である。

 ノルド地方東部に広がる泥炭地、黒龍野で両軍が激突したため、王国ではそう呼ばれていた。


 帝国は〝爆炎の魔女〟マグス大佐を指揮官に、多くの魔導士を動員して侵攻。

 一方の王国軍は黒城市の第二軍を主力に、第一軍と第四軍の援軍を得て迎撃した。


 第一軍からの増援は千五百人規模だったが、マグス大佐は爆裂魔法でこれを壊滅させてしまった。

 この恐るべき魔法を封じ込まねば、王国軍の勝利はおぼつかない。

 それを成し遂げたのが、アスカ大佐(当時)率いる第四軍の派遣部隊だった。


 アスカ軍は計略をもってマグス大佐を欺き、戦いを王国優位に持ち込んだ。

 最終的に勝敗を決定づけたのは、黒城市の守護神である黒蛇ウエマクの能力であった。

 だが、恐るべき威力の爆裂魔法を防いだことが、第一の戦功だと評価されたのである。


 この戦いは、地域的な紛争とは呼べないものだった。激突した双方が一万人規模であったから、立派な戦争である。

 しかし、両国は最後まで宣戦を布告せず、帝国の撤退後は、お互い何事もなかったのように振舞った。


 参戦した王国軍兵士には緘口かんこう令が出され、戦闘記録も軍事機密として秘匿されたのある。

 しかし、人の口に戸は立てられない。徐々に断片的な噂が漏れ出し、それはたちまち全土に広まった。

 形の上では王国軍の勝利であるから、国民は詳しい内容を知りたがったのだ。


 その噂のひとつに、ユニという二級召喚士が参戦し、活躍をしたというものがあった。

 ただ、正式な記録が公開されなかったため、その詳細は長らく不明であった。


 その後、十年が経過した時点で、軍は黒龍野会戦の記録公開を決定した。

 王立図書館付属の公文書館で申請すれば、軍と政府関係者に限って閲覧が可能となったのである。


 もっとも、事件から十年も経っていたから、国民の関心はとっくに失われていた。

 それに公開の決定もひっそりと行われ、公文書館の掲示板に一枚の告示が貼られただけであった。

 結果として、資料を閲覧するのは、許可を得た戦史研究者や軍人がほとんどであった。


 だが、公開が決定するや、公文書館に足しげく通った一人の女子学生がいた。

 それがシルヴィアである。


 シルヴィアはユニに憧れており、彼女が活躍した事例は何でも知りたがった。

 黒龍野会戦で、ユニが大きな役割を果たしたという噂も当然知っていて、その情報を求めていた。

 魔導院在学中だったシルヴィアは、ある審問官(魔導院の上位研究者)から、記録が公開されたことを教えられた。


 彼女はすぐさま公文書館に赴き閲覧を申請したが、学生は対象外だと拒絶されてしまった。

 諦めきれない彼女はくだんの審問官を口説き落とし、公文書館に同行してもらった。

 審問官には問題なく許可が下り、シルヴィアはその助手という立場で閲覧室へ入ることができたのだ。


 審問官を長時間拘束することは難しく、シルヴィアは五回にわたって公文書館に通い、すべての記録を通読した。

 マグス大佐の爆裂魔法を防げたのは、ユニが身につけていた、狩猟民に伝わる原始的な魔法のおかげだった。

 (その魔法の具体的な内容や呪文は、非公開で黒塗りとなっていた。)


 ユニはその魔法をオオカミたちにかけ、アスカの軍勢を囲ませた。

 そこにマリウスが防御魔法を重ねがけし、広範囲の防御障壁を実現させた。

 そうとは知らないマグス大佐は、一日に一度しか使えない爆裂魔法を無駄撃ちしてしまったのだ。


 シルヴィアはユニに関する記述を、むさぼるように読みふけった。

 だからといって、それ以外に関心を向けなかったわけではない。

 彼女はいずれ軍に入ることを決めていたから、戦いの記録は貴重な資料として、彼女の脳裏に刻まれたのだった。


      *       *


 では、なぜシルヴィアは、今になって黒龍野会戦の記録を、読み直そうとしたのだだろうか?


 それは、セドリックとの雑談の中で、彼が観劇の話をしたことがきっかけだった。

 白城市で王都の劇団が公演を行う。そこでは「演出家が有名な召喚士・・・で、毎年観客の度肝を抜く仕掛けを披露する」ということだった。


 シルヴィアはその言葉が引っかかり、ベッドに潜り込んでからようやく思い出したのだ。

 彼女がかつて読んだ黒龍野会戦の記録には、ユニ以外にも民間の二級召喚士が参戦していた。


 その女性召喚士は、ミラージュという妖精の能力で幻影の軍勢を出現させ、マグス大佐の目を欺いたのである。

 彼については〝王都の劇場で働いていた〟という注釈がつけられており、それがシルヴィアの頭の片隅に記憶されていたのだ。


 もし、本物と見分けのつかない幻を生み出せる妖精が、今回の事件に関わっていたとすれば、多くの謎に説明がつく。

 ただ、思い出したはいいが、その召喚士の名前も思い出せなかった。

 今日の閲覧は、その確認のためであった。


 公文書館のカウンターで係員に身分証を提示すると、閲覧許可はあっさりと下りた。

 彼女は階級こそまだ少尉だったが、何より国家召喚士である。実際には、佐官並みの権力を持っていたのだ。


 しばらく待たされてから閲覧室に案内されると、机の上に分厚い資料の綴りが五冊並べられていた。

 資料の取り扱いに関する注意事項を説明され、係員が退室すると、彼女はさっそく資料を開いた。

 几帳面な手書きの文字が、学生時代の記憶をたちまち呼び起こした。


 今日は必要な部分だけ確認すればよいので、シルヴィアは二冊目の途中から頁をめくった。

 二級召喚士は〝リリ・クライン〟という名前であった。

 詳しく読み込んでいくと、幻影の軍団を生み出すのには、かなり苦労をしたようだった。

 ミラージュは召喚士が見たものしか投影できないため、幻の元となる兵士を多数必要としたとある。


 そんな制限があるのなら、召喚主のいない妖精はどうしているのだろう。

 やはり、これは本人に会って確かめる必要がある。

 彼女は熱心にメモをとりながら、調査に没頭していった。


      *       *


 シルヴィアが参謀本部に戻ったのは、五時少し前だった。

 彼女はエイミーの秘書官室でお茶をご馳走になり、マリウスの時間が空くのを待っていた。

 来客は予定を超過して滞在し、シルヴィアが入れ替わりで呼ばれたのは、もう六時を回ったころだった。


「ああ、そうか。君の報告があったんだっけな……」

 入室したシルヴィアを見上げたマリウスの顔には、疲労の色が浮かんでいた。


「あの、よろしいのでしょうか? だいぶお疲れのようですけど」

「なに、いつものことだ。

 それより、解決の目途が立ったそうじゃないか。ずい分と早いな」


「どこからそんなことをお聞きになったのですか?」


 シルヴィアは少なからず驚いたが、マリウスは笑って答えなかった。

 実際は、彼女がエイミーとお喋りに興じている間に、退屈したカー君がマリウスの幻獣(火蜥蜴サラマンダー)と壁越しに会話し、情報を洩らしていたせいである。


 シルヴィアが改めて事件の進捗を報告すると、参謀本部の頭脳は少し考え込んだ。

「なるほど……、確かに君の仮説は筋が通っているが、説明できない謎が多すぎないか?」

「それは、事件の核心に迫っていけば、自ずと明らかになっていくと思います」


「一番重要な、動機が見えてこないことについては?」

「そのために、犯人の確保が重要だと思います」


「できるのか?」

「そのために帰って参りました」


「分かった。お手並み拝見といこう。それで、リリと会うつもりなのかね?」

「はい。明日、劇団を訪ねてみようと思います」


「では、私が紹介状を書いてやろう」

「助かります」


 マリウスは執務机に戻り、さらさらと手紙を書いてシルヴィアに手渡した。

 シルヴィアが礼を言おうとした途端、お腹が〝ぐう~〟と大きく鳴り、彼女は真っ赤になった。

 参謀副総長は、笑いをこらえて秘書官室に通じる扉を開け、エイミーに声をかけた。


「まだいたのか? もう七時を過ぎているぞ。

 いや、君にはもうひと仕事頼むとするか……。

 シルヴィアをどこか美味い店に連れて行ってやりなさい。君の分を含めて、私のつけにして構わないぞ」


「謹んで拝命いたしました!」

 エイミーは、真面目くさった表情で敬礼をしてみせた。


      *       *


 翌朝、宿を出たシルヴィアは、リリを訪ねるため王立劇場へと向かった。

 週明けから新しい演目が始まるということで、彼女の働く劇団はその準備で忙しいらしい。


 劇場に着き、まず女性用の楽屋に行ってみると、そこは出演者でごったがえしていた。

 大きな鏡に向かって化粧をする者、衣装の寸法を測っている者、乳房丸出しの半裸でパンを頬張っている者、さまざまであった。


 シルヴィアは、入口近くで柔軟体操をしている女に、恐るおそる声をかけた。

「あの、リリさんはどちらにいるのでしょうか? 私、彼女に会いたくて訪ねてきたのですが……」


 女は股の間から顔を出し、面倒くさそうに答えた。

「リリだったら客席だろうね、監督と一緒のはずだよ」


 シルヴィアは小声で礼を述べ、そそくさと楽屋を後にした。

 客席に入ってみると、がらんとした空席の最前列中央、に髭面のクマのような大男がふんぞり返っている。

 そして、その隣に小柄な女性が座っていた。

 舞台上では、大道具係が大きな音を立ててセット組んでいる前で、脚本を手にした普段着の俳優が、騒音に負けじと大声で台詞セリフを喋っていた。


 その動作や台詞の一つひとつに、髭面が怒鳴り声で指示を出す。彼が監督なのは明らかだった。

 よく見ていると、その都度、隣りの女性が耳打ちをしている。

 つまり、実際の指示は彼女が出しているということになる。


 とても声をかけるような雰囲気ではなかったが、待っていてもらちが明かない。

 シルヴィアは思い切って二人に近寄り、後ろから呼びかけてみた。


「誰だ、あんたは?」

 振り返った監督が、不機嫌そうな声で訊ねる。


「私は軍参謀本部の国家召喚士、シルヴィア・グレンダモア少尉です。

 実は、リリさんにお話を伺いたくてお邪魔しました。」

 シルヴィアはそう言って、マリウスの紹介状を男に手渡した。


 男は手紙を開くと顔をしかめ、それを隣りの女性に押しつけた。

「軍のお偉いさんだ。確かお前の知り合いだろう?

 ここまできて、面倒事はなしだぜ」


 女性はちらりとシルヴィアを見てから、小さな声で答えた。

「少し休憩を入れましょう」


 監督はうなずき、立ち上がるとパンパンと手を叩いた。

「よぉーし、三十分休憩! 続きは第二幕の頭からだ。

 めえ、今度台詞を噛んだら、脇役に降ろすからな!」


 女性の方も立ち上がり、シルヴィアに「こちらにいらしてください」と声をかけた。

 気を抜くと聞き取れないほど、か細い声だった。

 客席の間をとことこ歩いていく女性の後を、シルヴィアは慌てて追いかけ、カー君がそれに続いた。


 前を行く女性は、人形のようなひらひらのエプロンドレスを着ていて、長くウェーブのかかった黒髪が、背中の半分を隠して揺れていた。

 客席を出て扉を閉めると、嘘のように静寂が訪れた。

 さすがに一流の劇場は、防音がしっかりしている。


 女性は廊下に並ぶ扉の一つを開け、その中に入った。

 そこはがらんとした小さな部屋で、簡素なテーブルと椅子以外、何もない部屋だった。

 女性は向き直り、シルヴィアと握手を交わした。


「この劇団の演出家をしています、リリ・クラインです。ごきげんよう。

 シルヴィアさんも召喚士ということは、私の後輩ですね」

 リリはそう言って、にこりと笑った。


 この時になって、シルヴィアは初めてリリの顔をまともに見た。

 公文書館の資料では、黒龍野会戦当時のリリは、魔導院を出たばかりだとあるから、もう三十歳を越して数年になるはずだ。

 よくよく見れば、目尻や口元に細かな皺があるが、ぱっと見は十代の少女にしか思えなかった。


 セドリックの母親といい、この世にはこうした人種が存在するらしい。

 つい「羨ましい」と口にしそうになるが、果たして本人は、それをどう思っているのだろう。


「ご覧のとおり、初日が迫っていて忙しいのです。

 できれば手短にお願いします」

 リリは済まなそうな声を出したが、本心は迷惑に違いなかった。


 シルヴィアは事件の概略を簡単に説明した。もちろん、辺境伯やセドリックの名は伏せてである。


「私はこの事件を起こしたのが、ミラージュではないかと考えています。

 跡を残さなかった緑龍、声だけの案内人、肖像画と衣装まで同じ女性、いずれも幻影なら納得がいきます。

 それに妖精は姿を隠すのが得意ですから、気づかれずに被害者の屋敷に入ったり、手紙を届けることも可能です」

「でも、妖精はお手紙を書けないわよ?」


 リリは小首を傾げた。

 シルヴィアは痛いところを突かれて、ぐっと言葉に詰まった。


「それは私にもよく分かりません。犯人を捕らえて尋問するしかないと思っています」

「どうやって捕まえるの? 彼女たちは簡単に姿を消せるのよ」


「その方法、もしくはヒントを教えてほしいのです。

 それと、実際にリリさんが召喚したミラージュにも会わせていただけないでしょうか?」


「その子、あなたの幻獣よね。何て言う種族なの?」

 リリは直接答えず、シルヴィアの後ろで大人しくお座りをしているカー君に視線を向けた。


「カーバンクルです。

 自分では精霊族だと言ってますから、本当なら妖精とは親戚筋になります。

 カー君、リリさんにご挨拶しなさい」

『初めまして、小さいお嬢さん。

 僕はカーバンクル。個別の名前は持っていないんだけど、シルヴィアは僕をカー君って呼んでいます。

 君は何て呼ばれているの?』


 リリは驚いて目を見開いた。

「まぁ! 召喚主以外の人とも話せるのね? とっても賢いのね!」


 一方のシルヴィアは、慌ててカー君を叱りつけた。

「こら! この人はリリさんだって言ったでしょ。

 なに失礼な質問をしているの!」

『違うよ、そこの妖精さんに訊いたんだよ』

「嘘おっしゃい! どこにも妖精なんて……」


「待って!」

 二人の言い争いに、慌ててリリが割って入った。


「ごめんなさい、うちの子は知らない人を怖がって、すぐに消えちゃうんです。

 ほら、ララ。この人たちは大丈夫だから、姿を見せなさい」


 リリがそう言うと、彼女の膝の上がぼうっと青く光り、やがて人の形をとった。

 少し輪郭がぼやけているが、十歳くらいの女の子を、そのまま小さくしたような感じだった。

 ふわふわの青白い髪が腰まで伸び、衣服は何も身につけていない。

 よく見ると、股間はつるんとして性器は見当たらなかった。


「私の幻獣、ミラージュのララです。

 妖精なので、本来名前がないのはカー君と同じですね」


 リリはそう言ってにこりと笑った。

 ララは両手でリリのエプロンをぎゅっと掴み、顔だけシルヴィアの方に向けて、ぺこんと頭を下げた。

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