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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
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三 霧谷屋敷

「久しいね、シルヴィア」

 ノエルが顔を上げて微笑み、執務机の椅子から立ち上がった。


 シルビアは机の前に進み出ると、直立不動で見事な敬礼を行った。。

「白虎帝閣下に拝謁を許されたことは、自分の名誉とするところであります。

 国家召喚士シルヴィア・グレンダモア少尉は、参謀本部の命によりクリスト辺境伯の屋敷に赴きます。

 本日はそのご報告に参上するとともに――」

「ああ、堅苦しい挨拶はいいよ」


 白虎帝は苦笑いを浮かべ、シルヴィアの手を引いて豪華な応接のソファへといざなった。

 彼は魔導院時代、真面目で堅物の優等生という評判だったが、女子や下級生にはとても優しく人気もあった。

 シルヴィアは学年首席として、ノエルと顔を合わせ一緒に仕事をする機会が多かったから、その人柄はよく知っている。


 ノエルはシルヴィアを座らせると自分も腰をおろし、卓上に伏せてあった呼び鈴を振った。

 すぐにメイドが現れ、二人の前にカップを置き、淹れたての紅茶を注いでくれた。


 メイドが退出すると、白虎帝は再び口を開く。

「人払いをしてあるから、気楽にしていい。魔導院時代に戻ったつもりで話したまえ」

「恐れ入ります。

 私が派遣されたことについては、あまり意外ではないようですね?」


「まぁね。マリウス殿は好奇心が旺盛なお方だ。

 空を飛ぶ怪物が子どもを狙うなんて、実に奇妙な事件だからね。

 彼が面白がるのは、目に見えていたよ」

「まったく! あの性格はどうにかしてほしいです。仮にも私は国家召喚士ですよ。

『しばらく遊びに行っておいで』はないですよ!」


「いいじゃないか。シルヴィアも相当酷使されていたんだろう?

 この調査は、君の健康を気遣うという側面もあるのだろう。

 正直に言って、羨ましいよ」

「ノエル様、お忙しいのですか?」


「まぁ、四帝だからね」


 白虎、黒蛇、赤龍、蒼龍の四帝は、各地に蟠踞ばんきょする地方軍の総帥であるが、それと同時に行政長官も兼ねていた。

 白虎帝の第一軍は中央に位置して、直接敵と対峙していないが、王都を守護する精鋭軍であるから、その戦力の維持に努めなければならない。

 一方で、中央平野という王国の穀倉地帯と、白城市という最大の商業都市を抱えるだけに、内政の手腕が問われることになる。


 特にこの十数年で、辺境地方の生産力が拡大すると同時に、マルコ港を拠点とする新興商人がケルトニアとの交易で急激に力をつけてきた。

 いずれも第四軍の蒼龍帝が取った積極的な経済政策が功を奏した形で、ノエルは現在その対策に忙殺されていた。

 第一軍管区は豊かであるが故に、改革をしようにも豪農・豪商の力が大きく、彼らは海千山千の手強い交渉相手だったのだ。

 ノエルが『羨ましい』と言ったのは、半ば本気だったのだろう。


「さて、君はこの事件の詳しい背景を探りに来たのだろう?」

「ご明察です。何しろ、マリウス様は人に命令する割に、まともな情報をお持ちではありませんでした。

 いえ、違いますね。持っていない振りをしている……です。

 あの方のことです。どうせ裏から手をまわして、たんまり情報を抱え込んでいるに決まっています」


「酷い言われようだね。

 だが、まともな情報を持っていないという点では、私も同じなんだよ。

 この事件は、あまりに不審な点が多すぎる。相手が辺境伯でなければ、誰も信じずに門前払いをするような話だ。

 それなのに、辺境伯は詳しいことを語りたがらない。まるで、彼自身も半信半疑でいるような感じだった」

「それでも参謀本部に要請を通したのですか……。

 クリスト辺境伯とは、それほどの力を持っているのでしょうか?」


「シルヴィアは伯について、どれ程度知っているのかね?」

「あまり詳しくは……。

 もちろん、お名前は存じておりますし、富裕な有力貴族だとも伺っています。

 お住まいが中央平野南部で、森と渓谷に囲まれた景勝地だということ。

 あとは……」


「あとは?」

「つまりその、ちょっと……いえ、かなり風変わりな方だという噂を聞いたことがあります」


「大体当たっているね。

 さっきも言ったように、事件の詳細については私も大した情報を持っていない。

 これについては、君が直接、辺境伯に会って確かめるしかあるまい。

 だが、シルヴィアは可愛い後輩だ。その代わりに、辺境伯に関する周辺情報を教えてあげよう。

 事前に仕入れておいて、損はない話だと思うよ」

「ありがとうございます。是非、お願いします」


「よかろう」

 ノエルはうなずき、シルヴィアへのレクチャーを始めた。


      *       *


 クリスト伯爵家は、現存する辺境伯三家の中でも、もっとも有力な貴族として知られていた。

 八家あった辺境伯の生き残りの三家は、領地である辺境の開発によって思わぬ大金を手にした。

 普通であれば、あぶく銭に溺れて簡単に散財するところだろうが、三家は違った。

 彼らは次々に没落して絶家した仲間たちを、その目で見ていたから、決して慢心しなかったのだ。


 彼らは手にした資金を確実に運用し、その一方で質素な暮らしを堅持したのである。

 その中でも、最も成功したのがクリスト伯であった。

 彼は資金の投資先として、辺境開発を選んだのだ。


 クリスト伯は領地の大半を売り払った金を、残った自分の領地にすべてつぎ込んだ。

 彼は先行する開発投資者のやり方を注意深く観察して、そのノウハウを学んでいた。

 開拓地は自分の領地だから、土地代はただである。当時はまだ、国の優遇策も手厚かった。


 思い切った投資によって、クリスト伯の開拓事業は成功した。

 他の開拓村に比べ、彼の募集は格段の好条件だったのだ。

 開拓農家の最初の数年は、ほぼ無収入に近い。その間の資金は、開発事業者が低利で貸すことになる。

 クリスト伯はこの金利を思い切って引き下げたのである。


 その結果、開拓応募者が殺到したが、伯爵はその一人ひとりを自ら面接した。

 進取の気性に富んだ若者と、経験豊富で堅実な者をバランスよく採用し、最初の村に送り込んだのだ。

 その村は「カイラ」と名付けられ、十年も経たないうちに黒字に転換した。

 さらに数年が経ち、地力を蓄えたと見るや、森の奥地に向けて次々と枝郷を増やしていった。


 今では辺境最大の親郷となったカイラ村と、その枝郷群から上がってくる年貢は年々増加していき、今では莫大な額となっていた。

 代々のクリスト伯は、年に数回辺境の領地を巡回する他は、元々の領地である中央平野の南部から出ず、ひっそりと暮らしていた。

 そんな質素な生活を送る一方で、意外にも伯爵家は社交界のつき合いも(細々とだが)維持していた。


 白城市や王都で開かれる、大がかりな舞踏会にクリスト伯が姿を現わすのは、決して珍しいことではなかった。

 伯爵の目的は情報であった。


 貴族=地方領主であるから、当主たちは自分の領地や農民について詳しい。

 クリスト伯は彼らとの会話を通して、新しい品種や肥料、栽培方法に取り組んでいる農民の情報を聞き出した。

 そして彼らに資金提供を持ちかけ、見返りとして新しい技術や種・苗を取得し、それを自分の領地に導入したのである。


 クリスト辺境伯が政界の大物として、注目を浴びるようになったのは、現在の国王レテイシアが即位してからであった。

 伯爵が出席するような大きな舞踏会には、国王も臨席するのが慣例であった。

 そこで何があったのかは定かでないが、二人はたちまち意気投合した。


 領地を出たがらない伯爵が、たびたび王城を訪れるようになり、王宮(女王の私邸)に招かれて親しく会談することも珍しくなかった。

 レテイシアは王国の改革と、それを断行するための王の親政を企図していた。

 伯爵はその思想に心酔し、援助を惜しまなかった。


 結局、女王は〝王の反乱クーデター〟という、前代未聞の騒乱を起こし、自分の意思を押し通すことに成功した。

 誰の後ろ盾も持たないレテイシアを、軍事面で支援したのは白虎帝(先代)であったが、資金面で両者を支えたのは辺境伯の功績だった。

 女王の親政が始まると、クリスト伯は彼女の相談役として重きをなしたが、諸改革がどうにか軌道に乗ると、再び領地に引きこもるようになったのである。


      *       *


「そんなわけでね、辺境伯の言動には女王陛下の権威がついて回る。決して疎かには扱えないのだよ。

 それに、先代白虎帝であるエラン様とは、陛下を支える同志の仲だったんだ。

 後を継いだ私に、伯爵の頼みを断れると思うかね?」

「なるほど……」


 シルヴィアはうなずかざるを得ない。

 女王との深い関係を知れば、軍の責任者であるマリウスや、白虎帝が最大限の配慮を払っているのも当然である。

 実家と同じ伯爵位であっても、クリスト伯は大侯爵に匹敵する大物であった。

 ノエルの話を聞く限り、人を見る目を持ち、果断に行動する人物のように思える。


「辺境伯はおいくつなのですか?」

「はて、正確には知らないが、六十歳は越していたと思うよ」


「そのお歳で……ご子息が七歳?」

「ああ、クリスト伯の奥方は若くして亡くなられてね。それ以来、彼は独身を通していたんだ。

 それが十年ほど前に、二十歳以上若い後添えを迎えられた。

 二人の間に生まれた、初めての子どもがセドリック君というわけだ。

 亡くなった先妻との間には子ができず、甥を養子にして家を継がせるつもりだったから、どれほど伯爵が喜んだか分かるだろう?」


「でしょうね。その大事な子が狙われたとなると、どんな手を使ってでも守ろうとするのは当然ですよね。

 奥方様もさぞご心配でしょうね?」


 ノエルの顔がさっと曇った。

「奥方が出産されたのは、もう三十代も半ばのことでね。

 もちろん初産だったから、かなり難しいお産になったんだ。

 赤ん坊はどうにか助かったが、母体の方はどうしようもなかったそうだ」

「そうでしたか……」


 シルヴィアはだんだん心配になってきた。

 晩年にやっとできた跡取り息子で、若い妻の忘れ形見とは、あまりにも溺愛する条件が揃いすぎている。

 伯爵が息子のこととなると、理性をなくすのではないか……そんな気がしてきたのだ。


「セドリック君は成績優秀だそうですね。

 七歳ということは、二年生ですか」

「いや、現在は学校に行っていない。一年生の三か月だけは通ったらしいが、あまりに周囲とレベルが違いすぎてね。

 これまでも家庭教師をつけていたようなんだが、新しい人を探していたらしい」


「まさか、家庭教師の手にも余るとか……?」


 白虎帝は黙ってうなずいた。

 貴族の子弟が学校には通わず、家庭教師に学ぶことは珍しくない。

 一般の子どもたちは、学校でまず文字の読み書きから教わる。

 就学前に音読できるのが当然の子どもたちに、そんな学校へ行けという方が無茶なのだ。


 だがその家庭教師ですら、自信を失うほどの賢い子だとしたら、果たしてシルヴィアに務まるのだろうか?

 彼女の不安はつのるばかりである。


「辺境伯のお屋敷ですけど、地図で確認したら〝霧谷屋敷〟と書かれていましたが、何か由来があるのですか?」

「あの辺りが有名な景勝地だということは、君も知っているよね?」


「はい。〝空に浮かぶ森〟があるとか……」

「辺境伯の屋敷の近くにある小さな森のことだね。

 その森を二つに切り裂くように、切り立った深い渓谷が走っている。

 それがワイト渓谷で、リスト王国発祥の地だとも言われている」


「発祥?」

「太古の昔、ワイト渓谷に住んでいた部族が周辺に広がり、やがて様々な部族に分かれていった。

 そして長い群雄割拠の時代を経て、統一王セントレア公によって国がまとめられたというのが、ざっくりしたわが国の誕生説話だ。

 最初の部族は、神の怒りをかって天の楽園を追放され、さまよった挙句に地の裂け目からこの地に這い出したのだ――ということになっている。

 もちろん、神話の類だから信じるに値しない。

 実際、私も行ったことがあるが、渓谷は人が住むのに適した地ではない。岩だらけで耕す土もないからね」


「それが〝空に浮かぶ森〟と何か関係があるのですか?」

「ああ、地形の関係らしいんだが、渓谷には霧が発生しやすいんだ。

 その霧が溢れ出し、周囲の森をすっぽり包んでしまうことがよくある。

 少し離れた小山の頂から眺めると、まるで雲の上に森があるように見えるのだよ」


 王国の中央平野は古くから農業が盛んで、まとまった森は切り拓かれ、ほとんど残っていない。

 空に浮かぶ森が生き残っているのは、建国神話に対する遠慮のようなものがあるのだろう。


「他に私が知っておくべき情報はありますか?」

 シルヴィアの問いに、ノエルは首を横に振った。


「いや、こんなもんだろう。

 何度も言うが、とにかくこの事件は謎が多すぎる。

 シルヴィアは私の自慢の後輩だ。優秀な君であれば、この謎を解き明かしてくれると期待しているよ」


 ノエルは立ち上がった。シルヴィアもそれに倣い、差し出された手を握った。

 男性にしては長く美しい指をしている。それでいて、彼女の手をすっぽり包み込むだけの大きさがあった。


 シルヴィアは自分の頬が熱くなったことに気づき、慌てて手を離した。

 そして、ぴしりと背を伸ばし、見事な敬礼をしてみせた。


「白虎帝閣下のご期待にお応えできるよう、全力を尽くします!」

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竹田城みたいな感じになってんのかな、浮かぶ森
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