表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第七章 辺境伯の息子
236/360

二 家庭教師

「マリウス様にこんなことは言いたくないのですが、その冗談はまったく笑えませんね」

「いや、別に冗談ではないのだよ?」


「では、私に子どもの家庭教師をしろと、本気でおっしゃっているのですか?」

「君、魔導院では学業優秀だったのだよね?」


「まぁ、自慢じゃありませんが、十二年間一度も首席を譲ったことはありません。

 ですが、学業は不断の努力の結果ですよ。

 いくら私が一日や二日勉強を見たからといって、成績の向上は期待できないと思いますけど」

「それはそうだろう。

 だから辺境伯も『しばらく(・・・・)貸してほしい』と言ったんだろうね」


「しばらく……って、どのくらいですか?」

「短く見積もっても、一か月といったところかな? いやいや待て、言いたいことは分かる。

 もちろん参謀本部としても、君が長期間不在になるのは困るんだよ。

 だから白虎帝には、派遣は最長でも三か月だと釘を刺しておいたよ」


 マリウスは『どうだ』と言わんばかりの顔だ。

 シルヴィアは溜息しか出なかった。


「一か月も骨休めができるのは、個人的にありがたいです。

 ですが、それでは業務が回らないでしょう。

 私が伝令業務だけではなく、アラン少佐のお手伝いもしているって、マリウス様もご存じですよね。

 伝令業務は伝書バトで代行できても、そっちはどうするのですか?」

「それに関しては、少佐から『自分に関しては心配無用、シルヴィアには依頼に応じてほしい』との上申書が届いている」


「は? どうして少佐がこの件を知っているのですか?

 いえ、ちょっと待ってください!

 アラン少佐の姓って、クリストでしたよね。ひょっとして、クリスト辺境伯って……」

「いや、少佐の実家ではないよ。

 彼は貴族ではないしね。アランの家は分家で、辺境伯は本家筋に当たるのだそうだ。

 どうやら、本家から相談を受けた少佐が君を推薦したらしい。

 つまり、これはシルヴィアの師匠、アラン少佐の頼みでもあるということになる」


 シルヴィアはぬるくなったお茶を喉に流し込み、気持ちを落ち着かせた。

 参謀副総長は依頼だ何だと言っているが、ここは軍である。実質的には命令なのに、やけに回りくどかった。

 疑問は残るがどうせ断れないのら、快く承諾して丸く収めるのが、大人の女(シルヴィアはそう自認していた)というものである。


「分かりました。家庭教師などやったことはありませんが、最善を尽くします」

「おお、君ならそう言ってくれると思っていたよ!」

 両手を広げて喜ぶマリウスの姿は、さん臭さを際立たせた。


「……で、裏は何ですか?」

「何のことかな?」


とぼけないでください!

 私も詳しいわけではありませんが、クリスト伯は国家召喚士を私物化するほど、傲慢な人物ではないはずです。

 しかも、白虎帝だけではなく、アラン少佐にまで根回している。

 一番怪しいのは、マリウス様がこの依頼を断っていないことです。

 何か裏があると考えるは当然でしょう」


 美しい眉毛を逆立てるシルヴィアを、マリウスは満足げな表情で見つめた。

「うんうん、君も少しは国家召喚士らしくなってきたね。

 もちろん依頼を受けてくれたら、その辺は説明するつもりだったよ」

「試しましたね?」


 シルヴィアの一言は、副総長の耳に届かなかったらしい。


「君が推測したとおり、家庭教師というのは偽装でね、本当の任務はご子息の護衛だ。

 ただし、子どもにそのことを気づかせるな――これが辺境伯の第一条件なんだよ。

 家庭教師なら、日中ずっと側についていても不自然ではないだろう?」

「それだったら、お付きのメイドでもよくないですか? 辺境伯のご子息なら、側仕えがいて当然です」

 

「セドリック君は賢い子だと言ったが、勘もいいらしい。

 貴族の娘で軍人の君がメイドに化けても、簡単に見破ってしまうくらいにね」

「お言葉ですが、家庭教師でも同じでしょう?」


「君の家はグレンダモア伯爵家だろう? 親同士が懇意だと説明すればいい。

 シルヴィアは長期休暇を取得中の国家召喚士で、風光明媚なクリスト伯の領地を見に遊びに来たことになっている。

 辺境伯は友人の娘が、魔導院の首席卒業者と知って、臨時に家庭教師を頼み込んだ……という設定だ。

 どうだね? 完璧じゃないか」

「国家召喚士が長期休暇を取るって、どういう冗談ですか?」


「何を言う。制度上は事前に申請を行い、最長三か月まで休暇取得が可能だ。軍の服務規定に書いていただろう?

 国の将来を担う少年に、軍は明るく楽しい、福祉もしっかりとした職場だと印象付けるのだ。

 そういう地道な広報も、軍人に課せられた責務だと習わなかったのかね?」

「その申請とやらが通った事例があるなら、是非ご教示願いたいですね」


「無論あるとも。蒼龍帝のところの副官、ええとプリシラだったかな?

 彼女も国家召喚士だが、一か月の休暇を取ったはずだ。君とエイナも連絡係として関わったはずだよ」


「ああ、あれですか……」

 シルヴィアは軽い溜息をついた。

 プリシラ先輩は蒼龍帝の信頼が厚い。新米に過ぎないシルヴィアとは立場が違う。


「まぁ、その話はもういいです。

 それより、辺境伯のご子息は誰に狙われているのですか?」


「敵の正体は詳しく分かっていない。

 辺境伯の話では『この世のものではない怪物』だそうだ」

「幻獣……ということですか?」


「だとしたら、背後に召喚士がいる可能性がある。当然座視できない話だ。

 ただ、辺境伯の話を信じるなら、その怪物は空を飛べるらしい」

「空を? 俄かには信じがたいですね。

 ああ! それで……私、というわけですか?」


 王国には現在、召喚士とその幻獣が百五十組以上存在する。

 召喚士はすべて国立魔導院の卒業生で、その幻獣も国に登録されている。

 そのうち飛行能力を持つ幻獣は、アラン少佐のロック鳥とシルヴィアのカーバンクルだけである。

 二人が国家召喚士と認定されていることでも分るが、空を飛べる幻獣は王国の至宝といってよい。


 となれば、子どもを狙っている怪物は召喚された幻獣ではなく、異世界からの訪問者ということになる。

 事故による偶然の転送が起きたのか、自らの意思で渡ってきたのかは不明だが、飛行能力があるとなれば、軍としても調査をしないわけにはいかない。

 なるほど、これはのほほんと伝令をしている場合ではない。


 シルヴィアは、ようやくマリウスと軍部の意図が呑み込めた。

 ただし、それならば〝飛行能力を持つ幻獣の情報〟から話を始めるべきだ。

 その上で、『調査のため、家庭教師として辺境伯の屋敷に潜入・調査せよ』と命じればいい。

 どうして、いきなり家庭教師から話を始めるのだろう?


 もちろん、シルヴィアにはその答えが分かっている。

 いかにもマリウスが考えそうなことだった。

『だって、シルヴィアが面喰らうだろう? そっちの方が面白いじゃないか』


      *       *


 マリウスの執務室を辞したシルヴィアは、さまざまに考えを巡らせながら、自分の個室へと向かった。

 配属からしばらくの間、彼女はエイナとともに大部屋の士官室で一つの机を共有し、片隅で小さくなっていた。

 シルヴィアが国家召喚士に昇格すると、その扱いは一変し、個室が与えられたのである。


『ねえねえ、シルヴィア』

 頭の中に声が響いた。

 シルヴィアの隣りをのそのそ歩く、カー君のものだ。

 召喚した当時は、小さくて可愛いふわふわの獣だったが、魔石とともに成長した結果、現在は体長が三メートルを超している。


 カー君はシルヴィアの幻獣だから、当然のように一緒に行動していた。

 今日だって、秘書室でクッキーのお相伴に預かったし、執務室では床に大人しく横たわり、マリウスの幻獣である火蜥蜴サラマンダーと遊んでいた。


 シルヴィアは半ばうわの空で問い返した。

「どうしたの?」

『さっきゴーマ(火蜥蜴の名前)がね、変なことを言ったんだ』


「何て言われたの?」

『お前、同族っぽい匂いがする……だって。

 失礼だと思わない? 僕はトカゲじゃなくて精霊族だよ』


「まぁ、カー君は最初から火を吹いたし、空を飛べるようになってから、顔や体つきが爬虫類っぽくなってきたものね」

『えー、そうかなぁ?』


「そうよぉ。昔はもっとキツネっぽくて可愛かったわ」

『あー、シルヴィアまでそんなこと言うの?

 いいもん、最近お尻が大きくなって、重くなったことバラしちゃうからね!」


「ちょっ! あんた、なんてことを!!」

 シルヴィアは慌てふためいてカー君の口を押さえ込み、きょろきょろと周囲を見回した。

 書類を抱えた女性職員が、不思議そうな顔ですれ違っていった。


 カー君と人間の会話は一種の精神感応で、音としては聴こえない。

 今までの会話は、カー君とシルヴィアの間だけで交わされたものだ。

 だが、困ったことに彼はその気になれば、不特定多数の人間にも思考を伝えることができる。


 カー君とシルヴィアは四六時中一緒にいるから、体重以外もいろいろと恥ずかしい秘密を知られている。

 彼と喧嘩をするのは得策ではない。


「前言撤回、あんたは今でも可愛いわよ。

 クレアの店のアップルパイで手を打たない?」

『チョコクリームのせで!』


      *       *


 机で埃をかぶっていた書類の山を見なかったことにして、シルヴィアは出発の準備に取りかかった。


 軍人の身分を偽る必要がないなら、休暇中であっても制服着用は自然である。

 ただ、貴族の家に一か月以上滞在する以上は、それなりの衣服を持参しなければ、実家の体面にも関わる。

 彼女は許可を取って、午前中のうちにいったん下宿に帰った。

 ロゼッタに事情を説明して、準備を手伝ってもらうつもりだった。


 礼にかなったドレスを数着、それに合わせる宝飾類、靴、バックなどの小物を選ぶのは大変な作業なのだ。

 この点では、豪商の娘であるロゼッタは、実に頼りになった。

 もしエイナがいたとしても、田舎娘の彼女は何の役にも立たなかっただろう。


 どうにか夕方までに荷物をまとめ、これをカー君専用の振り分け鞄に詰め込むのが、また一苦労だった。

 辺境伯の屋敷に着いたら、まずアイロンを借りて皺を伸ばさねばならないだろう。

 考えただけでも気が重くなった。


 シルヴィアは『荷物が重い!』と不満を洩らすカー君をなだめ、ファン・パッセル家の中庭を飛び立ち、直接白城市に向かった。

 本来なら参謀本部に戻り、最低でも総務に顔を出して出発を申告する必要があるのだが、その手続きはロゼッタが代行してくれた。


 普通なら、一般人に許されることではない。

 しかし、ロゼッタは退官して十数年が経つが、いまだに参謀本部の事務方に強い影響力を持っている。

 何しろ総務、人事、経理の部課長たちは、新人のころ散々ロゼッタに世話になった者ばかりで、数々の弱味も握られていたのだ。


      *       *


 白城市に着いたのは、夜の八時前だった。

 緊急時には城壁を越え、白城の中庭に直接降りるのだが、今回はそういう任務ではない。

 シルヴィアたちは白城市の西門の前に降り、きちんと入場手続きを済ませた上で、歩いて市街へ入った。


 白城市は王国内でも、最多の人口を抱える大都市である。

 商業都市らしく、その大通りには歴史ある名店がずらりと軒を並べ、多くの買い物客でごった返している。


 ただし、それは昼間の話である。

 夜になると、そうした目抜き通りの老舗は早々に店を閉め、人通りも嘘のようにまばらになっていた。

 その代わり、この時間から賑わうのは、裏通りの飲食・歓楽街である。


 この時代、人々の暮らしは太陽の出入りと連動するのが常識であった。

 すなわち、夜明けとともに起き、日没になれば眠る。

 ランプの燃料となる油は高価だったから、夜遅くまで起きているのは浪費に他ならなかった。


 しかし、四古都をはじめとする都会だと話が違う。

 街の住人や、地方からのお上りさんは、昼間のように明るく照らされた狭い通りに繰り出し、食事や酒、あるいは大きな声では言えない遊びを楽しんだ。


 シルヴィアも若い娘であるから、そうした誘惑にかられないでもない。

 だが、今は任務中である。彼女は賑わう裏通りを無視して、もっと静かな宿屋街に向かった。


 白城市にはもう何十回となく来ているから、馴染みの宿屋ができていた。

 白銀亭という宿はシルヴィアのお気に入りで、小さいが家庭的で居心地のよい宿だった。

 飛び込みでも、彼女の顔を見れば部屋を都合してくれたし、カー君の扱いにも馴れている。


 その夜も、遅い時間に入ってきたシルヴィアを笑顔で迎えてくれ、すぐに温かい湯を準備してくれた。

 入浴後には、温め直した女将自慢の手料理が待っていた。

 腹を膨らませたシルヴィアは、柔らかなベッドに潜り込み、慌ただしい一日を終えたのであった。


      *       *


 翌日は、朝一番で宿の清算を済ませ、白城に向かった。

 シルヴィアを辺境伯へ派遣するという案件は、白虎帝を通して参謀本部に寄せられたものなので、まずは要請受諾の申告をしなければならない。


 昨夜に大門を通過したことで、シルヴィアが市内に入った情報は、すでに白城に伝わっていた。

 そのためか、白虎帝への面会を申請すると、あまり待たされることなく通してもらえた。


 現在の白虎帝は、ノエル・アシュビーという若者だった。

 彼は魔導院の三学年上だったから、シルヴィアにとっては九年間、同じ学び舎で過ごした先輩――というより、むしろ家族に近い感覚であった。


 シルヴィアは謁見の間ではなく、ノエルの執務室へと招かれた。

 儀礼的な挨拶ではなく、突っ込んだ話をしようという、白虎帝の意思の表れである。


 シルヴィアとしても、それは望むところだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ