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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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四十三 英雄の帰還

 エイナは震える手で毛布をめくった。

 ケヴィンの顔は青白く、死後硬直が起きていた。

 半開きの目は白く濁り、口の中は暗い空洞になっていた。あれだけよく動いていた舌が、重力で喉の奥に落ちたせいだった。

 その表情は虚ろだったが、少なくとも苦悶の跡は見られなかった。


 考えてみれば、エイナの初めての部下となった六人の新兵の中で、ケヴィンが一番気安い態度で彼女に絡んできた。

 それは生意気で腹立たしくもあったが、同時に距離を詰めてくる彼の存在は、嬉しくもあった。

 エイナは一人っ子だったが、もし弟がいれば、きっとこんな感じだったんだろうと思っていた。


 その一方で、ケヴィンの方は男女の感情で近寄ってきている……そのことを、心のどこかで感じてもいた。


「……いつ、死んだ? 私が戦っている間のことか?」

 のろのろとエイナが訊ねる。

「いえ、ユニ殿が診てくれて、息を引き取っていることが分かりました。

 我々が撤退した時には、まだ意識もありましたから、その間のことだと思います」


「死因は?」

「ケヴィンが受けた矢は三本、うち一本が肺に、二本は腹に深く刺さっていました。

 ユニ殿の話では、肝臓に刺さった矢が太い血管を傷つけ、その出血によるショックで亡くなったのだろうと……。

 もう意識をなくしていて、あまり苦しまなかっただろうということです」


「私に報告しなかったのは、戦闘に影響することを懸念したのだな?」

「申し訳ございません。自分がユニ殿にお願いして、伏せていただきました。

 ケヴィンを失ったのは、自分の判断ミスです。すべての責任は――」


「黙れ」

 エイナは曹長の弁明を、低い声で遮った。


「私がついていたら、ケヴィンは死なせなかった!

 私なら技量に勝る敵に、兵を突っ込ませるような無茶はさせなかった!

 ――私がそう言うと思ったのか?」

「……」


「兵の命を惜しんで隠れていたら、それはもう軍ではない。

 技量差を補うために、敵の不意を突いた曹長の作戦は理にかなっている。私でもそう命令しただろう。

 相手が悪かっただけで、曹長には何の責任もない。お前はよくやってくれた」

「身に余るお言葉、自分は……いえ、何でもありません」


「彼の死を私に知らせなかった判断も正しい。

 それを聞かされていたら、私はとても冷静でいられなかっただろう。

 だが、嘘は言うな。伏せることを提案したのは、ユニさんの方だろう?」


 コンラッドは息を呑んで言葉に窮した。そして、諦めたように白状した。

「ユニ殿は悪くありません。決して――」


 エイナは曹長の顔面に手を伸ばし、再び言葉を遮った。

「決して、私が未熟者だとあなどったわけではない……曹長はそう言いたいのか?」

「……はい」


「いや、その判断も正しい」

 そう言って、曹長の顔を見つめたエイナの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれだした。


「お前が考えるように……私は指揮官として、いや人間としてもまだまだ未熟だ。

 部下たちの前で、無様な姿を見せるべきではないと、頭では分かってもいる。

 だが頼む、今だけはそれを許してくれ」


 コンラッドは黙って頭を下げ、その場を立ち去った。

 曹長がうつむいている兵たちのもとへ戻ると、背後から胸が張り裂けるようなエイナの号泣が聞こえてきた。


      *       *


 エイナの小隊はカイラ村に帰還した。

 担架に横たえられたケヴィンの遺体は、再びオオカミたちが運んだ。


 驚いたのは、頑丈な外壁に囲まれた村の入口で待ち構えていた、情報部の部隊であった。

 彼らはエイナに情報は与えはしたものの、経験豊富な敵工作員はそれを出し抜き、カイラ村への個別侵入を試みるだろうと踏んでいたのだ。

 そのため、情報部は手持ちの戦力から、三個小隊約四十名の武装兵を動員し、村の四方にあるすべての門を固めていたのだ。


 そこへ、ユニのオオカミたちを伴ったエイナの小隊が現れたのだ。

 彼女たちが怪我人と戦死者を帯同していたことで、何があったかは明らかだった。


 情報部はユニとエイナ、そしてコンラッド曹長の三人を別々に連行して事情を聴取した。

 まるで犯罪者のような扱いだったが、聴取に応じたエイナたちは、起きたことを正直に語ったまでである。

 三人の供述に矛盾はなく(どうせ蒼城市に戻れば、改めて尋問が行われるのだが)、明るみに出た事実は、情報部の判断の甘さであった。


 まず第一に、情報部が自信をもってエイナに教えた敵の潜入ルートが、間違いではないが選択肢の一つに過ぎなかったことである。

 この森を根城とするユニのオオカミたちは、帝国工作員の侵入拠点をとっくの昔に洗い出しており、今回もその情報をもとに敵を迎え撃っていた。

 それだけでも彼らの威信は失墜している。


 さらに敵工作員には、護衛の魔導士がついていたことである。

 そのような事例は今回が初めてだったから、予想するのは難しいだろう。ただ、事前にその兆候を掴めないのでは、情報部の存在意義が問われることになる。

 しかも、エイナとユニの報告を信じるならば、敵の魔導士はネームド級の大物である可能性が高い。


 実際この後に行われた情報部の現場検証で、戦場に残された大規模な土壁跡によって、彼女たちの証言は裏付けられたのである。

 帝国東部軍にそんな手練れの魔導士が配属されていたことを、情報部はまったく把握していなかった。


 そして、面目を潰した情報部を嘲笑うように、エイナは新設の小隊(しかも定員不足)を率いて果敢に敵を迎え撃ち、二名を討ち取って撤退させたのである。

 情報部の将校は顔を真っ赤にしたが、事実は変えられなかった。

 その一方で、彼らは小隊にケヴィンという犠牲者が出たことを、全く気にしなかったのだ。

 エイナはそれを強く憤ったが、客観的に見れば優勢な敵と交戦して、自軍の犠牲の方が少なかったのだから、当然の反応である。


 エイナたちの簡易聴取は半日で終わり、負傷をした部下たちはカイラ村の医師の診察を受けた。

 もっとも、下手な医師よりも経験豊富なユニの手当は完璧で、医師が指示したのは包帯の交換だけだった。


 翌日、エイナの小隊はカイラ村を出て、蒼城市に向かった。

 一晩寝たことで半分程度魔力が回復したエイナが、凍結魔法を使ってケヴィンを氷漬けにして腐敗を防いだ。

 小隊にはユニも同行したから、これまでのように遺体はオオカミが運んでも不都合はない。

 しかし、軍の出張所は村で一番豪華な馬車を借り上げ、その中にケヴィンを押し込んで送り出した。

 この辺は、あくまで軍の体面を保つためで、情報部の指示でもあった。


 王国と帝国が対立しているとはいえ、両国は断交しているわけではない。

 したがって、小競り合いはあっても正面切った戦闘は滅多に起こらない。

 もっとも近い大規模戦闘は、マグス大佐が率いる帝国軍が突如侵入し、黒城市を一か月近く占拠した事件であった。


 当然のことだが、その際には戦闘で多数の戦死者が出た。

 だがそれ以来、軍で記録された死者は、ほとんどが訓練中の事故によるものであった。

 王国にとって、ケヴィンは十数年ぶりの戦闘による殉死者ということになる。


 軍がこれを座視するわけがない。

 ケヴィンは英雄として祭り上げられ、軍に対する市民の支持向上と、全軍の士気の鼓舞に利用されねばならなかったのだ。

 ただ、こうした態度を目にしたエイナたちが、複雑な感情を抱いたのはやむを得ないことであった。


      *       *


 三日後、蒼城市の大門をくぐったエイナたちを出迎えたのは、信じられない光景であった。

 城に通じる大通りの両側には、儀仗隊と礼装に身を包んだ第四軍の兵士が整列し、軍楽隊が壮麗な演奏を行っていた。

 兵たちの背後には、市民が黒山の人だかりを作り、通りに面した建物の二階の窓からは、鈴なりとなった人々が零れ落ちそうになっていた。


 それは紛れもなく〝英雄の凱旋〟であった。

 もちろん、第四軍と情報部が示し合わせて行った演出であったが、市民がそれを積極的に受け入れたのも事実である。


 歓呼の声と紙吹雪に迎えられながら、それを腹立たしい気分で受け止めたのは、エイナの小隊の面々だけだった。

 蒼城市の民衆の誰もがケヴィンの死を悼み、その勇気を称えてくれるのは嬉しい。

 だがエイナたちは、『ケヴィンの死が穢されている』と、どうしても感じてしまうのだった。


      *       *


 蒼城市に帰還したエイナたちには、お馴染みの〝事情聴取〟が待ち受けていた。

 数日にわたる尋問から解放された部隊には、ケルヒャ大隊長のねぎらいの言葉が寄せられ、直属上司であるオラール中隊長が酒保で一席を用意してくれた。


 市民の熱狂は別にして、軍内でのエイナ小隊に対する見方は、おおむね同情的なものであった。

 彼女たちに課せられた命令は敵の捕縛であり、その点では任務に失敗したことになる。

 だがその命令自体〝重すぎる〟と、誰もが感じていたのだ。


 もちろん、敵をみすみす逃したエイナの指揮に対して、軍上層部の間では批判的な意見も存在した。

 だが、現場の部隊指揮官たちからの擁護の声は強く、上層部もそれを無視することができなかった(多少の後ろめたさもあったのだろう)。

 結局のところ、エイナたちには明確な賞罰がなく、死者と怪我人で欠員が生じた部隊は現場の勤務から外されることになった。


 ケヴィンの葬儀は週明けの月曜日、冷たい雨がそぼ降る日に行われた。

 軍の墓地は蒼城市の郊外にあり、そこに非番の者を含めた将兵が集められ、仰々しい儀式が執り行われた。


 ケヴィンの棺を運ぶ役目は、エイナの小隊が担った。

 本来なら六人で運ぶのだが、ウォルシュとサムは怪我のため参加できず、曹長を含めた四人の兵が棺を担いだ。


 エイナたちは白い礼装を着用していたので、足元で撥ねる泥がズボンの裾を汚した。

 雨が衣服を濡らし、軍帽のつばからは、ぽたぽたと雫が落ちる。

 埋葬地までは、同じく礼装に身を包んだ兵たちが並んで道を作り、捧げ剣の姿勢で微動だにしない。


 軍楽隊の演奏する葬送曲が流れる中、葬列は静々と進んでいった。

 埋葬地にはあらかじめ長方形の穴が掘られており、棺はその中にロープを使って下ろされた。

 エイナと怪我人を含めた全員がスコップで土をかけ、穴が埋められると真新しい墓標が立てられた。


 エイナたちは葬列が出発する前、墓地の脇に張られたテントの中で、最後の別れを済ませていた。

 棺に眠るケヴィンには化粧が施され、半開きだった目や口もきちんと閉じられていた。

 鼻の穴に綿が詰められているのを見なければ、まるで眠っているように見える。

 エイナと兵たちは、この陽気で生意気だった若者に、一人ずつ棺に花を入れて言葉をかけ、別れを惜しんだ。


 そこである程度、気持ちの整理がつけられたので、蓋をされた棺を運び、埋める行為には、あまり感情が動かされずに済んだ。

 墓標が立てられると、軍楽隊の演奏が止み、軍のお偉いさんによる演説が始まった。

 エイナたちは整列してそれを聞いていたが、あまり話の内容は頭に入ってこなかった。


 エイナは横に立つ曹長に、口を動かさずに小声でささやいた。

「一般市民は見物に来ないのだな?」

「これは軍内の儀式ですから、知らせていないのです」


「だが、遺族が立ち会わないのは、変ではないか?」

「昔は呼んでいたそうです。

 ただ、中には感情が制御できず、大声で軍を罵る者も多かったそうです。

 そのため遺族には後で通知され、家族と親戚だけで弔うのが習わしとなりました。

 お互いにとってその方がよい、自分はそう思います」


「そうだな……」

「少尉殿には、この後もうひとつ仕事が待っております。

 早めに済ませておいた方がよいでしょう」


「分かっている。指揮官の義務という奴だな」

「はい。おつらいでしょうが……」


 エイナと曹長の会話はそこで途切れ、だらだらとした演説も終わった。

 最後に全員が剣を捧げ、壮麗な儀式は終わりを告げた。


 小隊の控室に戻り、普段の軍服に着替えたエイナは、小さな机に向かって座り、ペンをインク壺に浸した。

「自分は兵たちと稽古をしてきます」

 コンラッドがそう断って、兵たちを城内の訓練場へ追い立てていった。

 エイナのために、気を遣ってくれたのだ。


 エイナは机の上に広げた便箋を前にしばらく逡巡していたが、やがて思い切ったようにペンを走らせた。

 

「ご両親様」

 最初の一行には、きれいな筆致でそう記された。

 それは指揮官としての大切な義務、部下の死を家族に報告する手紙の執筆であった。


      *       *


 エイナの部隊への補充は、遅々として進まなかった。

 新しい年を迎えて一週間ほど経つと、怪我をしたウォルシュが復帰し、サムもその数日後には戻ってきた。

 この間エイナと曹長は、部下に対する実践的な訓練に没頭することになった。


 帝国の工作員との戦闘で、自分たちの未熟さを痛感した兵たちは、以前よりも真剣な態度で喰らいついてきた。

 戦場においては、弱い者から死んでいくという事実を突きつけられたのだから、当然の結果である。


 結局、補充として三人の新兵が配属されたのは、一月の二十日過ぎだった。

 ただし、第四小隊には兵だけでなく、若い少尉も送り込まれてきた。

 異動期限が切れたエイナは、参謀本部に戻ることになり、代わりの小隊長が任命されたのだ。


 最後の週末、酒保ではささやかな送別会が行われた(費用は大隊長持ち)。

 エイナの部下たちは、エイナが去ることに納得していなかったので痛飲し、めちゃくちゃな会となった。

 泣き出す者、怒る者、思い出に浸る者、果てはエイナに愛を告白する者まで現れた。

 こうした酔っ払いどもには、容赦なく曹長の鉄拳が飛び、そのたびに笑いと喝采が上がった。

 エイナは腹がよじれるほど笑い、何度も泣かされた。


 翌日の早朝、エイナは軍の馬を借りて帰途の旅についた。

 まだ人がまばらな大通りを進み、蒼城市の南門に達すると、そこにはコンラッド曹長と五人の部下たちが勢揃いをしていた。


 エイナは馬上から笑いかけた。

「何だ貴様ら、今日は休日だぞ。二日酔いはいいのか?」

「自分が全員叩き起こして、洗面器に顔を突っ込んでやりました」

 曹長が豪快に笑い、すぐに真顔になる。


 彼は前を向いたまま、後ろに整列する兵たちに大声で号令をかけた。

「我らが小隊長殿・・・・にぃー、敬礼!!」


 一糸乱れぬ見事な動作に対し、エイナは微笑んで答礼を返し、黙ってうなずいた。

 思いのたけは昨夜のうちに散々語ったから、もう言葉はいらなかったのだ。

 エイナは大門に馬を進め、部下たちは彼女の姿が門外に消えて見えなくなるまで、敬礼の姿勢を続けていた。


 エイナは一度も振り返らなかった。

 そんなことをすれば、泣き出してしまうことが分かっていたからだ。

 そして、手続きを終えて門外に出た時、ふとあることに気づいた。


 いつもエイナを「少尉殿」と呼んでいた曹長が、初めて「小隊長殿」という言葉を口にしたことである。


 エイナの顔に笑顔が浮かび、同時に一粒の涙が頬を伝って零れ落ちた。

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― 新着の感想 ―
こんなに盛大に送り出してもらえるとはある意味幸福ではないだろうか……鼻かんだティッシュより雑に扱われて死ぬ兵もいましたものね。 とはいえ初めての部下をこんな任務で失うのは重すぎますね…… 手柄が欲しい…
[気になる点] >そのため遺族には後で通知され、家族と親戚だけで弔うのが習わしとなりました。 これは、納棺→軍 七日毎の読経(仏教)→家族と親戚 って事ですかね。 遺髪くらいは渡されるのかちら? 何も…
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