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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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四十二 安否

 フランツは一瞬で理解した。

『あの魔導士は、こっちの矢を防いだ直後に防御を解除したんだ。

 ほとんど間を置かずに攻撃魔法を発動したってことは、最初からそのつもりで呪文を詠唱済みだったのか!』


 確かに、連弩は矢を射ち尽くしてしまうと、再装填に時間がかかる。

 それを見越しての防御解除だったにしても、別の攻撃を受ける可能性だってある。

 あまりにも思い切りのよい決断である。


 とにかく目の前に迫っている敵は、今まさにファイアボールを撃とうとしている。

 この近距離で威力の大きい攻撃を敢行すれば、自分たちが巻き込まれかねないのにである。


 フランツの方も、すでに加重魔法の詠唱を終えている。

 敵が凍結した世界から飛び出し、土の精霊が健在なこちら側に入ったなら、今度こそ相手を圧し潰せる。

 だが、今それを行ったらどうなる?

 まず間違いなく敵を殺せるだろうが、同じようにフランツたちも全員焼け死ぬだろう。

 あの白いオオカミに乗っている若い娘は、『差し違える勇気があるなら、やってみろ!』と迫っているのだ。


 もちろんフランツに、『どうしよう?』などと考えている暇はなかった。

 マグス大佐の部下として鍛えられていた時分には、大佐から『考える前に動け!』と、何度も怒鳴られたものだ。

 大佐に言わせれば、日頃から真面目に鍛錬していれば身体が覚えている。いざという時には身体が自然に動くし、往々にしてそれが最適解となるのだそうだ。


 彼が判断に使える時間は、コンマ一秒にも満たない。

 相打ちで華々しく散るか、切り札を使うかである。

 フランツは躊躇なく後者を選択した。


 彼は右手を軍服の上着に突っ込んだ。左胸から引き抜いた手には、小さな木札が二枚、握られていた。


「ちいっ!」

 顔を歪ませながら、フランツはそれを前方に投げ捨てる。

 敵の放った光球は、もう数メートル先にまで迫っていた。


 木札が地面に刺さった瞬間、地面が爆発的に盛り上がり、フランツと工作員たちの視界を塞いだ。

 彼らのすぐ目の前に、体長三メートルほどの人影が出現していたのだ。


「逃げろっ!」

 フランツはそう叫びながら、後方に飛びのいた。工作員たちも、反射的にその動きに倣った。

 緩い丘の斜面を転がり落ちる彼らの背後で、凄まじい爆音がとどろいた。


 丘の下で止まったところで、彼らはやっと背後を振り返った。

 反対側の丘の斜面に半球状の結界が出現し、その中で炎の渦が荒れ狂っていた。

 帝国兵にはお馴染みの、ファイアボールが直撃した際に起きる煉獄のドームである。


 オレンジ色の炎の隙間から、ちらちらと巨人の人影が見えた。


「中尉殿、あれは?」

 工作員の男が、引きった顔で訊ねてくる。


「呪符で呼び出したゴーレムだ。あいつらが敵の攻撃を引き受けたんだよ」

「我々の身代わりで犠牲になった?」


「縁起でもねえことを抜かすな!

 土のゴーレムなら耐えきれる。結界が消滅次第に反撃を始めるはずだ。

 奴らが時間を稼いでくれる。今のうちに撤退するぞ!」

「課長への土産をまだ買っていませんが?」

「知るか、馬鹿!」


 フランツと工作員たちは背を屈めて丘から離れ、森の奥へと走り出した。


      *       *


 魔法の爆発によって出現した炎のドームの前で、エイナはロキに急転回させた。

 彼女は敵を目前にして、元の方向に逃げ出したのだ。

 ユニとライガは訳が分らないまま、その動きに追随する。取りあえず、あの灼熱地獄から離れるのは大賛成だ。


 エイナは土壁に開けられた門の前でロキを停止させ、再び丘の方に向き直った。

 やや遅れて追いついたユニが、即座に問いただした。


「敵をったんでしょ、何で逃げるのよ?」

 ユニは正確な状況を把握していなかったのだ。


 確かに、エイナの魔法が当たる直前に、地面から黒い影が盛り上がったのは見えた。

 敵が苦し紛れに出した土の防壁だろう、ユニにはそう思えた。

 だが、ファイアボールはすべてを巻き込んで大爆発を起こし、敵が陣取っていた丘を地獄の炎で包み込んだ――それがユニが認識した状況だった。


「違います! 魔法が当たったのはゴーレムです。

 敵の魔導士が、直前に呪符を放ったのが見えました」

「そうなの? あんた、目がいいわね~!」


 呪符とは、特殊な用紙に魔法陣を描き、そこに術式と魔力を封じ込めたものである。

 基本的には使用者の魔力で発動するが、呪符を燃やしたり、水につけるなど、一定の条件で起動させる場合もある。

 フランツが使った呪符は、土のゴーレムを呼び出す術式が封じられたものなので、大地に触れることで効果を発揮したのだ。


 ユニとエイナが会話を交わしている間に、炎のドームは消滅した。

 ファイアボールが生み出す結界は、十数秒しか持たないのだ。


 ユニは目を細めて状況を見極めようとした。

 高熱で陽炎かげろうのように空気が揺らいでいたが、そこに二体のゴーレムが立っていることが確認できた。


「ちょっと、壁の中に出たゴーレムと、サイズが全然違うじゃない!?」

 ユニは悲鳴に近い声を上げたが、エイナは何も答えない。

『あれっ?』と思って顔を覗き込むと、彼女は目を閉じて、ぶつぶつ呪文を唱えていた。


 壁の中に出現したゴーレムの群れは、フランツのオリジナルといえる特殊なものだった。

 土の精霊そのものが核となり、純粋に精霊の力で動くゴーレムだ。魔力は操作するための供物に過ぎない。

 一体の精霊が動かせる質量は案外に少なく、そのためフランツが〝チビども〟と呼ぶように、子どものような身長となる。


 一方の呪符を核にしたゴーレムは、封じられた魔力で動く。

 ある程度大きな身体にできるが、呪符の魔力を使い果たすと活動を止め、崩壊してしまうという限界があった。

(この辺は、エイナが後からユニに説明したことである。)


 二体のゴーレムはエイナたちの方に向けて歩き出したが、やけに動きが遅く、ぎこちなかった。

 凄まじい高温にさらされたことで、体内の水分があらかた蒸発したせいである。

 だが結界の外に出て、地面を一歩踏みしめるたびに、彼らは地中から急速に水分を吸収していった。

 それとともに、動きが次第に滑らかになり、速度も上がっていった。


 エイナが逃げて距離を取ったたのは、次の呪文を唱える時間を稼ぐためであった。

 どんどん近づいてくるゴーレムに向け、エイナの右腕が伸び〝パシッ〟と乾いた破裂音が響いた。

 次の瞬間、ゴーレムたちの立つ地面が真っ白に凍りつき、動きが停止した。

 エイナが得意とする凍結魔法(絶対零度ではない)だったが、壁の中で使った時よりも範囲が狭く、威力も弱い感じがした。


 停止したゴーレムを確認したエイナは、安堵の息を吐いたが、ユニの方は安心できない。

「凍らせても一時の気休めなんでしょ。動き出したらどうする気なの?」


 エイナは弱々しい笑みを浮かべた。

「大丈夫。彼らは凍っている間も動こうとして、魔力を消費し続けます。本当に動けるようになる頃には、呪符の魔力が切れるはずです。

 きっと、緊急用の呪符だったんでしょうね。魔力の波動が弱かったですから……」

「なら、ゴーレムは放っておいて、敵を追いましょう!」


 だが、エイナはロキの背から滑り降り、その場にしゃがみ込んでしまった。

「駄目です、もう魔力が残っていません。

 初級魔法を使っただけでも、気絶しそうです」

「分かった。じゃあ、エイナはここで休んでいて。

 あたしとオオカミたちで――」


 だが、エイナはユニのブーツを片手で掴み、首を横に振った。

「止めた方がいいです。

 敵の魔導士には、まだ魔力が残っている感じでした。オオカミたちが近づけば、重力魔法で潰される恐れがあります。

 悔しいですが、相手の方が遥かに経験を積んでいます。多分、呪符も使い切っていないでしょう」

「それなら、あんたの魔力が回復してから追えばいいわ。丸一日休めば、ある程度戻るんでしょう?

 それから追跡したって、追いつくことは可能だわ」


「それも止めた方がいいです。

 相手はオオカミが臭いで追ってくることを知っています。

 私が彼らだったら、足跡に呪符を仕込んでおくでしょうね。

 ゴーレムと戦いながら敵を追うのでは、時間もかかる上に、魔力がいつまでたっても回復しません。

 不完全な状態であの魔導士と戦うのでは……正直に言って勝てる自信がありません」


 ユニは肩を落とし、溜息をついた。

「しょうがないわね。

 みすみす敵を逃がすのは業腹ごうはらだけど、奴らを追い返したってことで納得するしかないわね。

 ミナと姉妹が敵をつけているけど、呼び戻すわ。閉じ込められているハヤトとトキも助けなきゃ。

 魔導士が逃げったってことは、あの土牢も崩れるんでしょう?」


 エイナはうなずき、少し遠慮がちな声を出した。

「えと、あの……怪我をした部下たちが心配です。私は戻って、彼らと合流したいと思います」


 ユニは小さく息を呑み、黙ってしまった。

 その問題は後回しにしていたのだが、逃げ続けることは許されないのだ。


      *       *


 エイナは部下たちのことがよほど心配なのか、ユニをしきりにかした。

 だがユニは、オオカミたちの集合が先だと譲らなかった。


 ハヤトとトキを閉じ込めていた土壁のドームは、予想どおりに崩壊を始めていた。

 すでに天井が落ちていたが、まだ二頭は外に出れないでいた。


「もう壁自体がもろくなっていますから、オオカミたちが体当たりするだけで崩せると思います」

 エイナのアドバイスを受け、ライガが助走をつけて身体をぶつけてみると、土壁はあっけなく壊れ、ライガは勢いあまって中へ転がり込んだ。

 その身体を受け止めたのは、青灰色の毛並みのハヤトであった。

 仰向けになったライガは、仲間の顔を見上げながらべろりと泥まみれの鼻を舐めた。


『よう、ハヤト。ずい分な活躍だったじゃないか』

『うるせえっ!!』


 短気なハヤトの機嫌は最悪であった。

 彼は『今すぐ帝国の奴らを追いかけて、ズタズタにしてやる!』と息まいたが、ユニに鼻の上を殴られて沈黙させられた。

 二頭の救出に続き、しばらくしてミナとジェシカ、シェンカの三頭も戻ってきた。


『本当に逃がしちゃってよかったの?』

 そう訊ねるミナは落ち着いていたが、娘たちは興奮状態だった。


『追っかけっこした! すんげぇ面白かった!!』

『のろまかと思ったら、めっちゃ早いの! びっくり!!』

 先を争うように報告してくる姉妹に、ユニは面食らった。


「ちょっと、何の話よ? 誰が追っかけたの?」

『おっきな土人形が出たの!』

『そう! 地面からいきなり生えた!!

 そんで、あたしたちと遊んでくれたの!!』


 要領を得ない姉妹の話に見かねて、母親であるミナが説明をしてくれた。

『途中で土の巨人が出現したのよ。相手の魔導士は、あたしたちの追跡を予想してたんでしょうね。

 そいつが襲いかかってきてね。デカい割に凄い早さだったけど、森の中じゃこっちの方が早いわ。

 でも、とにかくしつこかったわよ』

 ミナは思い出したように鼻に皺を寄せた。


「それで、そのゴーレムはどうなったの?」

『森の中を引っ張りまわしていたら、突然ばらばらになって崩れちゃったわ。

 ええと、人間の時間感覚だと、十分くらい? だったかしら』

 オオカミたちが逃げ回った判断は正しく、ゴーレムは呪符の魔力を使い果たして自壊したのだろう。


『うちの娘たちを追いかけ回すとは、ふてえ野郎だ!

 俺がいって噛み殺してやる!!』

『父ちゃん、違うよ! お人形さんは遊んでくれたの!』

『敵の罠に引っかかった父ちゃんが威張るのは、変だと思うわ!

 あたしたち、ちゃんと敵を倒したのよ、活躍したのよ!』

 凄い形相で首を突っ込んできたハヤトだったが、娘たちから突っ込みで再び沈黙させられた。


 ユニとオオカミたちのやりとりに、エイナは我慢ができなくなって割り込んだ。

 話の内容は分らなくても、雰囲気は察することができたのだ。


「これ以上、ここに留まる理由はありません。

 ユニさん、もう出発しましょう!」


 もう引き延ばすことはできなかった。

 ユニは観念したようにライガに跨り、エイナもロキの背中によじ登る。

 そして重い気持ちを抱えたまま、森の中へと消えていった。


      *       *


 魔導士同士の対決があった場所から待ち伏せ地点までは、それほど離れてはいない。

 緊急時ではないので、オオカミたちは並足で森の中を進んでいったが、それでも到着まで二十分とかからなかった。

 灌木の茂みを抜け、少し開けた場所に出ると、コンラッド曹長と部下たちの姿が見えた。

 彼らもエイナたちの姿を認め、表情がぱっと明るくなった。


 ロキから滑り降りたエイナは、部下たちの元へ走り出した。

 迎える兵たちは笑顔だったが、さすがに曹長は厳しい顔をしている。


「少尉殿、敵は?」

「残念だが逃がした。

 通信魔導士はオオカミが倒したから、再侵入は試みずに撤退するだろう。

 兵たちの傷はどうだ?」


「行動に支障ありません。ユニ殿の手当が早かったので助かりました」


 エイナは集まってきた兵たちを、改めて見渡した。

 曹長を除く全員が、どこかしらに包帯を巻いていて、血が滲んでいる者もいた。

 敵の矢を受けたというウォルシュは片腕を三角巾で吊っていたし、サムは木の枝で作った松葉杖を脇に挟んでいた。


 それでも、彼らの顔色は悪くない。

 初めて実際に敵と刃を交わしたのだ。もはや先輩たちから〝戦闘童貞〟とからかわれることもない。


「ケヴィンはどうした? 彼が一番深手だと聞いたが……」

「向こうに寝かせております」


 曹長が横に向き、二本巨木の方を示した。

 急造の担架が間からはみ出していて、毛布がかけられた足の形が見えた。


 エイナは兵たちを押しのけ、担架の方に向かった。

 曹長は黙ってその後についていったが、兵たちはその場から動こうとせず、みな下を向いてしまった。


      *       *


 苔の生えた柔らかそうな地面に担架が置かれ、ケヴィンが毛布にくるまって寝かされていた。

 よく眠っているのか、エイナが傍らに膝をついても毛布はぴくりとも動かない。

 声をかけようと手を伸ばしたエイナの動きが、ふいに固まった。白い指先が細かく震えていた。


 さっきから毛布が一ミリも動いていないことに、エイナは気づいたのだ。

 まるで彼女を騙すため、ケヴィンが息をこらえているようだった。


 毛布はケヴィンの額のあたりまでかけられていて、癖のある髪の毛だけが見えている。

 エイナは両膝をついたまま、背後に立っている曹長の顔を見上げた。


 エイナの顔には引きった笑みが浮かび、頬には涙が伝っていた。

 そして、彼女は泣き笑いのまま、震える声で訊ねた。

「駄目じゃないか曹長。

 顔まで毛布をかけたら、ケヴィンが息苦しいだろう?」


 曹長は歯を食いしばり、絞り出すように答えた。

「顔を……。少尉殿、ケヴィンの顔を見てやってください」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 活字がうまい!です(^^)d [気になる点] 6章-27 フランツ登場!回の時は、 これはエイナのパートナー候補か?などと変に勘繰っていましたが、そうでもなかったぽいです [一言] ケヴィ…
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