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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
231/359

四十 遊撃戦力

『おいユニ、もっと下がれ!』

 ライガがユニの服を咥え、乱暴に放り投げた。

 オオカミの行動は遠慮がなかったが、ユニもそれに慣れていたから、数メートル吹っ飛ばされても、地面で回転して受け身を取った。


「何よいきなり! びっくりするじゃない!」

『いや、エイナの奴ヤベぇって! 完全に切れてるぞ』


「分るの?」

『ああ、雰囲気が尋常じゃない。

 お前が乳が小さいって、からかわれた時と同じだぞ!」


「それは……うん、確かにヤバいわね。

 ゴーレムに見られたのが、そんなにショックだったのかしら?」

『毛を見られたくらいで怒ってたら、俺たちオオカミはどうしたらいいんだよ!

 まったく人間は、特に女って奴は理解できん』


「なにおう!」

 ユニは全女性を代表してライガを殴ろうとしたが、背後で起きた甲高い破裂音に思わず振り返った。


 その目には、まずエイナの後ろ姿が映った。

 彼女は魔法を撃った直後で、慌てたようにズロースとズボンを上げ、少し前(かが)みになってベルトを締めているところだった。


 そしてエイナから数メートル先には、凍りついた死の世界が広がっていた。

 白く氷結しているという点では、先ほどの凍結魔法と同じだったが、それとは明らかに様子が違っていた。

 ユニにも上手く説明できないが、今目の前に見える世界では、あらゆる生命活動が停止していると感じられたのだ。


 彫像のように立ち尽くすゴーレムからは、再生の兆候が全く感じられない。

 大地からは、春を迎えて生命が芽吹くという予感がしなかった。

 それは何もない、死の世界としか表現しようのない光景だった。


 土壁に囲まれた、幅十メートル、奥行き二十メートの範囲で、全ての生命が死に絶えたのだ。

 あまりの極低温に空気すらも状態変化を起こし、液体窒素の雨となって地面に流れ落ちた。

 それを埋めようと周囲の大気が流れ込むと、一瞬で大気中の水分が凍結し、キラキラとした光の粒子が舞い踊る。ダイヤモンド・ダストと呼ばれる現象である。


 ユニはライガを振り切ってエイナの傍に駆け寄り、彼女の腕を取って安全な後方へ引っ張り込んだ。

 エイナはシャツのボタンを嵌めようと躍起になっていたが、上手く指が動かずに癇癪を起こしていた。

 自分の身なりを正すことに夢中になりすぎて、その場に留まっていると数秒もたずに死ぬということを、まったく理解していない感じである。

 

 彼女を救出するため冷気に近づいたユニの方は、一瞬の接触にも関わらず、手指の先が凍傷を起こしかけていたのに、である。

 ユニは安全地帯まで後退すると、エイナの両肩を掴んでがくがくと揺さぶり、思いっきり頬を平手で張り倒した。


「正気に戻れ、この馬鹿娘!

 激情に駆られて自分を見失っているってことに気づきなさい!!」


 ユニに頬を張られたエイナは、怒りに満ちた眼差しを向けてきた。

 その目つきが尋常ではなく、白目が充血して真っ赤になっている。

 口が裂けたのかと思うくらいに大きく開き、八重歯が明らかに伸びていた。


 ユニは掴みかかってくるエイナ(凄い力だった)を無理やり押さえこみ、服のポケットから小さな鏡を取り出すと、それを彼女に突きつけた。

「よっく見なさい! これが今のあんたの顔よ!!

 力が欲しいのは分かるけど、人間を捨てて吸血鬼になるつもり!?」


 エイナの血走った目が大きく見開かれ、やがて怒りの色がふっと消え失せた。

「わ、私……どうして?」

 力なくつぶやく若い娘を、ユニはさらに揺すぶる。


「聞きたいのはこっちよ!

 あんた、何でそんなに切れたの? 何があったのよ!?」


 ユニの剣幕にエイナは怯えた。さっきまでとは別人であった。

「えと、あの……ゴーレムたちは、敵の魔導士に操られていました」

「当り前じゃない! それがどうしたの?」


「えと……魔導士はゴーレムを通して、私の裸を見ていたんだと思います。

 そのことを私に知らせるために、ゴーレムを操って、わざとからかいました。

 私、それが悔しくて……。

 私は恥ずかしいのをこらえて一生懸命戦っているのに、相手は馬鹿にしたんですよ!

 どうして女だからって、こんな屈辱を受けるのですか?

 魔導士なら、正々堂々と魔法で勝負すればいいじゃないですか!?

 こんなのっ、こんなの卑怯です!!」


 ユニはエイナ肩から手を放し、胸倉を掴んで引き寄せた。。

「それで暴走したの? 呆れるわね。

 エイナ、あんた〝正々堂々〟って、戦いを何だと思っているの?

 これは命のやり取りよ! あんたが弱みを見せれば、相手がそこを突いてくるのは当り前じゃない。

 断言するけど、敵の魔導士はね、あんたのマ○コなんか、これっぽっちも興味はないのよ!

 たかが毛を見られたくらいで、まんまと陽動に乗せられるなんて、戦いを馬鹿にしているのはあんたの方だわ!!」


 ユ二は言葉を吐き捨てると同時に、エイナの身体を邪険に突き離した。

「それで、土の精霊はどうなったの?」


 地面に叩きつけられたエイナは、のろのろと上体を起こす。

「精霊の気配は消えました。多分……逃げ出したんだと思います。

 温度が元に戻っても、当分は嫌がって寄ってこないでしょう。

 もうゴーレムは再生できないはずです」

「あれも、精霊が逃げ出したせいなの?」


 ユニが顎で指したのは、敵との間を隔てていた土壁だった。

 エイナは怪訝な表情で、ユニの視線を追った。

 絶対零度魔法の範囲に入った土壁は、崩壊を始めていたのだ。


 土の精霊が逃げ去ったのであれば、その力によって立つ壁が、自重に耐えきれずに崩れるのは自明の理である。

 しかし、それは不自然に高くそびえた壁を、普通の高さに戻すだけの作用である。

 それなのに、崩壊の連鎖はいつまでたっても止まらなかった。崩れた土の塊りは、何者かに押しのけられたかのように、左右に転がっていった。


 そしてわずか数分で、幅三メートルほどにわたって、平らな地面が出現した。

 まるで預言者が海を割ったという伝説のように、エイナたちの前に道が開かれたのだ。


「あれ、あんたの仕業よね?」

 ユニが半ば呆れながら訊ねた。


「しっ、知りません! いくら極低温でも、凍結魔法であんなことは……!」

「だから、それが吸血鬼の力なんじゃないの?

 まさかあんた、自覚もなしにやったとか?」


 エイナがぶんぶんと首を縦に振った。

 ユニは思わず吹き出し、腕を伸ばして開かれた門の先を指さした。


「ほら、見てごらんなさいよ。

 向こうでも、目の前で起きたことが信じられなくて、目を白黒させている奴がいるわよ」


 人一倍視力のよいエイナの目には、確かにその表情までよく見えた。

 そこには、呆然として立ちすくみ、口をだらんと開けた敵魔導士の姿があった。


      *       *


 時間を少し遡る。

 ゴーレムを大量に仕込んだ巨大な土壁を出現させ、フランツはひとまず安堵の息をついた。

 身体から魔力がごっそりと失われたが、代わりに敵の魔導士の命運は断たれたはずだ。

 ただし油断はできない。相手はあのカーン少将と戦っても、殺されなかったという化け物だ。どんな手段を使うか分らない。

 そして彼の魔法はこれで終わったわけではなく、引き続き土の精霊たちへの貢物(魔力)を供給し続ける必要もあった。


 フランツの保有魔力は、確かに一般の魔導士官より相当に多かった。

 ただ、マグス大佐に比べれば鼻くそのようなもので、カーン少将にも遠く及ばなかった。


 彼が優れていたのは、土の精霊との親和性である。

 何かの血筋なのか、突然変異なのかは、自分でも分らなかった。魔導士となった時には、もうそれができていたのだ。

 精霊は単に力を貸してくれるだけでなく、自らが動いてフランツに協力してくれた。

 だから、彼は少ない魔力消費で、こんな大魔法を使えたのである。


 敵の女魔導士は、土壁を出す寸前にファイアボールを放ったようだった。

 思い切りのよい攻撃で、馬鹿みたいな魔力の放出が感じられた。

 だが、あの程度の攻撃では、目の前に立ちはだかる壁は突破できないだろう。


 土壁を出してからしばらく経って、壁からゴーレムが生まれ、活動を開始したらしい。

 その証拠に、フランツの頭の中に彼らの見ている光景が浮かんできた。

 出会った時には、ちらりとしか確認できなかったが、二人の女の表情がはっきりと見える。


 一人は黒髪の若い娘、もう片方は栗色の髪で年かさの小柄な女である。

 灰色と白の毛並みをした巨大なオオカミが、二人を守るようにぴたりと立っていた。


『あのちっこいのが召喚士だな?

 若いのもなかなか可愛いが、俺はこっちの方が好みだな。胸がデカくないし、いろいろ締まりがよさそうだ』

 フランツの素直な感想が、ユニに聞こえなかったのは、お互いに幸運であった。


 ユニというオオカミ使いの召喚士が、敵魔導士に協力していることは、かなり前から予想がついていた。

 だからこそ、背後から突然襲ってきた二頭にも、余裕をもって対処ができた。

 彼らは土のドームに閉じ込められ、術を解かない限り出られないだろう。


『先に仕掛けてきた二頭が、俺たちを監視していた奴だとして、娘魔導士の護衛についているのと合わせて四頭か……。

 あいつ(工作員)の話では、オオカミは八頭の群れのはずだ。

 残りの四頭はどこにいる? こいつは気が抜けねえな』


 ぶつぶつ独り言をつぶやいているフランツの隣りでは、通信魔導士が不安そうな顔で、きょろきょろ周囲を見回していた。


 こいつらは戦闘の役に立たない。軍の採用基準に撥ねられた連中である。

 特殊な訓練によって体内に専用の魔導回路が固定され、さらに軍から支給される魔力増幅の呪符のおかげで、どうにか任務についている。


 何かと馬鹿にされがちだったが、通信魔導士がいなくては、軍は即座に機能不全に陥る。皮肉な話であった。

 このリチャードという男も、いかにも田舎の若者といった風貌で、魔導士らしい知性が感じられなかった。


 フランツは彼の存在を半ば無視して、魔力操作に集中していた。

 だから、リチャードが彼の軍服を引っ張り、注意を引こうとしてきた時には、思わず『邪魔をするな!』と怒鳴りそうになった。


 しかし、振り返って見たリチャードの顔が妙に明るい。

「どうした?」

「中尉殿、工作員たちが戻ってきましたよ!」

 通信魔導士が指さす方向を目をやると、確かに樹間の茂みが揺れ、ちらりと帝国の軍服が見えた。


「お前、目はいいんだな」

 フランツの誉め言葉が、若者はよほど嬉しかったらしい。

 彼はぱあっと顔を輝かせた。

「俺、迎えにいってきます!」


「よせ、どうせこっちに向かっているんだ。俺から離れるな」

 フランツは止めようとして手を伸ばしたが、リチャードは彼の言葉を聞かずに、すでに駆け出していた。


 その姿が、途中でふっと消えた。

 横から何か黒っぽい影が襲ってきて、若者を突き飛ばしたのだ。


「おいっ!」

 フランツ思わず立ち上がると、敵の正体がちらりと見えた。

 赤茶色の体毛をした、少し小柄な(とはいっても、二メートル半はあった)オオカミだった。


 その獣と目が合った。


 オオカミは鼻の周りに皺を寄せ、激しい敵意を剥き出しにしていた。

 そして、その顔は真っ赤な血にまみれていた。オオカミの口には、リチャードの首が咥えられていたのだ。


      *       *


 エイナがロキに跨り、敵に向かって飛び出していった時、ミナも当然その後を追った。

 そしてユニが合流してからは、ミナは彼女たちと距離を取り、曹長たちの支援に当たっているヨミとの連絡に当たった。

 もちろん、敵魔導士を追跡しているハヤトとトキとの通信も確保していた。


 別にユニに命令されたわけではなく、ライガとロキがそれどころではないから、自分の判断で選択したことだった。


 そこから状況は目まぐるしく変わった。

 まず、突入を命じられたハヤトとトキが、まんまと敵の返り討ちに遭って閉じ込められた。

 次いで、ユニとエイナも巨大な土壁に囲まれた上に、ゴーレムの襲撃を受けるに至った。


 ミナは離れていたため、この壁に取り込まれることはなかったが、逆にユニたちを助けにいくこともできない。

 唯一全体を俯瞰できる立場にあったミナは、状況を簡潔にまとめてヨミに報告し、彼女の判断を仰いだ。

 群れのリーダーはあくまでライガだったが、ヨミはそれ以上の信頼を(特に女衆から)受けていたのだ。


 ヨミはジェシカとシェンカの姉妹を急行させるとともに、ミナに対しては敵に接近して機を窺うように指示した。

 ミナは長大な土壁を迂回して、敵魔導士を視認できる位置を選んで、じっと身を伏せていた。


 ユニたちがゴーレムに苦戦していることは分かっていたが、うかつに魔導士を攻撃することはできない。

 ハヤトとトキが、それを試みて罠にはまったのである。


 敵は最初から、抜かりないオオカミ対策を練っていたのだ。

 オスたちよりも力で劣るミナは、森の中でひたすら待っていた。

 そして、ついにその時がやってきた。


 二人いた魔導士のうち、若い方が突然離れ、森の中へ向かっててきたのだ。

 撤退した工作員の隊が接近していることは、漂ってくる臭いでミナも把握していた。

『あの若い魔導士は、何か緊急の情報を伝えに走ったのだ!』


 そう判断したミナは迷わなかった。

 人間の走りは驚くほどのろい。ミナはすばやく移動して、襲撃に適した茂みの中に移動した。

 そして、目の前にさしかかった男に、猛然と頭から突っ込んだのである。


 いきなり突き飛ばされて、地面で頭を打った人間は気を失った。

 ミナはその細い首にがぶりと噛みつき、力任せに首を振った。


 太い骨の折れる鈍い音、細い骨が砕けるパキパキという心躍る音、ブチブチと肉がちぎれる爽快な響き、口中に溢れかえる温かい鮮血。

 オオカミの本能が、歓喜の叫びを体中に轟かせる。


 ミナは食いちぎった若者の頭部を咥えたまま、すぐに残る魔導士の方を見た。

 次の瞬間、彼女の足許の地面が〝べこん!〟とへこんだ。

 ミナは邪魔な頭を放り投げると、呆れる俊敏さで後ろに飛んだ。


 敵の魔導士が重力魔法を放ち、彼女を押し潰そうとしたらしかった。

 だが、慌てて狙いが逸れたのか、あるいは林立する巨木が邪魔なのか、その両方だったのか。

 とにかく、ミナは間一髪で敵の反撃から逃れ、森の奥へと姿を消した。


 魔導士の放った重力魔法は、目当ての敵を失い、腹いせのように残された獲物に襲いかかった。

 オオカミが吐き捨て、地面に転がった人間の頭部がそれであった。

 凄まじい重力で頭蓋骨がくしゃりと砕け、白っぽい脳漿が周囲に飛び散り、たちまち土に吸い込まれた。


 何の罪もない通信魔導士の若者は、見知らぬ異国の森の中で、その短い生涯を終えた。

 黒い土に食い込んだ白い歯が、彼の墓標であった。

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