三十九 核
エイナが放ったファイアボールは、かなりの魔力をつぎ込んだものだったが、結局ゴーレムを数分足止めしただけに終わった。
だがその数分が、次の呪文詠唱に必要な時間を稼いでくれた。
複雑な呪文を高速でつぶやき続けるエイナに、ユニは勝手にしゃべりかけた。
返事ができないことなど承知の上である。むしろ、相手の集中を削ぐような行為であった。
エイナがかまってくれないので、子どもっぽい腹いせをしているに過ぎない。
「あたし、思うんだけど……あのゴーレムたちって、ある程度の水分が必要なんじゃないかしら?」
「だからね、エイナの得意な凍結魔法を使えば、あの子たちの体に含まれる水分を凍らせて、動きを止められると思うのよ」
「経験豊富な年長者として助言させてもらうわ。次の攻撃は、凍結魔法を選択すべきよ!」
『おい、ユニ。いい加減にしないか! エイナが迷惑そうな顔をしているぞ』
見かねたライガから、教育的指導が入った。
「あら、あたしは先輩として有益な助言をしているだけよ」
ユニはわざとらしく頬を膨らませる。
『何だよ、その膨れっ面は? お前、自分の歳を考えろ。
そういうのは、エイナみたいな若い娘がやるから可愛いんだぞ?』
「あっ、あたしだってまだ若いわよ!」
ライガは『少なくとも、乳の大きさでは負けてるぞ』と返しかけたが、ぐっと言葉を呑み込んだ。
胸の話題を持ち出すと、ユニが凶暴になることを、嫌というほど経験してきたからだ。
賢明なオオカミは、もっと現実的な話題を選んだ。
『その助言だがな、いまエイナが唱えている呪文は、お前が提案している凍結魔法のもんだぞ』
「あんた、あの歌みたいな呪文が理解できるの?」
『いや、何を言っているのかさっぱりだ。
だが、エイナが凍結魔法を使う場面は、傍で何度も見たからな。呪文の調子というか、型みたいなもんに聞き覚えがある』
「そっかー、偉いわエイナ! やっぱりあたしの助言を尊重してくれたのね?
お姉さん、嬉しい!」
ユニはエイナを抱き寄せて、彼女の頭を撫でまわした。
ちょうど呪文の最終節を唱えていた時で、危うく失敗するところだった。
彼女はユニの手を投げやりに払いのけると、肩を落として大量の溜息を吐き出した。
「もうっ、邪魔しないでくださいよぉ……!
ユニさんの話はちゃんと聞こえていましたけど、水分のことなら私も気づいていました。
お願いですから、ふざけるのは状況を見てからにしてください」
エイナは真顔になって正面を見据え、すっと腕を伸ばした。
火炎魔法のダメージから回復したゴーレムの集団が、もう十メートルほどまで迫っていたのだ。
「危ないですから、後ろに下がって!」
エイナが叫ぶと同時に閃光が走り、〝バシッ!〟という破裂音が響いた。
素早く後方に飛びのいたユニの顔に、強烈な冷気が叩きつけられた。
反射的につぶった目を開こうとすると、くっついてしまった瞼がパリッと音を立てた。
その目に映ったのは、真っ白な世界だった。エイナの数メートル先からは、あらゆるものが凍りつき、水蒸気がもうもうと立ち込めていた。
その靄を通して、薄っすらとゴーレムたちの影が見えたが、彼らの動きは完全に停止していた。
「ユニさん、オオカミたちに攻撃させてください!
私たちはもう少し距離を取りましょう」
エイナはユニの手を取って、さらに後方へと下がった。そうしなければ、冷気の影響で凍えてしまいそうだった。
ライガとロキは、ユニを介してエイナの言葉が理解できた。
だからユニの命令を待つまでもなく飛び出し、彫像の群れと化したゴーレムたちに突っ込んだ。
カチカチに凍結したゴーレムには、体当たりするだけでよかった。
地面にくっついた足が簡単に折れ、胴体だけが吹っ飛ばされた。
そして、やはり凍って固くなった地面に激突し、無事だった腕が折れて飛び散った。
オオカミたちは大きく回転しながら突入を繰り返し、敵の半数以上をなぎ倒して帰ってきた。
後方のゴーレムを倒さなかったのは、頭と胴体だけになったゴーレムがその前に積み重なり、体当たりができなかったからだ。
「やったのかしら?」
ユニが願望を込めて訊ねてきたが、エイナは首を横に振った。
「単に凍らせただけです。当分は動けないでしょうが、いずれ温度が上昇すれば、活動を再開すると思います」
「動き出したら、また凍らせればいいじゃない」
「そんなことを続けても魔力が減っていくだけで、時間稼ぎにしかなりません。
敵魔導士は健在ですし、そろそろ工作員たちが合流するころです」
「じゃあ、どうするの?」
ユニの無邪気な質問は、残酷でもあった。
エイナは言葉に詰まり、やがてうなだれて降参した。
「……どうしたらいいのか、私にも分かりません」
ユニは『しまった!』という顔をして、慌てて彼女を励まそうとした。
「でっ、でも、まだ凍結魔法が駄目だったと決まったわけじゃないでしょ?」
「いえ、土の精霊の活動が衰えていないんです。ゴーレムたちは間違いなく復活します」
「ええと……魔導士って、精霊の働きが分るの?」
「はい。基本的に私たちは精霊魔法を使いますから、魔力の波動と精霊の活動は同じようなものなんです。
普通ゴーレムを作るには、術式と魔力を封じた呪符を核として埋め込みます。
だけど地中から出現した土壁に、このゴーレムの数に見合うだけの呪符を埋めておく――そんな暇はなかったはずです」
「つまり、どういうこと?」
「あのゴーレムたちは魔力で動いていない。恐らくですけど、土の精霊そのものが核となって、直接動かしているんだと思います。
魔導士の魔力はその刺激、ご褒美の餌みたいに使われているんでしょう。
だからこれだけのゴーレムを動かせる。各個体が小さいのも、そのせいじゃないでしょうか」
「ってことは、その核になっている精霊を、倒しちゃえばいいじゃない?」
ユニの提案を、エイナは激しく首を振って否定した。
「精霊は自然そのものです。殺すことは不可能です。
できるとしたら、彼らを地中に帰すことくらいですね」
「精霊を追い出すわけね? どうやって?」
「だから、その手だてが分らないんです!」
エイナが苛々して言葉を吐き出した。
ユニは質問の仕方を変えることにする。
「土の精霊って、どんな環境を好むの?」
「彼らは……地中の深いところから生まれると言われています。
噴火を繰り返す火山では、特に活動が活発ですから、本来は地熱の高いところを好むんだと思います」
「なるほど、それでファイアボールはあまり効かなかったんだ。
じゃあ、逆に寒いのは苦手よね?」
「それはそうですけど、彼らは低温にも適応できるんです。
精霊は世界にあまねく存在するものですから、冬の厳しい北国でも普通に活動しています。
さすがに、年中氷に覆われている極地だと、数が少ないそうですけど……」
「極地だと数が少ないって、誰がそんなことを確かめたの?」
「さぁ……本に書かれている情報ですから、エルフから伝わった話じゃないでしょうか」
ユニは少しだけ考え込み、すぐに顔を上げた。
「エルフの言うことなら信用できるわ。
少なくとも、極地並みの低温だったら、土の精霊でも嫌がるってことよ。
あんたの凍結魔法って、確か零下三十度とか四十度……、つまり極地並みってことでしょ?
だったらそれより遥かに強力な、極低温の魔法を喰らわせれば、精霊でも逃げ出すんじゃないかしら!」
「ええ~、アレをやるんですかぁ?」
エイナは嫌そうな素振りを見せた。
アレとは絶対零度の世界を出現させる、彼女の切り札である。
「あの魔法なら、さすがの精霊でも逃げ出すんじゃないかしら?
もし失敗したとしても、ゴーレムたちの動きを相当時間封じられるはずよ。
その間に壁を突破して、術者を倒しちゃえばいいじゃない!」
「でも、あの魔法を使ってしまうと、魔力の残量が激減します。
今だって結構使っていますから、敵の魔導士と戦えるかも怪しいですよ」
「迷っていたって事態は好転しないわ。
あの呪文って、結構長いのよね? ゴーレムたちが凍っている間に唱えちゃいなさい!」
「でもでも、恥ずかしいです!」
絶対零度の魔法はその威力の強さ故、手の先から放出できない。腕が投入される魔力量に耐えきれずに、破裂してしまうからだ。
そのため、エイナは魔力の貯蔵場所である子宮から、直接魔力を放出する方法を編み出した。
もちろん、これだって無傷では済まないのだが、吸血鬼の再生能力を魔力で活性化させて事なきを得ている。エイナはそれを無意識にやってのけていた。
要するに、エイナは下腹部から魔力を撃つ。
着衣のままだと、魔力に触れた部分が塵となって消滅し、大穴が空いてしまう。
そのため彼女は衣服を脱ぎ、ほぼ下半身を露出した状態にならざるを得ない。
それが『恥ずかしい』のだ。
ユニは恥じらう若い娘の背中を、ばんばんと乱暴に叩いた。
「どうせ見られたって、女のあたしとオオカミだけでしょ?
気にすることないわよ」
「だってゴーレムがいるじゃないですか……」
「あの泥人形に見られたからって、どうだと言うの?
そのそも、あの穴ぼこみたいな目で、本当に見えているのかも怪しいわ」
* *
エイナは渋々呪文の詠唱にとりかかった。
ユニの言い分はもっともで、それ以上の解決策が出せるとは思えない。
結局、自分にできる最大・最強の魔法で勝負するしかない。それは最初から分かっていたことだった。
ただひとつ、不安なのはユニとの最後のやり取りだった。
確かにユニとオオカミには、何度か裸を晒しているから、今さらである。
ここは高い土壁に囲まれた閉鎖空間だから、誰かに覗かれる心配もない。
無生物であるゴーレムに裸を見られても、別に恥ずかしくはない。
ただし、ゴーレムは壁の向こうにいる敵魔導士によって操られている。
彼らの虚ろな目に映る光景が、魔導士に直結している可能性は否定できなかった。
最初に対峙した時にちらっと顔を見たが、相手は無精ひげを生やした中年男であった。
そんな人間に自分の裸、それも最も恥ずかしい部分を見られるのだけは嫌だった。
だが、我儘を言えるような状況ではない。
ゴーレムが凍りついているうちは、視覚も停止していることを祈るしかなかった。
* *
ユニが言ったとおり、絶対零度魔法の呪文は長大である。
エイナは三重詠唱という、ごくわずかな魔導士しか使えない技術を駆使していたが、それでも十分以上の時間を要した。
彼女は歌うように呪文を唱えながら、カチャカチャとベルトを外す。
軍服のズボンを脛の辺りまで下ろし、上着とシャツの前を開けてヘソの上までめくり上げた。
地味なズロースだけの姿になると、冬の寒さで鳥肌が立った。
さすがに魔法を撃つ直前までは、ズロースを下げることはできない。
何というか、下半身だけ下着一枚となった自分の姿があまりに情けなく、目尻に涙が滲んでくる。
呪文の詠唱は、永遠に続くのではと不安になるほど、なかなか進まなかった。
しかし、それもあと数十小節で終わりを告げようとしていた。時間にして三十秒ほどである。
詠唱に集中していたエイナは、ぱちりと瞼を開いた。
眩しい光とともに目に映ったのは、死んだように白く凍りついた世界だった。
だが、その中に動く影があった。
ゴーレムたちが活動を再開し始めたのだ。
彼らは凍りついた関節を、信じがたい力で無理やりに動かしていた。
バキバキと氷が砕ける音が、あちこちで鳴り響いた。
手足を失った個体も、手近に転がっている破片をくっつけ、ぎこちなく動かしている。
恐らく他人の手足なのだろうが、彼らは一向に気にしていなかった。
オオカミたちの破壊を免れた最後方の個体は、再生しつつある仲間を押しのけ、すでに前進を開始していた。
もう逡巡している時間はなかった。
エイナは覚悟を決め、最後の砦であるズロースを太腿辺りまでずり下げた。
黒い陰毛が風に吹かれてふわりと動いた。エイナはあまり毛深い方ではないが、真っ白な肌との対比で、鮮烈な印象を与える。
以前は生え際ぎりぎりまでしか下着を下ろさなかったが、それで一度失敗したことがある。
ズロースを結ぶ腰紐が魔力に巻き込まれ、吹っ飛んでしまったのだ。そのため魔法を使った後、とてつもなく恥ずかしい思いをした。
それ以来、ズロースは安全な位置まで下げることにしていた。背に腹は代えられないという奴だ。どうせ脚を閉じているのだ、肝心な部分まで見えるわけではない。
エイナが悲壮な覚悟で下着を下ろし、いよいよ魔法を撃とうとした時、彼女は異変に気づいた。
集団で前進してきたゴーレムたちが一斉に立ち止まり、短い両手を上げて顔を覆ったのだ。
「えっ、何?」
エイナもユニも面食らった。
まるで〝見てはいけないものを見てしまった〟という、恥じらいの仕草だが、感情のないゴーレムがそんなことをするわけがない。
しかも、よくよく見ると、ミトンのような大きな手は、小さな目に届かずに、頬を押さえているに過ぎない。少し状態を屈めれば、ちゃんと目を塞げるはずだった。
つまり、ゴーレムたちは見ないふりをしながら、実際にはガン見しているのだ。
意味することは明らかだった。ゴーレムを操っている魔導士が、わざとやらせているのだ。
若い娘のあられもない姿を楽しみながら、からかっているのである。
エイナは耳まで真っ赤になり、同時に凄まじい怒りが爆発した。