三十八 再生能力
フランツが魔法で築いた土壁は、無の状態から魔力で生成したものではない。
あくまで精霊の力を借りて、足下に存在する膨大な土壌の一部を、地表に押し上げたに過ぎない。
だから、その中には大量の石、木の根、堆積した腐葉土、さらには地中に棲息する多様な生物までを含んでいた。
土中には大量の水分が含まれており、それが自重によって絞り出され、壁の周囲にはかなり深い水溜りができていた。
ただでさえ登るのが難しそうなのに、足場となるべき地面が泥沼化しているのだ。
城の外壁の周囲に堀を巡らせて、防衛力を高めたようなものである。
人間が築く城壁ならば、最初に骨組みを作り、そこに土砂を投入して突き固め、外側を石やレンガで覆って強化するという、複雑な手順を踏む。
だが、エイナたちの目の前にある土壁は、純粋に土だけでできていた。
そんな構造では、六、七メートルもの高さに耐えられるはずがない。自重で崩壊するのがオチである。
それを防いでいるのは、土の精霊が結合力を発揮しているからで、フランツは魔力で精霊に働きかけているだけであった。
つまり、彼は土の精霊に魔力という貢物を提供し、彼らの機嫌を取っていることになる。
フランツは精霊に気にいられる〝コツ〟を、生まれながらに備えていたらしい。
彼を鍛えたマグス大佐とカーン少将は、その点を高く評価していたのだ。
とにかく、この壁の表面は、蒼城市の美しい石組みの大城壁と違って、じゅくじゅくと泥水の染み出す、剥き出しの土そのものであった。
近づいて見れば、当然凸凹があるのだが、遠目には結構平滑に見える。
そのつるりとした表面に直径二メートルほどの、半球状の膨らみがぼこぼこ生じていた。ユニはそれに驚いたのだ。
それも一つや二つではない、ざっと見ただけでも三十以上はあった。
ついさっきまで、存在しなかったものである。
エイナは嫌な予感を覚えた。彼女はゆっくりと正面に向き直り、そして息を呑んだ。
『悪い予感は必ず当たる』
ユニの大声につられて振り返ってから、まだ五秒と経っていないはずだ。
それなのに、敵との間にそびえる土壁には、背後と同じような膨らみが、ずらりと並んでいた。
「何かあれ……卵みたいな感じがしない?」
ユニの感想は、突拍子もない妄想に思えた。
生き物でもないのに、土が仔を孕むはずがないし、そもそも直径二メートルもの卵というのが、そもそも嘘くさい。
理性はそう否定していたが、エイナの感情はユニに激しく同意していた。
もし、あの半球状の膨らみが卵だとすれば、そこから何かが〝産まれる〟ということである。
それは縁起でもない予感だった。
そして、一度当たった悪い予感は、二度目も当たるのが世の理であった。
エイナたちが凝視するその眼前で、無秩序に壁から浮き出た瘤が、突如ぶよぶよとした蠕動を始めた。
ただの土の膨らみだったものが、まるでカエルの卵のようなゼラチン質に変化し、何かが内部から突き破ろうとしている。
「やだ、気色悪い! 虫? ゲジゲジだったらどうしよう!
あたし、あれだけは苦手なのよ!!」」
ユニが肌を粟立たせて肩をさすった。
「落ち着いてください!
呪術師じゃあるまいし、帝国の魔導士がそんな悪趣味な真似をするもんですか。
ひょっとしたら、地中のダンジョンとかとつなげて、アンデッド系の魔物を呼び出しているのかもしれません」(それも大概悪趣味だが)
「ゾンビとかスケルトンだったら、全然怖くないんだけど……見て、殻が破れるわよ!」
ユニが叫びながら指をさした。エイナも壁の膨らみを凝視しているのだから、意味のない行為だが、そうせずにいられなかった。
内部から突き出された何かが、とうとう膜を破ったのである。
破れ目からはどろりとした粘液が流れ出て、膨らみはたちまち萎んでしまった。
「腕……かしら?」
ユニが自信なさ気につぶやいた。
腕と言われれば、そう見えないでもないが、やけに小さくもあり、大きくもあった。
全体は子どものようなサイズなのだが、手に相当する部分だけが不釣り合いに大きい。
それが仮に手だとして、親指を除く四本の指が一体化していて、ミトン(鍋つかみ)のような形状をしている。
その腕は、じたばたと振り回されていたが、外縁の固い壁土を探り当てると、そこを手掛かりとして中から本体を引っ張り出した。
どさりと重い音を立てて落下した物体は、しばらくもがいた挙句に起き上がった。
それは不思議な外観をしていた。
身長は一メートル二、三十センチほど、長方形の粘土のような胴体からは、短い腕と脚が生えている。
手だけでなく、足先も異様に大きい。
胴体の上には首がなく、半球状の頭部が直接乗っかっていた。
頭部だと判断できるのは、目の位置に二つの小さな丸い穴が開いていて、口に当たる部分には、真一文字に切り込みが入っていたからだ。
鼻や耳は存在せず、目と口だって本当に機能しているのか、怪しいものだった。
何というか、子どもが泥遊びで作った人形のようである。
「あら、かわいい」
「えー、あれがですか?」
壁の膨らみからは、次々に泥人形が生まれ落ち、壁の間の地面をあっという間に埋め尽くした。
彼らはよたよたと足踏みをして、てんでな方向を向いていたが、目と思しき虚ろな穴はだけは、まっすぐユニとエイナを見つめていた。
首は見当たらないが、彼らの頭部は回転して方向を変えられるらしい。
もちろん、そこから感情は読み取れなかったが、敵の魔法によって生み出された存在である。
エイナたちに好意的であるとは、とても思えなかった。
「あれ、恐らくですけど……魔法生物、いわゆるゴーレムだと思います」
「あのちんまりしたのが?
あたし、ゴーレムって何度か見たことあるけど、みんな人間の何倍もある巨人だったわよ」
ユニが見たというのは、古代の青い宝珠(魔石)を核とした魔人や、アッシュ(エルフの現女王)が魔法で作ったヒマワリの巨人のことだ。
「その辺はよく知りませんけど、あれだけの数に魔力を供給するには、サイズが小さくないと駄目なのかもしれません。
とにかくあのゴーレムこそが、敵の攻撃手段……という気がします」
そして、悪い予感は三度目も当たるのであった。
* *
わらわら動いていたゴーレムたちが、突然びくんと身体を震わせて静止した。
どういう手段かは分らないが、創造主である敵魔導士からの命令が降ってきたらしい。
その証拠に、彼らはエイナたちの方に向かって、一斉に動き出したのだ。
短い手足をぱたぱたと動かし、彼らなりに懸命に急いでいる姿は、どこか滑稽でもあった。
エイナとユニも、黙って敵を待っているわけがない。
「ユニさん、詠唱の時間を稼いでください!」
エイナはそう叫ぶと、高速で不快な和音を紡ぎ始める。
ユニはライガとロキに迎撃命令を下し、自らも腰のナガサ(山刀)を抜いて飛び出した。
オオカミたちは一瞬でユニを追い抜き、ゴーレムの先頭に牙を剥いて襲いかかった。
相手は身長一メートル余りの小兵である。ライガたちにしてみれば、ウサギが立ち向かってくるようなものだ。
巨大な顎がゴーレムの腕を噛み砕き、太い胴を咥えて放り投げる。
遅れて駆けつけたユニも、走ってきた勢いで飛び蹴りをかまし、ナガサの鋭い刃を振るった。
だが、ゴーレムの身体は土でできている。切られても血が噴き出すわけでもなく、痛みを感じる素振りも見せなかった。
それだけではない。オオカミに噛み砕かれたり、ユニに切り飛ばされた手足は、すぐに再生してしまうのだ。
身体から切り離されてしまうと、その部分は形を保てなくなるらしく、ただの土くれに変わった。
そこへゴーレムが〝よいしょ〟と身を屈めて傷口を近づけると、崩れた土が吸い寄せられ、あっという間に元の形に戻ってしまう。
「あの身体で、どうして腰を折れるの?」
『馬鹿っ、変なことに感心するな!
こつら数が多すぎる。きりがないぞ!!』
「エイナの時間が稼げればいいの、もうちょっと粘って!」
ライガに叫び返すユニを、ゴーレムたちが取り囲んだ。
ユニは膝蹴りを顔面にかまし、背後の敵には肘鉄を喰らわせて、動ける空間を確保しようとするが、焼け石に水だった。
泥人形は特殊な攻撃方法を持たず、単に大きな拳で殴りかかってくるだけだった。
だが、小さな体に反してその力は強く、石で殴られたような衝撃を伴う。
腕が短く、振りかぶる動きが大きいので、躱すことは容易だったが、まともに当たると骨が砕けてしまいそうだ。
しかも、最初は闇雲に殴りつけてくるだけだったが、ユニが身軽に避けることを理解したようだった。
何人かがミトンのような手でユニを掴み、動きを封じようとし始めた。
「このっ、放しなさい!」
ゴーレムの一体が、わずかな隙をついて、ユニの右手首をがっちりと掴んだ。
物凄い握力が手首の関節を締めつけ、ユニが小さな悲鳴を上げた。
それを聞き逃さず、即座にライガが飛び込んできた。
彼はユニを掴んでいる腕を噛みちぎると、巨体を利した体当たりで敵の集団をなぎ倒した。
密集していたゴーレムは、将棋倒しの要領で次々と倒れていく。
手足の短い彼らは、転ぶと立ち上がるのに時間がかかる。
ライガはユニの襟首を咥えると、その小柄な身体を軽々と放り上げた。
彼女も慣れたもので、空中できれいに回転してオオカミの背に着地する。
そのわずかな間に、握っていたナガサを腰の鞘に戻しているのだから、歳に似合わない敏捷さである。
ユニが自分に跨ったことを体感すると、ライガは大きく跳躍してその場を逃れた。
『エイナの呪文が終わったらしい、退くぞ!』
ライガが前線から脱出すると、ロキもその後に続いた。
ユニがロキの方を向いて怒鳴る。
『ロキ! あんた、背中にゴーレムを乗せてるわよ!』
彼女の言うとおり、一体のゴーレムがロキの白い毛並みを掴んで、背中にしがみついていた。
疾走していたロキは急停止して、背中のゴーレムを前方に投げ飛ばした。
物凄い勢いで地面に叩きつけられても、泥人形にダメージはなさそうだった。
その代わりに、仰向けで地面にめり込んだ結果、起き上がれずに手足をじたばたさせている。
ロキは間抜けな敵に駆け寄り、短い足を咥えて地面からずぼりと引き抜いた。
そして首を大きく振って、空高く放り投げた。
きれいな放物線を描いて飛んでいくゴーレムから、『ピィーーーーッ』という甲高い悲鳴が聞こえてきた。
エイナの元に戻ったユニは、ライガの背から滑り落ちると、息せき切って報告をした。
「凄いわ! あの子たち、声が出せるのよ!!」
エイナはユニに冷ややかな視線をくれただけで、ゴーレムの群れに向けて手を伸ばした。
その指の先に白く輝く光の球が出現し、〝ひゅんっ!〟と飛んでいく。
ゴーレムたちとの距離は、もう三十メートルを切っていた。
エイナの放った魔法は、密集隊形の中央に吸い込まれ、大爆発を起こした。
直径二十メートルにも及ぶドーム状の結界が出現し、その中で爆炎が荒れ狂ったのだ。
全部で七、八十体はいたゴーレムの、半数以上が結界に取り込まれ、地獄の業火の洗礼を受けた。
だが、彼らは全身が土でできているから、いくら高温の炎でも与えるダメージには限界があった。
エイナがファイアボールで、土壁を破ろうとした時と同じである。
むしろ高熱よりも、結界内で荒れ狂う炎の渦の方が効果的だった。
凄まじい勢いの爆風が、小さな体を吹き飛ばし、翻弄した。
結界という閉じた空間で、数十体ものゴーレムが舞い狂ったのだ。当然、彼ら同士が激突することになる。
なお、ゴーレムたちは宙を舞うと、例の甲高い悲鳴を上げた。ユニは「ほらほら」と言ってエイナの袖を引っぱったが、無視されてしまった。
高温で焼かれて組成が変化し、もろくなっていることもあって、激しく衝突したゴーレムは、ばらばらに砕け散った。
十数秒続いた焦熱地獄が消え去ったあと、満足に形を維持していた個体は、ごくわずかであった。
しかし、それは一時的な現象に過ぎなかった。
ファイアボールの炎は、ゴーレムの再生能力まで奪ったわけではなかった。
ただし、彼らが再び立ち上がるまでには、かなりの時間を要したのは事実である。
どうやら焼かれたことで、体内の水分が蒸発したためらしい。
その証拠に、魔法に巻き込まれなかったゴーレムたちが、わらわらと集まってきて、仲間の遺体をかき集めて運び出したのだ。
そして、焼けただれた結界の範囲外に出ると、それを地面にばら撒いた。
ゴーレムを構成していた土くれは、湿った土に触れたことで水分を吸収し、急速に再生の速度を増した。
エイナがそれを黙って許すはずがない。
彼女はすでに、次の呪文を唱え始めていた。
ユニはライガとロキに挟まれて、エイナの詠唱を心配そうに見つめていた。
もう一度ファイアボールを撃てば、またゴーレムたちの動きを止められるだろう。
しかし、それは時間稼ぎにしかならない。
彼らの再生能力を奪わない限り、エイナの魔力はいずれ限界を迎える。
持久戦では駄目なのだ。
エイナがどうやってこの状況を打開するのか、ユニは見守るしかない。
ユニはロキの白い毛並みを撫でながら、小声で語りかけた。
「ゴーレムの『ピィーーーーッ』って声、かわいかったよね?」
どうやらユニは、エイナに相手をしてもらえなかったので、寂しくなったらしかった。