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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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三十七 魔法戦

「変だ、敵の魔導士が動いたぞ。ゆっくりとだが、こっちに向かってくる」


 フランツ中尉がつぶやいたのは、目的地まで約四キロ、徒歩で一時間半の地点だった。

 もちろん、足は止めたりしない。


 通信魔導士のリチャードが、不安そうな表情を浮かべた。

「工作員たちの動きに気づいたのでしょうか?」

「その可能性は低いだろう。あいつらの位置は、俺たちとそれほど変わらないはずだ。

 敵が罠を仕掛けているとしても、まだ引っかかるような距離じゃない」


「でも、敵の魔導士が動いたということは、待ち伏せを諦めたということですよね?」

 通信魔導士の指摘に、フランツも渋々うなずいた。

「まぁ、結局はそういうことになるな。だが、どうやって気づいた?

 俺たちをつけ回している連中と連絡が取れている――というなら分るが、奴らがそんな手段を持っているとは考えられん」


「そもそもの話、本当に我々は追跡を受けているのでしょうか?」

「何だめえ、俺の勘を信じねえのか?」


「自分が信じるのは、この目で見たものだけです」

「この野郎! いや……だが、待てよ」


 フランツは急に黙り込んだ。

 彼の頭の中で、思考がもの凄い勢いで回転する。


 中尉が〝誰かに見られている〟感覚を覚えたのは、工作員たちと二手に別れるよりも前のことだ。

 その時点で、目的地からは十キロほど離れていたはずだ。

 そして、尾行術の訓練を受けている工作員たちですら、そのことに気づいていなかった。


 つまり、相手も素人ではない――ということになる。

 だが、そんな特殊部隊を森の奥地に、当てもなく配置しておくだろうか?

 自分たちが今日、ここを通ると分かっているのなら、もっと前に大部隊で包囲しているはずだ。


 なぜ敵魔導士は、待ち伏せという作戦を捨てた?

 それはつまり、敵が監視者から情報を受け取っているということだ。

 双方に通信魔導士がいるなら分かるが、どうやって情報を伝えているのだ?

 結局のところ、先ほどリチャードと交わした議論に戻ってしまう。


 だが、そのリチャードは『この目で見たものだけ』しか信じない、と言った。

 フランツは戦場で培った自分の勘に自信を持っていたが、監視者の姿を見たわけではない。


 そこまで考えたところで、中尉の頭にある考えが浮かんだ。

 そうだ! 監視と追跡をしているのが人間ではない――としたらどうだ?

 工作員の話では、この森にはオオカミ使いの召喚士が住んでいるらしい。


 オオカミなら臭いを探り、工作員が使っているルートに、網を張ることも可能だろう。

 もともとこの森で暮らしているのだから、長期にわたる監視態勢を敷くのも容易たやすいはずだ。

 そしてオオカミの足なら、短時間で情報を魔導士のもとへ届けられる……いや、そもそも彼らは幻獣である。


 召喚士と幻獣は、自在に意志の疎通ができると聞く。

 奴らが特殊な通信手段を持っていたとしても、何ら不思議ではない。


「こいつは……ひと筋縄ではいかないか」

 長い沈黙を破り、フランツが洩らした言葉の意味を、通信魔導士は理解できなかった。


      *       *


「敵魔導士が停止しました!」

 ロキの毛並みに必死でしがみつきながら、エイナが叫んだ。


「こっちの動きに気づいたってこと?」

 怒鳴り返すユニの方も、上体を伏せてライガと一体になっている。


「向こうも感知魔法を使っているでしょうから、当然ですね。

 でも、突然こちらの速度が上がったことで、敵は混乱しているはずです。

 向こうがオオカミの存在に思い至る前に、一気に距離を縮めましょう!」


「もうこうなったら、ハヤトとトキを突っ込ませる?」

「まだです!

 敵が停止したのは、迎撃の準備のためだと思います。

 私なら、呪文詠唱の隙をついた奇襲を防ぐため、対物理の防御結界を張っておきます」


「じゃあ、いつならいいの?」

「敵と対峙したら、私が先制攻撃をかけます。

 敵がどんな魔法で対応してくるかは分かりませんが、いずれにしても物理防御は解くことになります。

 そこを狙ってください!」


「了解!」


 それで二人の会話は終わった。

 激しく揺れるオオカミに乗ったまま会話を続ければ、舌を噛む恐れがあって危険なのだ。


 人間が歩けば一時間半の距離でも、本気を出したユニのオオカミの脚なら、二十分とかからない。

 感知魔法で相手の位置は掴んでいるが、それとは関係なしに、敵との距離が急速に詰まっていると、粟立つ肌が教えてくれていた。


      *       *


 イゾルデル帝国は、大国ケルトニアとの間で百年に及ぶ戦争を続けていた。

 帝国は早くから魔導士を戦力として軍に組み入れ、彼らは戦場で猛威を振るった。

 ケルトニアも遅まきながら魔導士を採用し、これに対抗するようになった。


 しかし、魔導士同士で直接的な戦闘が起きることは、極めて稀であった。

 魔法という暴力で殴る相手は、あくまで一般兵である。

 もちろん、偶然に魔導士同士が遭遇してしまうことはあった。

 その場合、お互いが対魔法用の防御障壁を展開し、戦闘が発生しない膠着状態に陥るだけであった。


 魔導士は貴重、かつ希少な戦力であるため、自身の安全を図ることを第一とする。

 そう教育されるから、当然の結果である。共倒れの危険を冒して攻撃し合うなど、愚の骨頂であった。


 だが今、広大な原生林の奥地で、その馬鹿げた戦いが始まろうとしていた。


 エイナは敵魔導士との間隔を、三十メートルまで詰めていた。

 代表的な攻撃魔法であるファイボールの場合、その射程は二、三百メートル(エイナの場合はその倍以上)あるから、極端な近距離で対峙したことになる。


 普通の戦場なら狂気の沙汰であるが、ここは巨木が林立する森の中である。

 相手の姿を視認できなければ、攻撃魔法など撃てないのだ。


 確かに感知魔法で敵を把握しているから、数百メートル離れた位置からの攻撃は可能である。

 だが、感知魔法は障害となる巨木の配置など教えてくれない。

 馬鹿正直に魔法を撃っても、途中で樹木に当たるのがオチで、相手に届くわけがなかった。


 ちなみに、魔導士は同時に二つの魔法を使えないのが常識だが、感知魔法はその例外であった。

 これは、感知魔法が精霊の力を借りない、無属性魔法であるが故の特性である(その代わり魔力消費が大きいのが難点)。


 それだけの距離まで近づいて、両者はやっと互いの姿を認めることができた。

 フランツは、エイナの顔とスタイルをじっくり確認しようと、樹幹の隙間に目を凝らした。

 一方エイナの方は、中年男の容姿に何の興味もなかったので、いきなり腕を前に突き出し、攻撃魔法を放った。

 接近する前に唱えておいたファイアボールである。


 ファイアボールは、通常の攻撃魔法の中で最も威力があり、殺傷力が高い。

 そして、術者の力量次第で魔法の軌道を操ることができたから、相手が巨木の陰に隠れても、回り込んで攻撃ができる。

 エイナがこの魔法を選択したのは当然である。


 白く輝く光の球は巨木をすり抜けながら、真っ直ぐに飛んでいった。

 もちろん相手だって馬鹿ではないから、黙って焼き殺されるはずがなく、それは承知の上である。

 恐らく、敵は対魔法用の防御障壁を張って、相手の攻撃魔法を無効化するだろう。

 そして安全な結界の中で、敵を殺すための呪文を唱えるはず――それがエイナの予想であった。


 そこにオオカミを突っ込ませる。

 魔法防御障壁は物理的な攻撃には無力であるから、敵魔導士を一瞬で噛み殺すことができるだろう。

 

 ユニは打ち合わせどおり、エイナが魔法を放つのと同時に、ハヤトとロキに攻撃命令を出した。

 二頭の巨大なオオカミは茂みを飛び出し、フランツの背後から猛然と飛びかかった。


 見事な作戦であり、完璧な連係のはずだった。

 だが、事態は予想外の方向に転がり出した。


 まず、オオカミたちが飛び出したタイミングで、地面が大きく揺れた。

 激しい縦揺れを伴う、直下型の地震であった。

 エイナはほんの一瞬、敵から目を離して地面を見てしまった。

 視線を戻すまで、一秒の半分もかからなかったはずだ。


 それなのに、敵魔導士の背後には巨大な壁が出現していた。

 高さ約五メートル、樹木に隠れてどこまで続いているのか、見当もつかなかった。

 エイナは急変した状況に理解が追いつかず、ユニは頭の中で反響するハヤトの怒号に耐えかね、思わずしゃがみこんだ。


 壁の正体は、すぐに明らかとなった。

 エイナが放ったファイアボールは、地震の影響など受けずに飛び続けていた。

 あと数メートルで敵に到達しようかというところで、突然地面が盛り上がったのだ。

 大量の土が温泉のようにボコボコと湧き上がり、壁となって上に伸びていく。


「土系の魔導士か!」


 エイナは敵の正体を覚ると同時に、ファイアボールの軌道を変えた。

 魔法に慣性の法則など作用しない。突然出現した土壁に衝突する寸前だった光球は、直角に向きを変えて上昇に転じた。

 まるで空に向けて伸びていく壁と、光の球が競争しているようだった。


 だが、地上から五メートル辺りで、ファイアボールの方が力尽きた。

 この魔法の軌道操作は、本来水平方向に動かすもので、上下動を想定していない。

 エイナは落下してきた光球の支配権を取り戻すと、一か八かで土壁に向けて突っ込ませた。


 たちまち爆発が起き、壁にめり込んだ球状の結界の中で、炎の渦が荒れ狂った。エイナの大魔力が引き起こす、物凄い規模の炎熱地獄であった

 それでも、十数秒後には魔法の効果が切れ、火炎球は嘘のように突然消え去った。


 土壁は健在であった。よほど分厚いのだろう、直径数メールの丸い窪みができただけであった。

 へこみの表面は、土壌のガラス成分が融解した結果、てらてらと輝いていた。


 ファイアボールが荒れ狂っている間に、土壁は生長を止めていた。

 改めて見ると、蒼城市の大城壁を思わせるような巨大な壁で、その中には何本もの太い針葉樹が取り込まれていた。


「すごいわね~! あんな大質量の構造物を魔法で出せるんだ……」

 ユニが感心したように声を上げた。エイナもその点では同感であった。


「敵は土系の魔導士だと思います。割と珍しい存在ですね」

「重力魔導士とは違うの?」


「重力魔導士も土系には違いないのですが、かなり専門化した職種なんです。

 あの壁の向こうにいる男は、もっといろいろなことができるようです。

 よほど精霊の扱いが上手いのでしょう、魔力だけでこんな壁は築けませんよ」

「ふぅん……。で、次はどうする? あんた得意の凍結魔法を試してみる?」


 エイナは首を横に振った。

「無駄でしょう。土を凍らせることはできますが、かえって固くするだけで意味がありません」

「じゃあ、いったん撤退して、作戦を練り直す?」


「それを許してくれるほど、敵は優しくないみたいです」

 エイナは苦笑いを浮かべ、ユ二の背後に視線を向けた。

 ユニが振り返ると、いつの間にか彼女たちの背後にも壁ができていた。


「えっと……ひょっとしてあたしたち、閉じ込められた?」

「はい」


「参ったわね。この土壁って、向こうの魔導士が術を解けば消えてくれるの?」

「いえ、このまま残るはずです。ただ、魔力の供給が途絶えれば、自重で崩れてしまうでしょう。それでもこれだけの質量ですから、三、四メートルの高さにはなると思います。

 登るのも降りるのも、相当危険で苦労しそうですね。まぁ、相手が攻撃もせずに帰ってくれるという、夢みたいな話が前提となりますけど」


「あんた、この壁を問題にしない攻撃魔法、何か持ってないの?」

「まぁ、ないことはないですけど……」


「だったら、試してみなさいよ!

 あたし、敵が煙草を吸い終えたら攻撃してくる方に、銅貨を一枚賭けるわ」

「じゃあ私は、敵がこちらの悪あがきを、にやにや見物する方に、五枚賭けます」


 気乗りがしないらしいエイナは、ユニのごついブーツで尻を蹴られ、仕方なく呪文を唱え始めた。

 詠唱は比較的短時間で終わり、エイナは腕を大きく振った。

 五本の指先から光の矢が出現し、勢いよく空に向けて飛んでいく。


「ああ、魔法の矢(マジックアロー)ね……」

 それは、ユニでも知っている、有名な攻撃魔法だった。

 文字どおり魔力で生成された光の矢で、貫通力が高くて射程も長いという特徴がある。

 ファイアボールが、サシャ・オブライエンという天才魔導士によって開発されるまでは、マジックアローが攻撃魔法の主力であった。


 ただし、この魔法はファイアボールのように、術者の操作を受けつけなかった。

 上空に向けて撃ってしまえば、あとは放物線を描いて落ちるだけである。

 普通の魔法は重力の影響を受けないが、マジックアローは本物の矢を模したものなので、律儀にも重力に従うのだ。


 要するに、マジックアローは命中率が最悪だったのだ。

 もちろん、術者の腕が優れていれば話は別であるが、一般的な魔導士の場合、一割にも遠く及ばないのが常識であった。

 そのため、現在ではすっかりすたれてしまい、初心者用の訓練魔法になり下がっていた。


 確かにこの魔法なら、六メートル以上ある土壁も、楽々飛び越すことができる。

 エイナはとびきり優秀な魔導士だったので、そこそこの命中率も期待していいだろう。

 だが、彼女自身は、この攻撃が通じるとは思っていなかった。


 上空できらりと矢が光り、白い軌跡が自由落下を開始した。

 土壁に遮られて相手の姿は見えないから、エイナは感知魔法に意識を集中させた。

 もし何らかのダメージを与えられたなら、多少なりとも反応があるはずだ。


 実際のところ、エイナの放った光の矢は、ちゃんとフランツの頭上に降り注いでいた。

 ただ、彼は自分と通信魔導士の頭上に、土壁を応用した屋根を作っていたので、まったくの無傷だった。


「駄目……みたいです」

 感知魔法の光点に変化がないことを確認し、エイナは申し訳なさそうに報告した。


 ユニが何か下品な感想を述べようと口を開いた瞬間、傍らで寝そべっていたライガが、がばっと立ち上がった。

 耳がぴんと立ち、鼻には皺が寄り、唇がめくれて牙が剝き出しとなっている。

 オオカミの目は、彼女たちの退路を遮る巨大な壁に向けられていた。


 ユニとエイナは、反射的にライガの視線を追って振り向いた。

 そして、『信じられない』といった表情で、ユニが言葉を洩らした。


「何あれ……さっきまであんなの(・・・・)なかったわよね?」

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