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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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三十二 待機



 突然になじられたユニが驚いたのはもちろんだが、それはエイナの部下たちも同じだった。

 隣りに座っていたコンラッド曹長は、立ち上がった彼女の軍服の裾を引っ張り、どうにか着席させた。


「どうしたのですか、少尉殿。

 ユニ殿は軍籍にないのですから、帝国の間諜を捕らえる義務など負っておりません」


 ユニも〝うんうん〟とうなずいている。

 その仕草が馬鹿にしているようで、エイナはさらにいきり立った。


「二級召喚士といえど、緊急時には軍の指揮下に入るはずだ!

 ユニさんともあろう方が森に陣取っていながら、帝国の出入りを見て見ぬふりですか?

 私は失望しました! あなたはいつだって頼りになって、颯爽としていて……!

 し、シルヴィアだって憧れているのに――」

 言葉が喉に詰まり、彼女の大きな目から、涙がぼろぼろとこぼれた。


 エイナは自分が醜態を晒していることに気づき、酷く狼狽うろたえた。

「あ、あれ? 私はどうしてこんな! ……興奮しているのだ?」


 涙を拭うことも忘れ、エイナはコンラッドにすがった。

 曹長は肩をすくめて溜息をつく。

「自分の方こそ知りたいです」


「ええと……とにかく、ちょっと落ち着きましょう?

 急に大きな声を出すから、オオカミたちも困惑しているわ」


 ユニが言うように、オオカミたちは落ち着きをなくし、大きく欠伸あくびをしたり、毛繕いを始めたりした。

 いずれも緊張を和らげるための、本能的な行動である。


 エイナと仲のよいロキとその母親であるヨーコが、心配そうな顔で彼女の側に寄ってきた。

 ロキはエイナの膝の上に、大きな頭をずぼりと突っ込み、上目遣いで〝ひ~ん〟と鼻を鳴らした。

 ヨーコはエイナの周りをうろうろした挙句、反対側のユニ方に行って、頭をぐりぐりと彼女の背中に押しつけた。


「ああ、そういうことなの……」

 ユニが納得したように微笑んだ。

 どうやら、ヨーコが彼女に何かを伝えたらしいが、エイナと部下たちには何も分からない。


「ちゃんと説明するから、エイナも最後まで聞いてちょうだい。

 この周辺の森は、確かにオオカミたちの庭だけど、工作員が侵入した途端に分かる――ってわけじゃないわ。

 何週間、時には何か月も経ってから、通過したことに気づくのが、実際のところなの」


「そりゃあ、あたしだって帝国の連中と出くわしたら、とっ捕まえて軍に突き出すわよ。

 だけど、あたしはいつも小屋ここにいるわけじゃない。一年のうち九か月は留守にしているわ。

 マリウスやシド様の依頼で遠出をすることもあるし、他所の村からの依頼でオークや害獣を退治することも多いの。

 それに対して、帝国の工作員がこの森を通過する頻度って、どれくらいだと思う? 年に二、三回もあれば多い方よ。

 しかも、オオカミたちが森の奥に入るのは、狩りをする時だけ。彼らは基本的に、あたしの近くから離れないの」


「奇跡でも起きない限り、鉢合わせなんてありえない。

 ……エイナだったらそれくらいの理屈、分かるわね?」


 エイナはうつむいたまま、こくんとうなずいた。

 ロキが首を伸ばし、彼女の涙に濡れた頬をべろべろと舐めた。


 エイナが落ち着いたのを見て、コンラッドは『助かった』という顔で、ユニに感謝の視線を向けながら質問した。

「ユニ殿。そうすると、今回の作戦でも敵の捕捉は難しいのでしょうか?」


 ユニは首を横に振った。

「そんなことないわ。

 奴らが近々やってくると分かっているなら、オオカミたちは早期警戒網を敷いて、何日でも待つことができる。

 何通りかある侵入経路のどれを使うのか、エイナの感知魔法は、それが確定してから使えば十分だわ。

 うちのオオカミたちが加わるから、戦力的にも問題ないはずよ」

「つまり、敵が接近するまで我々の出番はなし……となりますか?」


「ええ。ご不満かしら?」

「いえ、ここのところ激務が続いておりましたから、よい骨休めとなります」


 曹長の背後で、小さなどよめきが起きた。

 兵たちが『骨休め』と聞いて、無言の歓喜を叫んだのだ。

 しかし、すぐさま曹長が振り返って、兵たちの希望を打ち砕いた。


「いい機会だ。貴様ら、最近ろくな稽古をしていなかったからな。

 敵が網にかかるまで、俺と小隊長殿で徹底的に鍛え直してやる。覚悟しろ!」


「うへぇ……」

 誰かが情けない声を出し、ユニは「あたしも参加しようかしら?」と笑った。

 そして、一人で落ち込んでいるエイナに声をかける。


「エイナ、あんた洗面所に行って、顔を洗ってらっしゃい。

 ロキの涎でべとべとになっているわよ」


 エイナは素直に立ち上がり、ユニが指差した奥の扉へ向かった。

 曹長は、彼女が扉の向こう側に姿を消したのを確かめると、ユニの方へ向き直って小声で訊ねた。


「小隊長殿はどうされたのでしょうか?

 あのように感情的になったのは初めてです。しかもいきなりですよ。

 自分の目が信じられない気分です」


 ユニは苦笑いを浮かべて答えた。

「あんたたち、新設の小隊なのに、立て続けに重要任務を押しつけられたんでしょう?

 エイナはあのとおり、真面目で責任感の強いだわ。

 任務の重さもそうだけど、立派な隊長であろうとして、一杯いっぱいだったのよ。

 あの似合わない言葉遣いを聞いただけでも、無理をしているのがバレバレだわ。

 それが、あたしに〝頼ってもいいんだ〟と知って、気が緩んだ。そのせいで一気に感情が制御できなくなったのね」

「なるほど、責任感に耐えていた堰が切れたわけですね?」


「そういうこと。いい機会よ。

 どのくらいかは分からないけど、ここで頭を休ませてあげましょう」


      *       *


 エイナが戻ってきたのは、十五分も経ってからだった。

 ついでにトイレも済ませたのだろうが、それにしても長すぎる。

 扉を開けた彼女に、心配した全員の視線が向けられたのは、当然であった。


 そのエイナの目は、何かに驚いたように大きく見開かれていた。

 彼女はユニや部下たちを見ていない。目の焦点はその背後に合っていた。

 エイナの視線につられたように、ユニたちはその方向を振り返った。


 小屋の出入り口の前に、ひときわ体格のよいオオカミが立っていた。

 つい数秒前まで、そこには誰もいないはずだったし、何者かが入ってきた気配もなかった。

 本当に〝忽然と〟出現したような感じだった。


「ライガ!」

 ユニが勢いよく立ち上がって叫んだ。木の椅子が後ろに吹っ飛び、大きな音を立てた。


「あんた、帰ってきたの!?」

『見りゃ分かるだろう』

 ユニの頭の中に、ぶっきらぼうな声が響く。涙が出るほど懐かしい声だ。


 ライガはすぐにユニの方へは行かず、一列に並んでいる新兵たちの尻を、順々に嗅いで回った。

『おいユニ、何だこの連中は?』

「エイナの部下よ。彼女、小隊長になったんだって」


 エイナと部下たちに聞こえているのは、ユニの声だけであったが、会話の内容は想像がつく。

 ライガは難しい顔をして〝ふん〟と鼻を鳴らした。

 そして、今度はテーブルについている曹長の匂いをじっくり嗅いでから、エイナの尻に鼻を近づけた。

 エイナとライガは顔見知りであるから確認は短く、ゆっくりと尻尾が左右に動いている。


 そして、ようやく召喚主であるユニに近づき、彼女の腹に〝どん〟と鼻を突きつけた。

 その表情は平静を装っていたが、尻尾は正直で、ちぎれんばかりに振られていた。

 ユニがライガの太い首を抱きしめても、オオカミはされるがままであった(普段は嫌がる)。


「馬鹿! もっと早く戻ってきなさいよ!!」

『俺の意志じゃないんだから、無茶を言うな。

 それより、やっと戻れたと思ったら、いきなり血の臭いがしたから焦ったぞ。

 何のことはない、エイナが発情――いてえっ!!』


 ユニがライガの鼻面を、拳骨で殴りつけて黙らせた。

「あんたって奴は、ホンっとぉにデリカシーがないんだから!」


 ユニが怒鳴り、ライガは前脚で鼻を押さえて悲鳴を上げた。

 曹長と兵たちは訳が分からず、ぽかんとしていた。

 オオカミの男どもは無関心で、女衆はライガに呆れたような視線を向ける。


 エイナだけが、茹でたエビのように真っ赤になっていた。


      *       *


 フランツ中尉は、一人でゴブリンの足跡をたどった。

 足跡は二キロほども続いたが、その先の小さな丘に三つの横穴が見つかり、それが奴らの巣穴だと断定された。

 入るまでもない。穴の中を覗き込むと、凄まじい悪臭がしたからだ。


 フランツは重力魔法を唱え、あっさりと巣穴を圧し潰した。凄まじい重力が加わった結果、小さな丘はつるんとした窪地に変り果てていた。

 穴の奥に潜んでいたであろう、ゴブリンの女や子どもたちは、叫び声を上げる暇もなく圧死したであろう。


 先を急ぐ一行としては、ゴブリンの巣など無視したいところだったが、今後のことを考えれば、いかなる脅威も取り除いておかねばならない。


 巣穴の殲滅を終わらせた頃には、周囲は真っ暗になっていた。

 フランツは明かり魔法を使い、工作員たちが待っている野営地へ急いだ。

 ちなみに、明かり魔法は火(炎)系の魔法だが、ごく初歩的なものなので、土系魔導士である彼でも扱える。


 野営地に戻ってみると、工作員の指揮官の男が、一人で小さな焚き火の番をしていた。

 その他の工作員と通信魔導士は、もう就寝していた。

 フランツは男の隣りにどっかりと腰を下ろす。


「終わりましたか?」

「ああ、一匹残らず圧し潰した」


「お疲れさまでした」

 男はそう言って、焚き火で温めていたスープと乾パンを差し出した。

 ゴブリンに食料を荒されていたため、手持ちの携帯食で作った貧しい食事である。


 フランツは文句を言わずに、それを平らげた。

 死体と糞便臭が充満する戦場の塹壕で配られる、冷たく固い食事に比べれば天国の味である。


 あっという間に食べ終わると、中尉は煙草をふかしてまったりとした。

「なぁ、カイラ村はあとどのくらいだ?」

「三日ほどですね」


「王国の奴らも、さすがに警戒しているだろうな?」

「ええ。ですが森は広大です。

 常識的に考えて、大人数を繰り出して森で待ち構えるより、親郷の出入りを見張る方を選ぶでしょう」


「バレないのか?」

「ご心配なく。書類の偽造は完璧です。

 それぞれに設定した出身地の情報は頭に叩き込んでいますし、微妙な方言の違いも身につけています。

 これまで何十年も現地に溶け込んできた、先達が積み上げた財産です。

 我々は王国人よりも、よほど地元に詳しいですよ」


「それより、ゴブリンのことですが、壁の向こうで奴らを殺したのは、何の魔法ですか?」

 男がぼそりと訊ねた。よほど気になっていたのだろう。


 彼の目には、焚火に照らされたフランツの顔が歪んだように見えた。

「お前たちが、俺に名前を明かさないのと同じだよ。

 魔導士にとって、得意とする魔法を敵に知られるのは命取りだ。

 例え味方でも、どんなきっかけで相手に漏れるか分らんだろう?」

「私たちは拷問を受けても、何一つ吐かない訓練を受けています」


 むっとした表情の工作員に対し、フランツは苦笑いを浮かべた。

「ああ、そうだろうがな。用心に越したことはない。

 こいつは、マグス大佐に叩き込まれた、〝生き延びるためのコツ〟のひとつなんだ」

「ですが、それを教えた当の本人はどうなんです?

 大佐が爆裂魔法の使い手だってことは、子どもでも知っていますよ」


「まぁ、そうなんだが、異名持ち(ネームド)の連中は化け物だからな。

 その点俺は凡人だから、できるだけ長生きがしたいんだよ」


      *       *


 ユニのオオカミたちは、翌日から森の奥で哨戒態勢に入った。

 予想される敵の野営地は四か所で、それぞれに到達するための経路は把握済みである。

 オオカミたちは二頭一組の班となって、これを監視する。


 敵の接近を察知した場合、一頭が監視を継続し、もう一頭が報せに走るという手筈である。

 監視地点は、小屋から二十キロ以上は離れているから、ユニと直接通信できないのだ。

 ライガだけはユニのもとに残ったが、必要に応じて各班の状況を確認する役を担当する。


 エイナの小隊は、ユニの小屋を拠点として待機となった。

 小屋は小隊全員が居住できるほど広くはないし、女性であるユニへの遠慮もある。

 そのため、エイナだけが小屋に泊まらせてもらい、曹長以下の男どもは小屋の周囲で野営することに決まった。


 野営とはいえ、すぐ側に小屋があるわけだし、カイラ村から物資の補給もできる。

 買い出しはライガの担当で、首に下げた巾着に注文品のリストと代金を入れ、馴染みの店に行けばよかった。

 店の方でも慣れたもので、ライガの振り分け鞄(馬用)に品物を入れてくれる(お駄賃として、骨も貰えた)。


 兵たちは規則正しい生活を送り、曹長の宣言どおりに訓練に明け暮れた。

 空いた時間には、薪となる枯れ葉や枝を集めたり、小屋の修繕などの手伝いに励んだ。


 風呂好きであるユニは、小屋の外にかまど付きの風呂を作っていて、沸かして湯に入ることもできた。

 これはエイナを大いに喜ばせた。

 入浴中は帆布のカーテンで目隠した上に、その前にライガが陣取るので安心だった。


 こうして何事もないまま、一週間が過ぎた。

 そして、八日目を迎えたところで、その穏やかな暮らしは終わりを告げた。

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