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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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三十 協力要請

 ライガの名を口にした瞬間、オオカミたちの身体がびくっと反応した。

 彼らは一斉に顔を上げ、エイナに視線を向けてきた。

 まるで言ってはならない言葉を使った子どもを叱る、親のような表情だった。


 ユニは何も答えずに、うつむいたままだ。


「これって〝里帰り〟ですよね? ……初めてですか?」

 エイナがさらに問い詰める。


 ユニはのろのろと首を横に振った。

 そして、観念したように顔を上げ、長い溜息をついた。


「そうよね、あんたは素人じゃないんだし、バレて当然か。

 初めてじゃないわ、これが二度目。……だからまだ、時間はあるわ。

 今まで何度も見てきたことだし、ちゃんと覚悟はしてたつもりだったの。

 でも駄目ね。実際に体験すると、これが想像以上にしんどいのよ」


      *       *


 召喚士候補生は十八歳を迎えると儀式に臨み、異世界から幻獣を呼び寄せる。

 その際、両者の間では魂の融合が起こり、思考や記憶までも共有される。

 互いの了解のもとに契約が交わされ、呼び出された幻獣は召喚士に服従し、使役されることを約束する。


 一方の召喚士も、大きな代償を払うことになる。

 召喚士の能力は、二十数年(人によって数年の差異がある)経過すると、急激に減衰し、ついには枯渇を迎える。

 その際、召喚士の肉体は、金色の塵と化してこの世界から消滅し、幻獣の故郷である異世界へ転生するのだ。


 それはあくまで魂だけの話で、人間の肉体を維持したまま、生まれ変わるわけではない。

 召喚士が使役していた幻獣として、新たな生を受けるのだ。

 幻獣が暮らす異世界は一つではないが、どのくらいの種類があるかは分かっていない。


 幻獣の世界において、オークやゴブリンといった低級な種族は、繁殖力が旺盛で数も多い。

 これに対し、召喚士によって呼び出される幻獣は、それなりに高い霊格を持っている。

 彼らは強力な能力と引き換えに繁殖力が弱く、数が少ないが故に血が濃くなり、さまざまな弊害を生んでいた。

 異世界から新しい血を迎えられることに比べれば、二十年くらいの〝出稼ぎ〟など問題ではないのだ(霊格の高い幻獣は数百年、時には数千年という長寿を有していた)。


 もっとも、このシステムにも例外があって、霊格が高すぎる幻獣では転生が起こらない。

 この場合、召喚士の魂は呼び出した幻獣それ自体に吸収され、彼らの能力値の底上げに利用される。

 王国を守護する四神獣などが、その具体例である。


 召喚士の転生には、必ず予兆がある。

 〝その時〟を迎える一年ほど前から、幻獣が勝手に元の世界に帰ってしまう現象が起きるのだ。

 これが〝里帰り〟と呼ばれるもので、召喚能力の減衰による影響だと考えられている。


 初めての里帰りでは、一日程度で戻ってくるのだが、時が迫るにつれて起きる頻度と期間が増していく。

 そして、ついに運命の日が訪れると、異世界に帰っていた幻獣が、召喚士の魂を迎えにくるのである。


 召喚士と幻獣は魂のレベルでつながっているから、里帰りによって引き離されると、お互いに大きな苦痛を受ける。

 特に肉体・精神ともに脆弱な、人間側が受けるダメージは深刻であった。


 生命力の塊りのようなユニが、これほど憔悴していたのも、無理はなかったのである。


      *       *


 再び溜息を吐いたあと、ユニはぐるぐると頭を回した。

 肩が凝っていたのか、ごりごりと首の骨が鳴った。


「そうよね、いいかげんシャンとしなくちゃ、あんたのお母さんに申し訳が立たないわ。

 ちょっとシャワーを浴びて、さっぱりしてくる」

 ユニは立ち上がり、着替えを抱えて小屋を出ていった。


 さすがに後を追えないので、エイナはこの時間を利用して、部下たちにユニが置かれている状況を簡単に説明した。


 国立魔導院は、召喚士の養成機関として数百年の歴史がある。エイナが卒業した魔法科が設置されたのは、わずか十年前に過ぎない。

 しかもエイナは、現在国家召喚士となっているシルヴィアと同室で、親友でもあった。

 当然、召喚士の運命は知っているし、里帰りについての正しい知識も持っていた。


 だが、彼女の部下たちはそうではない。

 彼らも王国の人間であるから、召喚士と幻獣の存在は知っていし、軍は召喚士が珍しくない世界だ。

 だからといって、一般人である兵たちが、召喚士の何を知っていよう?


 エイナから説明を受けた部下たちは、黙りこくってしまった。

 召喚士たちが背負っている、過酷な運命のことなど、今まで考えたこともなかったからだ。


 重苦しい空気を破るように、ケヴィンが手を上げて口を開いた。

「召喚士の肉体は塵になって、完全に消えちゃうんですよね。

 だったら魂だけが異世界に行くとか、転生して幻獣になるとか、どうして俺たちに分かるんですか?

 思いっきり怪しいじゃないですか」


 エイナは呆れた表情で、部下の顔を見返した。

「お前、本人がいないからって、よくこの雰囲気でそういう質問ができるな?」

「いや、だって知りたいじゃないですか?」


 ケヴィンは蒼城市という都会で、商人の子として生まれ育った。

 本人の性格もあるのだろうが、簡単に人を信用しないし、誰に対しても率直でものじをしない。

 時々『生意気だ』と思うこともあるが、エイナは彼が嫌いではなかった。


「召喚された幻獣の証言だ。彼らの間では、転生者の存在がよく知られているそうだ。

 お前は『幻獣が嘘をついているかも』と疑うかもしれん。だが、ごく稀にだが、実際に元人間だった幻獣が召喚された例があるのだ。

 彼らは人間としての記憶をほとんど失っていたが、断片的なことは覚えていた。

 その内容が、何十年、時には百年以上前の記録と合致していることが判明し、転生の事実が証明された――というわけだ。

 ちなみに、ユニのオオカミの群れにも、ヨーコという元女召喚士がいるぞ」


 ケヴィンは目を輝かせて叫んだ。

「そいつはすげえ! どのオオカミですか?」


 ユニは軽く肩をすくめ、美しい銀毛のオオカミ、ヨーコを指さした。

 ケヴィンはヨーコの姿をまじまじと見つめたが、やがて首を振った。

「駄目だ。まったく見分けがつきませんね。

 元は女召喚士だと言いましたね、美人だったんですか?」


「ええ。凄い美人で、しかも巨乳だったそうよ」

 エイナは苦笑しながら、こう付け加えることを忘れなかった。


「だが、ユニさんの前で〝巨乳〟という言葉は禁句だ。機嫌が悪くなるからな」


      *       *


 ユニは十分程度で戻ってきた。

 髪は濡れたままだったが、着替えたためか、さっぱりとした印象を受ける。

 表情の方も、先ほどまでに比べると、かなりましになっていた。


 汚れ物を床に置かれた籠の中に放り込むと、ユニはどっかりと元の席に腰をおろした。

「それで? そもそも、エイナは何の用で訪ねてきたのかしら。

 いつも偉そうなあたしがへこんでいるのを、笑いにくるほど閑じゃないわよね?」


 その質問は、エイナとしても歓迎すべきものだった。

 彼女は自分が命じられた任務を、かいつまんでユニに説明した。

 ユニは〝ふんふん〟とうなずきながら聞いていたが、エイナの話が終わるころには、顔に笑みが浮かんでいた。


「なるほどね。それで、あたしとオオカミたちに『協力してほしい』って頼みにきたわけだ」

「はい。ずうずうしいお願いだとは思いますが、これはユニさんたちが最も得意とする分野です。

 お力を借りない限り、私の小隊だけではどうにもなりません」


 エイナはユニの推測を素直に認め、ついでに本音を漏らした。

「大体、軍の命令が無茶なんです。

 情報部の地図だって、また私の小隊を利用するための餌に決まっています!」


 エイナのふくれっつらに、ユニは思わず吹き出した。

「ねえ、エイナ。逆を考えましょうよ。

 どうして上層部はあんたの小隊に、こんな無茶な命令を出したと思う?」

「それは……傲慢に聞こえるかもしれませんが、私の能力に期待してのことだと思います。

 でもでもっ! その期待は過剰で、私を買い被っています」


「じゃあ、この命令を下した責任者は、エイナを理解していない〝無能〟ということになるわね?」

「そこまで言うつもりはありませんが……」


「でも、少しは思っているんでしょう?

 でもね、その無能って多分、蒼龍帝のことよ」

 この言葉には、エイナだけではなく、横の曹長や後ろに控えている部下までもが目を剥いた。


「いくら何でもそんな!

 軍の実質的な責任者はアスカ様です。シド様が現場に口出しするなんて、あり得ません」

「あら、それなら無能なのはアスカ?」


「えと、あの……」

「ごめんごめん、いじめるつもりはなかったのよ。

 あのね、蒼龍帝はエイナのことをよくご存じだわ。

 今回のことは、シド様がアスカに指示したんだと思う。無理な命令に困ったあんたが、あたしを頼ることなんか、最初から想定済みなのよ。

 情報部が露骨な地図を出してきて、エイナの小隊がカイラ村を目指すよう誘導したのは偶然かしら?

 第四軍で情報部を動かせる人物なんて、マリウスと仲のいい蒼龍帝以外に考えられる?」


「あ……!」


 エイナはそれ以上の言葉が出なかった。

 ユニの説明は、あまりにも明快だった。むしろ、そこに気づけなかった自分が信じられない気分だった。


「つまり、ユニさんが私たちに協力する……それも織り込み済みなのですか?」

「まぁ、シド様はあたしの性格も知っているからね。

 さっきご飯を作ってもらったから、食べた分くらいは働いてあげるわ」


「それはありがたいのですが、今のユニさんの体調では……」

「ああ、あたしだったら心配ないない♪」

 ユニは冗談めかして答え、手をひらひらと振った。


「ライガの馬鹿が消えたのは、一昨日おとといの夜のことなの。

 里帰りもまだ二回目だから、遅くとも今夜までには帰ってくるはずよ。

 それにあたしの場合、そこまでダメージが大きくないの。何と言っても、群れのオオカミたちが残ってくれたからね。

 この二日、ヨミとミナ、それにヨーコさんの三頭が交替で、あたしにぴったりくっついてくれたわ。

 あたしに付き合って、みんな小屋に閉じ籠っていたから、そろそろ運動させなくちゃね」


 ユニは片目をつぶってみせた。


      *       *


「あ~、嫌だ嫌だ、何だって俺がこんな目に遭わなけりゃならないんだ!」


 棘だらけの灌木の茂みを掻き分けながら、フランツは悪態をついた。

 彼は周囲に聞こえるよう、わざと大声を出しているのに、誰も相手をする者はいなかった。


「おい、聞こえてるんだろう? 何とか言えよ!」

 フランツが前を行く者の背中に小石を投げつけた。まるで駄々をこねる子どもの行動である。

 石をぶつけられた男は、面倒臭そうに振り返った。


「中尉殿、大声を出さないでください。

 我々が他国へ潜入していることを、お忘れですか?」

「うるせえ! この森に入って何日目だ?

 こんな原生林で聞き耳を立てている馬鹿がいるなら、ツラを拝んでみてえよ」


「そうではありません、くどいくらい説明したではありませんか!

 この森には異形の怪物がうろついています。自分から危険を招く行為は、愚か者のすることです」

「ああ、『オークが出る』って言いたいんだろう?」


 この一行は、帝国の情報部員たちだった。

 蒼城市の工作本部が摘発を受けたため、急遽送り込まれた補充人員である。

 総勢は七名で、うち工作員が五名、通信魔導士が一名、そして護衛のフランツ魔導中尉という構成だった。


 彼らは小舟でボルゾ川を渡って王国側に上陸し、タブ大森林に入ってからは、ひたすらに南下を続けていた。

 原生林の中に道などあろうはずもないが、長年にわたって工作員たちが開拓した経路が、ちゃんと存在している。

 巨木の幹についた傷、茸の生えた倒木の向き、小川の岸に積まれた石。

 何気ない森の風景が、彼らの間で共有されている目印だった。


 そうしたポイントを注意深く追っていくと、茂みの奧や岩山の窪みに、巧妙に隠された野営地を発見できる。

 そこには貯蔵の利く食料や必要な物資が埋められていて、それが密入国者にとって命の綱となった。


 フランツ中尉を含む一行は、そうした野営地のひとつを目指していた。

 冬の日は短い。明るいうちに着いておかなければ、野営地の発見が困難となる。


 フランツの愚痴と悪態を伴奏に、彼らは足を速めた。

 そして、一時間ほど歩き続けて、やっと今日の野営地にたどり着いた。

 あとは野宿に慣れた工作員たちに任せればいい。

 中尉は〝やれやれ〟という表情で、ほんのり湿った地面に腰をおろした。


 軍服の胸ポケットから貴重な煙草を取り出し、中尉が紫煙をふかしていると、工作員のリーダー格の男(彼らは護衛のフランツに対しても、名前や階級を明かさなかった)がやってきた。

 男の表情からは、ただならぬ緊張感が漂っている。

 フランツは煙草を口から離し、地面に押しつけた。


「どうした?」

「食糧がやられています」


「イノシシにでも喰われたんじゃないのか?」

「いえ、何らかの道具を使って地面を掘っています。動物の仕業ではありません」


「王国側に発見されたのか?」

「それなら食糧を埋め戻して、痕跡を隠すでしょう。

 敵の正体は分かりませんが、そういう点では素人で――」


「ちょっと待て!」


 いきなり中尉が話を遮り、唇の前に人差し指を立て、黙るように仕草で伝えた。

 沈黙の時間が十秒ほど流れ、やがてフランツはにやりと笑ってみせた。


「その敵の正体とやら、すぐに分かるぞ」

「どういう意味ですか?」


「俺たちは見張られていたらしい。囲まれているぞ」

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