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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十八 街道旅

 午前中のうちに、装備の受領と馬の使用許可を取った第四小隊の面々は、午後から再び小隊控室に集合していた。

 今回の任務について、改めて作戦の確認や背景情報を説明するためである。


「それで、情報部から提供された地図は、少尉殿がお持ちなのですか?」

 コンラッド曹長が訊ねた。

 それは『自分も見たい』という、控えめな意思表示だったが、エイナは自分の額に指先を向けた。


「地図は私の頭の中に入っている。

 実物は中隊控室のストーブで灰になった」

「なるほど、いかにも連中のやりそうなことですな」

 曹長は呻いた。彼は現場叩き上げの人間だけあって、情報部嫌いが徹底している。


「彼らの言う〝本命〟とは、どこだったのですか?」

「カイラ村だ。

 帝国は本部の再建を急いでいるが、最短距離の辺境北部に入る経路はいかにも危険だ。

 多少遠回りでも、多少でも警戒の薄い南の親郷を目指すだろう――情報部の推測は妥当だ。面白味はないがな。

 カイラ村は辺境でも最大の親郷で、中央平野の下手な町より人口が多い。潜り込むには絶好の場所だろう」


「でも、それって誰でも考えることですよね?

 安全性を考えるのなら、さらに南の親郷を目指すかもしれないじゃないですか」

 ケヴィンが手を挙げて発言した。他の部下も数人、うんうんとうなずいている。


「そうなんだが、帝国には大森林の南部を避けざるを得ない事情があるんだ。

 カイラ村に近づくにしても、かなり手前で西に迂回して南下する必要がある。

 その理由は話すわけにはいかないが、これは確定している事実だ。

 だから、辺境中南部に位置するカイラ村は、現状彼らが利用できる最南端の親郷ということになる」


 奥歯に物が挟まったような説明は、大森林南部に知性と文明を持ったオークが棲みついていることが原因である。

 王国はオークたちの居住を許可する条件として、彼らの縄張りに侵入する者の排除を求めていた。

 要するに、互いが定めた手続きを経ない場合、侵入者を殺して〝喰っていい〟とお墨付きを与えたのだ(理性を持ったオークといえども、人間が食料の一種であることに変わりない)。


 この事実は、先般王国に侵入して一時消息を絶った、カメリア少将によって本国に報告された。

 そのため帝国情報部は、大森林南部に苦労して構築した経路を、放棄せざるを得なかったのである。

 こうした事情を知るエイナとシルヴィアは、上層部から口外を厳に禁じられていたから、部下たちにも言えなかったのだ。


 ケヴィンが引っ込むと、曹長が再び質問した。

「その地図には、帝国の工作員が取る経路まで示してあったのですか?」


 エイナはうなずいた。

「彼らは大森林の中に拠点となる野営地を定め、一定期間そこに滞在する必要がある。

 いくら人の出入りが激しいカイラ村と言えども、通信魔導士を含めた補充者全員で入ろうとすれば、どうしても目立ってしまう。

 だから、一人ずつ分散させて侵入する日時もずらすことになる。そのための拠点ということだ。

 奴らが野営地を設定するうえで、最も重要視するのは何だ?」

「水――でしょうな」


「そうだ。帝国の工作員たちは、補給の利かない針葉樹林を、徒歩で踏破しなければならない。

 水は必要不可欠だが、重量が負担になるから大量には持ち運べない。

 いきおい彼らが採る経路は、水場をつなぐ形となる。

 最終野営地を選定するに当たり、複数ある水場のどれを本命とするのかは、さすがの情報部でも判断がつかなかったようだ。

 可能性が高い候補地は三か所、南北およそ二十キロの範囲だ」

「情報部は、少尉殿の感知魔法を当てにしているのですよね?

 その全部を監視できるのですか?」


 しかし、エイナは苦笑いを浮かべて首を横に振った。

「とても無理だ。私の能力では、二か所までしかカバーできない。

 その場合でも、大量の魔力を消費することになるから、長時間の連続使用はできない。

 それに、私にだって睡眠や休憩は必要で、その間をカバーする人員もいない。

 敵がいつ現れるのか分からないという状況からいって、分の悪い博打ばくちだと思わんか?」


 部下たちがざわざわして「じゃあ、どうするんだよ?」という声があがる。

 それを曹長が黙らせた。

「馬鹿野郎! めえら、少尉殿のお話を最後まで聞かんか!

 いいか、これは前振りって奴で、こっからが本番なんだ!」


 兵たちは『なるほど!』という顔をして、エイナに期待の眼差しを向けてきた。

 エイナは思わず目を逸らしてしまった。

『どうしよう、トイレに行く振りをして、逃げちゃおうかしら?

 曹長が余計なことを言うから、みんな仔犬みたいな目をしているわ』


 エイナはいたたまれなくなり、思わず「はい!」と手を上げてしまった。

 本当に「おしっこ!」と口走りそうになった瞬間、奇跡的に神の啓示が降りた。

 彼女は上げた手を握って口元を押さえ、わざとらしい咳払いでごまかした。


「もっ、もちろん曹長の言うとおりだ。

 実を言うとこの命令は、先日の慰労会ですでに中隊長から聞いていたのだ。

 だから昨日の休みの間に、しっかりと作戦を立てることができた。

 ただ、その第一案は確認が間に合わず、多分に〝運〟に左右される。場合によっては実現不可能で、その際には次善の策を採用することとなろう。

 したがって、諸君をがっかりさせないためにも、現地に着くまで詳細を話すのは控える。

 悪く思わんでほしい」


 エイナがたった今思いついた作戦が、〝運任せ〟だというのは本当だった。

 だが、その場合に〝第二案に移行する〟という話は口から出任せである。


 カイラ村までは、馬を使っても丸々三日はかかる。

 それまでの間に、この思い付きが空振った場合の代案を考えればいい。


      *       *


 翌日、小隊は早朝五時半に集合して馬を曳き出し、六時には東大門を通過していた。

 もちろん、周囲はまだ真っ暗であった。

 第四小隊の場合、夜道であってもエイナの明かり魔法があるので、それほど苦労しない。

 初めは魔法に驚き、気味悪そうにしていた新兵たちも、今ではすっかり慣れてしまった。他の小隊が聞いたら、羨むような環境である。


 人間は馬に乗るだけだから気楽だが(もちろん、それなりの疲労はある)、馬には絶対に無理はさせられない。

 長距離移動において、馬の速度は〝並足〟が基本であり、早足や駆足を使えるのは馬の替えが利くか、よほど緊急の場合に限られる。

 途中で水や餌を与えて休憩させる必要もあり、丸一日かけても六十キロ進めればおんの字だった。


 街道を進む限りは野宿はせず、沿道の村々に止宿することになる。

 ほとんどの集落には宿屋などなく、大きな農家の納屋を借りるのが普通であった。

 食事や馬の世話も頼めるから兵たちはゆっくり休めるし、世話をする農家にとっても貴重な現金収入となった。

 支払いは例によって軍票で済ませ、後で清算される仕組みである。


 一日目の宿泊場所も、小さな村の農具小屋だった。

 当然、ベッドなどの寝具はなく、束ねた麦わらをバラして土間に敷き、その上に軍服のまま寝る。


 季節は冬なので、重くて分厚い革の軍用外套を着ているが、これと薄い毛布だけで寒さを凌がなくてはならない。

 将校であるエイナが特別扱いされるはずもなく、食事が終われば兵たちと雑魚寝をするしかない。軍人は女に優しい職業ではないのだ。


 若い兵たちは横になると、あっという間に眠ってしまった。

 こういう場合、寝た者勝ちである。消灯と戸締りの確認で出遅れたエイナは、部下のたち鼾と歯ぎしりが気になって寝返りを繰り返していた。


「眠れませんか?」

 その気配を感じたのか、隣で寝ていた曹長が、抑えた声で話しかけてくれた。

 エイナは嬉しかった。女性にとって話し相手は、食事よりも重要なのだ。


「起こしてしまったか? 済まん。

 いや、こうしていると、何となく子どものころを思い出してしまってな」

「少尉殿は辺境の出身でしたね?」


「ソドルという小さな村だ。知っているか?」

「いえ、残念ながら……申し訳ありません」


「いいんだ。それが普通だ。ソドルの親郷もクリル村なんだぞ」

「それを早く言ってください。少尉殿も人が悪い」


 先の行商人捜索事件で、曹長は兵を率いてクリル村で調査を行い、重要な情報を持ち帰ったのである。

 その際、エイナは故郷の親郷がクリルであることを黙っていたのだ。


「済まん。ほら、ウォルシュがクリル村出身だろう?

 笑うかもしれないが、親郷の人間には妙な引け目を感じるんだ」

「なるほど。で、何を思い出したのですか?」


「私は十一歳の時、ソドル村から蒼城市に出てきた――という話は、前にしたはずだな?

 その時、私を連れ出してくれたのが、辺境に住むユニという二級召喚士だったんだ。

 曹長は彼女のことを知っているか?」


 暗闇の中から、曹長の忍び笑いが聞こえてきた。

「悪い冗談はよしてください。第四軍でユニ殿のことを知らん奴は〝もぐり〟です。

 私もあの黒龍野合戦で、彼女とともに戦ったことを、一生の誇りにしております。

 それに、ユニ殿といえばアスカ様の親友で、年に何度かは遊びにきています。

 彼女のオオカミたちも、先の蒼龍帝フロイア様から〝入城自由〟の許しを受けておりますからな。

 アスカ様のお屋敷の塀の隙間から、あの馬鹿でかいオオカミどもに声をかけて呼び寄せ、どこまで我慢できるか?

 ――これは街の子どもなら、誰でも一回はやったことがある度胸試しなのですよ」


「そんな遊びがあるのか」

 エイナも小さな笑いを洩らした。


「とにかくあの時、私は生まれて初めて生まれ故郷から外に出た。

 親郷を見たのも初めてだったし、旅だってそうだ。

 蒼城市までの旅は、野宿でな。あの馬鹿デカいオオカミたちと、ぴったりくっついて眠るんだ。

 それがあったかくてな、母親に添い寝されるような安心感があったのを、よく覚えている。

 この素敵に軽い(・・)外套と、分厚い(・・・)毛布にくるまっていると、その時の想い出が甦ってくるというわけだ」

「少尉殿や兵たちの外套はまだ新しいですから、着心地が悪いのは仕方がありません。

 なに、三年ぐらい着続けていれば、柔らかくなって身体に馴染んできますよ。

 一度も洗濯しない、というのが〝育てるコツ〟ですな。

 それが原因で眠れないのなら、自分の外套と交換しますか?」


 エイナはその親切な申し出を丁重に断り、寝返りを打って会話を打ち切った。


      *       *


 第四小隊は順調に旅を進め、三日目の夕方(もう真っ暗だったが)にカイラ村に到着した。

 まず軍の出張所に顔を出し、馬を預けてから安めの宿屋に転がり込んだ。


 途中の村々では、風呂など望むべくもなかったから、エイナにとっては涙が出るほど嬉しかった。

 部下たちはエイナの感激には無関心で、柔らかいベッドで眠れることを何より喜んでいた。


 翌日、第四小隊は朝食を済ませ、軍の出張所で馬を受け取って村を出た。

 向かうのは、村から十キロ以上離れたタブ大森林である。

 エイナは目的を明かさずに、小隊の先頭に立って馬を進めた。

 開拓された広大な農地や牧草地を抜け、森に入っても、馬を進めるのに大して支障はなかった。


 人間の領域と接している森には、当然のように人が入り込む。

 地面に落ちる枝や枯れ葉は、燃料として人間の暮らしに欠かせないからだ。

 そのため木々の間の地面は、ほうきで掃いたようにきれいだった。

 樹間に繁茂する灌木はすべて刈り取られているから、見通しがよく馬でも楽に進むことができるのだ。


 だが、五キロ以上進むと、それがだんだん怪しくなってきた。

 馬たちが先へ進むのを、嫌がるようになってきたのである。

 棘だらけの灌木を掻き分けるのは、馬だって不快だろうから同情すべきである。


 エイナはこの辺が限界だと見て、全員に停止と下馬を命じた。

 馬を集めて樹木につなぎ、背嚢も下ろして一か所にまとめさせた。

 彼女は部下の中からトッドを指名し、その場に残って馬と荷物を見張るように申しつけた。

 不可解だったのは、武器と防具もその場に置いていくよう、部下たちに命じたことだった。


 嵩張って重い槍や弓矢、盾を手放すのはまだ理解できたが、腰の長剣まで外せと指示されたことに、部下たちは驚いた。

 さすがにコンラッド曹長も異を唱えたが、エイナは平然としていた。


「心配せずともよい。目的地はすぐ先だからな。

 それに、武器を置いていくのは皆の安全のためでもある」


 曹長以下の部下たちは、エイナの言う意味が分からなかった。

 だが、小隊長が構わずどんどん奥へ進んでいくので、慌てて後を追うしかなかった。


 小隊が一キロ足らずの距離を進んだところで、いきなり彼らの視界が開けた。

 目の前に小さな広場が現れたのだ。しかもその奥には、こぢんまりとした丸太小屋まで建っていた。

 広場のあちこちに、大きな切り株が点在していることから、誰かがここを切り拓いたことが察せられた。


 村人も近づかないような森の奥に住み着くとは、よほど酔狂な変わり者なのだろう。

 部下たちの注意が建物に向いていたその時、いきなり彼らの目の前に、巨大な獣がぬっと現れた。

 不意を突かれた部下たちは、反射的に腰に手をやったが、頼みの綱である長剣は存在しなかった。


「ひいっ!」

 情けない悲鳴を上げ、ケニーが喘ぐような声を絞り出した。


「ばっ、化け物!!」

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