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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十七 東部方面軍

 新しい週が始まり、エイナの第四小隊にも新たな任務が申しつけられた。

 曰く「タブ大森林を抜けてくると予想される、帝国の補充工作員を捕捉して殲滅、可能であれば拘束せよ」である。


 前週末の慰労会で、ミラン中隊長が事前に告げていたので質疑応答はなく、エイナは淡々と命令を受領した。

 だが、彼女が中隊長に敬礼をして部屋を辞そうとすると、上司は「ちょっと待て」と呼び止めた。


 怪訝な顔でエイナが振り返ると、中隊長は机の引き出しから大き目の封筒を取り出し、彼女に向けて差し出した。

「これは?」

「中身は俺も知らんが、今朝になって、情報部から大隊長に届けられたものだ。

 宛先は君の名前になっている」


「それは……ありがとうございます。では、持ち帰って読んでみます」

「いや待て。この場で開封して読んでくれ。

 読み終わったら、即座に焼却するようにとの伝言付きだ」


 エイナはますます戸惑ったが、とにかく封筒の中身を確かめなくては、話が始まらない。

 封筒は黒い封蝋が施され、見慣れない印章が押してあった。情報部の封蝋印なのだろう。

 開けてみると、中には二つ折りにした紙が一枚入っているだけだった。


 取り出して開いて見ると、それは辺境中部からタブ大森林の西半分にかけての大雑把な地図であった。

 地図の左端が辺境諸村で、お馴染みの親郷の名も記入されている。

 そして大森林の中には、赤いグネグネとした線が引かれていた。


 さらに、地図の余白に手書きの文字で『予想される敵の侵入経路』と解説され、続いて『その他の経路は情報部が監視する。頭の中に叩き込んだら上官に返却せよ』と但し書きが添えてあった。

 暗記は魔導士の得意分野である。十秒もしないうちにエイナは地図を封筒に戻し、中隊長に返却した。


「もういいのか?」

「はい。情報部はこれで〝借り〟を返したつもりのようですね」


「そんなに義理堅い連中だと思うか?」

 中隊長はにやりと笑い、封筒を捻じって燃え盛るストーブの中に放り込んだ。


      *       *


 エイナが小隊の控室に戻り、曹長以下の部下たちに命令を伝達すると、反応はさまざまであった。

 困難で危険な仕事であることは、誰の目にも明らかである。

 それでも、再び重要な任務を与えられたことで、若い兵たちは勇み立った。


 渋い顔をしているのは、コンラッド曹長だけであった。

「どうも上は、少尉殿を参謀本部に帰す前に、すり減るまで使い倒すつもりのようですな」

「光栄の極みだな」

 エイナは苦笑いを浮かべた。


「これも本来なら、情報部が担当する案件です。

 また我々を囮にする……つもりですかね?」

「いや、今回は情報部も動くことになっている。さすがに我々だけでは無理があるからな。

 実を言うと、彼らから極秘裡に情報提供を受けている。本命と思われる侵入ルートまでご教示いただいたぞ」


「気味が悪いですね」

「情報部は我々に華を持たせ、自分たちは後方支援と別ルートを担当する。いわば脇役に徹する――というのが建前だ」


「実際は?」

「まず、うちの小隊を先にぶつけて、敵に出血を強いる。

 戦闘で疲弊した奴らを、情報部の戦力で急襲するつもりなんだろう」


「連中、我々が負けると決めつけていませんか?」

「曹長は勝てると思うのか?」


 エイナは、無邪気にはしゃいでいる兵たちに目を遣った。

 曹長はうんざりした表情を押し殺し、いきなり大声で気合をかける。


「貴様ら、しゃきっとせんか! 大森林では馬は使えんから、完全装備で行軍だぞ。

 総員、ただちに準備にかかれ!」


 軍の訓練で、最もきついのが完全装備行軍と呼ばれるものだ。

 軍服・軍靴に革鎧と鉄兜を装着し、槍、剣、弓矢の武器一式と盾を携行、さらに数日分の糧食と野営用具を背負って行進するのである。

 装備重量は四十キロ近い。


 兵たちは口々に悪態をつきながら、装備を受領するため控室を出ていった。


      *       *


 時は一週間ほど遡る。

 フランツ・ブルーメ中尉は、部下たちと日課の訓練をこなしていた。

 戦闘が絶えない西部や北部に比べれば、彼が配属されている東部方面は平和そのものである。

 だが、実戦部隊である彼らが、気を緩めることは許されない。油断は即、死につながるからだ。


 ひたすら身体をいじめて汗を流していると、次第に心が無になって、五感が研ぎすまされていく。中尉はその感覚を愛していた。


「中尉殿、誰か来ます」

 部下の無粋な声で、フランツの幸せな時間は、あっさりと終わりを告げた。


「誰だ?」

 彼の不機嫌な声音を気にする様子もなく、部下は呑気に答えた。

「ベンジャミンみたいですね」


 ベンジャミンというのは、事務方の文官である。

 まさか、訓練に参加しにきたとは思えない。

 中尉が腰に引っかけていたタオルで汗を拭い、息を整えていると、広い訓練場を横切って、ようやくベンジャミンが近づいてきた。


 顔色の悪い文官は、はぁはぁ息を切らしながら、どうにか用件を伝えた。

「ブルーメ中尉、課長がお呼びです。すぐに出頭してください」


 堅苦しい呼び名に、フランツは顔をしかめた。

「見てのとおり訓練中だぞ。終わってからではいかんのか?」

「緊急の用件とのことです」


 中尉はいかにも大儀そうに溜息をつき、部下の一人に呼びかけた。

「テオ、俺は課長のところへ行ってくる。後はお前に任せる」

 声をかけられた軍曹は、にやにやと笑っている。


「中尉殿、また報告書の不備ですか?」

「馬鹿野郎! 俺はこれでも学があるんだ。お前と一緒にするな」


 フランツは湿ったタオルを腰のベルトに押し込むと、大股で本部の建物へ向けて歩き出した。

 ベンジャミンが慌ててその後を追った。


      *       *


 東部方面軍の本部建物は、港町クレアの高台に位置している。

 同軍はコルドラ大山脈の東側全域を管轄している。その面積は帝国の六割強に達するが、逆に人口は一割にも満たない。


 帝国東部は大河ボルゾ川を国境線として、リスト王国と対峙している。

 ただし王国とは小競り合いはあるものの、一応国交が保たれている関係で、本格的な戦闘はめったに起きない。

 そのため、東部方面軍は弱兵である、という見方が一般的であった。


 フランツはもちろん軍人であるが、方面軍ではなく情報部東部課、その中でも荒事を担当する実戦部隊の所属である。

 帝国情報部の立ち位置は王国とほぼ同じで、独立性が高く独自の戦力も保有していた。


 方面軍本部建物はかなり大きいが、情報部は一番奥の薄暗い一角を間借りしており、部屋数も四つしかない。

 一番奥が東部課の課長室で、課長は東部方面における情報部のトップに当たる。


 フランツはその課長室の扉をノックした。

 すぐに「入れ」という声が聞こえ、中尉は扉を開けて中に入った。

 軍であれば、まず上官の部屋に入ったら、申告して敬礼なのだが、情報部はそういう硬直した形式を好まない。


 フランツが部屋を見回すと、課長以外誰もいなかった。

 普段なら秘書官がいるのだが、課長が人払いをしたのだろう。

 〝緊急〟というのは本当なのか……中尉は少し気を引き締めた。


「呼ばれたから来ましたけど、何かありましたか?」

 彼は無遠慮に訊ねた。


 課長は椅子に座ったまま、渋い表情でうなずいた。

「蒼城市の工作本部が急襲された……らしい」

「らしいとは、ずい分と頼りない話ですね」


「襲われるのを黙って待っている馬鹿がいるか?

 本部員は事前に脱出したから、その後のことは分からんのだ」

「彼らと連絡は取れないのですか?」


 課長の表情がますます険しくなった。

「脱出の際に最後の連絡を行い、通信魔導士はその場で処分したようだ」


 中尉は大げさに肩をすくめてみせた。

 通信魔導士は情報部員ではない。消耗品の扱いなのだ。


 課長はフランツの仕草を、苦々しい表情で睨みつけた。

「一か月ほど前、王国に潜入したまま戻らなかったヨーゼフは、君の友人だったな?」


 中尉はうなずいた。

 ヨーゼフ中尉は彼の同僚で付き合いも長かった。

 優秀な男で、王国に対する威力偵察部隊の指揮官として選ばれた際も、フランツは『さもありなん』と大いに納得したものだ。


 ところが、ヨーゼフが率いる部隊は消息を絶ち、一人だけ逃れて帰ってきた兵によって、王国の巡回部隊と遭遇したことが知らされた。

 その兵士の証言によれば、敵巡回部隊には強力な魔導士がいたらしく、ヨーゼフたちはあっという間に無力化され、捕縛されたということだった。


「あの事件の後、王国側はヨーゼフたちを手引きする予定だった工作員に目を付け、拘束しようとしたらしい。

 もちろん、本部はその情報を当該工作員に伝え、彼を本部に引き上げさせた。

 だが、王国側は執念深かった。どうやって知ったのかは分からんが、蒼城市に潜入する地下ルートまであばき出し、とうとう本部にまで迫ったらしい」

「ええと、確かその地下経路って、二十年もかけて構築したんでしたっけ?」


「そうだ。我々にしてみれば大打撃だ。

 工作本部からの最後の通信では、本部は脱出しても、全員が無事に逃げ切るのは絶望的との観測だった。

 予備の本部に集結して、機能を立て直すにしても、人員と通信魔導士の補充は急務となる。至急、手配されたし……というのがその内容だった」

「なるほど、致し方ありませんな。課長はその要請に応じるおつもりですか?」


「決まっているだろう! 馬鹿かお前は?」

「ですが、蒼城市に潜り込むための手段が潰されたのでしょう?

 潜入は容易じゃありませんぜ」


「その辺は、向こうの連中がどうにかするそうだ。

 とにかく、補充の人員は早急に送らねばならない。

 すでに人選は済んでいるし、通信魔導士も無理を言って他から引っこ抜いてきた」

「では、何も問題はありませんな」


「馬鹿だろう、お前?」

「そう何度も、馬鹿馬鹿言わんでください。

 これでも自分は学があるんです」


「だったらその優秀な頭でよく考えてみろ!

 敵の防諜機関が、その程度のことを読めないはずがないだろう?

 ボルゾ川の渡河地点はいくらでもあるから、その点は心配ない。

 問題は大森林を抜けて、辺境に入る過程だ。

 例によって親郷に一人ずつ、日をずらして潜り込ませることになろう。

 そのためには、大森林の西端で一定期間野営基地を設け、そこに滞留する必要がある」

「そこを狙われる……というか、待ち伏せが大いに考えられますね」


「『大いに考えられる』か、さすがに学がある奴は蘊蓄うんちくのある台詞セリフを吐くな。

 私に言わせれば、『絶対に(・・・)網を張っている』だ!」

「ですが、大森林も辺境も、馬鹿みたいに広いのでしょう?

 奴らだって、その全てに人員を配置するのは不可能です。十分に警戒して、手薄な経路を選択すれば問題ないと思いますが」


「確かに君の言うとおりだが、これまでとは格段に危険度が高いというのも、また事実だ。

 そこで、今回に限っては護衛をつけようと思う」

「それはいいお考えですな。一個中隊も派遣すれば、十分でしょう」


「敵地に潜入する部隊に、そんな目立つ護衛をつけてどうする!

 我々は戦争をしに行くわけではないのだぞ?」

「しかし、少人数の護衛では意味がありませんぜ?」


「だったら、一人で中隊規模の戦力を持つ人間をつけてやればいい。

 そうは思わんかね?」

「ああ……それで、俺が呼ばれたんですか」


「ようやく理解してくれて、私も嬉しいよ。

 なに、護衛は補充部隊が辺境に潜入するまでで十分だ。

 それを見届けたら、君は帰ってきてよろしい。簡単な任務だろう?

 分かったら、さっさと準備をしたまえ。出発は明日の早朝だ」


 課長は犬でも追い払うように、〝しっしっ〟と手を振る仕草をした。

 だが、フランツはその場を動かなかった。

 

 課長は嫌そうに顔を上げた。

「どうした、まだ何かあるのかね?」


「はぁ……課長は先ほど、ヨーゼフの部隊が敵魔導士に無力化されたと言われましたね?」

「それが、どうかしたかね?」


「今まで第四軍管区に、そのように強力な魔導士が出現したという話は聞いたことがありません。

 現地の工作部隊から、何か情報は入っていないのですか?」

「ほう、案外馬鹿ではないのだな。

 ごく最近、王都の参謀本部から異動してきた、女魔導士だそうだ。

 名前はエイナ・フローリー少尉。

 まだ若いが、先般マグス大佐が王国の式典に出席した際に護衛を務め、あのカメリア少将とも戦ったらしい」


「そいつは……腕っこきじゃないですか。

 黙っていたのは、何かの意趣返しですか?」

「敵の正体を最初から教えてしまっては、興ざめだと思ったんだがね。

 まず確実に、その女も迎撃部隊に加わっているだろう。

 どうだ、やりがいがあって嬉しいか? まさか、王国の魔導士如きに勝つ自信がない、とは言わんだろうね?」


「どうでしょう。カメリア少将とやり合って、殺されていないってことは、結構な化け物ですぜ。

 若いと言いましたが、何歳なんですか?」

「マグス大佐の報告書によれば現在十九歳、来月には二十歳になるはずだ」


「そいつは確かに若いなぁ。……それで、美人さんですか?」

「はて、容姿に関する記述はなかったはずだが」


「マグス大佐ともあろうお方が、そんな重要事項を書き漏らすとは信じられませんな!

 かの伝説の魔導士も、歳には勝てないということですか……」


 課長は呆れたような表情で、フランツ中尉の顔を見つめた。


「そうだな……今度帝都に行く機会があったら、君の言葉を大佐に伝えておこう。

 大佐もよい弟子を持ったと、さぞ喜ぶことだろう」

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[良い点] フランツ中尉のご冥福をお祈りします……
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