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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十六 慰労会

「第四小隊の健闘に乾杯!」


 泡立つエールがたっぷりと注がれたジョッキが、ガチャガチャと打ち鳴らされた。

 エイナは一口だけ口に含み、少し顔をしかめながら飲み込んだ。


 正直なことを言うと、エイナは苦くてビールのたぐいがあまり好きではない。

 酒が飲めないわけではないが、小隊の飲み会では、果実酒をさらに果汁で割った、弱いカクテルを頼むことが多かった。


 最初のころ、酒保でエイナが頼んだ甘い酒のグラスを、コンラッド曹長は汚物でも見るような目で軽蔑したものである。

 彼は『酒とは強ければ強いほど良く、唯一の例外であるエールは苦ければ苦いほど好ましいのです』と、強硬に主張するのであった。

 残念なことに、部下の新兵たちも、曹長の教育にあっさり染まってしまった。


 エイナが付き合い程度に口をつけただけなのに対して、コンラッド曹長と部下たちは、ひと息でジョッキの半分近くを喉に流し込んでいた。


 王国での乾杯の作法は、飲んだジョッキやグラスをテーブルに勢いよく音を立てて置き、しかるのちに盛大な拍手をする。

 だが、エイナの部下たちはジョッキを持ったまま、再び発声を行った。


「我らがエイナ小隊長に乾杯!」

 彼らがそう怒鳴り、陶器が割れるような勢いで、互いに打ちつけるものだから、エイナは耳まで赤くして、堪らずテーブルから脱出した。

 彼女が少し離れた将校たちのテーブルに避難してくると、先輩士官たちがにやにや笑いながら迎えてくれた。


「なんだ、もう逃げてきたのか? 案外だらしないのだな」

「冗談はやめてください、中隊長。

 ただでさえ目立ちたくないのに、恥ずかしくて仕方ありません」


 だが、時すでに遅しであった。

 第四小隊とエイナの名が声高に讃えられたことで、酒保で食事をしていた将兵たちが気づき、次々と立ち上がった。

 将校はエイナの周囲に、兵たちは部下たちのテーブルに集まってきて、次々に声をかけて握手を求めにきたのだ。


      *       *


 エイナの小隊が任務を解かれ、原隊に復帰してから、すでに数日が経過していた。

 その間、彼女と部下たちは、一人ひとり情報部に呼び出され、長時間にわたる事情聴取(という名の尋問)を受けていた。

 やっとそれが終わって解放されると、今度はアスカ将軍をはじめとする軍幹部の立ち合いのもとで、まったく同じ内容の事情聴取が繰り返された。


 軍と情報部が情報を共有すれば、このような無駄は回避できるはずだが、指揮系統が違うから、という理由を盾に、両者とも頑として協力を拒んでいた。


 結局、この週は通常任務を何一つせずに、同じ質問に同じ答えを繰り返す日々であった。

 そんな苦行もどうにか終わり、やっと週末を迎えた今日、エイナたちの小隊の慰労会の打診があった。


 城内の酒保で好きなだけ飲み食いさせてやる――というもので、何とミラン中隊長の奢りだという。

 もちろん、エイナをはじめ小隊に異存はない。


「だが、小隊全員を奢るというのは、結構な出費だぞ。中隊長殿は懐が痛くないのだろうか?」

 慰労会の話を持ってきた曹長は、ガハハと笑い飛ばした。


「その心配は無用ですな。一応、名目上は中隊長の私費ということになっていますが、こうした場合はちゃんと軍から金が出ているのです。

 我々は任務を達成したわけではなく、手柄はすべて情報部に持っていかれたでしょう? 軍としては金一封を出してやりたいところですが、軍規に触れますからね。

 そこで、機密費からこっそり金が出て、うちの大隊に回ってくるわけです」


 エイナは曹長の話を感心しながら聞いていた。

 なるほど、エイナと小隊が抱えている不満を解消し、大隊内の上下関係を円滑にするのであるから、予算の使い道としては妥当だと上が判断するのだろう。


 そんなわけで、いつも週末は賑やかな酒保で、他の部隊も巻き込んだ盛大なお祭り騒ぎとなったのである。


 エイナたちが帝国の工作員である行商人の捕縛を命じられたことは、誰もが知っていたが、その結果については何も公表されず、当然エイナたちにも他言が禁じられた。


 ところが、今回の事件は情報部が打った芝居だった――という噂は、燎原の火の如く軍内に広まっていた。


 これは単にエイナたちが騙されたという話では済まない。第四軍が情報部に虚仮コケにされたということだった。

 もちろん、上層部同士では了解済みの話ではあるが、一般の将兵たちが面白かろうはずがない。

 軍と情報部の仲の悪さは周知のことで、軍内にはこのやり口に憤慨し、第四小隊に同情する者が続出した。


 もともとこの事件は、創設間もない第四小隊が、帝国の威力偵察部隊を捕縛するという大手柄を立てたことに始まっている。

 エイナと小隊はアスカ将軍から感状を贈られ、大きな注目を集めたことが背景となって、この任務を拝命したのだ。

 それに関しては、第四軍内でも声に出せない不満が渦巻いていた。早い話、やっかみがあったのである。


 だが終わってみれば、目立つエイナたちは情報部に恰好の囮として利用されただけで、いわば被害者となった。

 お陰で軍内の空気は一変した。外部に敵が出現すれば、とたんに団結するのが軍の習性である。


 さらに、情報部は最初からエイナたちの実力を見くびっていて、軍内部の情報漏洩者が特定できればよいと考えていた。

 ところが、第四小隊は敵の工作本部に肉薄するという、想定外の活躍をみせた。


 結果的に敵には逃げられたが、それは情報部が餌として、相手にわざと洩らした情報のせいでもある。

 そして実際には、事件後に市内に潜伏していた工作員が多数摘発され、敵の組織は大打撃を受けたのである。


 もちろん、こうした事情は機密事項である。それにも関わらず、噂はあっという間に広まってしまった。

 つまり、情報部に反発する軍の高官が、〝うっかり〟洩らしてしまったということである。


 ともあれ、エイナと第四小隊の、第四軍内における立場は、一気に好転することになったのだ。


      *       *


 嵐のような激励と賛辞がどうにか落ち着くと、エイナはやっと同じ大隊の士官たちと話をすることができた。

 彼らは、まだ人だかりのしている兵士たちのテーブルを見やると、心配そうに訊ねてきた。


「部下たちは大丈夫なのか?

 新兵にはありがちなんだが、情報部に対して過剰に敵愾心を抱くと面倒だぞ。

 指揮系統に違いがあっても、結局は同じ軍だ。変な感情は持たせない方がいい」


 エイナは苦笑いを浮かべた。

「まぁ、確かに不満はあるみたいですが、意外と平気なようです。

 今回、私と行動を共にした部下にケヴィンという男がいまして、彼は探偵小説が好きらしくて、物語の主人公のように捜査や推理ができたって、喜んでいました。

 ほかの連中も似たり寄ったりですよ。

 なにしろ配属されてから、巡回任務ばかりでしたから、いい気晴らしになったんじゃないでしょうか」


「ああ、奴らはまだ擦れていないからな。

 見てみろよ、ずい分と楽しそうじゃないか」

 第一小隊のクリフォード小隊長がそう言って、兵たちのテーブルに向けて顎を上げてみせた。


 エイナが振り返ると、向こうのテーブルではケヴィンがジョッキを持って立ち上がり、仲間たちに演説をぶっていた。

 その大声は、ちょっと注意を向けるだけで丸聞こえである。彼は〝スカートを穿いて娘言葉で話す小隊長〟が、いかに可愛かったか!

 ――そう熱弁をふるい、横に座るウィリアムも腕組みをして、うんうんとうなずいている。


 ほかの兵たちが「具体例を挙げなきゃ分らんぞ!」と野次を飛ばすと、ケヴィンは〝スカート姿のエイナが恥ずかしがって井戸を降りられなかった〟とか、新しい私服に着替えた時に〝どうかしら?〟と言って、くるりと回ってみせたことを暴露した。

 辺境組だった兵たちは大いに悔しがり、『これは不公平だ! 小隊長殿は、俺たちの前でもやってみせるべきだ!』と叫んで盛り上がっていた。


『あいつら、黙っていろと言ったのに……。後で思い知らせてやる』

 エイナが握りしめた拳をぷるぷると震わせ、物騒な復讐を考えていると、ミラン中隊長が彼女の腕を肘でつついた。


「こら、話を聞いているのか?」

 注意されたエイナは慌てて謝った。

「すっ、済みません! ちょっと考え事をしていました」


「しょうがない奴だな。

 それじゃ、もう一度言うが、来週からの任務のことだ」

「はい」


 正直に言って、エイナはまた巡回だろう……と高をくくっていた。

 ところが中隊長が告げたのは、意外な任務であった。


      *       *


「今回の事件を受けて、情報部が多数の敵工作員を検挙したことは知っているな?」

 中隊長の言葉に、エイナはうなずいた。


 間一髪で本部から逃走した工作員たちは、十数人にのぼると推定されていた。

 彼らはあらかじめ用意されていた代替本部へ、すぐには向かわなかったらしい。

 それだけの人数が移動すると、さすがに目立ちすぎるからだ。


 そのため、工作員たちはいったん市内に潜伏し、ばらばらに集まることにしたようだった。

 情報部はそれまでの調査から、彼らがよく利用する宿や、協力者の家を把握しており、この機会をとらえて一斉に捜索が行われた。

 その結果、八名の工作員が摘発され、うち三人が戦闘の末に殺害され、二人が自死、三人が拘束されたのだ。


「奴らは本部機能を喪失したと言っていい。

 通信魔導士を自分たちの手で処分した結果、各地に潜入している工作員との連絡手段を失ってしまったからだ。

 さらに、各大門での検問を通らずに、自由に市内へ出入りできるルートも潰された。立て直しには相当苦労するはずだ。

 この状況で、帝国はどういう手を打つと少尉は思う?」

「そうですね。まずは人員の補充が急務でしょうか」


「そうだな。先の威力偵察未遂といい、帝国東部方面軍は何か大きな作戦を計画していた可能性がある。

 それなのに、肝心の現地諜報網が麻痺したままでは、作戦自体が不可能となる。

 本部機能の立て直しは、彼らにとって喫緊の課題のはずだ」


「帝国が工作員を送り込むとすれば、ボルゾ川を小舟で渡るのがいつもの手だ。

 蒼城市北部一帯から辺境にかけての川沿いは、監視塔によって四六時中見張られ、軍による巡回も昼夜行われている。

 したがって潜入する箇所は、人の住まないタブ大森林沿いとなるだろう」


「そこで、だ」

 中隊長はエイナの目を見据えた。


「君たちはタブ大森林で網を張り、敵の補充部隊を補足し、辺境への侵入を阻止してもらいたい」

「ちょっと待ってください!

 一つの小隊が監視できる範囲など、高が知れています。まさか我々だけでやれとは言いませんよね?」


「その、まさかだ」

「無茶です!」


 中隊長は自分のジョッキを持ち上げ、一息で飲み干した。

「敵の補充部隊には、通信魔導士が帯同していると考えられる。

 それなくして、本部機能の復活はあり得ないからだ。

 エイナ少尉、君は感知魔法が使えたな。最大でどれくらいの範囲をカバーできるのだ?」

「無理をすれば、自分を中心に半径八キロくらいは」


「素晴らしい。

 敵が大森林を抜けて辺境に侵入するとなれば、目指すのは親郷以外にあり得ないはずだ」

「支郷だと、よそ者は目立ちますからね」


「そうだ。親郷には潜入済みの工作員がいて、その支援を受けられるし、物資の補給も必要だから、必ず立ち寄らねばならない。

 そうなれば、大森林を抜けるための経路は、自ずと限られてくる。

 君ならば、敵を捉える網を張れる――上層部はそう考えているようだ」


 中隊長の言うことには一理ある(言うほど容易たやいとは思えないが)。

「普通、任務の伝達は週明けです。今回に限って、なぜ事前に教えていただけるのでしょうか?」

「君にあらかじめ、考える時間を与えるためだよ。

 奴らは急いでいる。目標となる親郷は、せいぜい北部から中部にかけての三か村といったところだろう。

 どこで待ち伏せるか、予想が外れた場合の対処法、戦闘となった場合の作戦……検討すべき課題は山ほどあるが、ゆっくり考える時間はあまりない」


「明日の休日を潰して、一日中考えろということですか」

 エイナは大げさに溜息をついた。


「どうした? 何か約束でもあったのか」

「いえ、思いっきり可愛い恰好をして、部下たちの前でくるくる回ってみせようかと思っていたもので」


「そっ、そうか。それは残念だな、うん。

 ……俺は君の部下たちに恨まれるかな?」

「さぁ、どうでしょう」

 エイナは悪戯っぽく笑った後で、ふいに真顔になった。


「ですが、帝国がいつ補充部隊を送り込むのかが不明です。

 上では何か情報を持っているのでしょうか?」

「いや、手の内にカードは一枚もない」


「では、今回の任務の期限は?」

「今の時点ではない。ただ、情報部の分析では、遅くとも二週間以内には作戦が実行されるという予測だ」


「それまでの間、大森林の奥地で待ち続けろと……」

「気の毒だが、そういうことになる」


 エイナはしばらくうつむいていたが、ふいに顔を上げた。

 彼女の大きな目に、うるうると涙が溜まっていた。


「私の……お風呂はどうなるのでしょうか?」

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[良い点] そこに川があるじゃろ?
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