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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十五 急転直下

『なぜ気づかなかった!?』


 エイナは目の前に突き出された槍先から目を逸らし、内心で歯噛みをした。

 彼女は五感が鋭く、敵が隠れ潜んでいても大抵は気づくことができた。

 それが、まったくの不意打ちを喰らったのだ。


 エイナは素早く左右に視線を走らせた。

 小隊を取り囲んでいる敵は、全部で十六人。

 いずれも軍服に酷似した制服を身に着けていたが、胸には軍団を示すプレートや階級章がついていなかった。

 一番異様だったのは、全員が黒い目出し帽を被っていて、顔を隠していることだった。


「動くな! 剣の柄から手を離せ!!」

 男たちが低い声で警告を発した。


「彼らの言うとおりにしろ」

 エイナは振り返らずに指示を発した。

 同時に、頭の中で忙しく考えを巡らせた。


 これほど接近されていては、下手に攻撃魔法を使えない。

 風系魔法で敵を吹っ飛ばせば、距離を取ることができるが、あいにくエイナに使える魔法ではない。

 考えた揚句に彼女は決断を下した。

 魔力を弱めた雷撃魔法で、味方ごと周囲を失神させる。

 部下たちには気の毒だが、それ以外にこの窮地を脱する方法が見つからなかったのだ。


 エイナはほとんど口を動かさずに、無音の詠唱を始めた。

 これは彼女が〝黙唱〟と名付けた技術である。

 元々はケルトニアの魔導士で、現在は王国の魔導教官を務めているケネス・フォレスター大尉から教わったものだ。


 だが、そのわずかな顎の動きを敵は見逃さなかった。

 たちまち二つの槍先がエイナの喉元に突きつけられた。

 鋭い痛みが走り、エイナの白い喉に血の球が浮かぶ。


「今すぐ詠唱を止めないと、喉を貫くぞ!」

 男たちの恫喝は落ち着いたものだった。その冷徹な声音には、従わなければ躊躇しない――そんな迫力があった。

 彼らはエイナが魔導士であることを、最初から知っていたのだ。


 やむなくエイナが呪文を中断すると、敵の指揮官らしい男が、槍を引いて一歩下がった。

「抵抗しなければ、危害を加えるつもりはない。全員下馬して手を上げろ」


 エイナは無言のまま馬から降り、部下たちにうなずいてから、ゆっくりと両腕を上げた。

 彼女の行動を見た部下たちも、それに倣う。

 すぐに男たちによって、腰の長剣をが奪われた。


「ちょっと待ってくれ」

 コンラッド曹長が口を開いた。


「その制服、一度だけ見たことがある。あんたたち、情報部の人間だろう?

 なぜ味方に槍を向けるんだ!」

『情報部!?』

 エイナも部下たちも、驚いて目を見開いた。


 情報部は王都だけではなく、四軍にも配置されている。

 しかし、彼らは参謀本部の直轄部隊であり、四帝の支配権は及ばない。


 エイナも王都や蒼城で見かけたことがあるが、彼らは普通に国軍の軍服を着ていて、きちんと階級も明示していた。

 そして、目にする人物は大体同じで、あまり人数がいる部署のようには思えなかった。


 だが、考えてみれば、情報部は諜報と防諜、両方の活動を担っている。

 時には敵の工作員を摘発するため、戦闘も辞さない実力部隊を擁しているはずだった。

 それが、現在小隊を取り囲んでいる連中なのだろう。


 男たちの指揮官は、曹長の質問を無視したまま、手にしていた槍を傍らの部下に渡した。

 そして、エイナの前に進み出た。


「エイナ・フローリー少尉だな?

 自分は情報部のシュトラウス大尉だ」

 男はそう言って、目出し帽を顎の辺りまでめくり上げた。

 隠れていた詰襟が露わになり、金の一本線に星が三つの徽章(大尉を示す)が見てとれた。


 エイナが反射的に〝気をつけ〟の姿勢で敬礼をすると、大尉はゆっくりと答礼を返した。

「手荒なことをして済まなかった。

 この街区で派手な騒ぎを起こしては、いろいろとまずいのだ。察してほしい。

 さて、少尉には私と同道してもらう。部下たちの指揮は、コンラッド曹長に任せたまえ」


 シュトラウス大尉はエイナだけではなく、曹長の名前まで把握済みということだ。

 さすがは情報部といったところか。


「お待ちください。大尉殿は私たちの任務をご存じなのですか?」

「当たり前だ。だからここで君たちを待っていた。

 くだらんことを訊く暇があったら、さっさと指示に従いたまえ」


「お言葉ですが大尉、自分たちは第四軍に所属する将兵です。

 参謀本部直轄である、あなた方の命令に従ういわれはありません。

 大尉殿が、我が小隊の受けている特命をご存知だというなら、なおのことです。

 それでも当方の行動を妨害される場合、遺憾ながら軍を通して正式に抗議することになります」


 エイナとしては、堂々と反論したつもりだったが、大尉は動じなかった。

 彼は軍服の胸ボタンを外すと、懐から丸めた羊皮紙を取り出し、それをエイナに手渡した。

「それを読みたまえ」


 エイナは手元の羊皮紙に目を落とした。

 赤い蝋で封じられていたが、その封蝋印はエイナが持っている大隊印などではない。

 軍司令であるアスカ・ノートン大将のものだった。


 彼女は封蝋を破って羊皮紙を広げた。

 そこには流麗な筆致で、こう書かれてあった。


『この命令書を提示された刻限をもって、第一野戦大隊第三中隊、エイナ・フローリー少尉以下第四小隊に下した特命を解除する。

 同小隊はすみやかに原隊に復帰せよ。ただし、特命は情報部に引き継がれるものとし、その要請があった場合、他に優先して協力するよう命じる』

 文面の下には、アスカの署名があった。


「エイナ・フローリー少尉。

 貴官の小隊は、現刻をもって我々の指揮下に入る」

「はっ」

 正式な命令書を示された以上、エイナとしては従うしかない。


「曹長、部下たちのことをよろしく頼む」

 エイナはそう言い残し、シュトラウス大尉の後を追った。


      *       *


「大尉殿、ひとつ伺ってもよろしいですか?」

 シュトラウスに追いついたエイナは、歩幅が大きい大尉に遅れまいと、小走りになりながら訊ねた。


「何だ?」

「私は命令を受けるに当たり、情報部はこの件から手を引いたと聞かされていました。

 そうではなかったのですか?」


「我々は情報部、正直者には向かない部署だ」

「私たちの調査について、どこまでご存じなのですか?

 協力を命じられた以上、必要な情報は開示する用意があります」


「それはご親切なことだが、今のところは必要ない。

 確か、君たちは昨夜に宿の食堂で打ち合わせを行っていたな?」

「……よくご存じですね」


「我々情報部の人間からしたら、信じられない愚行だ。

 食堂には他の泊り客もいたというのに、秘匿すべき情報を垂れ流すとは、情けなくて涙が出る。

 ちなみに、あの客は私の部下だがね」


 エイナはぐうの音も出なかった。

 情報部は最初からエイナたちを尾行し、宿では盗聴をしていたのだろう。

 つまり、彼女たちは敵をおびき寄せる餌に過ぎなかったのだ。


「私たちは囮だったのですね……」

 エイナが肩を落とすと、大尉の目出し帽を通して、含み笑いが聞こえてきた。


「囮にしては、ずい分と元気がよかったな。

 正直なことを言うと、君たちには捜査の素人らしく、目立ってくれればそれでよかったのだ。

 ところが、君たちはどんどん真相に近づき、とうとう敵の本丸にまで迫ってしまった。

 我々は面食らったよ」

「……では、どうして今になって介入してきたのですか?」


「君たちの調査が、いきなり核心に迫ってしまったからだよ。

 しかも、いきなり踏み込もうとした。暴挙としか言いようがない。

 相手だってその道の専門家だ。君たち素人の動きに気づかないはずがないだろう。

 我々も『これはまずい!』と判断して、介入に踏み切ったわけだが……やはり手遅れだった」

「え?」


「逃げられたんだよ。

 まぁ、ついてくれば分かるさ。これは教育だ。自分たちの間抜けさを、その目で見るがいい」

 大尉は邸宅の大きな扉を開き、中へ入っていった。


      *       *


 屋敷の中は騒然としていた。

 いや、騒がしいわけではなく、むしろひっそりと静まり返っていたが、雰囲気がそうだったのだ。

 屋敷の使用人、特に女性たちは部屋の隅に固まっていて、ひそひそとささやき合っていた。

 そして、時折通る情報部員の姿を見ては、恐ろしそうに身を寄せ合うのであった。


 広いエントランスを横切りながら、エイナは小声で訊ねた。

「ハーマン(この屋敷の主人)も逃げたのですか?」


 すぐに大尉のくぐもった声が返ってくる。

「いや、彼は拘束され、現在尋問を受けている。

 もちろん、仮のものだ。本番は蒼城に連行してじっくりやるさ。

 面白い情報が得られるだろうが、工作員たちの行方に関していえば、期待薄だな。

 ハーマンは奴らが引き払ったことも知らないようだ」


 大股で先を歩くシュトラウスは、ホールから食堂を抜け、厨房へと入っていった。

 この時間なら、朝食の用意で慌ただしいはずだが、かまどには火が入っておらず、料理人の姿もなかった。

 厨房の隅の床には、扉が開いた大きな穴が剥き出しになっていた。

 こうした場所には、食材や調味料などを保存する地下室があるのが普通である。


 大尉とエイナがその中に降りていくと、薄暗い地下室の奥の床に、またもや穴が空いていた。

 その横には香辛料が並ぶ木製の戸棚が寄せられている。

 普段はこの棚が穴を塞いでいるものと思われた。


 穴を覗くと明かりが見え、人の気配もした。

 急な階段を降りていくと、大尉と同じような制服を着て、目出し帽を被った情報部員が数人、忙しく働いていた。


 彼らは部屋の壁際に並んだ棚から書類や図面を取り出しては、分類してテーブルの上に積み上げる作業を続けている。

 奧の壁だけには書棚がなく、ここにもまた黒い穴があった。

 そして、その手前に大きな黒い革袋が置かれていた。


「この穴の先が、廃止された点検口の壁につながっている。

 内側からしか開かない蓋がしてあってな、元々の壁をそっくりそのまま使っているから、外からじゃ分からなかっただろう?」

「私たちが昨日、点検口の壁を調べたこともご存じなのですね?」


「ああ、それを知ったのは、食堂での打ち合わせを聞いた結果だ。

 報告を受けた俺たちは、泣きたくなったよ。

 あんたら、壁を蹴ったり叩いたりしただろう?」

「はい……」


「そんなことをして、この地下室にいた連中が気づかないと思うか?」

「あ!」


「そうでなくても、奴らは君の小隊をつけ回していたから、危険を感じていたはずだ。

 もう猶予がないことを、わざわざ知らせてやったようなもんだ。

 奴らは昨日の深夜のうちに、ここを引き払ったらしい。

 俺たちは急遽人員を掻き集め、夜明け前にここを急襲したが、一足遅かったというわけだ」

「それは……申し訳ありません」


「素人なんだから、仕方ないだろう。

 それに、奴らに君の小隊のことを教えたのは、我々情報部だからな。

 責めては気の毒というものだ」

「えっ、どういうことですか?」


 大尉は肩をすくめた。

「もともと今回の作戦は、第四軍内部で敵に情報を流している幹部を、特定するのが目的だったんだ。

 これまでの調査で、容疑者は三人にまで絞られていたが、決定的な証拠が掴めなかった。

 それで、君たちを囮にして、三人にそれぞれ違った情報を知らせたのだ。

 後は君たちを張っていればいい。敵の対応を見れば、どの情報に釣られたのかは一目で分かる。

 今ごろ、裏切り者の将官は身柄を拘束されているだろう」

「そう……だったんですか」


「ところが、無能な素人だろうと高をくくっていた君たちは、想定以上に頑張ってしまった。

 これほどだと分かっていたら、情報を秘匿したまま、敵の工作本部の壊滅を主目的に据えていただろう。

 敵に逃げられた原因の半分は、判断を誤った我々の責任だ」


 大尉の話を聞いている内に、エイナは猛烈に腹が立ってきた。

 だが、相手は上官であるし、任務でやっていることだから、態度に出すことはできない。

 彼女は気分を落ち着かせるために、無理やりに話題を変えた。


「この床に転がっている革袋は何ですか?」

「ん? ああ、これか。自分で開けて確かめてみるといい」


 エイナは片膝をつき、革袋の合わせ目を綴じている皮紐を解いた。

 出てきたのは痩せた男の顔だった。

 目と口が半開きになっていて、乾いた舌が覗いていた。顔色は真っ白である。

 どう見ても死体であった。


「誰ですか?」

 エイナは革紐を結び直し、大尉に訊ねた。


「敵の通信魔導士だよ。奴らがここを引き払う際に、殺されたんだろう。

 こいつを連れていけば、あっという間に感知されるからな。

 別に殺さなくても、下水道から逃がしてやればいいものを……。

 敵も慌てていたんだろうさ」

「情報部にも、感知魔法が使える魔導士が配属されているのですか?」


「それには答えられん」

「そうでしょうね」


「敵の工作員は、どこへ逃げたのでしょう?」

「さあな。奴らだって、万一の事態に備えて予備の本部を用意していただろう。

 だが、これで当分の間、奴らの活動は大きく制限を受ける。

 代わりの通信魔導士を派遣させるだけでも、二か月はかかるんじゃないかな。

 奴らに少なくない打撃を与えたんだ。君も誇っていいんだぞ?」

「それはどうも……」


 大尉はテーブルの上に積み上げられた、書類の束のほうに目を遣った。

 その中に、ひときわ大量の束があった。薄褐色のざらざらした紙片である。


「重要な書類は残らず持ち去っただろうから、ここに残っているのは、大したことのないものばかりだ。

 だが、少尉たちがいなかったら、この大量のさんの束の意味を、俺たちは延々と考えていただろうな。

 これで説明は終わりだ。

 君たちには改めて事情聴取に応じてもらうが、取りあえずはもう用済みだ。部下たちを連れて原隊に帰るがいい」


 エイナは敬礼をして、その場を後にした。

 自分たちが道化を演じていたことを、どう部下たちに説明したらいいのか……。


 考えただけで頭が痛かった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはもうしょうがない.......
[良い点] うーんスパイアクション! ハリウッドならこれで納得いかないエイナが命令無視して勝手に捜査に出るところだけど……(笑)
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