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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十四 合流

 ウィリアムとケヴィンが横穴に入ってから、三十分余りが経った。

 上で待っているエイナも、さすがに心配になってきた。

 思い切って井戸の底に降りようかと考えはじめたころ、ようやく彼らが戻ってきた。


「どうだった!?」

 身を乗り出して訊ねるエイナを、井戸の底から二人が見上げた。

「その前に、ここから出してもらっていいですか?」


 彼らは縄梯子を上がってくると、やれやれといった表情で服の汚れを払った。

 とたんにドブの臭いが周囲に漂う。


「案の定です。横穴は点検口につながっていました」

 ケヴィンが代表して報告を始めた。


「穴から顔を出すと、目の前に点検口の鉄梯子がある感じで、そのまま降りていけます。

 暗渠の通路は、表面に乾いた泥が溜まっている以外、市内の下水道と変わりありません。

 とにかく真っ暗で、小隊長の明かりがないと、何も見えないです。

 あと、空気がかなり悪いですね」


「通路に足跡はなかったの?」


 エイナの質問に、彼は首を振った。

「いえ、確認できませんでした。

 多分、雨で通路が冠水した時に、流されたんだと思います」


「どこまで行ってきたの?」

「両方向、それぞれ五十メートルほどです。

 その範囲では、特に変わったことはありませんでした」


「たったそれだけ?」

「小隊長の明かり魔法が、それより先だと消えてしまうんですよ。

 あれは何の嫌がらせですか?」


「え? ……ああ、そうか。

 私から離れすぎると、魔力が届かないのね」

「どうします?

 やっぱり小隊長も下に降りて、下水道につながる所まで確認しますか?」


 だが、エイナはその提案を却下した。

「いえ、必要なら装備を整えて出直しましょう。

 それより、今日のうちに他の点検口跡の確認を済ませてしまうわ」


 部下の報告を聞く限り、暗渠の探索をしても収穫は期待薄だった。

 とにかく暗渠への侵入経路は確認できた。城下の下水道への合流点には、排水路を渡る道具が隠されているかもしれないが、それ以外に何かがあるとも思えない。


 問題は、下水道に入り込んでから、どうやって外に出るかだった。

 エイナたちは調整池へ向かう道すがら、その問題を話し合った。


「そもそも何で点検口に横穴を開けたんでしょうね?」

 ウィルアムが口にした疑問は素朴過ぎて、エイナには意味がよく分からなかった。

「どういうこと?」


「だって、下水道でも暗渠でもいいですけど、入りたかったら直接壁に穴を空ければいいじゃないですか。

 それならいろんな場所を選べますし、わざわざ点検口にこだわる必要はないですよね?」

「ウィリアム、あんたねぇ……」

 エイナは溜息をついた。


「トンネルの壁って、どうなっているか分かる?」

「そりゃあ、レンガか石壁でしょう」


「表面はそうよ。でも、その内側は土砂が崩れないように、分厚い漆喰で塗り固められているのよ。

 何百年も前の漆喰よ? もうガチガチに固まって岩盤と変わらなくなっているはずよ。

 それを掘り抜くって大工事だわ。深い穴を掘る必要もあるし、大量に出る土砂をどうやって処理するの?

 点検口なら浅い穴で済むし、壁面の漆喰もそんなに分厚くないはずよ」


 ウィリアムがやり込められて黙ると、今度はケヴィンが口を開く。

「小隊長が言ったように点検口を利用できれば、外部との連絡は楽ですよね。

 だったら、下水道から出る時も、同じ手を使っているんじゃないでしょうか?」

「あんたたちが実際に通った横穴は、点検口の壁面につながっていたのよね?」


「そうです」

「さっきの場所は、誰も中に入らない暗渠だから関係ないけど、城壁内だったらどうなる?

 下水課の職員が、毎週点検口を利用して出入りしているのよ。

 人が通れるような大穴が壁に空いていたら、絶対に気づかれるわよ」


 それで議論は終わりだとエイナは思ったが、ケヴィンは食い下がった。

「俺、考えたんですけど、使われていない点検口なら、可能じゃないでしょうか?」

「そんな都合のいいもの、どこにあるのよ?」


「ほら、蒼城に一番近い支管って、区画整理の影響で使われてないんですよね。

 本管と合流する所の点検口も出入り口が潰されているから、誰も上がらないはずです。

 上の方に穴が空いていたとしても、下から見上げただけじゃ分からないでしょう」

「それは……思いつかなかったわ」

 エイナは素直に認めた。ケヴィンの推理は的を射ている。


「つまり、廃止された点検口に隣接する屋敷の地下室から横穴を掘れば、下水道からの脱出口ができるってことね。

 それだけじゃないわ。その地下室そのものが、工作員の本部という可能性も高いわね」

「使われていない点検口は、東西南北の四か所です。

 その両側に面した屋敷が怪しいとすれば、候補は八軒ですね。我々だけでも調べられそうですよ」


「そう簡単じゃないわ。あの辺りは市内でも最高級の住宅街よ。

 どこも貴族か大富豪の邸宅だもの、軍の上層部とも太いパイプを持っているわ。

 私たちが『調べるぞ』と言って入ろうとしても、まず拒絶されでしょうね」

「だけど、我々にはアスカ将軍の命令書があります。

 あれを振りかざせば、多少の無茶だって通せるんじゃないでしょうか?」


 エイナはうなずいたが、難しい顔のままだった。

「確かにね。だけどね、もしそうやって押し入った屋敷が、〝当たり〟だったらいいわ。

 八分の一の確率なんだから、〝外れ〟の可能性の方が大きいでしょう?

 その場合、事後処理が相当面倒臭いことになりそうだわ。

 冗談じゃなく、軍を窮地に追い込むかもしれないわね」


 ケヴィンは頭を掻きむしった。

「あー、もうっ!

 こうなったら、今までの経過を全部大隊長に報告して、責任を押しつけちゃいませんか?」

「いよいよ行き詰ったなら、そうさせてもらうわ。

 でもね、私たちは行商人を探して捕まえろって命令されたのよ。

 目の前に敵の尻尾が見えたのに、『もう駄目です』なんて降参したくないわ。

 取りあえず、候補の屋敷の持ち主が誰か……そのくらいは調べてみましょう」


 エイナたちは残りの点検口跡をすべて調べたが、もう怪しい箇所は現れなかった。

 最終的に暗渠の出口である調整池に達し、そこで働いている職員たちから聞き取りもしたが、特に有益な情報は得られずに、この日の調査は終了となった。


      *       *


 捜索五日目となった。

 この日、エイナたちはまず下水道課を再び訪れ、内部の調査許可を願い出た。

 使用されていない点検口を確認しなければならないからだ。

 調べるのは四か所だけだから、それほど時間はかからないだろう。

 水道課長は快く要請に応じてくれた。


 部下たちが壁に埋め込まれたコの字形の鉄梯子を登り、エイナが明かり魔法でサポートする。

 立ち合った課長は、エイナが魔導士であることを知らなかったので、これには酷く驚いていた。

 調べてみたところ、どの点検口の壁にも穴は空いていなかった。


 これはある程度予想されたことで、穴がレンガの壁を偽装した扉で塞がれている可能性があった。

 レンガ同士の目地を埋める漆喰がひび割れているのは珍しくなく、どれが扉に該当するかはよく分からない。

 それらしい壁を押したり、叩いたりしてみても、びくともしなかった。

 恐らく、内側からしか開かない仕組みになっているのだろう。


 午前中で点検口の確認を終えた三人は、午後から関係する屋敷の主人を調べて回った。

 屋敷に表札の類は出ていないが、こうした家では門衛がいるのが普通である。

 彼らに訊ねれば、そこが誰の屋敷であるかが簡単に分かった。


 候補となる八軒のうち、貴族の邸宅が二つで、ほか六軒はすべて富裕な商人が所有していた。

 貴族のうち一軒は、さきの蒼龍帝フロイアの実家である、メイナード侯爵家の屋敷であった。


 侯爵家は現在、フロイアの弟が当主を務めていて、かつての反乱の罰として、領地は大幅に削られ、蒼城市北東から南部方面に移転させられていた。

 ただ、現侯爵は有能な人物で、新領地で開発した特産物の売り込みに成功し、財政的には移転前よりむしろ豊かになっていた。


 城下の屋敷には、年のうち三分の一程度しか居住していない(領内産物の売却交渉のためである)。

 さすがに侯爵家は、調査の対象から外してもよさそうだった。


 もう一軒の貴族邸は、ペレス伯爵のものである。

 彼は辺境の開拓に資金を提供して、その結果上がってくる年貢で暮らしている、典型的な地主貴族であった。

 伯爵にも帝国との接点はなく、疑うに足る事情は見つからなかった。


 残る六軒の屋敷を構える商人たちは、いずれも帝国との貿易に携わっていた。

 農産物の輸出商が三人、古着と医薬品の輸入を古くから行っている業者が一人ずつ、そして生糸(絹)の輸出で近年大きく業績を伸ばしている新興商人が一人だった。

 彼らが商売上の理由から、帝国の工作員に便宜を図ったとしても、驚くことではない。


 だからといって、これら商人たちの屋敷に片っ端から踏み込んで、地下室を捜索、あるいは秘密の地下室がないか家探しするというのは、相当に難しい行為である。

 エイナと二人の部下が、結論の出ない議論を重ねていると、扉を遠慮がちに叩く音がした。

 三人はぴたりと話を止め、ケヴィンが立ち上がって扉を開けた。

 相手は宿の若い衆であった。


「ええと、お客さんたちを訪ねて軍人さんが来ています。

 コンラッドだと言えば分かると……」

 

 エイナたちは若い衆を突き飛ばして部屋を飛び出し、階下の玄関に向かった。

 そこには旅の埃で薄汚れたコンラッド曹長と、懐かしい部下たちの顔が並んでいた。

 大門の門衛部隊には、曹長が戻ってきたらエイナたちの宿を教えるよう頼んであったが、きちんと申し送りされていたようだ。


 応対に当たっていた宿の女将に、エイナが事情を説明した。

「彼らは私の部下で、ここで落ち合う約束をしていたのです。泊れる部屋は空いてますか?」

「ええ、それはもう。二人部屋二つと一部屋でよろしいですか?」


 今は十二月の初旬で、宿屋にとっては閑散期である。

 実際、エイナたちの他には一部屋しか埋まっていなかったから、女将としては大歓迎のはずだ。


 エイナは曹長に遠路のねぎらいをしてから、さっそく指示を出した。

「曹長は兵たちに部屋を割り振りしてくれ。

 ウィリアムとケヴィンは軍服に着替えろ。私もそうする」


 曹長たちは荷物を各部屋に下ろすと、取りあえずシャワーを浴びて替えの軍服に着替えた。

 全員が集まれる広さの部屋はないので、食堂で夕食を摂りながら、打ち合わせをすることにした。

 エイナたちが集合したすぐ後で、もう一組の泊り客も食事をしにきたが、追い出すわけにもいかないので、その存在は無視するしかなかった。


 最初に曹長の方から、クリル村での情報収集の結果が報告された。

 村人からの聞き取りでは、報告書以上の有益な情報が得られなかったが、行商人が姿をくらます直前、新品種の蚕の卵を大量に購入していたという情報が明かされた。

 蚕紙の輸送には、帝国への輸出実績を持つ専門業者に依頼する必要があり、行商人はそれらの業者が存在する蒼城市に向かった可能性が高い。

 この重要情報を届けるため、辺境組はとんぼ返りで戻ってきた――曹長はそう説明した。


 エイナたち蒼城市組は、この報告を聞いて思わず顔を見合わせたが、その顔はにやついていた。

 必要としていた情報が飛び込んできたのだ。頬も緩もうというものである。


 エイナは曹長たちに、自分たちの調査の進展を説明した。

 紆余曲折はあったが、どうやら敵の工作本部に近づいたこと。

 そして六人の商人屋敷のうち、どこを捜査すべきか判断しかねていたことを打ち明けた。


「その六人の中に、ハーマン商会という生糸商がいる。偶然とは思えないだろう?

 私たちは明日、同商会の捜索を強行する。諸君は十分に英気を養い、明日に備えてくれ!」


 エイナがそう締めくくると、小隊の士気は大いに高まった。

 辺境組にしてみれば、エイナたちの調査は、予想を遥かに上回る成果を上げていた。

 一方の蒼城市組は、あと少しで敵に手が届こうかというところで、行き詰まっていたが、それを曹長たちの情報が打開してくれたのだ。


 エイナの発案で全員にビールが振舞われ、熱気はいやがうえにも盛り上がった。

(酒代を軍票では払えないので、この分はエイナが現金で支払った。)


 兵たちは解散を命じられると、興奮で声高に話し合いながら、それぞれの部屋に引っ込んでいった。

 エイナは食堂の隅で、物静かに食事を楽しんでいた泊り客に、騒がしくしたことを詫びた。

 彼らは穏やかそうな顔をした中年男性二人組で、エイナの謝罪に対して『気にしていませんよ』と鷹揚に許してくれた。


      *       *


 翌朝、エイナの小隊は七時をもって宿を出発した。この季節だと、やっと明るくなったばかりの時刻である。

 宿から中央街区の高級住宅地までは、徒歩でも四十分ほどの距離である。

 徒歩でも十分だったが、エイナたちは威儀を整えるため、あえて騎馬で向かった。総勢八人に過ぎない部隊としての、精一杯の虚勢である。


 ハーマン商会の当主、ジェフ・ハーマンの屋敷は、かつて某伯爵家のものだったらしい。

 その伯爵家は百年以上前に没落し、それ以来、何度も人手に渡ってきた物件である。

 この一帯に居を構える人種は、八割以上が富豪といわれる大商人たちであった。

 そして、その邸宅には、例外なくハーマン家と似たような来歴がついていた。


 ハーマン邸の門前に着くと、すぐにエイナは異変を感じ取った。

 いるはずの門衛がいないのだ。

 門扉も鍵がかけられておらず、半開きになったままだった。


 しばらく様子を窺ってみたが、邸内からは誰も出てくる気配がない。

 エイナは部下に命じ、そのまま中に入ることにした。


 邸宅へと続く石畳の通路を、馬の蹄を響かせながら進んでいくと、立派なにれの木立が屋敷の目隠しになっていた。

 それを抜けると、いきなり広々とした庭が開け、正面に白亜の邸宅が姿を現わした。


 エイナはそこでぴたりと馬の足を止めた。

 何本もの槍が突きつけられたからであった。

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[良い点] 逃げられたのかと思ったら荒事の気配
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