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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十三 図書館

 エイナたちの捜索は、四日目に入った。

 宿の食堂で朝食を済ませるのはいつもと変わらないが、その日は食後のお茶まで楽しめた。

 市立図書館の開館は午前九時なので、朝もゆっくりできたのだ。


 実際に訪れた図書館は、蒼城に近い広大な敷地に建つ石造総二階建ての立派な建物だった。

 エイナだけではなく、市内育ちのウィリアムとケヴィンも、図書館自体は知っていたが訪れるのは初めてである。


 中に入ってみると、開館して間もないにも関わらず、そこそこの人が入っている。

 人数は多くても、声高に話す人は皆無で、静かな空気が漂っていた。

 受付カウンターには、数人の職員が配置されており、書物を探す人々の相談に乗っていた。


 エイナもその一人に近づき、自分の身分証を提示した上で目的を告げた。

「下水道と調整池に通じる暗渠の点検口、それも蒼城市の建都当時の状況を知りたいのです。

 そうした地図があったら、閲覧したいのですが……」


 カウンターで応対した中年女性は、わずかに眉を上げた。

「ずい分と変わった探し物ですね。それですと、地図というより図面分野だと思います。

 ただ、あいにく担当の司書が病気で、先週から休んでおりまして……。

 あ、いえ、ご心配には及びません。代わりにご案内できる者がおりますから。

 呼んでまいりますので、少々お待ちください」


 女性はそう言って、奥の事務室へと消えていった。

 しばらく待っていると、彼女はもう一人の女性を伴って戻ってきた。


「お待たせして申し訳ありません。

 私は当館の司書次長を務めております、アンナ・ワリシエと申します」


 アンナは濃い栗色の髪短く切り揃え、大きな眼鏡をかけた三十代くらいの女性だった。

 決して美人ではなく、化粧っ気のない地味な顔立ちだったが、秀でた額が賢そうで、いかにも〝本好き〟といった印象を受けた。


「お探しの図面でしたら、心当たりがございます。

 かなり古い貴重な史料になりますので、特別閲覧室でご覧いただくことになりますが、私の立ち合いも必要になります。

 よろしいですか?」


 もちろん、エイナに異論はない。

「構いません。必要に応じて質問しても大丈夫ですか?」

「私に答えられることでしたら遠慮なく」


      *       *


 この時代の王国は木版印刷の爛熟期で、帝国やケルトニアといった先進国では、すでに活版印刷の普及が始まっていた。

 大量印刷が可能となった結果、書籍の価格は従前に比べて格段に下がったが、庶民にとって高価であることに変わりはない。


 これよりも以前の古い書籍となると、写本を含めてほとんどが羊皮紙に手書きされた、非常に貴重なものであった。

 したがって、図書館では一部の例外を除いて貸し出しは行わず、館内での閲覧のみというのが常識だった。


      *       *


 アンナに案内されて閲覧室に入ると、三人は息を呑んだ。

 部屋の中央に、巨大なテーブルがあったからだ。

 横二メートル、縦は六メートル近い。


「ずい分と大きなテーブルですね。

 閲覧室とは、皆このようなものなのですか?」


 エイナの素朴な疑問に、アンナは微笑みながら首を振った。

「ここは特別なんです。

 地図や図面は大きなものが多いですから、これでも足りないこともあるんですよ。

 いま、ご要望の図面をご用意しますから、少々お待ちください」

 彼女はそう言って、奥に続く大きな扉を開け放ち、薄暗い廊下の奥へと消えていった。


 アンナが戻ってきたのは、十分ほど後のことだった。

 脚に車輪のついた大きなワゴンに、丸めた大きな図面が二つ乗せられている。

 彼女はそのうちの一つをテーブルに移し、端をガラス製の四角柱で押さえ、くるくると広げていった。

 そして終わりの端にもう一本のガラス柱を置き、図面が丸まらないようにした。


 彼女は白い手袋をしていたが、エイナたちにも人数分の手袋を手渡した。

「図面には直接触れられませんので、この手袋をしてください」


 三人は言われたとおりに手袋を着けると、テーブルの上から図面を覗き込んだ。

 図面は羊皮紙製で、横は一メートル強、縦は二・五メートルほどもあった。

 はじめの三分の一が蒼城市で、反対側の端がアナン川と調整池、その両者を暗渠がつないでいた。


 内容は非常にシンプルで、下水道と暗渠の輪郭が濃い黒いインクで描かれている。

 蒼城市の大城壁と、蒼城から延びる四本の大通り、そしてアナン川と調整池は、やや薄い茶色のインクで示してある。

 これ以外に、街道をはじめとした地形を表す情報は、何一つ描かれていなかった。


 アンナは少し誇らし気に説明を始めた。

「ご覧のとおり、地図と呼べるような代物ではありません。

 下水道の配置図としか言いようがありませんが、二百八十年前の建都時の様子を窺い知ることができる、とても貴重な史料なんですよ」


「とても簡素な図面に思えますが、これで何が分かるのでしょうか?」

「例えば、アナン川の流れは今と全く違っています。大城壁も百五十年前の大改修以前のものです。

 ほかにも、これを見てください」

 アンナは蒼城市の中央付近を指さした。

 白い手袋の指先には、小さな黒丸が描かれている。


「これは……点検口の位置でしょうか?」

「よくご存じですね。

 ご覧のように、蒼城市内の点検口は、二十二か所描かれています。

 しかし、現在では十八か所しか存在しません。

 なぜだか分かりますか?」


 アンナの目が悪戯っぽく光る。

 エイナは図面を見ながら、自分たちが昨日降りた点検口を探した。

 大通りだけは描かれているから、見当をつけるのは難しくない。

 そこは、下水課から一番近い、すなわち蒼城に最も近い位置にある点検口のはずだった。


 だが、目の前にある図面には、そこよりも城に近い位置に、点検口を示す黒丸が描かれていた。

 南大通りだけでなく、東西北それぞれの大通りにも、対応する点検口があった。


「分かりました。

 点検口は、大通りと横道の交差点に設けられていますよね。

 この、一番中央寄りの点検口は、後の時代に廃止されて塞がれたということです。

 その理由は、この部分で交わる横道が無くなった……つまり、区画整理が行われたからだと思います」


「まぁ、よくそこまでお分かりですね!」

 アンナは目を丸くしたが、すぐに笑い出した。


「ああ、お客様は下水道課の方に聞いたのですね?

 蒼城市民でこんなことを知っているの、あの人たちしかいませんもの。

 金持ちのわがままで、道路一本が潰された――それも、建都からわずか二十年の出来事です。

 当時の経緯はほとんど伝えられておりませんが、こうした図面にしっかりとその証拠が残っているのです。

 どうです、面白いでしょう?」


 解説するアンナは、ひどく楽しそうだった。

 エイナも笑ってうなずいたが、いま調べたいのは暗渠の方の点検口だった。

 彼女は場所を移動して、暗渠のあちこちに描き込まれた黒丸に目を遣った。

「この図面、縮尺は正確ですか?」


 アンナはそうだと答えた。

 そうすると、蒼城市の直径から考えて、暗渠の総延長は八キロ弱といったところだ。

 点検口は約一キロごとに設けられていて、城壁内に比べると、かなり間隔が離れている。


 エイナはその位置を描き取ろうとしたが、何しろこの図面には川以外に地形情報がない。

「困ったわ。これだと大雑把な位置しか掴めないわね……」


 彼女のつぶやきを聞いたアンナが、すぐに助け舟を出してくれた。

「位置を確認したいのでしたら、現在の地図と比較すれば簡単ですよ。

 そう思って、ちゃんと用意しておきました」


 彼女はワゴンの上からもう一枚の図面を持ってきて、机の上に広げてみせた。

 こちらは正真正銘の地図で、細かい枝道や主要な建物、新市街の町並みと排水路まで詳細に描きこまれていた。


「同じ縮尺のものを選んできましたから、定規を当てれば地図上のどこになるか、分かると思います」

 ワゴンの上には、ちゃんと分度器と定規も用意されていた。

 エイナは部下たちと協力して七つの点検口の位置を割り出し、それを持参した野帳に描き込んだ。


 アンナは用の済んだ図面を丸めながら、さらりと訪ねてきた。

「それにしても、軍の方が下水の調査というのは面白いですね。

 しかも、私服で動いてらっしゃるということは、何やら秘密の匂いがします」


 エイナは苦笑いを浮かべた。

「お察しのとおりで、詳しいことはお教えできないのです。

 アンナさんは、暗渠の点検口が早い時期に埋められたことをご存じですか」

「はい。記録では建都から九年目のこととなっていますね」


 この司書の頭の中には、どれだけの知識が詰め込まれているのだろう?

 エイナは背筋が寒くなった。


「実際それで問題は起きていないようですが、なぜ点検が廃止されたのでしょう?」

「それが莫大な費用を投じて、暗渠化した理由でもあるんです。

 新市街の排水は暗渠化されていませんが、そのため年間に大量の砂や埃、落ち葉やゴミが入ってきます。

 これを放っておくと、あっという間に水深が浅くなって氾濫の原因となりますから、頻繁に川底をさらう必要が出てきます。

 この費用が莫大で、市の財政を圧迫しているんですよ」


 アンナは教師のような口ぶりで解説を続ける。

「そういう意味で、暗渠化は初期費用こそかかりますが、完成してしまえば管理が楽なんです。

 ええ、エイナさんが言いたいことは分かります。

 それが分かっているなら、最初から点検口を作る必要がないですよね」


「実は、排水路の暗渠化は、蒼城市が初めてのケースだったんです。

 ですから、当時の為政者たちはその効果を半分疑っていて、保険を掛ける意味で点検口を作ったらしいです。

 結局それは杞憂に終わり、早々に点検は廃止されたということです。

 でも、蒼城市の経験を受けて、他の三古都と王都も排水路の暗渠化を進めました。

 その際には、点検口は作られなかったそうですから、無駄ではなかったと思いますね」


      *       *


 市立図書館を出たエイナたちは、そのまま暗渠の点検口跡の捜索に向かった。

 蒼城市から最も近い二か所は、いずれも新市街の中にあり、これについては詳しく調べる必要がない。

 どう考えても、人口過密な新市街で穴を掘ることなど不可能だからだ。


 彼女たちは位置の確認にとどめ、屋台で昼食を詰め込んで新市街を後にした。

 現在の地図と対比して分かったことだが、暗渠の地上部分には、細い道路が通っていた。


 暗渠の点検は止めても、調整池の管理の方は必要である。

 この道は、池の管理職員たちの交代や物資の搬送のため、使用するものだった。

 お陰で歩きやすく、わざわざ軍服に着替える必要もない。


 三つ目の点検口跡は、その道の両側に広がる畑に覆われていた。

 今は冬なので、黒土が剥き出しになっていて、作物は植えられていない。

 見渡す限り何もなく、念のため畑の土を少し掘ってみたが、結構分厚く土が盛られていて、点検口を掘り出すのは重労働になりそうだった。


 四つ目の点検口跡も同じ状況で、周囲は一面の畑が広がっている。

 ただ、違ったのは近くに一軒の小屋が建っていることだった。

 エイナたちは当然、これを調べることにした。


 小屋はだいぶ古びているが、屋根や壁には穴もなく、そこそこしっかりしている。

 扉を引いてみると、鍵はかかっておらず、軋む音を立てて開いた。

 中は無人で、がらんとしていた。いくつかの肥料袋と、壊れた農具が何本か置いているだけである。


 恐らく、春からの農作業シーズンに肥料や種籾、農具などを入れておく作業小屋なのだろう。

 エイナが明かり魔法をつけ、小屋の中をくまなく調べたが、特に不審な点は見つからない。


 諦めて外を回って見ると、裏手に井戸があった。

 低い屋根とコの字形の壁があるのは、中に雨や埃が入らないようにするためなのだろう。

 だが、井戸自体にも木の蓋が被せられていて、使用されているようには見えなかった。


 念のためにウィリアムが蓋を外し、エイナが明かり魔法で底の方を照らしてみる。

 案の定、水が溜まっていない涸れ井戸であった。


「外れですね」

 そう言って、ウィリアムが蓋を閉めようとするのを、エイナが押しとどめた。


「ウィリアム、井戸の底に降りてみてちょうだい」

「自分がですか?」

 部下は〝信じられない〟という表情を浮かべる。


 エイナは彼の抗議を無視して振り返った。

「ケヴィン、小屋の壁に縄梯子が掛けてあったでしょう。あれを持ってきてくれる?」


 小屋の内部を調べた時、エイナはそれを見て違和感を覚えたのだ。

 どう考えても、農作業に使うものではない。


 ケビンが運んできた縄梯子は、丸めて縄で縛られていたが、結構な大きさだった。

 鉤状の金具を井戸の縁に引っかけ、縄の結び目を解いて下に垂らすと、底まで届く長さがあった。

 ウィリアムはぶつぶつ言いながら、それを伝って下に降りていった。


 井戸は思ったより深く、底まで四メートル近くあった。

 通常であれば、上から覗いても暗くて何も見えないだろう。

 底に降り立ったウィリアムは、すぐに顔を上げて叫んだ。


「小隊長殿、当たりです! 横穴があります!!」


      *       *


 エイナの指示で、ケヴィンも底に降りた。二人になっただけで、狭くて身動きが取りづらい。

「あんたたち、明かり魔法を持って、横穴を探検してきてちょうだい」


「えっ、この明かりって、掴めるんですか?

 いや、そんなことより! 小隊長は一緒に行ってくれないんですか?」


 エイナの声が上から降ってくる。

「ケヴィン、私はスカートを穿いているのよ。あんたたちの上から降りていけると思う?」

「いや、ちゃんと目をつぶっていますから!」


「別に信用しないわけじゃないけど、気分的に絶対! 嫌だわ。

 大体、そんな狭いところに降りたら、服が汚れるじゃない。

 明かり魔法は人の身体をすり抜けたりしないから、押していけば前に進んでくれるはずよ。

 横穴の様子はどんな感じ?」


「井戸は単純な素掘りですけど、横穴は壁と天井が板で補強されていますね。

 高さは約一・五メートル。背を屈めれば、何とか通れそうです」

「分かった。それじゃ、頑張ってね。吉報を待っているわ」


 二人の部下は、ぶつくさ文句を言いながら横穴の中に入っていった。

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