二十二 蚕紙
「自分が下宿しているハモンドさんの家には、五人の子どもがいて、末っ子の一人だけが女の子なんです。
うちは四人兄弟で全員男だったから、昔から妹がいる奴が羨ましいと思っていました」
レンドル一等兵が話し出すと、即座に仲間から茶々が入る。
「馬鹿、妹なんて煩くて生意気で、面倒くさいだけだぞ」
「レンドル、お前の性癖なんて訊いてねえよ」
「黙って聞けよ!
ええと、その女の子は今年八歳で、リンダといいます。
俺は彼女のことを可愛がっていて、よく遊んだり、話し相手になっていました。
自分で言うのもなんですが、結構仲はいいと思っています」
「行商人に逃げられた日のことです。
いろいろあったんで、いつもより帰りが遅くなりました。
もう誰もいない食卓につくと、リンダが部屋の隅にしゃがみ込んで、泣きじゃくっていました。
俺が『どうしたんだい?』と声をかけても、『何でもない、ほっといて!』と言うばかりで、理由を教えてくれません。
それどころか、逃げるように子ども部屋に引っ込んでしまいました」
「それで、夕食を温めなおして持ってきてくれたハモンドの奥さんに、どうしたのか訊いてみたんです。
『あんまり聞き分けのないことを言うから、叱りつけたんですよ。そしたら拗ねちゃってね』
奥さんは笑ってそう教えてくれました。
それで、夕食を食べながら、詳しい話を訊いてみたんです」
「リンダにはアメリっていう、同い年の友達がいるんです。
その日もいつものように遊びに行ったら、アメリが胸に首飾りをつけていたそうです。
もちろん本物じゃありません。ガラス球の安物なんですが、見た目はきれいで、村の娘たちが夢中になっている奴です。
ですが、いくら安物といっても、九歳の娘の小遣いで買えるようなものじゃありません。
リンダが『どうしたの、それ?』と訊くと、アメリは『父さんにもらったの』と答えました」
「アメリの父親は、この村でも名の知られた商人です。
商売人らしく、お金にはことのほか厳しく、子どもに贅沢をさせるような男ではありません。
アメリの話では、父親は最近ずっと不機嫌で、家族も腫れ物にさわるようにしていたんですが、その日は朝から大変な上機嫌で、誕生日でもないのに、アメリにその首飾りをくれたそうなんです」
「アメリも不思議に思って、理由を訊いたそうです。
ですが、父親は『心配事が消えたからな』としか教えてくれませんでした」
「とにかく、憧れていた首飾りを親友がつけているのを見て、リンダが羨ましく思うのは当然でした。
家に帰ったリンダは、母親に『自分にも買ってほしい』と駄々をこねたそうです。
もちろん、ハモンドの奥さんが、そんな願いを聞くはずがありません。
『寝惚けたこと言ってんじゃないよ、十年早いわ!』と撥ねつけられ、リンダがべそをかいていた……ということでした」
「それで?」
レンドルの話が途切れたので、コンラッド曹長は先を促した。
「いえ、これで話は終わりです」
コンラッドは己の持てる限りの自制心を、総動員させねばならなかった。
「確かに俺は『どんな些細なことでもいい』とは言った。
だが、君が可愛がっている下宿の末娘が、偽物の首飾りを欲しがって泣いた話は、この場にふさわしいものだろうか?」
レンドルは顔を真っ赤にして慌てた。
「あ、いえっ! もちろんこれは、行商人に関係すると思うから話したんです」
「ほう、説明してもらおうか?」
「はい。アメリの家は蚕紙屋なんです」
蚕紙とは、蚕の卵を産みつけた紙のことだ。
辺境では養蚕が盛んで、春になると蚕紙を購入し、孵化させるのが一般的である。
そのため、行商人が親郷で蚕紙をまとめて仕入れ、各村に売り歩くのである。
レンドルは弁解するように説明した。
「ですから、行商人が蚕紙屋に出入りするのは普通のことですし、父親がアメリに与えた首飾りも、行商人の扱う商品です。
そんなことを思いついたので……」
「なるほど」
コンラッドはつぶやき、しばらく考え込んでから顔を上げた。
「その蚕紙屋のことを、もう少し詳しく教えてもらえないか?」
すると、それまで黙りがちだった兵士たちが、次々と口を開いた。
さまざまな村の噂話を収集するのは、彼らの主要な任務の一つなのだ。
* *
蚕紙屋の主人(アメリの父親)はフランツ・デズモンドといった。
商売熱心な男で、蚕紙の質(孵化率)もよかったので、辺境北部の商圏はデズモンド商店が、ほぼ独占していた。
しかし、フランツはそれに胡坐をかくようなことはしなかった。
貧しい北部よりも、経済規模が大きい辺境中部に進出することが、彼の野望であった。
競合相手に攻め込むには、武器が必要である。そのため、フランツは蚕の品種改良に血道をあげた。
蚕は野生の蛾から人間が生み出した、純然たる〝家畜〟である。
幼虫は人が餌を与えてくれるのを、ひたすら待ち続ける。自力で餌を探す能力がないのだ。
羽化した成虫は、羽根があっても飛ぶことができない。ただ交尾・産卵して、短い一生を終える。
人間は遥かな昔から、蚕の品種改良を続けてきた。
病気に強い品種、孵化率の高い品種、糸に独特の色彩をもった品種。
さまざまな改良目的がある中で、フランツが目指したのは〝糸の細さ〟であった。
糸が細ければ、しなやかで光沢のある生地が織れる。
彼はそんな蚕の誕生を目指し、膨大な時間と資産をつぎ込んでいた。
そのかいがあって二年前、ついに新品種の開発に成功した。
フランツはこれを大々的に宣伝した。
まずは自分の商圏である辺境北部に普及させ、その勢いをかって中部への進出を目論んだのだ。
ところが、ことはそう上手くいかなかった。
新品種の蚕紙は、まったく売れなかったのだ。
新品種は確かに高い付加価値を持っていたが、その蚕紙の値段は、従来品種よりも相当に高額であった。
フランツはこれまで、店が傾きかねない資金を投じてきたた。当然、その回収もしなければならない。
辺境の中でも特に貧しい北部の開拓村の農民に、とても手が出せる代物ではなかったのだ。
いくら『この生糸は金になる』と説得しても、保証まではできない。元来保守的な農民たちは見向きもしなかった。
蚕紙を売り歩く行商人たちも、最初のうちこそ奨励金目当てに売り込んでくれたが、すぐに扱いを止めてしまった。
フランツは行き詰まった。
売れない在庫を抱え、無理を承知で投じた資金は、店の体力をじわじわと奪っていった。
だからといって生産を止めてしまえば、これまでの努力が泡と消える。最低限の世代交代は維持しなければならず、それがまた経営を圧迫することになった。
娘のアメリが、父親は『最近はずっと不機嫌』だったというのは、そういうことなのだろう。
* *
「つまり、フランツがいきなり上機嫌になって、娘に不相応な首飾りまで与えたのは、新品種の蚕紙の売り先が見つかった――と考えるのが自然だな」
コンラッド曹長はそう結論づけた。
「しかし、そんな上手い話があるなら、少しは噂になってもいいはずだ」
メンデル少尉が疑問を呈すと、兵士たちも難しい顔をして黙り込んだ。
そんな重苦しい空気を破ったのは、この村出身のウォルシュだった。
「あのう……、こと養蚕に関する限り、我が国は先進国だ――昔、小学校でそう習いました。
あの帝国でも、生糸は王国産に頼っているそうです」
曹長はうなずいた。
「ああ、帝国では確か、南部地域の一部でしか養蚕が行われていないはずだ。
国土の大半が寒冷地だから、蚕の餌となるクワの木が育たない、と聞いたことがある。
だが、それがどうかしたか?」
「我々が追う、テッドという行商人は、帝国の工作員なんですよね?
彼は工作本部から『正体がバレた』という連絡を受けて、急遽この村を引き払うことになりました。
二十年もかけて、現地に溶け込んだ実績が、すべて台無しになったんです。
つまり、ヘマをしでかしたってことです」
「うん、続けろ」
曹長の目が、嬉しそうに光っていた。
「はい。もし俺がテッドの立場だったら、保身のために〝行きがけの駄賃〟を持っていこうと考えます。
新品種の蚕紙は軽くてかさばりません。今は十二月ですから、孵化する春まで保存も利きます。
養蚕を行っている帝国南部に、高付加価値の品種を持ち込んだら、経済効果は大きいと思います。
もし、テッドが行方をくらます前に蚕紙屋を訪れ、適当な嘘をついて、在庫を残らず買い取ったとしたらどうでしょう?
フランツの機嫌を取るため、『娘さんに』と言って首飾りを置いていった。
それなら、話のつじつまが合いますよ!」
「あり得る話だな」
曹長は満足そうにうなずき、派遣部隊の指揮官の方に向き直った。
「少なくとも、フランツという商人に話を聞く必要がありそうです。
少尉殿にも、ご同行いただけますね?」
有無を言わせぬ曹長の口ぶりに、メンデルが断れるはずもなかった。
* *
小隊にメンデル少尉を加えた一行は、ウォルシュの案内でフランツ商店に向かった。
軍人たちが集団で訪れたと聞き、店主であるフランツが慌てて奥から出てきた。
コンラッド曹長たちが行商人テッドの捜索のため、蒼城市から来たことを少尉が告げると、フランツはがっくりと肩を落とした。
「そのテッドが、新品種の蚕紙を大量に購入したのではないか――という疑惑があるのです。
心当たりはありませんか?」
曹長が端的に訊ねると、フランツはあっさりとその事実を認めた。
テッドが〝軍に目をつけられるようなドジを踏んで逐電した〟という噂は、もう村中に広まっていたから、自分が騙されたことに気づいていたのだろう。
フランツは事の次第を説明した。
「テッドが姿をくらます前の晩のことです。もう閉店したというのに、テッドが訪ねてきました。
何事かと思って話を聞くと、『新品種の蚕紙の在庫をあるだけ買い取りたい』と言うのです。
テッドがある養蚕業者に見本生地を見せたところ、強い興味を示したと言うのです。
相手方が言うには、さっそく試験的に育ててみたいが、結果がよければ独占的に生産したい。
ついては、今ある蚕紙をすべて言い値で買い取る。その代わり、この取引は秘密にしてほしい、ということでした」
「それで、テッドはどれくらい仕入れたのですか?」
「うちの販売用在庫のすべて、千二百枚です。
テッドはそれを即金、しかも二枚の金貨で払いました。
私も長年商売をしていますが、行商人が現金決済する、しかも金貨を使うなんて初めて見ました。
彼が言うには、金貨は養蚕業者から預かったものだそうです。
それで、私はその……恥ずかしながら、すっかり信用してしまいました。
そしてその二日後に、テッドが姿を消したことを聞いた――というわけです」
部下の一人であるトッドが、〝ひゅう〟と口笛を鳴らした。
「金貨二枚ってことは、蚕紙二枚で銅貨一枚ってことですよ。相場の倍以上だ」
曹長はトッドの言葉を聞き流して続けた。
「変なことを聞きますが、行商人から首飾りをもらいませんでしたか?」
フランツは少し驚いた表情を見せた。
「よくご存じですね。テッドが『娘さんにどうぞ』と言って、置いていったんです。
そんなことより、奴は何をしたのですか? どうして軍に追われているのでしょう?
私は彼が言った養蚕業者の、住所どころか名前も知らないのです!」
曹長は目を逸らさずに首を振った。
「行商人の容疑については教えられません。
ただ、その養蚕業者の存在は、十中八九〝でたらめ〟だと思います」
「やはり……そうですか。
これでまた振出しです。いや、在庫を現金化できただけでも、幸運だと思うべきでしょうね」
「これは、ここだけの話にしてください。
テッドが蚕紙を大量購入したのは、恐らく帝国に横流しするのが目的だと思われます」
「そうですか」
意外なことに、フランツはあまり驚かなかった。
曹長もそれを訝しんだ。
「苦労して開発した新品種が、他国に横取りされるのですよ?
やけに冷静ですね?」
「やれるものならやってみろ、です」
店主は不敵な笑みを見せた。
「確かに、私が売った蚕紙は、春になれば孵化をして、大量の幼虫を飼育できるでしょう。
ですが、来年はどうです?
もう私を騙して、蚕紙を仕入れるわけにはいかないですよ」
「しかし、帝国にだって生産業者はいるはずです。
羽化させた成虫に卵を産ませれば、翌年以降も飼育を続けられるでしょう?」
「甘いですね。あなた方は、商品化の難しさをご存じない。
私の売った蚕紙は、孵化率がおよそ八割といったところ。はっきり言って、商品としては最低ラインの代物です。
従来品種なら九割以上、管理のよい農家なら九割五分までいきます。
もし帝国が、あの品種から卵を採ったとしても、翌年の孵化率はせいぜい三割がいいところでしょう。
つまり、数年を待たずして絶滅するということです」
「どうして、そこまで孵化率が落ちるのですか?」
「膨大な年月と資金を投じた見返りですよ。
蚕紙を保存する適切な湿度と温度管理――それは果てしない試行錯誤を繰り返した末に、やっと得られる黄金の果実です。
一朝一夕で手に入るものではありません」
「なるほど……」
曹長は納得した。
工作員の収集する情報は軍事面に限らない。経済的な情報も非常に重要となる。
当然、テッドも新開発の品種が安易に盗めるものではないと、十分に承知の上であろう。
それでも、自らの立場をよくするための〝目くらまし〟にはなるはずだ。
「しかし、テッドは帝国へ亡命するつもりなのですか?
彼も行商人ですから、そんな無茶はしないと思うのですが……」
「いえ、詳しくは教えられませんが、テッド自身は当分の間、潜伏を続けるものと思われます。
蚕紙は誰かに託して送るのではないでしょうか」
「ああ、それはますます駄目ですね。
さっきも言ったとおり、蚕紙の保存には湿度と温度管理が重要なのです。
帝国まで運ぶとなると、かなり長期の移動になりますよね?
そうなると、専用の容器と経験のある世話係の同行が必要です。
素人がやると、結果的に春の孵化率が悲惨なものとなるでしょうな」
「それを防ぐとしたら、どんな手段が考えられますか?」
曹長の問いに、フランツは即答した。
「私だったら、専門の輸出業者に委託しますね。
実際、王国は生糸だけでなく、大量の蚕紙も移出しています。
専門業者なら、長期輸送に関するノウハウを持っているはずです」
「では、テッドはそうした業者のもとへ向かった可能性が?」
「十分、考えられますな」
「具体的には、どこだと考えます?」
フランツは笑って答えた。
「辺境は国内最大の養蚕地域なんですよ。
そりゃあ、一番近い大都市――蒼城市に決まっているでしょう」