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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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二十二 蚕紙

「自分が下宿しているハモンドさんの家には、五人の子どもがいて、末っ子の一人だけが女の子なんです。

 うちは四人兄弟で全員男だったから、昔から妹がいる奴が羨ましいと思っていました」


 レンドル一等兵が話し出すと、即座に仲間から茶々が入る。

「馬鹿、妹なんてうるさくて生意気で、面倒くさいだけだぞ」

「レンドル、お前の性癖なんて訊いてねえよ」


「黙って聞けよ!

 ええと、その女の子は今年八歳で、リンダといいます。

 俺は彼女のことを可愛がっていて、よく遊んだり、話し相手になっていました。

 自分で言うのもなんですが、結構仲はいいと思っています」


「行商人に逃げられた日のことです。

 いろいろあったんで、いつもより帰りが遅くなりました。

 もう誰もいない食卓につくと、リンダが部屋の隅にしゃがみ込んで、泣きじゃくっていました。

 俺が『どうしたんだい?』と声をかけても、『何でもない、ほっといて!』と言うばかりで、理由わけを教えてくれません。

 それどころか、逃げるように子ども部屋に引っ込んでしまいました」


「それで、夕食を温めなおして持ってきてくれたハモンドの奥さんに、どうしたのか訊いてみたんです。

 『あんまり聞き分けのないことを言うから、叱りつけたんですよ。そしたらねちゃってね』

 奥さんは笑ってそう教えてくれました。

 それで、夕食を食べながら、詳しい話を訊いてみたんです」


「リンダにはアメリっていう、同い年の友達がいるんです。

 その日もいつものように遊びに行ったら、アメリが胸に首飾りをつけていたそうです。

 もちろん本物じゃありません。ガラス球の安物なんですが、見た目はきれいで、村の娘たちが夢中になっている奴です。

 ですが、いくら安物といっても、九歳の娘の小遣いで買えるようなものじゃありません。

 リンダが『どうしたの、それ?』と訊くと、アメリは『父さんにもらったの』と答えました」


「アメリの父親は、この村でも名の知られた商人です。

 商売人らしく、お金にはことのほか厳しく、子どもに贅沢をさせるような男ではありません。

 アメリの話では、父親は最近ずっと不機嫌で、家族も腫れ物にさわるようにしていたんですが、その日は朝から大変な上機嫌で、誕生日でもないのに、アメリにその首飾りをくれたそうなんです」


「アメリも不思議に思って、理由を訊いたそうです。

 ですが、父親は『心配事が消えたからな』としか教えてくれませんでした」


「とにかく、憧れていた首飾りを親友がつけているのを見て、リンダが羨ましく思うのは当然でした。

 家に帰ったリンダは、母親に『自分にも買ってほしい』と駄々をこねたそうです。

 もちろん、ハモンドの奥さんが、そんな願いを聞くはずがありません。

 『寝惚けたこと言ってんじゃないよ、十年早いわ!』と撥ねつけられ、リンダがべそをかいていた……ということでした」


「それで?」

 レンドルの話が途切れたので、コンラッド曹長は先を促した。


「いえ、これで話は終わりです」


 コンラッドは己の持てる限りの自制心を、総動員させねばならなかった。

「確かに俺は『どんな些細なことでもいい』とは言った。

 だが、君が可愛がっている下宿の末娘が、偽物の首飾りを欲しがって泣いた話は、この場にふさわしいものだろうか?」


 レンドルは顔を真っ赤にして慌てた。

「あ、いえっ! もちろんこれは、行商人に関係すると思うから話したんです」

「ほう、説明してもらおうか?」


「はい。アメリの家はさん屋なんです」


 蚕紙とは、かいこの卵を産みつけた紙のことだ。

 辺境では養蚕が盛んで、春になると蚕紙を購入し、孵化ふかさせるのが一般的である。

 そのため、行商人が親郷で蚕紙をまとめて仕入れ、各村に売り歩くのである。


 レンドルは弁解するように説明した。

「ですから、行商人が蚕紙屋に出入りするのは普通のことですし、父親がアメリに与えた首飾りも、行商人の扱う商品です。

 そんなことを思いついたので……」


「なるほど」

 コンラッドはつぶやき、しばらく考え込んでから顔を上げた。

「その蚕紙屋のことを、もう少し詳しく教えてもらえないか?」


 すると、それまで黙りがちだった兵士たちが、次々と口を開いた。

 さまざまな村の噂話を収集するのは、彼らの主要な任務の一つなのだ。


      *       *


 蚕紙屋の主人(アメリの父親)はフランツ・デズモンドといった。

 商売熱心な男で、蚕紙の質(孵化率)もよかったので、辺境北部の商圏はデズモンド商店が、ほぼ独占していた。

 しかし、フランツはそれに胡坐あぐらをかくようなことはしなかった。


 貧しい北部よりも、経済規模が大きい辺境中部に進出することが、彼の野望であった。

 競合相手に攻め込むには、武器が必要である。そのため、フランツは蚕の品種改良に血道をあげた。


 蚕は野生の蛾から人間が生み出した、純然たる〝家畜〟である。

 幼虫は人が餌を与えてくれるのを、ひたすら待ち続ける。自力で餌を探す能力がないのだ。

 羽化した成虫は、羽根があっても飛ぶことができない。ただ交尾・産卵して、短い一生を終える。


 人間は遥かな昔から、蚕の品種改良を続けてきた。

 病気に強い品種、孵化率の高い品種、糸に独特の色彩をもった品種。

 さまざまな改良目的がある中で、フランツが目指したのは〝糸の細さ〟であった。


 糸が細ければ、しなやかで光沢のある生地が織れる。

 彼はそんな蚕の誕生を目指し、膨大な時間と資産をつぎ込んでいた。

 そのかいがあって二年前、ついに新品種の開発に成功した。


 フランツはこれを大々的に宣伝した。

 まずは自分の商圏である辺境北部に普及させ、その勢いをかって中部への進出を目論んだのだ。

 ところが、ことはそう上手くいかなかった。

 新品種の蚕紙は、まったく売れなかったのだ。


 新品種は確かに高い付加価値を持っていたが、その蚕紙の値段は、従来品種よりも相当に高額であった。

 フランツはこれまで、店が傾きかねない資金を投じてきたた。当然、その回収もしなければならない。


 辺境の中でも特に貧しい北部の開拓村の農民に、とても手が出せる代物ではなかったのだ。

 いくら『この生糸は金になる』と説得しても、保証まではできない。元来保守的な農民たちは見向きもしなかった。

 蚕紙を売り歩く行商人たちも、最初のうちこそ奨励金目当てに売り込んでくれたが、すぐに扱いを止めてしまった。


 フランツは行き詰まった。

 売れない在庫を抱え、無理を承知で投じた資金は、店の体力をじわじわと奪っていった。

 だからといって生産を止めてしまえば、これまでの努力が泡と消える。最低限の世代交代は維持しなければならず、それがまた経営を圧迫することになった。


 娘のアメリが、父親は『最近はずっと不機嫌』だったというのは、そういうことなのだろう。


      *       *


「つまり、フランツがいきなり上機嫌になって、娘に不相応な首飾りまで与えたのは、新品種の蚕紙の売り先が見つかった――と考えるのが自然だな」

 コンラッド曹長はそう結論づけた。


「しかし、そんな上手い話があるなら、少しは噂になってもいいはずだ」

 メンデル少尉が疑問を呈すと、兵士たちも難しい顔をして黙り込んだ。


 そんな重苦しい空気を破ったのは、この村出身のウォルシュだった。

「あのう……、こと養蚕に関する限り、我が国は先進国だ――昔、小学校でそう習いました。

 あの帝国でも、生糸は王国産に頼っているそうです」


 曹長はうなずいた。

「ああ、帝国では確か、南部地域の一部でしか養蚕が行われていないはずだ。

 国土の大半が寒冷地だから、蚕の餌となるクワの木が育たない、と聞いたことがある。

 だが、それがどうかしたか?」


「我々が追う、テッドという行商人は、帝国の工作員なんですよね?

 彼は工作本部から『正体がバレた』という連絡を受けて、急遽この村を引き払うことになりました。

 二十年もかけて、現地に溶け込んだ実績が、すべて台無しになったんです。

 つまり、ヘマをしでかしたってことです」


「うん、続けろ」

 曹長の目が、嬉しそうに光っていた。


「はい。もし俺がテッドの立場だったら、保身のために〝行きがけの駄賃〟を持っていこうと考えます。

 新品種の蚕紙は軽くてかさばりません。今は十二月ですから、孵化する春まで保存も利きます。

 養蚕を行っている帝国南部に、高付加価値の品種を持ち込んだら、経済効果は大きいと思います。

 もし、テッドが行方をくらます前に蚕紙屋を訪れ、適当な嘘をついて、在庫を残らず買い取ったとしたらどうでしょう?

 フランツの機嫌を取るため、『娘さんに』と言って首飾りを置いていった。

 それなら、話のつじつまが合いますよ!」


「あり得る話だな」

 曹長は満足そうにうなずき、派遣部隊の指揮官の方に向き直った。


「少なくとも、フランツという商人に話を聞く必要がありそうです。

 少尉殿にも、ご同行いただけますね?」

 有無を言わせぬ曹長の口ぶりに、メンデルが断れるはずもなかった。


      *       *


 小隊にメンデル少尉を加えた一行は、ウォルシュの案内でフランツ商店に向かった。

 軍人たちが集団で訪れたと聞き、店主であるフランツが慌てて奥から出てきた。


 コンラッド曹長たちが行商人テッドの捜索のため、蒼城市から来たことを少尉が告げると、フランツはがっくりと肩を落とした。


「そのテッドが、新品種の蚕紙を大量に購入したのではないか――という疑惑があるのです。

 心当たりはありませんか?」

 曹長が端的に訊ねると、フランツはあっさりとその事実を認めた。


 テッドが〝軍に目をつけられるようなドジを踏んで逐電した〟という噂は、もう村中に広まっていたから、自分が騙されたことに気づいていたのだろう。


 フランツは事の次第を説明した。

「テッドが姿をくらます前の晩のことです。もう閉店したというのに、テッドが訪ねてきました。

 何事かと思って話を聞くと、『新品種の蚕紙の在庫をあるだけ買い取りたい』と言うのです。

 テッドがある養蚕業者に見本生地を見せたところ、強い興味を示したと言うのです。

 相手方が言うには、さっそく試験的に育ててみたいが、結果がよければ独占的に生産したい。

 ついては、今ある蚕紙をすべて言い値で買い取る。その代わり、この取引は秘密にしてほしい、ということでした」


「それで、テッドはどれくらい仕入れたのですか?」

「うちの販売用在庫のすべて、千二百枚です。

 テッドはそれを即金、しかも二枚の金貨で払いました。

 私も長年商売をしていますが、行商人が現金決済する、しかも金貨を使うなんて初めて見ました。

 彼が言うには、金貨は養蚕業者から預かったものだそうです。

 それで、私はその……恥ずかしながら、すっかり信用してしまいました。

 そしてその二日後に、テッドが姿を消したことを聞いた――というわけです」


 部下の一人であるトッドが、〝ひゅう〟と口笛を鳴らした。

「金貨二枚ってことは、蚕紙二枚で銅貨一枚ってことですよ。相場の倍以上だ」


 曹長はトッドの言葉を聞き流して続けた。

「変なことを聞きますが、行商人から首飾りをもらいませんでしたか?」


 フランツは少し驚いた表情を見せた。

「よくご存じですね。テッドが『娘さんにどうぞ』と言って、置いていったんです。

 そんなことより、奴は何をしたのですか? どうして軍に追われているのでしょう?

 私は彼が言った養蚕業者の、住所どころか名前も知らないのです!」


 曹長は目を逸らさずに首を振った。

「行商人の容疑については教えられません。

 ただ、その養蚕業者の存在は、十中八九〝でたらめ〟だと思います」

「やはり……そうですか。

 これでまた振出しです。いや、在庫を現金化できただけでも、幸運だと思うべきでしょうね」


「これは、ここだけの話にしてください。

 テッドが蚕紙を大量購入したのは、恐らく帝国に横流しするのが目的だと思われます」

「そうですか」


 意外なことに、フランツはあまり驚かなかった。

 曹長もそれをいぶかしんだ。

「苦労して開発した新品種が、他国に横取りされるのですよ?

 やけに冷静ですね?」


「やれるものならやってみろ、です」

 店主は不敵な笑みを見せた。


「確かに、私が売った蚕紙は、春になれば孵化をして、大量の幼虫を飼育できるでしょう。

 ですが、来年はどうです?

 もう私を騙して、蚕紙を仕入れるわけにはいかないですよ」

「しかし、帝国にだって生産業者はいるはずです。

 羽化させた成虫に卵を産ませれば、翌年以降も飼育を続けられるでしょう?」


「甘いですね。あなた方は、商品化の難しさをご存じない。

 私の売った蚕紙は、孵化率がおよそ八割といったところ。はっきり言って、商品としては最低ラインの代物です。

 従来品種なら九割以上、管理のよい農家なら九割五分までいきます。

 もし帝国が、あの品種から卵を採ったとしても、翌年の孵化率はせいぜい三割がいいところでしょう。

 つまり、数年を待たずして絶滅するということです」


「どうして、そこまで孵化率が落ちるのですか?」

「膨大な年月と資金を投じた見返りですよ。

 蚕紙を保存する適切な湿度と温度管理――それは果てしない試行錯誤を繰り返した末に、やっと得られる黄金の果実です。

 一朝一夕で手に入るものではありません」


「なるほど……」

 曹長は納得した。


 工作員の収集する情報は軍事面に限らない。経済的な情報も非常に重要となる。

 当然、テッドも新開発の品種が安易に盗めるものではないと、十分に承知の上であろう。

 それでも、自らの立場をよくするための〝目くらまし〟にはなるはずだ。


「しかし、テッドは帝国へ亡命するつもりなのですか?

 彼も行商人ですから、そんな無茶はしないと思うのですが……」

「いえ、詳しくは教えられませんが、テッド自身は当分の間、潜伏を続けるものと思われます。

 蚕紙は誰かに託して送るのではないでしょうか」


「ああ、それはますます駄目ですね。

 さっきも言ったとおり、蚕紙の保存には湿度と温度管理が重要なのです。

 帝国まで運ぶとなると、かなり長期の移動になりますよね?

 そうなると、専用の容器と経験のある世話係の同行が必要です。

 素人がやると、結果的に春の孵化率が悲惨なものとなるでしょうな」


「それを防ぐとしたら、どんな手段が考えられますか?」

 曹長の問いに、フランツは即答した。


「私だったら、専門の輸出業者に委託しますね。

 実際、王国は生糸だけでなく、大量の蚕紙も移出しています。

 専門業者なら、長期輸送に関するノウハウを持っているはずです」

「では、テッドはそうした業者のもとへ向かった可能性が?」


「十分、考えられますな」

「具体的には、どこだと考えます?」


 フランツは笑って答えた。

「辺境は国内最大の養蚕地域なんですよ。

 そりゃあ、一番近い大都市――蒼城市に決まっているでしょう」

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