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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
212/358

二十一 暗渠

 下水道は想像以上に立派なものだった。

 直径が四メートルほどの管状で、古風なレンガ造りである。

 片側は歩道となっており、人が余裕をもってすれ違える幅があった。下水はそれよりかなり低い位置をゆったりと流れている。

 ドブの臭いはするが、思ったほど強くはない。


 エイナたちが立っている歩道の下には、直径一・二メートルほどの穴が口を開けており、そこから濁った水が本流に流れ落ちている。


「ここは交差点の真下ですから、横道の排水が合流しているんです」

 課長がそう説明してくれた。


「つまり、下水道の構造は、地上の道路と同じということですね」

「そうですね。東西南北、四本の大通りの下に、私たちが本管と呼ぶ太いトンネルが通っていて、支管と呼ぶ横道の管渠かんきょが流れ込んでいます。

 違う点は、城壁手前に街を一周する環状水路が通っている……そのくらいでしょうか」


 エイナは通路の縁から下の流れを覗き込んだ。

「思ったより水量が少ないのですね」

「この時間帯なら、こんなもんです。

 夕方には少し増えますが、総じて水量は安定しています。もっとも、雨が降ると話は別ですがね」


「ええと、この水路――本管は、両端が環状水路につながっているのですね?」

「いえ、一方だけです。中央部は蒼城の手前で行き止まりになっています。

 何しろ城の地階は、ここよりもずっと深くまで掘り下げられていますから」


「集められた排水は、城外の暗渠に流れ込んでいると聞きましたが?」

「そのとおりです。環状水路の西北に流出口があって、大城壁の基礎を貫いて暗渠に続いています」


「そこを見ることはできますか?」

「もちろんです。

 ここからだと、往復で二時間以上かかりますが、大丈夫ですか?」


「お願いします」

「では、私についてきてください」


 課長はランタンを手に歩き出した。

 下水道の壁には、一定間隔で大型のランプが掛けられていたが、通路は薄暗かった。

 エイナは歩きながら質問を続けた。


「あのランプは、常時点灯しているのですか?」

「まさか。点検に入る職員が馬車から下ろし、一つずつ壁に掛けていくんです。

 作業が終われば、また外して持ち帰りますから、大変な手間ですな」


「そのまま残してはまずいのですか? 盗まれる心配はありませんよね」

「夜中に豪雨があったらどうします?

 この太い本管でも、あっという間に水嵩が上昇します。

 そうなってから回収に行くのは自殺行為、ランプは全部流されるでしょうね」


「点検というのは、毎日行うのですか?」

「ええ、もちろん日曜は休みですけどね。

 それも、『今日は東側の本管』というように、部分的にやっています。

 作業は毎日でも、全体の点検を終えるには六日かかります。」


「時間は決まっていますか?」

「朝八時に降りて、夕方四時には引き上げるのが決まりですね」


「ということは、夕方から夜間は〝無人〟ということになりますね?」

「ええ、まぁ。どうしてそんなことを訊くのですか?」


 不思議そうな課長に対し、エイナは適当な理由をつけてごまかした。

 夕方以降は無人であるなら、行商人は人目を気にすることなく、この通路を利用して旧市街のどこへでも行けることになる。


 エイナたちが降りたのは西大通りで、蒼城からは一キロほど離れた場所だった。

 そこから緩い傾斜を下って二キロ進み、環状水路にぶつかる丁字路で右に曲がる。

 環状水路は本管とほぼ同じ規模で、違うのは緩くカーブしている点である。

 これを三キロほど進んだところで、向こう側の壁面に大きな穴が空いていた。


「これが暗渠につながる排水口です」

 立ち止まった課長が、少し誇らしげに説明してくれた。

 環状水路は各本管の排水を受け入れるので、結構な水量があった。

 排水口には太い鉄棒がまっていて、その間を泡を立てながら濁流が吸い込まれていく。


「あの鉄棒は?」

「粗大ゴミが暗渠に入らないための、最後の関所です。

 もっとも、下水道の至る所に鉄柵が設けられていて、絶えず我々が引っかかったゴミを回収していますから、まぁ気休めですな」


「でも、あの隙間だと、人が通り抜けられますね?」

「それ自体は可能でしょうが、このドブを泳いで渡る気ですか?」


「敵にその覚悟があったとしたら、防衛上まずくないですか?」

 エイナが示した懸念に、課長は首をかしげた。


「敵の侵入路というわけですか……。

 ですが、この先は暗渠――調整池まで地下を流れています。どうやって中に入るのでしょう?

 それに、こちら側の下水道に入れても、地上には出れませんよ」

「点検口があるではありませんか?」


 課長は人差し指を顔の前に立て、左右に振ってみせた。

「内側からは、決して開けられんのです。

 まず、点検口の扉は、片方だけで百二十キロもあります。

 しかも、閉まると自動で鍵が掛かるようになっています。

 少尉さんも開けるところを見たでしょう? 二本の鉄棒を穴に差し込んで、同時に鍵を外さないと駄目なんです。

 ちなみに、点検中は開けっ放しにして、必ず見張りを残しています。

 子どもが落ちたら大変ですからね」


 地上に出るには、何か別の方法があるのかもしれない。その問題は、取りあえず脇に置こう。――エイナは思考を切り替えた。

「向こうにも、こちらと同じような通路が見えますね。

 ということは、暗渠の点検もしているということですか?」


「暗渠の点検は実施しないのです。

 建造当初はやっていたようなのですが、城壁内の下水道さえしっかり管理していれば、密閉された暗渠に問題は起こりません。

 それで、十年もしないうちに点検は廃止になり、点検口もすべて埋め立てられたと聞いています。

 それから二百年以上が経ちますが、暗渠で問題が起きたという記録はありません」


 課長の言葉は否定的なものだったが、エイナの脳内に一条の光が差した。

「その埋められたという、点検口の場所は分かりますか?」

「そう言われましても……。たった今、二百年以上経っていると言ったでしょう?

 覚えている者など、一人もおりませんよ」


「では、地図か設計図ならどうですか? 初期のものなら、記載があるはずです」

「私は下水課に勤めて三十五年になりますが、見たことがありませんね。

 行政文書の保存期間は十年、重要書類に分類されても五十年と定められています。

 二百年以上前の図面など、とっくに処分されているでしょうな」


「焼却されたということですか?」

「いや、さすがにそれは……。

 恐らくですが、市立図書館が公文書として引き取ったのではないでしょうか」


 エイナは胸を撫でおろし、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。あなたが神様に見えてきました。

 明日にでも、図書館を訪ねてみようと思います」

「いや、まぁ……お役に立てたのなら何よりです。

 では、引き返しましょう」

 課長は顔が赤くなったのをごまかそうと、〝回れ右〟をした。


      *       *


 出発点に戻ると、課長は点検口から下がっているロープにに手を伸ばした。

 地上で待機している職員に、上に昇ることを知らせるためだ。

 だが、エイナはその動きを押しとどめた。


「えと、あの……せっかくの機会ですから、蒼城側の始点も見ておこうと思います。

 ここから近いのですよね?」

「ええ。二十分もかかりませんけど、何もありませんよ?」


「構いません、後学のためです」


 後で思い返すと、なぜそんな気まぐれを起こしたのか、エイナは自分でも説明できなかった。

 実際に着いてみると、課長の言うとおり始点は単なるレンガの壁に過ぎず、これといって変わったところはなかった。

 本管に傾斜をつけるため、ここは深度が浅いのだそうだ。


 しばらく課長の説明を受けた後、エイナは礼を言って引き返すことにした。

 引っ張りまわされるだけの部下の不満が、背中から伝わってきたからだ。


 三百メートルほど進んだところで、エイナはふいに足を止めた。

 前を歩いていた課長は、怪訝な顔で振り返った。

「どうかしましたか?」


 エイナは即答できなかった。

「ええと……つまりその、来た時もそうだったんですが、この辺で妙な感じがしたんです。

 違和感というか、何というか……。すみません、うまく説明できないです」


 そう言われた課長は、改めて周囲を見回したが、やがてにっこりと笑った。

「ああ、多分あの支管のことでしょう。

 そういえば、説明を失念しておりました」」


 彼は反対側の壁面にぽっかり空いた、支管の合流口を指さした。

「水が出ていないでしょう?

 ちょっと見てください。こっち側も同じですから」


 エイナは通路の縁から下の穴を覗いたが、課長の言うとおりだった。

 支管の丸い穴からは、一滴の排水も垂れていない。


「実は、この支管の上を通る横道は、再開発で無くなったんです。

 この辺は高級住宅街で、貴族や富裕な商人の邸宅が並んでいます。

 建都当時は、〝誰もが平等に住める街〟を掲げていたんですが、そんなのは無理ですよね?

 すぐに金持ち連中から『区画をどうにかしろ』という声が上がって、結局、横道が一本潰されたのだそうです。

 それでこの支管は役割を失って、放棄されたというわけです。

 蒼城市が誕生して、わずか二十年ほどの出来事だったそうで、我々以外に知る人間は、まずいないでしょうね」


「それなら、いっそ穴を埋めてしまえばよいではありませんか?」

「いえ、これはこれで役に立つんです。増水時の遊水池みたいな存在ですね」


 エイナは課長の説明に納得し、この涸れた支管の存在は、頭の片隅に追いやられた。

 そして、彼女たちは再び最初の地点に戻り、今度こそ地上への帰還を果たしたのであった。


 下水課の事務所で服を着替えてから、エイナたちは自分たちの宿に向かった。

 もう夕方に近かったので、今日の捜索もこれで終わりということになった。

 エイナは部下たちに、宿の食堂ではなく、街の食堂で早めの夕食(兼昼食)を摂ることを提案し、それは熱烈な歓迎を受けた。


 軍票を無暗に使うわけにはいかないので、もちろんエイナの奢りである。

 彼女は食事をしながら、本日得られた情報の意義を、詳しく解説してやった。

 部下たちが、あまり理解していないように思えたからだ。


「そういうわけだから、明日は市立図書館で調べもの。

 その後は多分忙しくなるから、あんたたちにも(奢った分は)働いてもらうわよ!」

 エイナは口の端についたパスタソースを拭いながら、そう宣言したのであった。


      *       *


 さて、エイナたちの捜索は、こうして三日目を終えたのであるが、同じ日の朝、コンラッド曹長率いる別動隊も、目指す親郷のクリル村に到着していた。


 彼らはまず最初に、親郷に置かれている軍の出張所に顔を出した。

 エイナの小隊が、行商人の捜索を命じられたことは、すでに現地兵にも知らされていた。

 しかもそれが軍司令官、アスカ大将肝入りの案件であることも伝わっていたから、コンラッドたちの待遇は、異例ともいえる丁重なものであった。


 馬を預けて旅装を解き、一息ついたところで、さっそく行商人に逃げられた顛末を聞き取ることになった。

 出張所の兵たちが、拘束命令を受けてから逃げられた経緯、それに付随する聞き込みの結果などが、分かりやすく説明された。


 ただしそれは、報告書に記載されていることばかりだった。

 現地の派遣兵にとっては、自分たちの保身が最大の関心事らしく、弁解じみた説明以外に、有益な情報は何一つ出てこなかった。


 コンラッドは盛大な溜息を漏らし、横に座っている部下たちの方を向いた。

「なぁ、ウォルシュ。ここはお前の生まれ故郷だったよな?」


 突然の問いかけに、ウォルシュは戸惑いながら答える。

「は、はい。そうであります、曹長殿」


 すると、現地部隊の指揮官(メンデルという三十代前半の少尉)が、驚いたようにウォルシュの顔を見詰めた。

「ウォルシュって……お前、どこかで見たことがあると思ったら、オルコットのところの三男か?

 いや、間違いない。何だ、見違えちまったぞ! すっかり一人前の軍人(づら)じゃないか!?」


 親郷は辺境にしては、規模の大きい村で人口も多い。

 それでも派遣された軍人たちは、何年もそこで過ごすうちに、村人たちの顔と名前を自然に覚えていく。

 実はそれが非常に重要で、現地に溶け込むことで、よそ者の侵入にいち早く気づけるなのだ。


 メンデルの部下たちも、口々に「ああ!」と声を上げた。

「信じられんな。ついこの間まで、青鼻を垂らして走り回っていたのに」

「俺は迷子になったウォルシュを家までおぶって帰る時、背中に小便を漏らされたことがあったぞ!」

「こいつ、キースのとこのベティのスカートをめくって、泣かせたことがあってな。親父さんに死ぬほど殴られたのを、俺が助けてやったんだ!」


 次々と暴露される少年時代の悪行に、ウォルシュは赤くなったり、青くなったりした。

 ともあれ、場はすっかり和んでしまい、お互いの距離感は一気に縮まった。

 もちろん、コンラッド曹長が計算づくでやったことだ。


「メンデル少尉殿、自分たちは貴隊の査察に来たのではありません。

 逃げた行商人の行方を調べるのが役目です。

 もちろん、貴隊は最善を尽くしたに違いありません。ですから、この任務がいかに難しいか、誰よりも皆さんが理解しているはずです。

 頼みます! どうか自分たちを助けてください!!」


 彼はそう言って、ずっと年下のメンデルに深々と頭を下げた。

「あ、頭を上げてください、上級曹長。

 もとより、自分たちは全面的に協力する所存です。

 ですが、報告書以上に何を申し上げたらいいのか、こちらが教えてほしいくらいなのです」


「いえ、行商人と直接関係のない話でもいいのです。

 奴が姿をくらます前後、村で何か変わった話を聞いていないでしょうか?

 噂話レベルの、不確かなもので構いません」


「そう言われてもなぁ……」

 派遣兵たちは顔を見合わせたが、誰も発言しなかった。

 それでもコンラッドは、黙ったままじっと待ち続けた。


 こうなると重苦しい空気が立ち込め、彼らは次第に居心地が悪くなってくる。

 その雰囲気に耐えかねたように、とうとう一人の兵士が、おずおずと手を挙げた。


「あのぉ……、これは子どもが言っていたことで、本当に不確かな話なんですが、いいですか?」

「ああ、構わない。君の名前は?」


「レンドル一等兵です。

 すごい分かりづらくて、たわいのない話なんですけど……いいですか?」


 自分の部下だったら、すでに一発殴っていただろうが、コンラッドはじっとこらえてうなずいた。

 レンドル一等兵は、不思議な話を語り始めた。

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