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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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二十一 現場検証

 蒼龍帝シドの予言どおり、午後の早い時間に参謀本部の迎えが来た。

 たった一日で二百キロ余の距離を超え、彼らが現れるということは、緊急の移動手段を使ったということである。

 参謀本部に所属する国家召喚士アラン・クリスト少佐の飛行幻獣、ロック鳥が動員されたのだ。


 この巨鳥は山小屋風の輸送籠を足にぶら下げ、必要とあれば数時間で国内のあらゆる場所へ人員を運ぶことができる。

 軍事演習中に魔導院の生徒二人が帝国の工作員に拉致されたという事件は、軍にとって一大事であった。

 そのため王都に伝書鳩が飛ばされ、アラン少佐とロック鳥が呼び出されたのだが、彼が白城市に到着したタイミングで、蒼龍帝から二人の女生徒を保護したとの一報が入ったのだ。

 その伝文によれば、二人は自力で脱出して蒼城市に逃れてきたとあったが、その経緯が理解しかねる内容であった。


 参謀本部の長マリウスは、躊躇ためらわずに自分を蒼城市へ運ぶよう、アラン少佐に命じた。

 同行したのはケイトだけであった。

 白虎帝は第一軍の幹部を派遣する意向であったが、なぜかマリウスはそれを拒絶した(余談だが、これは参謀本部と第一軍の間で少なからぬわだかまりを残す結果となった)。


      *       *


 蒼城の一室に止め置かれていたエイナとシルヴィアは、ケイト先生の姿を見た途端、抱きついて激しく泣き出した。

 二人は死の恐怖に直面し、自分たちでも理解できない方法で脱出した。そして突然蒼城市のアスカ邸に現れ、わずかな仮眠しか許されずに蒼龍帝の尋問を受けることになった。

 彼女たちは、すでに緊張と疲労の限界に達していたのだ。


 ケイトは二人の教え子を抱きしめ、無事であったことを喜んでくれた。

 何があったかは一言も訊ねなかった。この後、少女たちが参謀本部と情報部による、厳しい尋問を受けることを知っていたからである。

 マリウスは二人をケイトに任せ、自身は蒼龍帝との会談に及んだ。


 〝余人を交えず〟という双方の希望もあって、会談は蒼龍帝の私室で行われた。

 それは、あまり広くはないが居心地のよい部屋であった。三方の壁には棚がしつらえられ、国の内外を問わない書物がびっしりと詰まっている。

 城付きのメイドが熱いコーヒーが乗ったワゴンを置いて去ると、二人は小さなテーブルに向かい合った。


「魔導院の生徒二人がさらわれた。――言っては悪いですが、それだけのことに軍のトップがロック鳥を使って駆けつけるとは……少し大げさではありませんか?」

 香り高いコーヒーのカップを口に運びながら、シドは口元に皮肉な笑いを浮かべた。


「犯人は帝国の工作員となれば、当然でしょう?

 参謀本部としては、とにかく情報が欲しい。今の時点で判明していることを教えてください」

 マリウスもにこやかな笑みを湛え、淹れ立てのコーヒーを口に含んだ。


 相手はまだ二十歳になったばかりの若者、しかも軍の機構上では命令を受ける立場にある。

 だが、四帝という地位は、王国にとって特別な意味を持っており、マリウスもごく自然に丁寧な言葉遣いで話していた。


 シドは二人の少女から聞き出したこと(ほとんどはエイナの話だ)を、そのままマリウスに伝えた。

 何かを意図的に隠せば、参謀本部の主はたちまちそれに気づくだろう。それを十分に承知しているような、一切の装飾や省略を排した説明だった。

 すべての話を聞き終えると、マリウスは苦笑いを浮かべて溜め息をついた。


「俄かには信じ難い話ですね」

「信じるかどうかはそちらの勝手です。

 どうせ、あの娘たちを参謀本部に連れ帰って、一から尋問をやり直す気なんでしょう?」


「それが僕の仕事ですから」

 マリウスは悪びれずに笑う。


「やれやれ、可愛い後輩たちに同情しますね」

「犯人が殺害されていた件ですが、蒼龍帝殿はどう見ているのですか?」


 シドは首を横に振った。

「直接現場を見たわけでもありませんし、発見した部下もまだ戻っていません。

 今の時点では何とも言えませんね。

 どうせ現場を確認するつもりなのでしょう?」


 マリウスはうなずいた。

「エイナたちに――それに直接話をしたという第一軍の兵士にも首実験をさせなくてはなりませんからね。首はもらいますよ?」

「ご自由に。遺体は氷室から運ばせた氷で保存するよう指示済みです」


「話が早くて助かります」

 ここでマリウスはカップをテーブルに戻し、身を乗り出して声を潜めた。


「それで……シド殿はこの事件、どう思われますか?」

「どう?

 帝国の工作員が魔導院の生徒を拉致しようと画策し、それが失敗したというだけの話ではありませんか?」


 マリウスの口の端がわずかに歪んだ。

「腹の探り合いは嫌いじゃありませんが、ここは率直に話しませんか?」


 シドは少し考え込んだ。

「マリウス殿はあの子――エイナをどうなさるおつもりですか?

 少なくとも、彼女が何も知らないということは、確かだと思いますよ」

「話を聞いた限り、そうなのでしょうね。

 何もしない……というわけにもいきませんから、手もとに置いて様子を見るつもりです」


 シドは軽く息を吐いた。

「まぁ、妥当な線ですね。

 取りあえず、エイナの両親について探りを入れてみるつもりです。特に、失踪した母親というのが引っかかります。

 マリウス殿もそうお考えなのでしょう?」


 マリウスは黙ってうなずいた。蒼龍帝はそれを確認すると、満足そうな表情を浮かべた。

「であれば、私から依頼した方が何かと動きやすいでしょうね」

「依頼? 何の話ですか?」


 シドは小さく笑う。

「お人が悪い。腹を割れと言ったのはそちらの方でしょう。

 単刀直入に言います。ユニを使わせてください」

「やはり、そういう結論ですか」


「人探し、特に辺境においては、彼女以上の人材はいませんからね。

 何か不都合がありますか?」

「いえ、別に。ただ、個人的にユニさんの不興を買いたくないだけですよ。

 ですから、僕の名前は出さないでください」


 シドは『何を今さら……』という言葉を口に出さず、腹の中にしまい込んだ。


      *       *


 二人の少女はマリウスとケイトに連れられ、まず監禁されていた現場へと向かった。

 エイナはもちろん、シルヴィアも空を飛ぶなど初めての経験である。

 実際に飛んでみると、山小屋風の小屋の中で固定された机に震えながらしがみついているのが精一杯で、とても周囲の景色を見る余裕などなかった。

 おまけに小屋は振り子のように激しく揺れるので、彼女たちはたちまち酔ってしまった。


 二人は先を争うようにトイレに這っていき、便器に顔を突っ込んで胃の内容物を吐き戻した。

 その時になってやっと、便器に開いた穴から数百メートル下の景色を見たのである。


 エイナたちが監禁されていた小屋は、蒼城市から三十キロほど離れていた。

 空を飛ぶロック鳥にとって、三十分もかからない距離である。

 小屋はアナン川から一キロほどの畑地の中に建っていて、いかにも農家の作業小屋といった雰囲気の、何の変哲もない建物だった。


 現場にはゴードンが指揮する第四軍の部隊が、忙しく走り回っていた。

 周辺への立ち入り規制、見つかった遺体の検死と氷による首の保存、事故現場の詳しい記録、川から小屋までの経路の調査、周辺住民への聞き込みなど、やるべきことは山ほどあったのだ。


 ロック鳥は収穫の終わった近くの麦畑に降り立った。

 空輸に慣れているマリウスとケイトは、平気な顔をして籠から出てきたが、後からついてきた二人の女生徒は、青ざめた顔で足元もおぼつかなかった。


 一行は現場指揮官であるゴードンの敬礼をもって迎えられた。

 マリウスは答礼をしながら、厳しい顔つきで訊ねる。

「ご苦労、少将。

 現時点で判明していることを教えてほしい」


「一味が逃走に使った船は、まだ見つかっていません。

 無人のまま下流に流したのなら、すぐにどこかの岸に引っかかりますから、恐らく賊の一人が船を操って、どこかに隠したものと思われます。

 小屋の持ち主は近郊の農家で、今も尋問中です。

 もう十年以上前から商人に貸しているという話で、時々人の出入りがあったようです」

「その商人の身元は?」


「はい。賃貸契約書を押収して、現在身元照会中ですが、おそらく偽名でしょう。

 それと、小屋の前に馬車が停車した跡がありました。エイナとシルヴィアを運ぶためのものでしょう。

 入ってきた時と出ていった時のわだちの深さが変わりませんから、何も乗せずに立ち去ったようです。

 事件の後で到着し、内部の異変に気づいてそのまま逃げた――そんなところですね」


「敵を殺害した者の手がかりは?」

 マリウスの問いに、ゴードンは浅黒い顔を横に振った。


「それらしい足跡は見つかりませんでした。小屋の内部にも遺留品はありません。

 帝国の工作員は、全員鋭利な刃物で首を切断されていますが……少し妙でした」

「妙とは?」


「剣で切断したにしては、切り口があまりに滑らかなのです。

 まるで剃刀のような、よく研いだ薄刃の刃物でなければ、あんな傷口にはならないはずです。

 ですが、そうだとすると骨まで切ることは不可能です。

 それなのに頸椎も見事な切り口で切断されています。一体どんな刃物を使えば、あんなことが可能なのか……。自分にはさっぱり分かりません」


「そうか……」

 マリウスはしばらく考え込んだが、犯人像がまったく浮かばなかった。


「それで、遺体は?」

「衣服と所持品をすべて回収して埋葬しました。頭部は氷詰めにしています」


「彼らの持ち物に、手がかりとなりそうなものはあったかね?」

「かなりの額の現金と地図、それに数種類の身分証――もちろん偽造ですね。

 首を見ますか?」


「ああ、頼む」

 マリウスはそう言うと、肩越しに振り返った。

「エイナ、シルヴィア、君たちも来たまえ」


 二人の少女は不安そうな顔で、ゴードンの先導で小屋の中に入っていった。


      *       *


 小屋の扉を開けて中に入ると、むっとする異臭が鼻を突いた。

 吐き気を催す鉄錆の臭い……。血臭であった。

 板張りの床や丸太のままの壁、粗末なテーブルや椅子。いたるところに血が飛び散っていた。

 血の染みはもう乾いて黒褐色に変わっていたが、窓から差し込む日の光を反射して、てらてらと光っている。


 テーブルの上には、七つの桶が並べられていた。

 氷室から運ばれてきた氷が荒く砕かれて詰められ、その中に人間の頭部が埋められていた。


 ゴードンは無造作にその一つに手を突っ込み、髪の毛を掴んで引き上げた。

 血の気の失せた顔は、目と口が開いたままだった。

 何かに驚いたような表情が、そのまま氷漬けにされたようである。

 ゴードンはもう片方の手を添え、首を横にして切断面を見せた。

 血は完全に止まっており、ぽっかりと開いた気道や、白い頸椎がはっきりと見えていた。


「なるほど、ここまできれいな切り口というのは初めて見るな……」

 マリウスは興味深そうに覗き込んだが、その背後でエイナとシルヴィアは震えあがっていた。

 ゴードンは次々に生首を桶の中から取り出し、顔が見えるようにして並べていった。


「どうだ? この中に見覚えのある顔はあるか?」

 マリウスは二人の娘に訊ねた。


 エイナはがたがたと震えながら、首を横に振った。

 シルヴィアはその場にしゃがみ込んで嘔吐しようとしたが、空の上で胃の中を空っぽにしていたため、黄色い胃液がわずかに垂れただけだった。

 その酸っぱい刺激に、彼女は激しく咳込んだ。


 エイナは幼いころ、辺境で日常的に人の死を見てきたからか、どうにか耐えられた。蒼白な顔で、掠れた声をふり絞る。

「小屋の中では、男たちの声しか聞いていません。顔は見ていないんです。

 演習場でも、相手は木立の中に隠れていましたから、全然分かりません。

 多分、シルヴィアも同じだと思います」


 マリウスはその答えを予想していたようで、あまり落胆しなかった。首を見せたのは、あくまで〝教育〟のためだろう。


「そうか、まぁいい。第一軍に敵と言葉を交わしたという将兵がいるから、首実験は彼らで事足りるだろう。

 それよりエイナ、君が入ったという闇の通路の入口を教えてくれないか?」


 エイナはうなずいて、隣の部屋に通じる扉を開けた。

 目隠しのカーテン(毛布を釘で打ちつけたもの)は、剥ぎ取られて床に落ちていた。


「ランプをお願いします」

 エイナの頼みに、ゴードンが壁にかけてあったランプ(まだ火が灯ったままだった)を外して彼女に手渡した。


 中に入るとL字状の狭い部屋の様子が明らかとなった。

 隅っこに空の桶が一つ置かれている以外、部屋には何もなく、がらんとしていた。

 桶は監禁されていたエイナとシルヴィアが、用を足したいと訴えた時のためだったのだろう。


 部屋はエイナが証言したとおりの間取りで、窓も換気口もなかった。

「私たちが気がついた時は、この辺りにいました」


 彼女は自分たちが縛られ、転がされていた場所を示した。

 ランプで照らしてみると、なるほどそこだけ埃が拭い取られたようにきれいになっていた。


「君が脱出したというのは、あの奥か?」

 マリウスが部屋の奥に目を遣った。

 エイナはうなずいて、彼らをその場所に案内した。


 部屋の奥で鍵状に曲がっている出っ張りは、一メートル四方の小さなスペースだった。

 マリウスは膝をついて、その床を手の平で押してみた。

 床はびくともせず、そこを押し破るには何らかの道具が必要だと思われた。


「ここでもう一度、闇に潜れるか試してみたまえ」

 それは命令だった。エイナは覚悟を決めるために深く息を吸った。


「分かりました。では、ランプを隣の部屋に持っていって、扉を閉めてください。

 隙間から光が入らないよう、床に落ちている毛布で目張りもお願いします」

 ゴードンが黙ってその指示に従う。

 扉を閉め、カーテン代わりの毛布が釘にかけられると、窓のない部屋は真っ暗となった。


「驚いたな。これほどの暗闇の中で、エイナは動けたのか?

 俺には何も見えないぞ」

 戻ってきたゴードンが小声でつぶやいたが、それはエイナを除く全員の思いを代弁していた。


「これでもわずかですが、隣の部屋の光が入っているんです。

 少しこのまま待ってください。目が慣れてくれば、何とか見えるようになります。

 ただ、この角の先まではその光すら届かず、本当の闇になっているんです」


 エイナにそう説明された後、十分ほどが経過したが、やはりすべてが暗闇だった。

「まいったな。君は特別夜目が利くようだが、我々には無理なようだ」

 マリウスが素直に状況を認めた。


「では、私の服を掴んでいてください」

 エイナはそう言って、マリウスの手を取って自分の軍服の裾を握らせた。


「少し集中しますので、しばらく黙ります」

 彼女はそう断ると、この部屋を脱出した時のことを思い出し、心を無にした。

 しばらくして、エイナは足を闇の中に踏み出した。

 だが、靴底に当たった感触は、堅い床板のものだった。


「……駄目です。出来ません」

 エイナは悔しそうにつぶやくと、気を失ってその場に崩れ落ちた。

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