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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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十八 ドブ川

「小隊長殿、ご気分が悪いのですか?」

 ウィリアムが心配そうに訊ねた。


 エイナはこめかみを押さえ、何とか立ち直ろうと努めた。

「なっ、何でもないの。もちろん、私だってそのことは考えたわ(大嘘)。

 でっ、でもね、情報部だって、そのくらいのことは気づいているはずでしょ?

 当然、私より前に配属された魔導士に、感知魔法による捜査を命じたはずだわ。

 だから、今さら……って感じで、私も試してなかったのよ」


「そうだったんですかぁ」

 ウィリアムは呑気に納得したが、ケヴィンは疑いの眼差しを向けている。


 エイナは慌てて付け加えた。

「だけどね、自分で確かめてみるべき……だったかもしれないわ。

 分かった、今この場で感知魔法を使ってみるわ」


 エイナはそう宣言し、呪文の詠唱を始めた。

 彼女たちが泊まっている宿屋は、蒼城市の西南に位置していた。

 一番遠い東北の城壁までは、約五キロ弱であるから、エイナの能力なら全市をカバーできる。


 部下たちが固唾を呑んで見守る中、エイナは呪文を唱え終え、感知魔法を発動させた。

 何か派手な光や魔法陣が発生するのでは? という部下の期待は、あっさり裏切られた。

 外見的には何も起こらず、目を閉じたエイナの脳内に、黒い円盤が浮かぶだけである。


 その円盤の中に、いくつかの光点が確認された。

 市の中心にある蒼城にぼんやりとした光が三つ、そして少しずれた場所に五つが集まり、こちらの方ははっきりと見える。

 それ以外の城壁内、そして感知範囲に入っている新市街の一部に、魔力反応は感知できなかった。

 エイナは術を解き、小さな溜息をついた。


「やっぱり駄目ね。

 反応があったのは、我が軍に配属されている魔導士のものばかりだわ」

「感知魔法って、敵か味方かまで分かるのですか?」

 ケヴィンが不思議そうな顔をする。


 魔導士の体内から洩れる魔力には固有の特徴があり、それは〝魔力の色〟と表現される。

 魔導院魔法科は、これまでに四期の卒業生を輩出し、多くは魔導士として軍に採用された。

 そのうち四軍に配属された者は、エイナを除いて十二名である。

 彼女の先輩、同期、そして後輩もいるが、いずれも数年にわたり、ともに過ごしてきた仲間である。

 したがって、顔と名前はもちろん、その魔力の色も把握していた。


 感知魔法で捉えられた光点は、すべてエイナのよく知るパターンを示していた。

 蒼城の三人の光がぼやけていたのは、石造りの城内にいるためである。夜勤番に当たっているか、残業をしているということだ。

 残る五人は勤務を終え、軍の寮に帰ったのだろう。

 ちなみに、これ以外の魔導士四人は、マルコ港の部隊に配属されている。


「つまり、城壁内に敵の通信魔導士はいないってことですか?」

 ケヴィンはいかにも不満そうだ。それまでのエイナの説明と矛盾するから、当然である。


「そうとは限らないわ。

 敵の都市に工作拠点を作るに当たっては、複数の通信魔導士が必要になるの。

 各地からいつ緊急の報告が届くか分からないから、二十四時間体制が必須――最低でも三名交替のはずよ。

 帝国は魔法先進国だから、感知魔法対策を忘れるはずがないでしょ?」

「ええと、魔力を遮断してる……ってことですか?」


「そう。実際、蒼城内にいる魔導士の反応は、かなりぼやけていたわ。

 城の石壁に遮られて、放出された魔力が減衰しているのね。

 ただでさえ、通信魔導士は基礎魔力量が少ないから、感知が難しいの。

 もし、彼らが石造りの建物内――しかも、密閉された地下室にいるとしたら、感知は不可能だわ」


 エイナは椅子から立ち上がり、大げさに両手を広げてみせた。

「そういうことよ!

 うんうん、これでまた、敵に一歩迫ったわ。〝努力に無駄なし〟――先人の言葉どおりね」


 得意げなエイナに対し、ケヴィンは水を浴びせかける。

「お言葉ですが、敵の本拠が石造りの地下室だと分かっても、あまり意味はありませんよ。

 蒼城市内の建物は、ほとんどが石造りですし、どの家にも貯蔵用の地下室があります。

 万を超える戸数を虱潰しに調べるなんて、現実的じゃありません」


 ケヴィンの指摘は真っ当なものであったが、エイナは頬を膨らませた。

「あんたはねぇ、もうちょっと前向きに考えなさい。

 意欲を維持することだって、とっても大事なことなのよ」

「小隊長はそう言いますけど、敵に迫る情報がないことに変わりませんよ」


「あら、そんなことないでしょ。

 宿屋のご主人が言ってたじゃない。夜遅くに帰ってきた行商人の服から、嫌な臭いがしたって」

「ドブ川みたいな臭いって奴ですか?」


「そうよ。取りあえず、明日からはそこを当たりましょう。

 ドブ川について、あんたたちに何か心当たりはない?」


 部下たちは顔を見合わせ、ケヴィンが代表して答えた。

「誰でも知っています。

 新市街から出る排水が、郊外でドブ川になって調整池まで流れ込んでいますね」


「調整池?」

 それはエイナにとって、未知の単語であった。


「ええと、蒼城市が高台にあるってことは、小隊長もご存じですよね?」

「ええ」


「それって、敵を発見しやすいって利点もありますけど、水はけをよくするためでもあるんです。

 新市街は、後から城壁外にできた街ですから、緩い丘の斜面にへばりついています。

 そこから出た生活排水は、側溝を通して斜面を流れ下り、合流してドブ川になります。もちろん、人間が掘った人工の水路ですね。

 このドブ川は、ボルゾ川沿岸の荒野に造られた溜池に流れ混むのですが、これが調整池と呼ばれているものです」

「側溝の水って、直接川に流しているんじゃないの? 辺境の村ではそうしていたわよ」


 ケヴィンは呆れたように肩をすくめた。

「そりゃあ、人口の少ない村ならそうでしょうよ。

 でも新市街にどれだけの人が住んでいるか、小隊長はご存じですか? 城壁内のおよそ三倍ですよ。

 数十万の家庭や店舗から出る排水を、直接川に流したらどうなります?

 いくらボルゾ川が大河だといっても、あっという間に水質が悪化して、漁業者が怒り狂いますよ」

「い、言われてみればそうね」


「調整池では、いったん生活排水を溜めて、きれいにした上澄みを、ボルゾ川に流すそうです」

「溜めておくだけで、水がきれいになるの?」


「俺もよくは知りませんが、微生物って奴を利用するらしいです。

 一ミリもないような小さな生き物が、汚れを食ってくれるそうなんです。

 調整池に流れ込むドブ川には、水車が設置されていて、その力で池の中に空気を送り込んでいるんですが、それもその微生物が働くために必要だって教わりました」


 ウィリアムもうなずいた。

「俺ら小学校の時に、必ず社会見学で調整池に行かされるんですよ。

 池のゴミや、沈殿した泥をさらう職員が常駐していて、いろいろ教えてくれました。

 ただ、ドブの臭いは酷かったですよ。女の子なんか行くのを嫌がって、泣いていましたからね。

 でも、処理水を川に流す水路は、あんまり臭くないし、結構澄んでいて感心した記憶があります」


 これは、エイナがまったく知らなかった情報である。

「ということは、例の行商人がそのドブ川に向かったってことかしら?」


 だが、ケヴィンが首を横に振った。

「ドブ川は新市街の街はずれから始まって、終点の調整池は十数キロも離れた北東にあります。

 市内に潜入しようとしている行商人からすれば、完全に逆方向ですよ」


 しかし、エイナも譲らなかった。

「それでもいいわ。今、私たちが持っている手がかりはこれだけなの。

 可能性を一つずつ潰さないと、先には進めないわ」


 ケヴィンはちらりとエイナの顔を見たが、すぐに溜息をついた。

「分かりました。小隊長の判断に従います」


 エイナはにこりと笑った。

「ありがとう。

 それじゃ、明日はドブ川沿いに調整池まで調べてみましょう」

「俺らはいいですけど、小隊長殿の恰好はまずいんじゃないですか?

 ドブ川沿いには、まともな道なんてありません。スカートと短靴では、かなりきついと思いますよ」


「そうね……。それじゃ、軍服を持っていきましょう! 途中で着替えればいいわ。

 あんたたちも、持っていくの忘れないでね」

「え、俺らもですか?」


「当り前よ、私だけ軍服に着替えたら、恥ずかしいじゃない!」


 上官とは理不尽な存在である。部下たちは配属一か月で、それを学んでいた。


      *       *


 捜索二日目の早朝、エイナたちは宿を出発した。

 時刻は五時で、十二月だから周囲はまだ真っ暗である。

 人気のいない大通りから東大門を出て、一時間余りをかけて新市街を抜けた。


 盛り土された街道を降り、背の高い枯草の中で、持ってきた軍服を出して着替える。

 六時を過ぎたが、まだ夜明け前で、人に見られる心配はなかった。


 着慣れた軍服に着替えると、やはり気持ちが引き締まる。

 道のないドブ川沿いを歩くには、分厚い底の軍靴が適していた。

 万一、人に見咎められても、軍人の格好なら何とでも言い訳ができた。


 枯草を踏みしめながら二十分ほども歩くと、もう最初のドブが現れた。

 新市街では細い側溝だったのが、市外で何本も合流したらしく、幅一メートルほどの水路になっていた。

 水量はそれほどでもないが、むっとする悪臭が漂っていた。

 冬でこれなのだから、夏場は酷い状態になるのだろう。


 緩やかな斜面を流れる水路をたどっていくうちに、周囲も次第に明るくなってきた。

 エイナは明かり魔法を解除し、部下とともに黙々と歩き続けた。

 新市街から流れ出る排水路は何本もあるらしく、それが合流するたびに用水の幅が広くなっていく。


 一時間ほど進んでいくと、斜面が終わって平坦になった。

 用水は十本以上合流し、幅四メートルを超える立派な川になっていた。

 彼女たちは悪臭にうんざりしながら、なおもドブ川沿いを歩いていったが、特に不審な点は見つからなかった。


「こんなところを歩いていると、確かに服に臭いが染みつく。

 宿に戻ったら、洗濯に出さないといかんな」

 エイナが愚痴をこぼすと、すぐ傍らを歩いていたウィリアムが、遠慮がちに訊いてきた。


「あのぉ……小隊長殿? 言葉遣いが元に戻りましたね」

「前に言っただろう、あれは私服を着ている間だけだ。

 軍服を着た以上、私は上官らしくあらねばならん」


 退屈をしていたケヴィンも話に加わってきた。

「自分は昨日の方が好きです……っていうか、小隊長には女性らしい口調の方が似合ってますよ」

「ケヴィン、お前は男尊女卑を支持しているのか?」


「そんなことはありませんが、小隊長は無理をされているように見えます。

 そんなに曹長殿が怖いのですか?」


 エイナは思わず吹き出した。

「まぁ、否定はしない。

 私が曹長のお説教を喰らわないよう、お前たちも我慢して付き合ってくれ」


「小隊長にそんな顔をされたら、何も言えませんね」

 ケヴィンがにやにやと笑い、ウィリアムも〝うんうん〟とうなずいた。


 エイナは部下との距離が縮まった気がして嬉しくもあり、照れ臭くもあった。

 彼女は顔が赤くなったのを気取られまいと、無理やり話題を変えた。


「それにしても、このドブ川は確かに臭いし濁っているが、目立ったゴミは流れてないな」

「ああ、これは旧市街も同じですけど、側溝には一定区間で、鉄の柵がまっているんですよ。

 ゴミはそこに引っかかるんですが、放置して詰まらせると、あっという間に溢れてしまいます。

 特に新市街は、道幅のせいで側溝も細いですからね、住民がまめに取り除くんですよ」


「それだと、大雨が降ったら大変だな」

「そういう時には、もう諦めるみたいですね。新市街には街道以外、舗装がありませんから、すぐに冠水して泥に覆われるんです」


 エイナたちの話題は、人口密集地における、さまざまな水問題に及んだ。

 高台にある蒼城市では、水を井戸に頼っていて、近くを流れるアナン川が地下水の水源となっていること。

 屎尿しにょうは絶対に排水に流さず、専門の汲み取り業者が買い取っていくこと(堆肥の原料として、農家に売られるのだ)。

 屎尿にも等級があって、新市街より城壁内の方が高く、特に貴族や富裕商人の屋敷の汲み取り権は、高値で取り引きされていることなどだった。


 辺境出身のエイナと、都会育ちの部下たちは、お互いの無知を思い知らされた。

 もちろん話を続けながらも、周辺の観察は忘れていない。

 ただ、会話によって、ドブの悪臭を意識の外に追いやる役に立った。


      *       *


 エイナたちが川沿いを歩き続けて、もう四時間が過ぎていた。

 踏破した距離は十キロを超え、蒼城市の北東にある調整池も近くなってきた。

 いいかげん疲れてきたし、腹も減ってきた。

 エイナは悪臭のするドブ川をいったん離れ、宿で作ってもらった昼食を摂ることを提案した。

 部下たちは、もちろん喜んで賛同する。


 この周辺はもうボルゾ川に近く、土壌が悪いのと洪水の恐れから、農地化されないまま、原野が広がっていた。

 エイナは左手に見える小さな木立を目的地に設定した。距離にして一キロ半くらいである。

 ドブ川から目を離して方向を変えようとした時、彼女の視界に何かが映ったような気がした。


 エイナは二、三歩前に進んだところで立ち止まり、わずかな逡巡の後、違和感の正体を突き止めることにした。

 そうでないと、せっかくの昼食が不味くなりそうだった。

 小隊長が引き返したので、部下たちも仕方なくついていく。


「この辺よね……」

 エイナは川岸にしゃがみ込んだ。


「見て、土の色が変わっているわ。少し湿っているようね」

「それにこの辺、枯れ草が踏み荒らされているような感じがしませんか?」

 エイナの後ろに立つケヴィンも指摘した。


「小隊長殿、ちょっとこちらに来てください」

 ウィリアムの呼ぶ声がして、立ち上がったエイナとケヴィンは、背の高い枯れ草を掻き分けて、彼のいる方へ向かった。


「見てください。これ、人の通った跡じゃないでしょうか?」


 ウィリアムの指さす方を見ると、確かに枯れ草の中に、踏み固められた細い道のようなものが続いていた。

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