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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
207/358

十六 贋作工房

「んんーーーーーーーっ!」

 マリアが両腕を突き上げ、大きく伸びをした。


「あ~、すっきりした!

 店主オーナーに身体を貸した後って、本当に調子いいわぁ。

 ――で、どぉ? 情報は教えてもらえたの?」

 彼女は涙が滲んだ目尻を擦りながら、無邪気に訊ねてきた。


「えと、あの……マリアさん、覚えてないんですか?」

「うん、全然。そこに転がっている二人と一緒よ」

 マリアが顎で示したことで、エイナは部下たちのことを思い出した。


「ちょっと、あんたたち大丈夫?」

 エイナがしゃがんで二人の肩を揺すると、彼らはすぐに目を覚ました。


「あれ、小隊長殿? ……俺、何で寝てるんですか?」

「この店の主人に眠らされていたのよ。後でゆっくり説明してあげるわ」

 エイナはウィリアムの手を引っ張って立たせてやった。

 ケヴィンも自分で起き上がり、服についた埃を叩いた。


「変ねぇ……」

 マリアの声に振り返ると、彼女は右手の指を広げ、じっと見つめていた。


「どうかしたんですか?」

「何か右手だけ、ぽかぽかすんのよ。

 あたしって冷え性だから、指先がいつも冷たいんだけど……」

 マリアはそう言って、右手を顔に近づけ、指先の臭いを嗅ごうとした。


「!!」

 電光石火の動きでエイナが彼女の手首を握り、強引に引き剥がす。


「痛たっ、ちょっと、何するのよ!」

「手洗い場はありますかっ!? それと石鹸も!」


「何? いきなり……お手洗いだったら奧よ。一応、石鹸もあるけど」

「あっちですね!」

 エイナはマリアの右手首を掴んだまま、奥へと大股で歩き出した。


「もうっ、引っ張らないでよ!」

 エイナは華奢に見えて、鍛えているだけあって、かなり力が強い。

 一般女性に過ぎないマリアを、ずるずると引きずっていく。

 自分の陰毛に触れた指先を洗わせる――そんな説明は、断じてできなかった。


      *       *


 〝ヴァンの家〟を出たエイナたちは、市内の大通りへ戻っていった。

 その道すがら、部下たちには事の次第を簡単に伝えた。もちろん、下腹部を触られたことは秘密だ。


 大通りに出ると、そのまま東門に向かう。

 今日、三度目の出入りである。

 警備の兵は別の小隊に交替していたが、エイナたちのことは申し送りされていた。

 彼女の身分証を見ただけで、三人とも無審査で通される。


 時刻は十一時過ぎで、まだ昼の混雑は始まっていなかった。

 エイナはリッチーに貰った地図を確認し、街道から細い小路に入っていった。


 それは感心するくらい、よくできた地図だった。

 ――というより、その地図がなければ、目的地にはたどり着けなかっただろう。


 円形の蒼城市内は、城を中心として東西南北に大通りが延び、それを同心円状に横道がつないでいる。蜘蛛の巣のイメージである。

 しかし新市街の場合、街道を除けば道路というものが存在しなかった。


 もちろん、人が往来するための通路はある。

 だが、それは造られた道ではなく、無秩序な建物に生じた〝隙間〟に過ぎなかった。

 したがって、通路は基本的に狭く、複雑に曲がりくねっていた。


 リッチーの地図には、その複雑な通路が正確に描かれてあり、曲がる目印まで記入されていた。

 エイナたち三人は、すれ違うのがやっとの通路を、地図と首っ引きで進んでいった。


 街道に面した商店や飲食店は木造だが、それなりの体裁を保っていた。

 だが、その裏には建物とは名ばかりのバラックが続き、骨組みに帆布を張っただけのテントもどきも少なくない。

 それらは何かの店なのか、ただの民家なのか、判然としなかった。


 人にぶつかって怒鳴られ、手荷物に手が伸ばされ、エイナの場合は尻を撫でられたりしながら、三人はどうにか目的地にたどりついた。

 そこは大きめのテント小屋といった風情で、商品も並んでいなければ、看板の類も出ていない。

 扉はないので、エイナは帆布をめくってみた。


 中は風除室のようなスペースで、奥は帆布で仕切られている。

 その前に小さな机と椅子が置いてあり、背の低い中年男が座って、帳面に何かを書き付けていた。

 エイナたちが中に入ってくると、男はかけていた眼鏡を額に上げ、不審そうな眼差しを送ってきた。


「何だい、あんたたちは?」

「えと、あの……ここは、オルカさんの工房でよかったでしょうか?」


「ああ、そうだよ。何か用かい?」

「私たちは、オルカさんにお会いしたくて訪ねてきました」


「仕入れ……じゃなさそうだな。仕事の依頼かね?」

「いえ、実はある行商人の行方を捜していまして、その件でお話を聞きたいのです」


 男の表情が途端に険しくなる。

「商売の話じゃねえなら、けえんな。

 人探しをしたいなら、そういう仕事をする連中に依頼するんだな。

 そもそもお前さん、どこで親方の名前を聞いてきたんだ?」

「えとえと、〝ヴァンの家〟のご主人に教えていただいて……」


「ヴァンの家だぁ!? 馬鹿野郎、それを早く言え。

 ちょっと待ってな、親方に話してくる」


 男は内張テントの帆布をめくり、中へ消えていった。

 ちらりと見えたテント内は薄暗く、いくつかの机が並んでいた。

 そこに、背を丸くした職人たちが覆いかぶさっていた。


 しばらく待つと、先ほどの男が別の人物を連れて出てきた。

「俺がオルカだ。

 話が聞きたいってのは、あんたたちかい?」


 男は五十前後の、がっちりとした体格の男だった。

 十二月だというのに半袖のシャツで、その上に革製の前掛けを着けている。


「私はエイナ・フローリーといいいます。後ろの二人はウィリアムとケヴィンです」


 オルカの表情に、とまどいの色が浮かんだ。

 男が二人いるのに、女のエイナが出しゃばっているからだ。

「あんたらは何者で、どういう関係なんだ?」


 相手はエイナたちを警戒している。

 ここは下手に隠し立てをすべきでない――彼女はそう判断した。


「私服を着ていますが、私は第四軍第一野戦大隊所属の少尉です。

 この二人も軍人で、私の小隊の部下に当たります」

「軍人か……」


 オルカは眉をしかめ、少し考え込んだ。

「だがまぁ、鑑定屋の紹介とあっちゃ、無下むげにもできんか……。

 ジェイソン、俺はちょっと外に出てくる」


 オルカは最初の男(ジェイソンという名らしい)に声をかけ、エイナたちに「ついてこい」と言って外へ出た。

 彼の後に従ってしばらく歩くと、テラス付きの店舗があり、オルカはそこに入っていった。


 テラスと言っても、柱に板屋根をかけ、木羽こばを葺いただけである。

 その下に粗末な丸テーブルと椅子が置かれ、何組かの先客がくつろいでいた。


 どうやらここは喫茶店らしい。テラスの奥は案外しっかりした建物だったが、暗くて人気がない。

 昼の間はテラスで喫茶を営み、夜になると居酒屋にでもなるのだろう。

 オルカはどかりと椅子に腰を下ろし、寄ってきた若い給仕にコーヒーを注文した。


「あんたらも、好きなもんを頼みな。ただし、自腹だぞ」

 エイナはヤギ乳を、部下たちはお茶を頼んだ。


「しかし、よく俺の工房が分かったな?」

「ヴァンの家のご主人に、詳しい地図をいただきましたから。

 ほら、これです」

 エイナはそう言って、手にしていた地図をテーブルの上に広げた。


 ところが、それを一瞥しただけで、オルカは怪訝な表情を浮かべた。

「これのどこが地図だ? ただの紙じゃねえか」


 エイナは彼の言葉が理解できない。

「ほら、ちゃんと工房の位置や道順が書いていますよ……ねえ?」

 エイナが左右に座っている部下の顔を覗き込むと、二人は〝うんうん〟とうなずいてくれた。


「……」

 オルカが黙り込んでいると、先ほどの若い店員が飲み物を運んできた。

 若者がカップを配り終わると、オルカが顔を上げた。


「おい、サイモン。お前、この紙に何が書いてあるか、分かるか?」

「やめてくれよ、オルカの旦那。俺が文字を読めないって知ってるくせに。

 ……って、何も書いてないじゃないですか。からかわないでください」


 サイモンと呼ばれた給仕は、少し怒って去っていった。

 オルカは三人の顔を見回し、にやりと笑った。

 今度はエイナたちが〝ぽかん〟とする番である。


「な? どうやらこいつは、あんたらにしか見えない地図らしい。

 なるほど、上手い方法だ。あの鑑定屋の〝身元保証書〟を兼ねているってわけだ。

 お嬢ちゃん、あんたよほど気に入られたようだな」


 エイナたちは顔を見合わせた。

 この地図が他人には見えないという事実が、まだ受け入れられなかったのだ。

 

「それで、嬢ちゃん、一体俺に何を聞きたいんだい?」


 エイナは頭を振って、地図の問題を頭から追い払った。今はそれどころではない。

「私たちはテッド・ブーリンという行商人の行方を追っています。

 帝国の工作員という嫌疑によって、クリル村に拘束命令が出ましたが、姿をくらました後でした。

 テッドは安価な宝飾品も扱っていましたが、ヴァンの家の主人に、オルカさんの工房が、その仕入れ先だと教えてもらいました。

 何でも構いません、この行商人に関する情報を教えてください。

 もちろん、あなたの商売に迷惑をかける真似はしないとお約束します!」


「最後の言葉に関しちゃ、何も心配してないさ。

 もし嬢ちゃんが俺を告発しようとしても、多分できないぜ。あの鑑定屋なら、そういう〝呪い〟をかけているはずだ。

 しかしなぁ……行商人との付き合いは多いが、テッドという名は知らねえぞ。もっと他に情報はないのかい?」


 エイナは持っていた鞄を開け、中に入れていた報告書の一枚を取り出した。

「これがテッドの似顔絵です。下に身体的な特徴も書いています」


 オルカはその紙を取り上げて見入ったが、すぐにエイナに返した。

「ああ、この男なら知っている。俺の前じゃ〝テオ〟と名乗っていた。

 もう十五年近く取り引きしているから、結構な古馴染みだな。三か月に一度やってきて、安物の宝飾品を仕入れていく。

 だがなぁ、教えられるほどの情報はないぜ。そりゃぁ、世間話くらいはするが、立ち入ったことは聞かないのが、この業界の決まりだ。

 俺はあいつの故郷も知らないし、家族がいるかも聞いちゃいない」


「取り引きは工房内で行うのですか?」

「いや、たとえ上得意であろうと、工房の中には絶対に入れない。

 注文を受け取ったら、俺の方から品物を持っていって、その中から直接相手に選んでもらう。

 支払いも、その時に現金で済ませているな」


「どこか外で会うということですか?」

「そんな不用心なことができるか。

 あいつの泊まっている部屋を訪ねていくんだよ」


「彼の宿は、毎回決まっていますか?」

「ああ、部屋は違っても、宿自体は同じだ。定宿って奴だな」


「その宿を教えてください!」

「いいぜ。ただ、俺はもう仕事に戻らにゃいかん。別のもんに案内させるから、ちょっと待ってろ」


 オルカはそう言うと、手を上げて給仕の若者を呼んだ。

「何ですか、旦那」

「サイモン、お前ちょっとひとっ走りして、うちのジェイソンを呼んできてくれ」


「銅貨五枚」

「馬鹿野郎、五分もかからねえのに、そんなに出せるか!

 銅貨二枚だ」


「ちぇっ、けち

 若者は悪態を残して走り出しだ。


 エイナはちょっと恐縮してしまう。

「済みません、そこまで親切にしていただくなんて」


 だが、オルカは平然としていた。

「勘違いしてもらっちゃ困るぜ。

 今の小僧に払う駄賃は、あんたが出すんだ。

 それと、ジェイソンにも案内賃を払ってやれ。銅貨三枚もやれば十分だ」


 エイナは苦笑いを浮かべた。

「この件とは関係ないですが、ひとつ訊いてもいいですか?」

「何だ?」


「〝ヴァンの家〟は鑑定屋ですよね。

 オルカさんは、失礼ですけど偽造品を造っているわけで、商売敵なんじゃないですか?」

「そうでもないさ。

 嬢ちゃんは贋作だって馬鹿にするだろうが、宝石商でも騙せるほどの代物となると、高度な技術が要る。

 だが、いくら腕がよくても、素材が悪くちゃどうにもならねえんだ。

 ただのガラスをいくら磨いても、ダイヤには見えねえだろう?

 だから、それなりの物を造ろうとしたら、それなりの石を仕入れなくちゃならん。

 だけどなぁ、質のいい素材を入手するのは、ある意味本物以上に難しいんだ」


「そこで〝ヴァンの家〟だ。あそこは有名な目利きだから、宝石商でも判断がつかない依頼が舞い込んでくる。

 本物もあれば、偽物だってある。

 そして、贋作だって知った持ち主の中には、失望して手放す奴もいるのさ。

 あの鑑定屋は偽物でもよい品なら、それ相応の値段で買い取っている」


「俺の工房じゃ、年に何度か特別な注文が入る。

 それこそ何か月もかけ、技術の粋を尽くして仕上げる大仕事だ。当然利益もデカい。

 そんな時には、あの鑑定屋から石を仕入れるってわけだ。

 だから、俺は鑑定屋の機嫌を損ねたくないんだよ。嬢ちゃんに親切にしているのは、あんたが若くて可愛いからじゃないんだぜ」


 オルカのウィンクは無視したが、エイナは彼の話に感心していた。

 オルカの工房が、それだけ高い技術を持っているなら、本物の宝飾品を造ればいいのにと思ったが、それなりの事情があるのだろう。


「じゃあ、行商人が仕入れていく安物は、どうして造っているんですか?」

「大きな仕事はたまにしか入らんし、金が入ってくるまで時間がかかる。

 だけど職人たちには、毎月給金を出さにゃならんだろう?

 嬢ちゃんは大量生産の安物と思っているだろうが、うちの商品はそれなりの技術が入っている。

 これは若い職人を育てるための、投資でもあるんだ。奴らは数をこなすことで技術を磨き、俺は日銭が稼げる。

 だから素材が安いってだけで、一概に粗悪品とも言えないんだぜ」


 彼はそう言って立ち上がると、「ちょっと小便してくる」と断って、店の奥へと消えていった。

 ケヴィンが彼を見送りながら、溜息をついた。

「朝からかかって結局、宿の住所が分かっただけでしたね」

「これでいいのよ。一歩ずつでも行商人に近づいていければ、必ず尻尾を捕まえられるわ。〝捜査は足が基本〟って、探偵小説に書いていなかった?」


 しばらくしてオルカが帰ってくると、ちょうど使いに遣った若い給仕が、ジェイソンを連れて戻ってくるのが見えた。

「おっ、ちょうどいいタイミングだ。俺は仕事に戻るから、後はジェイソンの奴に案内してもらえ。

 じゃあな、軍人のお嬢ちゃん」


 彼は片手を挙げ、元の道を帰っていった。

 もう片方の手には、大きめの紙包みを抱えていたが、ここに来る時には何も持っていなかったはずだ。

 彼はジェイソンとすれ違う際に、立ち止まって話を交わしていたが、エイナの方を指さしていたので、道案内をするよう伝えたのだろう。

 オルカの姿が曲がり角から消えるのと同時に、ジェイソンがエイナたちのもとにやってきた。


「あんたら、親方と話がついたようだな。

 さぁ、とっとと行こうぜ。例の宿までは十分くらいだ」

「そうね。じゃあ、案内をよろしくお願いするわ」


 エイナと部下たちも立ち上がり、それを見たサイモンが寄ってくる。

「お客さん、お勘定をお願いします」


「ええ、おいくらかしら?」

「四人一緒でいいですか?」


「え、あたしたち三人じゃなくて?

 オルカさんは自分の代金を払っていかなかったの?」

「はい、全部お客さんの奢りだって言ってましたよ」


 エイナは心中で『やられた!』と思ったが、情報料がコーヒー代なら安いものである。

「じゃあ、四人でいくら?」

「銅貨六枚です」


「はぁ!?」

 エイナの声が、思わず大きくなる。


「四人分の飲み物で、銅貨六枚は高すぎるでしょう!」

「いえ、オルカの旦那が、さっき職人への土産だと言って、アップルパイをホールでお持ち帰りになりました。その分も入っています」


 エイナは泣く泣く小銭の入った巾着を取り出した。

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