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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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十五 触診

 奧の部屋に向かった時のマリアは、まだ残る酔いのせいでふらふらしていた。

 それなのに、戻ってきた彼女はしっかりした足取りになっていたのだ。


「待たせたな」

 カウンターの向こう側に立ったマリアは、落ち着いた声を出した。

 吐かれた息からは、酒臭さが微塵も感じられない。

 目は澄んでいて、焦点もしっかりしている。


「話は聞かせてもらった。

 情報目的の客など、普通なら結界の中に入れないのだがな。

 だが、お主は妙な魔術回路を持っておる。そこに興味を抱いて招き入れた……まぁ、そんなところだ」


 マリアの口調まで、すっかり変わっていた。

 数分前までは、自堕落な酒場女そのものだったのに、今は老人――それも男のような言葉遣いだった。


「あなた……マリアさんじゃないわね。

 一体誰? 彼女に何をしたの?」

 エイナの表情に、警戒の色が浮かんだ。


「そうか、この見た目では分からぬか。これは失敬した。

 マリアはこう言っていただろう? 『店主オーナーに訊いてくる』と。

 わしがその店主じゃ」

「マリアさんに化けているってこと?」


「変身ではない。精神を乗っ取った……では聞こえが悪いか、身体を借りていると言うべきかな。

 お主はこの店の主人が〝リッチー〟だということを、知っておるのだろう?」


 エイナが答えようとすると、ウィリアムが彼女の袖を引っ張った。

「小隊長殿、この女と一体、何の話をしておられるのですか?

 自分にはさっぱり理解できません。リッチーとは何ですか?」


 会話を遮られたマリアは、不快そうな表情を浮かべ、右手を軽く上げた。

 途端にウィリアムとケヴィンは意識を失い、その場に崩れ落ちた。


「私の部下に何をした!?」

 エイナの語気が鋭くなり、体内の魔力が膨れ上がる。


「そう興奮するでない。ちょっとの間、眠ってもらうだけじゃ。

 その方が何かと都合がよいじゃろう? 用件が済んだら元に戻してやるから、安心せい。

 さて、それでは話を続けようじゃないか」

 確かに、部下にいちいち説明しながら、話を進めるのは面倒である。

 床に転がっている二人が、確かに呼吸をしているのを確認してから、エイナは先ほどの質問に答えた。


「この店の主人が、リッチーを召喚したヴィンセントという男だった――という話は聞いています。

 蒼龍帝閣下がそう教えてくださいました。

 ですが、ヴィンセントはもう六年も前に、この世界から消滅したはず。

 召喚が解かれたあなたも幻獣界に帰ったはずなのに、どういうわけかこの店は維持されています。

 そのからくりまでは知りません」

「そう大げさなものではないさ。

 お主の言うとおり、わしは幻獣界におる。そこからこの世界に、干渉しているだけのことよ。

 凡人に過ぎぬお主に理解できないのは、まぁ仕方がないじゃろう。そういうものだと納得しておけ」


「なぜそうまでして、この世界に執着するのですか?」

 エイナの素朴な疑問に、マリアはあでやかな笑いを浮かべた。


「召喚士に呼び出された数十年という期間は、無限の時間を得たわしらリッチーにとって、あまりに短すぎた。

 この世界には、まだまだ興味の惹かれる事象が山ほどある。わしはその全てを知りたい。

 現に今、お主という興味深い存在が、自分の方からやってきたではないか」


 マリアは服からこぼれ出しそうな乳房を、押さえつけるように手を当てた。

「このマリアという女は、見てのとおり酒飲みで男にだらしないという、どうにもならん奴じゃ。

 だが、ちょっとした特異体質の持ち主でな、わしが精神を支配することに、まったく抵抗せんのだ」


「多分、どんな男にも股を開き、快楽のためなら変態行為も平然と受け入れる性格が、影響を及ぼしているのじゃろう。

 生きている人間を支配しようとすれば、拒絶反応が起きるのが当たり前じゃ。程度の差はあれ、精神に何らかの異常をきたすものじゃ。

 じゃが、この女は〝けろり〟としておる」


「じゃからわしは、この自堕落な酔っ払い女を高給で雇い、この世界とのつながりを保っておるのじゃ。

 この店を訪れる客は少ない。マリアは店番とはいえ、ほとんど寝ているだけでよい。

 しかも、わしに身体を貸すと、二日酔いから性病まで、きれいに治って戻ってくる。

 お互いの利益となる関係なんじゃよ」


 リッチーの説明には、一部耳を塞ぎたくなる部分もあったが、相手は感情のないアンデッドである。

 エイナは王国軍の士官として、寛大であらねばならない。


「現在の状況については了解しました。

 それで、私の求める情報を、提供していただけるのですか?」

「当然だ。だからこそ、わしが出てきたのだ。

 だが、それ相応の報酬はいただくぞ?」


「銀貨三枚ですよね。もちろん、お支払いいたします」

「ふん、それはこの女(マリア)が勝手に言ったことだ。

 そんなはした金に興味はない」


 エイナは首をかしげた。

「では、私は何を差し出せばよいのでしょうか?」


「最初に言ったであろう。

 お主は妙な魔術回路を持っているようじゃ。それをちと調べさせてほしい」

「えと、あの……おっしゃる意味がよく分からないのですが?」


「察しの悪い奴じゃのう。お主の下腹にある魔術回路のことじゃ。

 わしも何百年と生きてきたが、そんな所に回路を開いた馬鹿など、初めて見る。

 実に、実に興味深い!」


 リッチーはアンデッドの一種であり、骸骨に干からびた皮が張りついたような姿だ(たいていは、フード付きのマントなどで身体を覆っている)。

 高位の魔術師が自らの意志をもって不死化した存在で、生前の記憶や知識、性格、能力など、すべてを保持したままなのが、大きな特徴といえる。

 彼らは不死化によって、永遠の時を求めた。知識欲という妄執が、骨だけの肉体を突き動かしているのである。


「えとえとえと……それって、お腹を見せろということですか?」

 エイナは慌てふためいた。顔が真っ赤である。


 確かに彼女の下腹部には、魔術回路ができていた。

 絶対零度を現出させる、究極の凍結魔法を放つには膨大な魔力が必要で、それを細い指先に送り込むと、肉体が耐え切れずに破裂してしまう。

 そのためエイナは、魔力を貯蔵している子宮から最短距離で、しかも広範囲に大魔力を放出することを考えついたのだ。


 そこを見せるということは、恥ずかしい部分を丸出しにするに等しい。

 ぎりぎり下着をずり下げたとしても、絶対に陰毛が見えてしまう。


 だが、マリアは首を横に振った。

「いや、見ただけでは、さすがのわしでも何も分からん。魔術回路に直接、手を当てるだけでよいのじゃ。

 少し魔力のやり取りをするが、お主に悪影響はないと約束しよう」

「あそこを触るんですか!?」


「手を当てるだけ、しかも下腹じゃと言っておろうが!

 お主の汚らわしい性器などには、何の興味もないわ。

 それに、実際にはこの、マリアという女の手を使うのじゃ。女同士なら構わんではないか」

「ででででも、中身はリッチーで、多分男の人ですよね?」


 マリアの身体を借りたリッチーは、肩を落として深い溜息をついた。

「……あのなぁ、わしの肉体はもう何百年も前に滅んでおる。

 今は骨と皮しか残っておらんし、男性器などとっくに腐れ落ちている。

 当然、性欲などという無駄なものなど、捨て去っておるわい!

 それでも恥ずかしいと言うのであれば、お主の望む情報は手に入らんが、それでもよいのか?」


「う……!」

 それを言われると、エイナも言葉に詰まる。

 彼女は思わず助けを求めるように、後ろを振り返った。

 しかし、頼りにすべき部下の二人は、床で昏倒しているままだ。


「ここにいる男はお主の部下だけで、わしが術を解くまで決して目を覚まさぬ。

 あとは女のマリアの身体と、精神だけのアンデットじゃ。いいかげんに覚悟を決めよ」


 エイナはしばらく逡巡していたが、結論はひとつしかない。

「わ、分かりました。

 えと、あの……本当に変なこと、しませんよね?」

「くどいぞ小娘!」


「……はい」

 エイナが観念すると、マリア(リッチー)は『やれやれ』という顔で、カウンターを回って彼女に向かい合った。


 エイナは目をつぶって顔を横に背け、「えいっ!」と小さく叫んで、スカートとペチコートをまくり上げた。

 膝下丈の生成りのズロースを剥き出しにした姿をさらすのは、たとえ相手が女性であっても恥ずかしい。

 ましてや、マリアの中身は女ではなく、得体のしれないリッチーなのだ。


「ズロースは……下ろさなくてもいいですよね?」

 彼女は横を向いたまま、声を震わせた。


 だが、リッチーの方はあくまで冷静である。

「その必要はない。

 何度も言うが、わしはお主の裸になど、毛ほどの興味もない」


 自分の身体を無価値と断じられるのは、それはそれで気分が悪い。

 だが、今はそれどころではなかった。エイナは閉じた目蓋にぎゅっと力を入れた。

 マリアは半歩前に出て、エイナの身体に触れそうなほどに近づくと、ズロースの中に手を滑り込ませた。


「ひゃっ!」

 エイナが小さな悲鳴を上げる。


「これ、腰を引くでない!」

「でっ、でもっ! 指が冷たいです!!」


「ん? ああ、この女(マリア)は冷え性であった。まったく、人間の身体というものは面倒なものじゃの。

 少し待て、血管を広げて血流を増量させる。

 ……これでどうじゃ?」

「あ、これなら平気です」


 リッチーが言ったとおり、マリアの指はあっという間に温かくなった。

 少し汗ばんだ掌は、エイナの下腹部にぴたりと吸いついた。

 これはこれで嫌な感じなのだが、エイナは文句を言えずに我慢をする。


 密着したマリアの掌から、微弱な魔力が流れ込んでくるのが感じられた。


「えと、あの……マリアさんは魔力を持っているのですか?」

「人間は誰であっても微量の魔力を持っておる。

 本人は自覚をしていないが、今はわしがそれを引き出して使っているだけじゃ。

 どれ、今度はお主の魔力を少し調べるぞ」


 その言葉が終わらないうちに、魔力が吸い取られる気持ちの悪い感覚が襲ってきた。

 ただ、その量はごくわずかで、時間的にも数秒の間に過ぎなかった。


「ふむ……なるほどな」

 マリアはそうつぶやくと、エイナの下着から手を引き抜いた。


「終わったぞ。もうスカートを下ろしてよい」

 言われるまでもない。エイナは顔まで捲っていたスカートとペチコートを慌てて下ろし、服の上からズロースを掴んでずり上げた。


 マリアはカウンターの向こう側に戻って、椅子に腰を下ろした。

 そして満足そうにうなずいた。

「実に面白い。そして、興味深かったぞ!」


「はぁ……それはよかったですね」

 エイナとしては、そうとしか返せない。

「それで、何が分かったのですか?」


「それをお主に分かるように説明するのは、面倒な仕事になる。

 あえて言うならば、お主が異常だということだな。

 ひとつ訊くが、お主の両親のどちらかは魔導士――それも、かなり優れた術者だったのであろう?」


 エイナはうなずいた。

「父が帝国の魔導士官でした。爆裂魔法を成功させた、数少ない一人だと聞いています」


「そうであろうな。

 お主は人間として、規格外の魔力を保有しておるが、それは父親の能力を受け継いでおるからじゃ。

 それともうひとつ。

 お主、自分に混ざっている血について、自覚はあるのか?」


 エイナの頬が引きった。

「それは……吸血鬼のことでしょうか?」


「うむ。知っているのなら話が早い。

 父親だけでなく、母親の血にも感謝をすることじゃ。

 普通の人間なら、こんな無茶をして無事で済むはずがない。お主が耐えられたのは、吸血鬼の血のおかげよ。

 それでも、魔力を放出した際には、下腹部の毛細血管は破裂しておったじゃろうな。表層だけではないぞ。肉体の損傷は、深部にまで及んでいたはずじゃ」

「で、でも、絶対零度魔法を撃っても、身体は何ともありませんでした。

 毛細血管が破裂していたら、内出血でお腹が真っ黒になりますよね?」


「お主が気づいていないだけじゃ。

 吸血鬼の血の影響で、お主は高い回復能力を持っている。

 お主は馬鹿げた量の魔力を流用して、回復能力を一時的に活性化したのじゃろうな。

 魔力回路を調べてみて、それがよく分かった。

 お主の回路には、損傷と再生を繰り返した何層もの〝かさぶた〟で覆われておる。

 まぁ、すっかりできあがっておるから、これ以上、肉体に負担はかからんじゃろう」


「つまり、もう大魔力を必要とする魔法を、安心して使えるということですね?」

 エイナの質問に、マリアは眉をひそめた。


「言っておくが、爆裂魔法を試そう――などと考えるでないぞ。

 あれは本来、人間の限界を超えた大魔法じゃ。

 帝国の魔導士が開発した、七重の魔法陣を利用した方法以外に、使いこなす道はない」

「ちょっと思いついただけです。何でもかんでも、先回りしないでください!

 それより、ちゃんと触らせたんですから、約束どおり情報を教えてもらえますよね?」


「心配するな。リッチーは約束を破るようなことをせん」

 マリアはカウンターの下から一枚の紙を取り出し、その上に掌を当てた。

 すると、あぶり出しのように、白い紙の表面に地図が浮き出てきた。


「この矢印の場所を訪ねてみよ。オルカという男がやっている工房じゃ。

 お主が探している行商人も、ここから安物の〝玩具〟を仕入れていたはずじゃ」


 エイナは差し出された紙を受け取った。

「ありがとうございます」


 そう言って顔を上げると、マリアの身体からはもう、リッチーの気配が消え去っていた。

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