十四 鼠小路
「我々の軍に裏切者がいるとおっしゃるんですか!?」
ウィリアムが〝信じられない〟といった表情を浮かべる。
程度の差はあるものの、王国民はおおむね軍に信頼を寄せている。
特にエイナの部下たちは、軍に入りたての新兵だけに、自分たちの組織を理想化しがちである。
彼が驚いたのも無理はない。
「小隊長殿は、そう言い切るだけの証拠を握っておられるのですか?」
ケヴィンも同じ気持ちらしく、その質問には棘があった。
エイナはふっと肩の力を抜き、バツの悪そうな笑いを浮かべた。
「何ひとつないわ。これはあくまで私の推測なの。
まぁ、聞いてちょうだい」
「あの、小隊長殿? いきなり口調がその……変わりましたけど」
エイナは顔を赤らめる。
「まぁね。なんかこの格好をしていると、上官言葉を使うのが変というか――すごく恥ずかしいのよ。
軍服に着替えるまでは、この調子で喋らせてくれない?
正直に白状すると、普段の言葉遣いだって、かなり無理してるのよ。
だって、そうしないとコンラッド曹長に叱られるんですもの」
部下の二人は思わず顔を見合わせたが、互いにうなずいた。
「俺たちは別に構いません。っていうか、その方が話しやすいです。
それと、曹長殿が怖いことには、大いに同意します」
「ありがと。でも、これは蒼城市にいる間だけよ。もちろん、ほかの皆には内緒ね!
じゃあ、本題に戻るわ」
エイナは〝こほん〟と小さな咳払いをして、説明を始めた。
「例の行商人は、恐らく威力偵察部隊の補給を担当していたんだと思うの。
だとしたら、我が軍の対応を見届ける役割も兼ねていたと考えるのが妥当でしょ?
だけど、作戦の実行部隊は、私たちに捕まってしまったわ。
部隊を出迎えるはずだった行商人は、彼らがいつまで経っても現れないことで、作戦の失敗を覚ったんだと思うわ。
そうなると、現場付近に留まるのは自殺行為よね。一目散にクリル村に逃げ帰ったのは、当然の行動だわ。
――ここまではいい?」
部下たちは黙ってうなずいた。
「問題はその先よ。
クリル村の出張所に行商人の身柄を拘束せよ、という緊急命令が届いて、部隊は行商人の泊まる宿を急襲した。
だけど、行商人はそれを察知して、間一髪で逃げ出しているわ。なぜだと思う?」
「まぁ、捕虜になった帝国兵が自白して、自分の正体がバレたと考えたんじゃないですか?」
ウィリアムがもっともらしい意見を述べたが、エイナはあっさりとそれを否定した。
「ウィリアムが情報機関の上司だと想像してみて。敵国へ潜入させる部隊に、現地で接触する工作員の詳細を教える?
私だったら、何ひとつ教えないわ。今回のように捕縛され、拷問で吐かされたら、苦労して王国内に構築した情報網がずたずたにされるもの。
そんな馬鹿な真似をするわけがないと思うの」
「だから、現地を離脱して親郷に戻った行商人は、これで自分は安全だと思ったはずよ。
それなのに、彼は危険を察知して逃げ出し、捕縛を逃れたわ。
どうやって捜査の手が及んだことを知ったのかしら?」
エイナの話をじっと聞いていたケヴィンが、ぼそりと口を開いた。
「考えられる可能性はただひとつ。第四軍内部から情報が洩れ、何らかの手段で行商人に警告が届いた……そういうことですね?」」
エイナがうなずいた。
「信じたくはないけど、それ以外に合理的な説明がつないのよ。
私が行商人の行動に疑念を挟んだ報告書は、相当の地位でないと閲覧ができないはずよ。
クリル村にいる行商人に捜査の手が及びそうだ――その情報が間に合ったということは、上層部で決定される前の、検討段階でもう情報が漏れたのでなければ辻褄が合わないわ。
漏洩元が当の上層部だと疑うのは、当然だと思うの」
「では、その大物の指示で、我々の監視が行われたのですね?」
「いいえ。内通者はあくまで情報を売っただけよ。部下を動かして仲間を監視させたら命取りだもの。
実際に大門を監視していたのは、蒼城市を拠点とする帝国の工作員のはずだわ。
でも、突然のことだから、私たちに尾行をつける余裕がなかったでしょうね。
だから、第四小隊が本当に辺境に向かったか、それを確認するのが精一杯だったと思うの」
「それで小隊長殿は、新市街を離れてから引き返したんですね?」
ウィリアムが感心したようにつぶやく。
「そういうこと。私たちには捜索・捕縛の命令が出て、工作組織もその情報を知ったわ。
だけど、第四小隊が実際にどう行動するかは、私の判断に任されているでしょう? 必ずしもクリル村に向かうとは限らないってわけ。
じゃあここで、行商人が蒼城市に潜伏したと仮定してみましょうよ。
小隊が辺境に向かってくれれば、敵は私たちが無駄足を踏んで、すごすご戻ってくるまで安心していられるわ。
逆に、私たちがいきなり蒼城市内の捜索に取りかかっていたら、間違いなく尾行がつけられていたでしょうね」
ケヴィンが口を挟んだ。
「なるほど……。曹長とほかの連中は、囮役を演じてくれたわけですね。
だけどクリル村だって親郷ですから、行商人とは別の工作員がいるでしょう。。
小隊長と俺たちを欠いた小隊が現れたら、不審に思いませんか?」
「私たちだって、事前に検討したでしょう? もっと別の親郷に逃げたかもしれないって。
私が部隊を割って、クリル村とは別の親郷の捜索に向かったとしても、別に不思議じゃないわ」
「了解です。いろいろ納得しました」
ケヴィンがうなずき、ウィリアムもそれに同意した上で口を開いた。
「俺、考えたんですけど、行商人は市内といっても、新市街の方に潜り込んだんじゃないでしょうか?
城壁内で育った俺たちでも、新市街で知っているのは、街道に面した表通りだけです。
裏道なんかに入ったら、たちまち誘拐される――ガキの頃は、おふくろに何度も言い聞かされたもんです。
警衛隊も新市街には手を出しませんから、後ろ暗い人間にとって、あそこは絶好の隠れ家だと思います」
エイナは小さな笑みを浮かべた。部下が自分の考えを臆せず出してくれるは、とても嬉しいことだ。
「私も潜伏先は新市街だと踏んでいるの。でも、広大な裏町を闇雲に探し回っても徒労に終わるでしょうね。
だからこそ、情報を手に入れる必要があるわ。
すごく細い手がかりだけど、私は偽の宝飾品の製造拠点を突破口にするつもりなの」
「いや、ですからそれがどこなのか、どうやって調べるんですか?」
呆れ顔のウィリアムに対し、エイナは少し得意気に、自分の胸をとんと叩いた。
その拍子に羽織っていたショールの合わせが外れ、胸元の白い肌と膨らみが露わになった。
たちまち男二人の視線が釘付けとなり、エイナは慌ててショールを掻き抱いた。
「まっ、まぁ、私に任せてちょうだい。ちょっとした当てがあるのよ」
* *
エイナは部下たちの部屋を出て、自分の個室へと戻った。
内側から鍵をかけ、服を着たままでベッドに横たわり、しばらく休憩を取った。
一時間ほどうとうとするうちに、出発の時間となる。
彼女は部屋の姿見で身なりを確認し、ショールの合わせ目をピンで留めた。
「まったく、流行りの服って、何でこんなに胸を見せるのよ!
恥ずかしくないのかしら?」
エイナは鏡に抗議の言葉を投げつけ、鍵を外して部屋を出ていった。
三人が宿を出たのは九時四十分ころである。
エイナは「私に付いてきて」と言って、先頭を歩き始めた。
その後をのこのこ歩くウィリアムとケヴィンは、顔を見合わせてささやき合った。
「おい、小隊長殿はやけに詳しそうだぞ。迷子になるんじゃなかったのか?」
「俺に聞かれても知らねえよ」
荷物を宿に置いて身軽になったエイナは、裏通りをどんどん奥(大城壁)の方へと進んでいった。
路地は細くなっていくが、市内の道はどこも石畳で舗装がされている。
ただ、段々と人気がなくなっていき、ゴミも目立つようになってきた。
気にせずに先を行くエイナに、ケヴィンが堪らずに駆け寄って声をかけた。
「小隊長殿、この辺は下町というか、若い女性がその……独りで歩くような場所ではありません」
「あら、だからあなたたちがいるんじゃない。
酔っ払いに口笛を吹かれないよう、しっかり護衛してちょうだいね」
「そりゃあ、そのつもりですが、一体どこに向かっているのか、いいかげん教えてください」
「それもそうね。えっと、確か〝鼠小路〟っていう通りよ。
そこにある〝ヴァンの家〟っていう店なんだけど、知ってる?」
ケヴィンは首を横に振る。
「その店は知らないですけど、鼠小路っていえば、堅気の人間は近づかないって噂ですよ。
何だってそんな物騒な場所、知っているんですか?」
「一年くらい前に来たことがあるのよ。
私、方向感覚はいい方だから、一度行った場所は忘れないの。
ほら、あそこの十字路を右に入れば、鼠小路だわ」
三人が狭い小路に入っていくと、いきなり空気が変わった。
天気は薄曇りで、時々太陽も顔を出していたが、なぜかその小路には、白い霧がかかっていた。
石畳はしっとりと濡れ、重く湿った空気には、酔っ払いの吐瀉物や、立小便の臭気が混じっていた。
小路の両側に立ち並ぶ建物は、いずれも古い石造りで、住居というよりも何かの店舗という感じがする。
その割にどこも扉を閉ざしていて、活気というものが感じられなかった。
「あったあった。ここよ」
しばらく進んだところでエイナが立ち止まった。
彼女が指さした建物の扉の上には、古い木の看板が下がっていた。
かなり摩耗して読みづらかったが、かろうじて〝ヴァンの家〟と読めた。
「何と言うか……、いかにも怪しげな店ですね」
部下たちの感想は手厳しかった。
建物の石壁にはびっしりと蔦が這っており、茶色く枯れた葉は大部分落ちていた。
側溝に溜まった濡れ落葉の上を、丸まると太ったドブネズミがちょちょろ走っていく。
確かに、鼠小路という名に相応しい雰囲気ではある。
エイナは空を仰ぎ、太陽の位置を確認した。
「もう十時は過ぎたから、開いているはずよ。入ってみましょう」
彼女はそう言って、扉のノッカーを叩いた。
だが、何の反応もない。もう一度丸い金属の輪を打ちつけて耳を澄ましたが、やはり結果は同じである。
「変ね、お休みかしら?」
エイナが試しに扉を引いてみると、分厚い木の扉がすっと開いた。
「ごめんください!」
エイナが呼びかけながら中に入り、部下たちもそれに続く。
背後で扉が閉まると、窓の鎧戸が閉まっているせいで中は暗い。
ごちゃごちゃした店内の奥に、火の入ったランプ下がっていて、どうにか床が見えた。
灯りを目指して奧へと進んでいくと、木のカウンターがあり、そこに女性が突っ伏していた。
「えと、あの……もしもし?」
エイナが遠慮がちに肩を揺すっても、その女性は起きなかった。
背中が規則正しく上下しているので、死んでいるわけではない。どうやら眠っているようだった。
ウィリアムとケヴィンも、エイナの両脇から女を覗き込んだ。
「うわっ! 小隊長殿、この女、酔っ払ってますよ」
ケヴィンが顔をしかめて、かがんでいた上半身を反らした。
エイナの鋭敏な嗅覚も、熟柿のような甘ったるい息を感じていた。
「もし、もぉし!」
エイナが女の耳元で声を張り上げ、肩を揺する手に力をこめた。
すると、鼾をかいていた女が、呻き声をあげながら、ようやく顔を上げた。
乱れた長い髪が顔を半分隠しているが、派手な厚化粧をしていることは見てとれた。真っ赤な紅を塗った唇の周りは、涎で汚れている。
女は半開きの目で、しばらくエイナを見上げていたが、ようやく身体を起こした。
「ああ、何だ……客か」
彼女は濁った目で、エイナを上から下までじろじろと見た。
「ああ、駄目だダメだ。
ここにはねぇ、あんたみたいな小娘に買えるような安物は置いてないんだよ。
他所に行きな」
「えっと、あの……、確かマリアさん、でしたよね?」
エイナに名前を呼ばれた女の眉が上がり、ようやく目の焦点が合ってきた。
「何であたしの名前を……。
ん~、そう言えば見覚えのある顔だね?」
「私、エイナ・フローリーです。
一年ちょっと前に、ここに黄色の魔石を持ち込んで、台座を買い取っていただきました」
「あ……、ああ、ああ! もちろん、覚えているともさ。
だけど、あんたは軍人じゃなかったっけ? もう逃げ出したのかい?」
「いえ、たまたま今日は私服なだけで、軍は辞めていません。今日来たのも、軍の仕事がらみです。
実は、教えていただきたいことがあるんです」
「何だい? 言ってみな」
「田舎の娘が喜ぶような、安価な偽造宝飾品を造っている業者を紹介してもらいたいのです。
この店だったら、そういう情報も持っているのではないでしょうか?」
「偽造屋の摘発かい?
そういう話だったらお断りだよ。この仕事は信用が第一だからね。
取引先を売ったとなりゃ、商売ができなくなるんだよ」
「いえ、そんなつもりはありません。私たちは帝国の工作員を追っているんです。
その男は行商人を装っていて、そうした商品を仕入れていたと思われます。
私たちが知りたいのは、その男の手がかりだけで、業者をどうこうするつもりはありません。
もちろん、教えていただいた情報は、軍にも洩らさないとお約束します」
「ふうん……」
マリアは疑わし気な表情を崩さなかった。
「それなら、教えないでもないけどね。情報料はいただくよ。
そうだねぇ……銀貨三枚ってとこだね」
「銀貨三枚だって? そいつは法外だろう!」
ケヴィンが堪らずに口を挟んだ。
「嫌ならいいんだよ。こっちは押し売りする気はないんだ。
だけど……」
マリアはそう言って、ケヴィンの顔を値踏みするようにじろじろ見た。
「そうだねぇ、坊やがあたしを満足させてくれるなら、考えてやってもいいよ。
若いんだから、一晩で五発はできるだろう? その間に十回以上、あたしに天国を見せてくれたら、半額にしてあげるわ」
エイナが咳払いをして、二人の間に割って入った。
「もちろん、銀貨三枚は即金でお支払いします。
ですから、私の部下をからかわないでください!
この馬鹿が、半分その気になっているじゃありませんか」
マリアはけらけらと笑った。
「悪い悪い、ちょっと可愛い顔をしていたからね。
だってこの坊や、どう見たって童貞じゃない。皮を剥いただけで出しちまいそうだ。あたしを満足させようなんて、十年早いよ。
待ってな、店主に訊いてくるから」
彼女は椅子から立ち上がり、よろめく足取りで奥の扉を開け、その中に消えていった。
童貞呼ばわりされたケヴィンは、顔を赤くして憤慨している。
「クソッ、酔っ払い女め!
小隊長殿、大体この店は何なんですか?」
「鑑定屋よ。しかもとびきりの目利きらしいわ。
一流の宝石商はもちろん、王侯貴族から犯罪者にまで、名前が知れ渡っているらしいわ。
――しっ、戻ってくる」
奧の扉が再び開き、女が出てきた。
だが、見た目はマリアのように見えたが、それは全くの別人であった。