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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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十三 偽装

 季節はちょうど十二月に入ったところで、夜明けの時刻が最も遅い頃合いである。

 午前四時半に集合した第四小隊は、前日に借りた馬を厩舎から曳き出して乗馬し、蒼城を出発した。


 当然、周囲は真っ暗で、例によってエイナの明かり魔法が部隊の行く手を照らしていた。

 人気のない市内の大通りを抜け、大城壁の東門を潜ったのは、五時を過ぎようとしていた。


 大門には、二十四時間体制で警備兵が常駐して、出入りする人間の身分を確認している。

 暗い内から外へ出ようとしている第四小隊(しかも、怪しげな灯りが宙に浮いている)に、警備の兵たちは驚きと疑念を隠さなかった。

 しかし、エイナが一枚の羊皮紙を提示すると、その態度が一変した。


『第四軍のすべての将兵は、エイナ・フローリー少尉麾下の小隊に、可能な限りの便宜を与えるべし』

 その命令書には、軍の英雄であるアスカ将軍の署名が入っていた。

 小隊は無審査で通過を許されたが、エイナは警備兵の隊長と二人きりになり、しばらく話を交わしていた。


 四古都の大城壁の周囲には、〝新市街〟と呼ばれる街並みが広がっている。

 市街というものの、家や店舗は簡素な木造建築が多く、テントやバラックも珍しくない。

 城壁内の居住資格を得られない、低所得者層の集まった街であるが、品質にこだわらなければ物価は安い。

 弾けるような活気に溢れている一方で、治安も悪かった。


 蒼城市の場合も、大城壁の周囲に、この新市街が三キロ近くも広がっていた。

 静謐な市内と違い、街道沿いには夜通し営業している飲み屋もあり、早朝開業の準備をしている商人も多かった。

 彼らは妙な時間に通る軍人一行に、何の関心も寄せなかった。どうやっても客には見えないからだ。


 新市街を抜けてしまうと、街道の周囲には果てしなく畑が広がり、雑木林や農家がぽつぽつと点在するだけとなる。

 もちろん、今の時刻は真っ暗で何も見えない。

 旅人とすれ違うこともなく、単調な道を三キロ余り進んだところで、エイナは小隊に停止を命じた。


 すぐ右手には、それほど大きくない雑木林があり、畑に水を供給する小さな用水路も流れている。

 水はけを考えて、街道は周囲よりも一段高くなっている。エイナは雑木林の縁の草地に降りていき、そこで下馬した。

 部下たちもそれに続く。


「少隊長殿、休憩を取るにしては早すぎませんか?」

 鼻から白い息を吐き出す馬の首を優しく叩きながら、ウォルシュが不思議そうな顔で訊いてきた。


「別にお前たちのためではない。

 馬たちは暗い内から叩き起こされてご機嫌斜めだ。ここで水を飲ませ、しばらく好きに青草を食べさせてやろう。

 ウィリアムとケヴィンは私に付いてこい」


 エイナはそう言って、雑木林の中に入っていった。指名された二人は不安そうな表情を浮かべながら、命令に従うしかない。

 こうした雑木林が伐採されず、あちこちに残っているのは、周辺の農家が燃料となる焚き木や枯れ葉を取るためである。

 人の手が入った林の地面はきれいで歩きやすい。


 しばらく奥に進んで、街道から姿が見えないことを確認すると、エイナは部下の二人の方を振り返った。

「この辺でいいだろう。二人には普段着を持ってくるよう指示したが、忘れていないだろうな?」


 ウィリアムとケヴィンは顔を見合わせ、「荷物に入っております」と答えた。

「では、お前たちはここで着替えろ」

「軍服を脱ぐのでありますか?」


「そうだ。これから我々は部隊と別れ、一般市民に偽装し、徒歩で蒼城市に戻る」


 ウィリアムが首をかしげた。

「それなら、最初から蒼城市に残ればよかったと思うのですが……。

 ここまで来ることに、何か意味があるのですか?」


 エイナはうなずいた。

「私たちが蒼城市を出て、敵に辺境に向かったと思わせるためだ。

 もう城門の監視は解かれているだろうが、軍服姿で戻れば簡単に気づかれる。

 今から徒歩で戻れば、ちょうど明るくなった頃だ。新市街は朝の買い物に出た市民でごった返している。人波に紛れて入城すれば、万一にも気づかれないはずだ。」

「えっと、つまり我々は見張られていた――ということですよね。

 敵の工作員がそんなことをしますか? こちらの任務をどうやって知ったんですか?」


「詳しいことは後で説明してやる。今は黙って命令に従え。

 私はもう少し奥の方で着替えてくる」

 エイナはそう言って、五、六歩進んだところで立ち止まり、ふいに振り返った。


「言っておくが、私は人より勘が鋭いし、夜目も利く。

 覗こうなどという、不埒なことを考えるなよ!」


      *       *


 ウィリアムとケヴィンは背負っていた背嚢を下ろし、中から着替えを取り出した。

 エイナが明かり魔法を解いてしまったので、月明かりが頼りだったが、軍服を脱いで普段着に着替えるには三分もかからなかった。

 軍服とシャツを畳んで背嚢に詰め込むと、あとはエイナを待つしかない。


「まぁ、女の身支度に時間がかかるのは、古今東西の決まりごとだからな、のんびり待とうぜ」

 ウィリアムが背嚢の上に腰を下ろした。ケヴィンもその横に座った。


「なぁ、ウィリアム。何で俺たち二人が選ばれたのかな?」

「そりゃあ、俺とお前が市内の出身者だからだろう。

 小隊長殿は、行商人が市内に潜伏しているっていうお考えだ。

 隊長は蒼城市の生まれじゃないから、土地勘のある俺たちが案内してやらなくちゃ、迷子になるのがオチだ。当然の人選だよ」


「しかし、小隊長殿も着替えに行ったってことは、普段着――というか、町娘みたいな恰好をするってことだよな?」

「そりゃそうだろう」


「ということは、スカートを穿くんだろうなぁ?」

「なに当たり前のこと言ってるだ、ケヴィン?」


「だって、俺たち軍服姿しか知らないからさ。

 娘らしい格好をした小隊長殿って、見たくないか?

 小隊長殿は稽古じゃ滅茶苦茶強いけど、顔は結構かわいいだろう」


「お褒めにあずかって恐縮だな」

 いきなり背後からエイナの声がして、二人はぎゃっと叫んで飛び起きた。


「待たせて済まなかった」

 エイナはそう謝り、再び明かり魔法を唱えた。

 頭上に出電した光球のおかげで、暗くてよく分からなかったエイナの姿が、はっきりと二人の目に映った。


 彼女はピンクの小花模様の厚手の長袖ブラウス、同じ柄のくるぶし丈のスカートの上に、エプロンを重ねていた。

 白いエプロンの縁にはレース飾りがあり、幅の広い紐を後ろで大きなリボン風に結んでいる。これは最近の若い娘の流行だった。

 足には絹のストッキングに、ヒールの低い茶色の革靴を合わせていた。

 普段は髪を後ろでお団子にまとめているのに、今は肩まである黒髪をおろしている。

 見違えるほど娘らしい姿であった。


「どう……かな?」

 彼女は少し照れながら、その場でくるりと回ってみせた。長いスカートが空気をはらんでふわっと膨らむ。


 ウィリアムとケヴィンは、馬鹿みたいに口を半開きにしていた。

「お、お美しいので、その……あります!」

 ケヴィンがつっかえながら、よく分からない賛辞を洩らした。


「そうか」

 エイナは頬を染め、恥ずかしそうな笑みを浮かべたが、すぐに二人の視線に気づいて眉をひそめた。

 彼らは明らかにエイナの胸元を見つめていた。


 この時代の女性たちは、足に性的な魅力があると信じていた。

 そのため、長いスカートを穿いて足を隠すのが一般的である。

 隠されると見たくなるのは人情で、男たちも女の足に興奮する者が多かった。

 そうなると、女の側も隠す一方で見せつけたくなる……それが女心というものだ。


 事務系の女性軍人や職員(軍属)は、機能面から膝下丈のタイトスカートを穿き、くるぶしを露わにしている。

 もちろん素足ではなく、絹のストッキングを着用しているのだが、これは男性を魅了するファッションだとされていた。


 軍の女性用制服は、そういう意味で若い女性の憧れであったが、上半身はシャツのボタンを上まで留め、ネクタイを締めている。


 それとは対照的に、一般女性の服装では胸の谷間が覗けるほど、ブラウスやワンピースの襟ぐりが大きく開いているのが当たり前だった。

 もちろん、胸用のコルセットを着用しているのだが、下を向いてかがんだりすると、その隙間から乳首まで見えてしまうことがある。

 エイナが着ていたのも、都会の若い娘が着るデザインだったから、胸元が大きく開いて乳房の膨らみの上部が見えていた。


 十八歳の若い男性に、この魅惑的な光景を見るなという方が酷である。

 寒いこともあって、エイナは持っていた厚手のショールを慌てて羽織り、胸元を隠して二人を睨みつけた。


      *       *


 エイナたちは雑木林から出て、休憩していた他の部下たちと合流した。

 見違えるような格好で現れたエイナに対しては、一斉にどよめきが起きたが、さすがに口笛を吹くような不届き者はいない。


 彼女はコンラッド曹長に、ほぼ空になった自分の背嚢を渡した。

 ウィリアムとケヴィンはどうにかなるが、さすがに町娘の姿で背嚢を背負っていては不自然である。

 そのため、エイナは女性たちが買い物に使う、大きな手下げ籠に荷物を移していた。


「では打ち合わせどおり、曹長は部下を率いてクリル村に向かってくれ。

 兵たちのことをよろしく頼む」


 曹長は娘姿のエイナに対し、ぴしりと敬礼をした。

「お任せください。少尉殿もご武運を!」


 彼らは街道に上がり、コンラッド曹長は四人の部下とエイナたちの馬を連れ、辺境に向けて出発していった。

 エイナとウィリアム、ケヴィンの三人は、反対方向の蒼城市に向けて歩き始めた。

 エイナの荷物は、ウィリアムとケヴィンが交代で持ってくれた。

 三人が新市街に入ったのは七時過ぎで、ようやく日が昇って明るくなっていた。


 街道沿いにはたくさんの商店が並び、多くの食材や美味しそうな料理が並んでいた。

 これらを目当てに、蒼城市内から多くの市民が訪れ、買い求めていた。ちょっとした朝市のようなものである。

 エイナたちもそうした出店の一軒で、蒸し饅頭と熱いスープを買って、冷えた身体を温めた。


 城門では、朝は人の出入りが多いので、身分証を提示するだけで通過が許された。

 目的地や所持品を調べられるのは、旅支度をしている者や、長距離馬車の乗客くらいである。


 エイナたちも普段着のまま軍の身分証を提示したが、何も問われずに通された。

 つい三時間前に出ていった軍人の顔を、警備兵は当然覚えているはずだったが、彼らは知らぬふりをしてくれた。

 もちろん、エイナが警備兵の隊長に、変装して戻ってくることを、事前に伝えておいたからである。


 城門を潜り、石畳で舗装された大通りを進みながら、ウィリアムがエイナを覗き込むように訊ねた。

「それで、我々はどこに向かうのでしょうか?」

「そうだな、まずは宿を見つけよう。清潔で安いところがいいな。

 どこかお勧めのところを知らないか?」


「それなら心当たりがありますが、時間が早すぎませんか?

 この時間に宿に入ると、余計な料金を取られますよ」

「お前ら、その重たい荷物を持って、夕方まで歩き回りたいのか?

 心配するな、経費は軍が持ってくれる」


 三人はウィリアムの案内で、大通りから外れた閑静な宿屋街に入っていった。

 彼の説明によれば、この辺りは仕事で蒼城市を訪れる商人たちが利用するところで、比較的値段が安く、自炊も選択できる宿が多いという。


 ウィリアムが入ったのは、〝鍵尻尾亭〟という変わった名前の宿だった。

 彼の実家と取引のある商人たちがよく利用する宿で、女将の性格がよく、なかなか評判がいいらしい。


 入ってみると、中には誰もいなかった。

 エイナがカウンターの呼び鈴を叩くと、ぱたぱたという足音がして、奥から小柄な中年女性が出てきた。

「はいはい、何かご用でございましょうか?」


 どうやら、この女性がくだんの女将らしい。

「投宿したいのですけど、部屋は空いてますでしょうか?

 二人用と一人用の二部屋をお願いしたいのですが」

「ええ、ええ、空いてございますけど、この時間にお入りになると、半日分の料金が追加になりますよ。

 それでもよろしいですか?」


「構いません。取りあえずは二泊、場合によっては何日か延長するかもしれません」

「よろしゅうございます。前払いとなりますので、最初に二泊分をいただきます。延泊の場合は、その都度お支払いということでお願いします。

 お食事はお付けいたしますか?」


「別でお願いします」

「では、お三人様が二泊で、銀貨一枚と銅貨十八枚になります」


「支払いはこれで……」

 エイナはエプロンのポケットから、軍票を取り出した。

 女将はそれを見て、目を丸くした。


「もちろん構いませんけど、お客様は軍人さんだったのですか?」

「ええ、まぁ、そんなところですが、そのことは内密にお願いしたいのです」


「それは当然でございます。

 いえね、可愛らしいお嬢さんと、若い男性がお二人でしょう?

 どういう関係なのかしらって、少し心配していたんですよ。

 もしかして、いかがわしい宿と間違われたのかしらって」

「彼らは私の部下で、しかも年下です。誓って怪しい関係ではありません!」


「あらやだ、そんなつもりじゃないんですよ。ごめんなさいね。

 あたしにもお客様と同じくらいの年頃の娘がおりましてね、それでつい、心配しただけなんですよ。

 それでは、お部屋にご案内いたします」


 女将が先に立って階段を昇っていき、エイナたちが後に続く。

 部下たちが泊まる二人部屋と、エイナの個室とは少し離れていたが、それは特に問題ない。

 部屋に荷物を下ろすと、エイナは部下たちの部屋をノックした。


 彼女は中に入り、小さな丸テーブルを部下たちと囲んだ。

「それでは約束どおり、私たちが置かれている状況を最初に説明しておく」

 エイナが前置きをすると、二人は身を乗り出した。


「我々の小隊が敵に監視されていると言ったが、軍の内部に内通者がいると私は考えている」

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