十二 新任務
中隊長の部屋に入ると、ミラン中尉は自分の執務机に腰を下ろした。
エイナは机の前で気をつけの姿勢を取る。
「そう緊張せんでいい、休みたまえ」
中隊長が机の引き出しを開けながら許可を出したので、彼女は足を開いて両手を背中に回した。
「君を呼んだのは、今週からの任務の申し渡しだ。
ほかの小隊にはそれぞれ伝えたが、少尉は表彰を受けていたからな」
エイナは少し警戒を緩めた。なるほど、筋は通っている――が、やはり中隊長の雰囲気が怪しい。
彼が引き出しから出した書類も、やけに枚数が多い。通常の任務書はペラ一枚のはずだ。
「君の部隊が帝国兵を捕縛したあと、第二十七監視所とトミネ村周辺の大規模な捜索が行われた」
第二十七監視所というのは、コンラッド曹長を派遣して、本部への連絡を依頼した所の正式名称だ。
「敵の捕虜の口は堅かったが、適切な尋問の結果、白状した者もいてな……その両所が襲撃目標だと明らかになったからだ」
この情報は初耳であったが、エイナたちが予想していたとおりで驚きはない。
「帝国兵たちを調べたが、通常の武器と地図以外、何も所持していなかった。
自白した者の証言では、トミネ村は焼き討ちにする予定だったそうだ」
それはそうだろう。監視所には交替要員を含めて三名しか詰めてない。
小隊規模の戦力があれば、容易く制圧(殺害)できるだろうが、ひとつの村となるとそうはいかない。
トミネ村は小さな開拓村だが、それでも総人口は八十人前後だ。村人が死に物狂いで抵抗すれば、やっかいなことになる。
彼らが寝静まっているうちに、火を放って回るのが上策であろう。
「捜索の結果、トミネ村から五キロほど離れた廃屋に、物資が隠されているのが発見された。
食糧、水、医療品、そして大量の火矢と火壺だ。そこで補給をするよう、あらかじめ決めてあったらしい」
「中隊長殿、自分は〝火壺〟を知りません。どのような物でしょうか?」
「ああ、小さな陶器の壺に油を入れた物だ。
コルク栓の頭に赤燐が塗ってあって、堅いものに擦るだけで発火する。
それを家に投げつければ、壺が割れて油がかかり、あっという間に燃え上がるという仕組みだ」
「了解です。お話を遮って申し訳ありません」
「うむ。これら物資の集積は、すでに潜入している工作員の仕業だろう。
我々としては、何としても彼らの尻尾を掴みたい」
当然のことであるから、エイナは黙ってうなずいた。
ただし、それは困難を極めるであろうということも、容易に想像がついた。
「そこで、上層部が着目したのが、君の報告書だ」
「私の……で、ありますか?」
「そうだ。先の昼間巡回の際、君の小隊がトミネ村で聞き取った報告に、行商人の訪問が記されていた。
それに対し、少尉は〝不自然だ〟との意見を付けていたな?」
「……はい」
「我が軍は、早速その行商人の足跡を追った。
その結果、当該の行商人は、トミネ村の親郷であるクリル村に帰っていたことが分かった。
帰路に当たるサイジ村、カイラギ村に寄らずにだ。
わざわざ野宿を選択するのは不自然だ。どうせ顔馴染みの村だ、納屋ぐらい使わせてもらえるだろうし、ついでに商売もできたはずだ。
上層部はこの行商人に対する疑いを深め、拘束して取り調べをする方針を決めた。
そこで――だ」
「エイナ・フローリー少尉、君の第四小隊に、この行商人の捕縛が命じられた。
つまり、これが今日からの任務となる」
「お待ちください!
えと、あの、行商人がクリル村に戻ったことが分かったのなら、なぜその場で拘束しなかったのですか?
親郷なら、軍の出張所があるはずです」
中隊長は顔をしかめた。
「クリルの駐在兵たちが掴んだのは、行商人の目撃情報だけだ。
男が泊まっていた宿に踏み込んだものの、もぬけの殻だったそうだ」
彼はそう言って、目の前にある書類の束を、エイナの方に押しやった。
「クリルからの報告書だ。
行商人の名前はテッド・ブーリン。どうせ偽名だろうが、辺境の北部から中部にかけて、二十年近く行商を続けている男だ。
年齢不詳だが、見た目は四十代の前半。資料に身体的な特徴と似顔絵も添付している。
君の部隊は、この男を追跡・捜索し、捕縛することにある。
認められる捜索期間は三週間だ。その間、行動の自由と各部隊の全面協力が約束されている」
エイナは差し出された書類を手に取り、ざっと目を通した。
「せめて、行商人がどの方面に逃げたか――とか、何らかの手掛かりはないのでしょうか?
これでは、野原の中に埋もれた針を見つけろ、と命じられたようなものです」
「分かっている!」
中隊長の語気がやや荒くなった。
「分かっているのだ、これが無理難題だということなど!
だが、上が決めてしまった以上、我々にはどうしようもない。
捜査経験のない君と小隊が、行商人を発見・捕縛することは、現実問題として極めて困難だろう。
それを承知で言う。工作拠点の発見、行商人につながる新たな容疑者、とにかく何でもいい。目に見える成果を持ってこい!
そうでないと、君の立場は非常にまずいことになるぞ」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「君の部隊はアスカ将軍から感状を与えられた。全軍の司令官からだぞ?
転任してきてわずか一か月、しかも小隊は定員不足の新兵なのに――だ。
大多数はこれを称賛するだろうが、中には嫉妬や反発を抱く者だっているはずだ。
現在、君とその小隊には、その両者から過剰な期待と注目が集まっている。
もし、今回の任務に失敗したら、失望と同時に『それ見たことか』という声が上がるだろう。
つまり、第四軍全体に手の平返しの否定的評価が蔓延することになる」
エイナにも、だんだんと事態の深刻さが理解されてきた。
「しかし中隊長殿、工作員の捜索であれば、情報部の領分ではありませんか?
それに、軍には警衛隊だっています。
一般兵である私たちが出しゃばるのは、ますます反発を買うことになると思うのですが……」
情報部は参謀本部の直轄組織で、各地方軍には彼らを統制する権限はない。
また、警衛隊は軍に属して、通常の犯罪捜査・摘発を担う専門部隊である。
素人であるエイナたちに、こうした組織を無視して活動させるのは、強引な無理筋としか思えない。
中隊長はこめかみを押さえて呻いた。
「君の言うとおりだ。これは当然、情報部の案件だ。だがな、なぜか今回、あいつらは手を引いたんだ。
警衛隊は『これは情報部が扱う事件で、自分たちの担当ではない』という立場を崩していない」
「中隊長殿、えと、あの……ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「私の部隊に下った命令が、かなり上の方で決められたことは理解します。
つまりその……将官レベルのお偉方の中にも、私を快く思わない方が――」
「黙れ! それ以上は言うな!!」
中隊長が大声を上げ、エイナの言葉を遮った。
要するに、そういうことなのだ。
「大隊長殿も、この件では心を痛めておられた。
いいか、大隊長からの伝言を伝える。言うまでもなく、他言は無用である!」
エイナは休みの態勢を解き、気をつけに戻った。
「こうなったら仕方がない。何が何でも成果を挙げて、馬鹿どもの鼻を明かしてやれ!
以上だ!!」
* *
エイナが小隊控室に戻ると、室内は明るい雰囲気に包まれていた。
アスカからの感状は、さっそく額に入れられて入口正面の壁に飾られている。
兵たちはまだ興奮冷めやらぬようで、間近で見たアスカ将軍が、想像以上の巨体で、いかに威厳があったかを、頬を紅潮させて語り合っていた。
コンラッドがエイナに気づき、即座に「総員整列、気をつけ!」の号令をかける。
きれいな列を作った兵たちの表情は、自信と誇りに満ちている。
曹長は兵たちの様子を満足そうに眺め、エイナの方に振り返った。
「少尉殿、中隊長の話とは何だったのですか?」
エイナは兵たちに「休め」と声をかけた。
「今週からの任務の伝達だった」
「……夜間巡回ではないのですか?」
曹長が首を捻ったのも無理はない。
通常、任務は二週間のサイクルで申し渡される。
先週がその第一週で夜間巡回だったから、今週は当然、その続きであるべきだった。
「それが、急遽変わったんだよ」
エイナは中隊長から受けた命令を淡々と説明した。
ピンとこない新兵たちは、『はぁ、そうですか』という顔をしていたが、曹長は顔を真っ赤にして怒った。
「無茶苦茶です! 少尉殿は黙ってそれを受けてきたのですか!?」
「仕方ないだろう。中隊長どころか、大隊長殿でもどうにもならなかったらしい。
私たちに拒否権はない」
「し、しかしこれは情報部の――」
「その情報部が、なぜか手を引いたらしい。キナ臭いだろう?
中隊長殿は、私たちの手柄を快く思っていない、お偉方が動いたと踏んでいるようだった。
ただ、私はもっと別の可能性を考えている」
「別の?」
「情報部を動かせるのは誰だ? そして、遠く離れたその人物に働きかけたのは?
私の頭には、その二人が示し合わせて笑っている顔が浮かんでくる」
「まさか……そんな」
「忘れろ、これは私の妄想だ。そんなことより、現実と向き合うべきだ」
彼女は整列している兵たちの方を向いた。
「今回ばかりは、お前たちの知恵を借りたい。
座って話し合おう」
* *
エイナが中隊長から貰ってきた資料が回覧されると、兵たちも任務の難しさがようやく分かってきたようだった。
一足先に資料に目を通した曹長は、お手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。
「手がかりは何もなし。どうしようもありませんな」
「そこを何とかしろ、というのが上の命令なのだよ。
とにかく、まず我々はどこから手を付けるべきだろうか?」
エイナたちは二つの長椅子に四人ずつ座り、向かい合っていた。
「やはり、このテッドという行商人が最後に目撃された、クリル村に向かうべきではないでしょうか?
ほら、〝捜査の基本は聞き込みから〟って言うじゃないですか?」
ケヴィンが得意そうに口を開いた。彼は探偵小説が好きなのだ。
曹長が難しい顔をした。
「聞き込みには期待できないと思うぞ。
親郷の出張所配属の兵たちは、村人たちと顔見知りだ。
彼らが調べた以上の情報を、よそ者の我々が訊き出すのは難しいだろう。
ただ、実際に調査を担当した兵たちから、直に話を聞くのは有益だと思う。
報告書には書かれていない、ちょっとしたことがヒントになるかもしれないからな。
俺も、ケヴィンの意見に賛成だ」
「行商人がほかの親郷に逃げたとは考えられませんか?」
ウォルシュが可能性を挙げる。
「テッドという奴は、辺境で二十年も行商をしていた男だ。ほかの親郷に隠れても、簡単に面が割れるだろう。
奴は疑われていることに気づいて逃走したんだ。そんなことは百も承知のはずだ」
曹長の答えに、新兵たちはそれ以上発言しなかった。全員がクリル村に行くつもりになっているらしい。
「私は十一歳までしか辺境にいなかったから、行商人のことはよく知らないんだ。
彼らが村に来ると、子どもたちは簡単なおもちゃを貰うことができて、それが嬉しかった記憶しかない。
一体、彼らはどんなものを売りに来るのだろう?」
停滞した会話を動かそうと、エイナが訊ねた。
辺境育ちのウォルシュがすぐに反応する。
「日用雑貨と古着ですね。ほとんどは親郷で手に入るものですが、支郷の人間が気軽に行ける距離じゃありませんから重宝するんです。
行商人も、仕入れはほとんど親郷で済ませていると思いますよ」
「俺も小隊長殿と一緒で、貰えるおもちゃが楽しみだった。竹とんぼとか、ドングリのコマとか……懐かしいなぁ」
同じく辺境出身のサムがつぶやいた。
「あ、でも俺の姉ちゃんは、安物のアクセサリーとか、ぺらぺらの派手なドレスが欲しくて、行商人が来た日にはいつも泣き喚いてな。うるさくて堪らなかったよ」
サムがそう付け加えると、ウォルシュも笑い出した。
「ああ、俺の一つ下の妹も同じだったよ。
なけなしの小遣いで偽真珠の首飾りを買った時なんて、おふくろと三日三晩も大喧嘩してたっけ。
村の娘たちは、そういうくだらないものに夢中だったよな」
「それも親郷から仕入れるのか?」
エイナの質問に、彼らは首を捻った。
「いや、親郷にはその手の装飾品を扱う店はなかったと思いますよ。
あれは……多分、蒼城市から仕入れてくるんじゃないかな?」
ウォルシュは自信なさげだったが、その言葉がエイナの勘に引っかかった。
「なるほど、蒼城市か……。
世間が狭い辺境で隠れるのは難しいけど、人口の多い都会だったらどうだろう?
人に紛れるのは容易いし、仕入れでたまに来る程度だったら、それほど顔も知られてないはずだ。
工作員にとっては敵の懐だけど、そこがかえって盲点かもしれないな」
「それだったら、いっそ白城市や黒城市まで逃げた方がよくありませんか?」
曹長の疑問に、エイナは首を振った。
「いや、辺境は帝国の工作員にとって、出入国の主要ルートとなっている。
二十年も現地に溶け込んで、事情に精通している人間を、今さら他の地域にはやれないだろう。
表には出なくとも、裏で辺境の活動を支援すると見るのが妥当だ」
「では、少尉殿はどうされるおつもりですか?」
「ウィリアム、お前の実家は市内で、職人だと言ってたな。
どんな職種なんだ?」
「俺の親爺は、鋳造用の金型をいろいろ作っています」
「それだと、宝飾店との付き合いはないか……」
「いえ、そんなことはないです。宝石の台座も金型がないと作れませんから」
「では、親父さんの伝手で、宝飾店を当たれないか?」
「それは難しいですね。金型から製品を起こすようなところは、まともな工房を抱えた高級店です。安価な偽物を扱うはずがありません。
そういうのは、新市街の工房で造っているんじゃないでしょうか。
偽造宝飾は違法ですから、接触は難しいと思いますよ」
「なるほどな……」
エイナはしばらく考えた揚句、決断を下した。
「よし、やはりクリル村から捜査を始めよう。出発は明日早朝。今日はその準備に当てる。
曹長は馬の手配を頼む。各員は糧食・備品の配給を申請して、今日中に受け取っておくように。
それと、ウィリアムとケヴィンは普段着も用意しておけ」
指示を受けた二人は、怪訝な顔をした。
「自分たちだけですか?」
「そうだ。理由は後で説明する。
すべての準備を整え次第、寮に戻って早めに休め。
明日の集合は午前四時だ。寝過ごした間抜けには、曹長の鉄拳制裁が待っていると思え。
以上だ、解散!」
部下たちは敬礼をして、控室を出ていく。曹長のそれに続こうとしたが、エイナが呼び止めた。
「コンラッドは残ってくれ。二人で詳しい打ち合わせをしたい」