十一 栄誉
「お前たち、二人一組で帝国兵を運んでくれ。
この辺りで焚き火をするから、二メートルくらい離して囲むようにだ」
帝国兵を縛り終えると、エイナはそう新兵たちに指示をした。
彼らが命令に従って作業にかかると、彼女はそれを監督しながら話し始めた。
「私が七歳の時の話だ。父親が亡くなり、母は事情があって行方不明になった。
孤児の私は叔母夫妻に引き取られた。奴隷のように扱われたが、とにかく育ててくれたのだから感謝はしている。
その叔母夫妻も、私が十一歳の時に亡くなった。
私が生まれた村は辺境の貧しい開拓村で、たまたまその年、オークに襲われたんだ」
「オークはもう、めったに出なくなったのではないですか?」
町育ちのウィリアムが、帝国兵を運びながら、そう訊ねた。
「いや、今でもたまに出るさ。昔より数が減ったというだけだよ」
辺境出身のウォルシュがエイナの代わりに答える。
「今でも鮮明に覚えている。私と叔母は小父さんの手伝いをするために畑に出た。
そして私たちは、小父さんの死体を引きずっているオークを見つけたんだ。
叔母の悲鳴で私たちに気づいたオークは、すぐに襲ってきた。
叔母が棍棒で頭を叩き潰された音は、いまだに耳にこびりついている。
私は必死で逃げた。だが、所詮は子どもの足だ。あっさりオークに追いつかれてしまった」
兵たちは作業の手を止め、エイナの話に耳を傾けていた。
「オークに家畜を襲われた私の村では、その対策に召喚士を雇ったんだ。
運のいいことに、その召喚士が間に合って、オークを殺してくれた。
お陰で私はこうして生きているが、その時は本当に死を覚悟した。
今でも悪夢にうなされることがある。
オークに追いかけられるが、思うように足が動かずに捕まってしまい、生きたまま喰われる夢だ」
「その召喚士は私を蒼城市に連れていってくれて、ひょんなことから私は魔導院に入学することになった。
十二歳から六年間、私は魔導院で厳しい軍事教練を受けてきた。
そこでは子どもを相手に、〝敵を殺すことに躊躇するな〟と徹底的に叩き込む。
だが、私はその教えを、最初からすんなりと受け入れることができた。
力のない者は、理不尽な暴力の前では無力だということ、死んでしまえば家族も守れないことを知っていたからだ」
「お前たちも軍学校で、同じことを教わったはずだ。
敵にだって家族がある、同じ人間だ――それは私も否定しない。
だが、敵に情けをかけるのは、勝ってからにしろ。
戦いの前や最中に、そんなことを考えていたら、すぐに死ぬぞ。
そうなったら、お前たちの親も友人も恋人も、誰一人として守ることができなくなる。
それだけは忘れるな」
下を向いて黙り込んでいる兵たちに気づき、エイナは少し気まずそうに付け加えた。
「柄にもなく説教をしてしまった。さぁ、作業を終わらせてしまおう」
帝国兵の何人かは、並べられる間に意識を取り戻していた。
彼らはガタガタと震え、ひたすら「寒い、寒い……」と呻いていた。
そうこうするうちに、曹長たちが流木の束を抱えて戻ってきた。
帝国兵の中央に積まれた流木に、エイナが魔法で火を着ける。
流木はあっという間に燃え上がり、大きな焚き火ができた。
時刻は午前三時を過ぎており、気温はかなり下がっていたから、エイナの部下たちにとってもありがたかった。
暖まってくると、帝国兵たちの全員が目を覚ました。
彼らは後ろ手に縛られ、足も数珠繋ぎにされていることに気づくと、抵抗を諦めた。
その代わり、しばらくすると襲ってきた痛みに、芋虫のようにのたうち回った。
凍傷を起こした末端部に血がめぐり、凍結した組織が融解して、激しい苦痛が発生したのだ。
エイナは初歩的な治癒魔が使えたので、彼らの痛覚を麻痺させてやったが、それは治療ではなく、単なるごまかしに過ぎなかった。
捕虜たちが大人しくなると、彼女はコンラッド曹長に二人の兵をつけ、最寄りの監視所に向かわせた。
監視所では伝書鳩が飼われているから、夜明けとともに放せば、一、二時間で軍本部に急報できるはずだ。
* *
曹長たちが帰ってきたのは、すっかり明るくなってからだった。
コンラッドは監視所の兵士に連絡を依頼すると、馬を借りてトッドを迎えに行かせた。
トッドが部隊の馬とともに待機していたのは、十キロ先の監視所だったので、合流するのに時間がかかったのだ。
全員が集結すると、エイナは兵たちに交替で休養と食事を摂らせ、帝国兵の尋問を開始した。
しかし、彼らは口を噤んで何も答えず、エイナも無理に訊き出そうとはしなかった。
それは彼女の役目ではないからだ。本部に連行されれば、専門家の手に委ねられることだろう。
手の空いた兵たちは流木を集めてきて、焚き火を絶やさなかった。
それとは別に、彼らは緊急用の狼煙も燃やし続けていた。
急報を受けた本部は、増援と捕虜の輸送のため、マルコ港から船を出すはずで、そのための目印である。
果たせるかな、午前十時半ころには大型の川船が岸に接近してきた。エイナたちの予想よりもかなり早い。
本部はかなり事態を重く見たのだろう、珍しくも迅速な対応である。
船はボルゾ川の中央で進行方向を変えると、ぎりぎりまで岸に近づいたところで錨を投じた。
そして両方の舷側から、連絡用の小舟を二艘下ろした。
櫂を漕いで着岸した小舟からは、一個小隊が上陸してきた。
小隊の指揮官と出迎えたエイナが互いに敬礼を交わす。
「マルコ港警備の第五大隊、第三小隊のミハイル・ツーソン少尉です。
お迎えが遅くなって申し訳ありません」
「第一野戦大隊、第四小隊のエイナ・フローリー少尉です。
ご支援に感謝いたします」
「自分の部下が捕虜を搬送いたします。
第四小隊の皆さんの乗船は、その後となりますので、今しばらくご辛抱ください。
なお、本船には馬を乗せる設備がありませんが、私の部下が残ってガリソ港まで曳いていきます」
「了解です。
帝国兵は、手指に重い凍傷を負っています。早急な治療が必要ですので、その旨申し送りください」
「凍傷……ですか?」
「はい。帝国兵が抵抗してきたので、凍結魔法で無力化させました」
「なるほど、そう言えばエイナ殿は魔道士でしたな。
それで小隊の人数も少ないのですか?」
エイナは苦笑いを浮かべた。
「まぁ、そんな事情のようです。私のことをご存じでしたか?」
今度はミハイルが笑う番だった。
「もちろんです。我々は蒼城市外に配属されていますが、参謀本部から魔道士官が転属してきた噂は即座に聞こえてきました。
〝しかも、若い女性である〟という重要な情報付きでしたから、当然のことです」
* *
小舟は何度も岸との往復を繰り返し、捕虜とエイナの小隊を全員収容した。
すべての作業を終え、川船が遡上を開始したのは、正午に近い時刻だった。
船にはミハイル少尉の部隊を含む、中隊規模の兵力が乗り込んでいた。
漕ぎ手は十分足りていたので、一睡もしていないエイナの小隊は、眠ることが許された。
船は夕方にマルコ港に着き、エイナの小隊と捕虜たちは別々の馬車に乗せられ、すぐに蒼城市に向かった。
軍本部では、エイナはもちろん、小隊の一人ひとりに対し、個別の事情聴取が行われた。
彼らが解放されたのは、深夜になってからであった。
* *
日曜の休みを挟んで新たな週が始まっても、エイナの小隊に大きな変化は訪れなかった。
月曜の朝には、各小隊長がミラン中隊長のもとに集まるが、その時に労いの言葉があったくらいだ。
やや物足りなさを感じながら、エイナが小隊の控え室に戻ると、扉の前に、ほかの小隊の連中が行列を作っていた。
彼らは第四小隊の戦果を聞きつけ、祝いにきたのである。
新兵たちは先輩たちに髪をくしゃくしゃにされたり、背中をどやされたりして手荒い祝福を受け、嬉しそうにしていた。
兵たちは自分の部隊の手柄を評価している――その証拠は、エイナのもやもやを吹き飛ばしてくれた。
この週からは、新しい任務に就くと予想されていたが、蓋を開けてみるとまたしても夜間巡回だった。
エイナは落胆を顔に出さず、兵たちに訓示を与え、巡回の準備と午後からの休養を指示した。
夕方に蒼城市を出発すると、完全に日常が戻ってきたと実感する。
エイナはコンラッド曹長の横に馬を並べ、朝に感じていた不満を打ち明けた。
「私たちは一人の犠牲も出さず、敵偵察部隊を丸ごと捕虜にした。
これは大きな手柄だろう。実際、ほかの小隊の連中は賞賛を惜しまなかった。
それにしては、上層部の評価が物足りないと思うのだが……、これは私の驕りだろうか?」
ベテランの曹長はエイナのふくれっ面を、面白そうに見つめた。
「そんなことはありません。上だって分かっていますよ。
捕虜の尋問や所持品の精査は、今週から本格的に始まります。
その結果によっては、我が隊への評価がさらに上がる可能性があります。
だから、軽々には表彰できないのでしょう」
「そんなものか……」
「まぁ、心配せずとも、いま我が軍はこの話題で持ちきりです。
新兵どもは十分に舞い上がっていますから、これ以上褒めたら、喜びすぎた犬みたいに、座り小便を漏らしてしまいますよ」
* *
兵たちは三週目ということで、だいぶ任務に慣れてきた。
通るのはお馴染みの道だし、エイナの魔法の威力を知ったことで自信をつけ、心理的な重圧も軽減されていた。
エイナは部下の間に油断が生じていることを懸念したが、その辺は先任下士官がよく心得ている。
新兵たちに少しでもだらけた様子が見えると、いつも以上の罵声と〝教育的指導〟という名目の拳が降ってきた。
この週は天候も安定し、帝国も動きを見せなかった。
恐らく特別に選抜され、十分に事前準備をした部隊を一挙に失ったのは、彼らにとっても痛手だったに違いない。
任務は何事もなく消化され、無事に土曜日には本部に帰還した。
* *
その次の週の月曜、出勤したエイナは、いつものように小隊控え室に現れた。
彼女は指揮官として、部下に先んじるよう努めていたが、扉を開けると常にコンラッド曹長がいる。
ところが、その日は扉のノブに手をかけたところで、エイナの動きがぴたりと止まった。
扉を通して、中から人の話し声が聞こえてきたのだ。
それが曹長と、兵の誰かだったら問題ない。だが、聞こえてくるくぐもった声は、曹長と女性の声だった(エイナの鋭い聴力でも、会話の内容までは分からなかった)。
彼女の頭の中に、コンラッドは妻帯者だという情報が、ぽんと浮かんできた。
エイナがそっと扉を開けると、曹長と総務の女性職員が、親し気に談笑しているところだった。
女性職員とは特別仲がいいわけではないが、顔は見覚えがある。確かロージーといったはずだ。
ロージーは二十代半ばのブロンド娘で、美人ではないが愛嬌のある顔立ちをしていた。
彼女は入ってきたエイナに対し、人懐っこい笑顔を向けてきた。
「あら、少尉。お早いんですね!」
エイナも愛想笑いを浮かべる。
「ええと、ロージー……さんでしたっけ? 総務の方がどうしてここに?」
すると、ロージーの笑顔がふっと曇った。
「見つかってしまっては仕方ありません。
どうか、このことはご内密に……切ない女心は、少尉にもお分かりでしょう?」
涙ぐんで懇願するロージーに、エイナはパニックを起こした。
「えっ、えとあの、そのっ!
曹長! どっ、どどど、これはどういうことですか?」
「少尉殿、落ち着いてください!
ロージーにからかわれているのが、分からないのですか?」
「えっ、そうなの!?」
ここでロージーは我慢ができず、腹を抱えて笑い出した。
「ごっ、ごめんなさい!
ま、まさか、こんな古い手に引っかかる人がいるなんて――」
彼女はそう言い訳するのがやっとだった。
騙されたと気づいて真っ赤になるエイナに、ロージーは涙を拭いながら何度も謝った。
ようやく笑いの発作が収まったところで、彼女は訪問の目的を明かした。
「エイナ・フローリー少尉以下第四小隊は、本日〇九二〇に大会議室に出頭してください。
――それをお伝えにきました」
「その時間って、幹部将校会議の最中ですよね?」
「そうです。アスカ将軍以下のお歴々が列席されていますから、くれぐれも失礼のないようにお願いします」
エイナは訳が分からなかった。
「どっ、どうして小隊全員が呼ばれるのですか?」
「さぁ、私は単なる伝令ですから、詳細は分かりかねます。
では、確かにお伝えしましたよ。私は仕事に戻らないといけませんから、これで失礼します」
ロージーはタイトスカートに包まれた、丸いお尻を見せつけるように控室を出ていった。
と思ったら、扉を閉める寸前に、ひょいと顔を出した。
「コンラッド曹長、今度の週末にお食事でもどうかしら?」
だが、曹長の返事はそっけなかった。
「やめてください。俺は女房と子どもを愛しております」
「まぁ、いけず!」
ロージーは顔をしかめて、小さく舌を出してから去っていった。
* *
それから二十分ほどして兵たちが全員集合すると、エイナは会議への出頭の件を伝え、彼らの身だしなみをチェックした。
そして、短い時間で整列の仕方、敬礼のタイミングなど、どたばたと予行演習を行った。
廊下を通るほかの部隊の者たちは、小隊控室から聞こえる号令に、何事だと訝しんだことだろう。
あっという間に指定の時間を迎え、小隊は会議室の扉を叩いて中に入った。
長大なテーブルには、大隊長以上の高官がずらりと並び、奥の正面には、銀色の甲冑に身を包んだアスカの姿があった。
エイナは背後に兵たちを整列させ、敬礼をして出頭の申告を行った。
エイナたちの大隊長であるケルヒャ中佐が先に立って小隊を率い、一番奥に座るアスカの横に並ばせた。
中佐が席に戻ると、アスカが立ち上がって口を開いた。
「先ほど報告があったとおりである。
エイナ・フローリー少尉以下、第一野戦大隊第三中隊第四小隊の将兵は、警戒任務中に発見した敵の威力偵察部隊の捕縛に成功した。
敵勢力は監視所の破壊と当番兵の殺害、さらには一般集落の焼き討ちを計画しており、その被害を未然に防止した功績は大である。
よって、第四軍を統括する私の名において、当該部隊に対して感状を授与する。
フローリー少尉、前へ」
「はっ!」
エイナは一歩前に出て、直立不動の姿勢から敬礼を行った。
アスカは答礼を返すと感状を読み上げ、エイナに手渡し、右手を差し出した。
エイナは慌てて感状を脇に挟み、その手を握った。
「新設の小隊でありながら、見事な活躍であった。
今後も任務に励んでほしい」
アスカの大きな手が、エイナの手をすっぽり包み込み、力強く振られる。
同時に、居並ぶ将官・佐官たちが一斉に立ち上がって、盛大な拍手が沸き起こった。
すぐに幹部たちは着席し、一人立ったままのケルヒャ中佐が指示を与えた。
「第四小隊は下がってよろしい」
エイナたちは緊張しながら会議室を行進し、扉の手前で回れ右をして、再び敬礼してから廊下に出た。
分厚い扉が、警備の兵によって閉められると、彼女と部下たちは、一斉に溜息を洩らした。
まだ顔が紅潮して頬が熱く、心臓の高鳴りが収まらない。
「ご苦労だった」
いきなり声がかけられ、エイナは飛び上がらんばかりに驚いた。
いつの間にか、ミラン中隊長が待ち受けていたのだ。
「コンラッドは兵を連れて、小隊控室に戻ってよろしい。
エイナは私の部屋に来い。話がある」
彼女たちはたった今、幹部将校たちの間で華々しく表彰されたのである。
直接の上司である中隊長も、誇りに思っているはずだった。
それなのに中隊長の表情は、何故か厳しいものだった。
エイナの脳裏に嫌な予感がよぎったのも、無理からぬことであった。