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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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二十 蒼龍帝シド

 アスカの言ったとおり、エイナとシルヴィアは、翌日目の回るような忙しさを味わうことになった。

 アスカ家の客用寝室に通された二人は、疲れ切って泥のように眠ったが、それはわずか二時間ほどに過ぎなかった。


 彼女たちは夜明けとともにエマに起こされた。

(アスカ家の家令を務めていたエマは、高齢のため数年前に仕事を引退していたが、そのまま家族として一家とともに暮らしていた。)


 エマは二人の娘にシャワーを浴びさせ、取りあえず下着だけは替えさせた。

 彼女たちは何も荷物を持っていなかったので、しょっちゅう泊まりに来るフェイのために用意している新品の下着を使わせてくれた。

 汗臭い軍服を再び着るのは気が進まなかったが、文句は言っていられない。

 あり合わせの朝食を詰め込むと、アスカに引きずられるように蒼城へと連れていかれた。


 彼女たちが登城したのはまだ朝の七時ころだったが、城の内外は兵たちが忙しく走り回っていた。

 人数が揃った部隊から城を出発していくといった感じで、すれ違う兵士たちの顔は緊張で強張っているように見えた。

 深夜のうちにゴードンが事件の第一報をもたらしたことで、第四軍は非常警戒態勢に入っていたのだ。


 アスカは慌ただしく城を出て行く部隊には目もくれず、エイナとシルヴィアを従えて城の奥深くへと入っていった。

 彼女たちが連れ込まれたのは、かなり大きな部屋だった。何かの式典か謁見に使われるような広間で、場違いに思える質素な長机と椅子が運び込まれていた。

 そこには第四軍の高官らしき将校が数人席についている。

 アスカは二人を下座の席の前に立たせると、自分は離れた上座の席へと向かった。


 エイナたちに対面する形で、上座の一番奥に着席していたのは小柄な人物だった。

 二人の少女は、それが蒼龍帝に就任したばかりのシド・ミュランであるとすぐに気づいた。

 彼女たちより二年上の先輩であるから当然である。


      *       *


 エイナは召喚士科の上級生徒とあまり交流がなかったが、そんな彼女にとってもシドの名前と特異な容姿は強く印象付けられていた。

 〝王立魔導院始まって以来の天才〟というのが、彼の定冠詞であった。

 こうした称号はあまりあてにならないものだ。実際、先代の首席参謀副総長のアリストアも、魔導院在学中はそのように呼ばれていた。


 ただ、アリストアの場合は称賛としてそう言われていたが、シドの場合は少し意味合いが違っていた。

 生徒たちだけではなく教師陣も含めて、どこか恐れと嫌悪の入り混じった目で彼を見ていたのである。

 その証拠に、決して表立って口にされなかったが、陰でシドは〝悪魔〟という渾名を付けられていた。


 そんな彼が、二年前に蒼龍を召喚した時、魔導院の関係者は驚きをもってその事実を受け容れなければならなかった。

 四帝の一角に就任するのはその学年の最優秀者、というこれまでの実績からすれば、シドが選ばれたことは異例だったからだ。

 確かに彼は学業では群を抜いていたが、軍事教練では十二年間、学年で最低の成績を記録し続けていたのである。


 四帝は地方行政の長である以前に、一個軍の最高司令官である。

 もちろん、四帝が一般兵に混じって直接戦闘に身を投じることはないが、軍人の最高位に就く者が剣も振るえないようでは、部下の尊敬や信頼は得られない。

 ただ、この点でシドを責めるのは気の毒と言わざるを得ない。彼が武芸で劣っていたのには、それなりの理由があったからだ。


 シドは魔導院に入った六歳の当時から身体が小さく、非力で病気がちだった。それは成長して卒業を迎えるころには一層顕著な特徴となっていた。

 卒業をした十八歳の時でも、その身長はようやく百五十センチを超したほどで、平均的な女性よりも小柄だった。

 体力も筋力も並の女性以下であったから、武術や体術で好成績を取るなどはなから無理な話であった。


 そんなシドが蒼龍帝に選ばれたことで、第四軍の将兵たちも動揺を隠せなかった。

 何しろ先代の蒼龍帝フロイアは、女性ながら百八十センチを超す長身で、武威を轟かせていた(特に体術、とりわけ関節技では王国に並ぶ者がいないと言われていた)。

 本人も度を越した稽古好きで、その相手を務められるのは、第四軍でも無限の体力を誇るアスカ以外にはいなかったほどである。


 フロイアによる二十数年の治世で、四軍の中でも弱兵と後ろ指をさされていた第四軍は、すっかり精強な軍に生まれ変わっていた。

 それだけに、一見すると子どものようなシドを、軍ばかりか市民までもが複雑な気持ちで迎えることになった。


 蒼龍帝の就任式は、蒼城市外の演習場で執り行われた。

 軍務に当たっている当番兵はもちろん、訓練期間・休暇期間の者たちまでも、全員が集められたため、市内の蒼城では入りきれなかったのだ。

 これに、新帝を一目見ようという市民も大勢押しかけたため、その日の観衆は三万人を超したと言われている。


 広大な演習場に設けられた演台に登壇したシドは、コバルトブルーにメッキされた特注の鎧で身を固めていたが、堂々とした体躯のフロイア帝を見馴れていた観衆にとっては、ひどく頼りない存在に見えた。


「諸君の不安はもっともである」

 シドの第一声は淡々としたものであった。

 小柄な体躯の割には、彼の声は低く落ち着いていた。ただし声量には乏しく、遠巻きにしている市民に届く言葉は、木魂エコーの精霊を従える二級召喚士によって拡声されたものだった。


「見てのとおり私は矮小な体躯に生まれついたが、それを恨んだことはただの一度もない。

 努力をしてもどうにもならぬことを、くよくよと思い悩むのは愚か者の所業、時間の無駄である。

 第四軍は、先帝フロイア殿の尽力で他軍にひけを取らぬ強兵となった。この一軍を率いるのは、武において向かうところ敵なしと謳われるアスカ・ノートン大将である。

 今さら私の剣を加えたとて、蚊の一匹ほどの力にもならぬだろう。

 したがって、私は自分の非力をいささかも憂いてはいない」


 蒼龍帝は言葉を切って、将兵たちの顔を見渡した。

 一言も聞き逃すまいとしている彼らの表情を確認すると、シドは少し声を張り上げた。


「ならば、蒼龍帝としての私の役目は何だ?」

 彼は再び周囲を睥睨へいげいすると、にやりと笑って自分の頭を指さした。


「ここだ。

 私は体躯の面では神に見放されて生まれたが、その分、英知に恵まれた。

 私が魔導院で級友から〝悪魔〟と陰口を叩かれ、恩師たちが気味の悪い目で見ていたことを、私はむしろ誇りに思っている。

 悪魔と称された頭脳を、この蒼城市と第四軍管区のために思う存分に使えるからである!」


 シドの声はますます大きくなっていった。

「諸君も知ってのとおり、蒼城市は四古都の中でもっとも若い。

 この管区自体、辺境は言うに及ばず、すべてがこの百五十年以内の開拓地である。

 開拓民の生活は苦しく、貧しい。だが、諸君の父祖はその苦難を乗り越えてきた。

 そろそろ繫栄という果実を手に入れる季節が訪れてもよいころだとは思わないか?」


 将兵たちは互いの顔を見合わせ、とまどった表情を浮かべた。およそ新帝の就任訓示は、尚武や規律を説くものと決まっていたからだ。

 逆に市民たちの目には、彼が次に何を言い出すのだろうという、明らかな興味の色が浮かんでいだ。


「約束しよう。私の治世で、この東北・辺境部に冨と繁栄をもたらすことを!

 そのためには旧弊を打破し、あらゆる改革を恐れない。

 諸君らが戸惑うこともあるだろうが、私を信じて従ってほしい。

 三年以内には、諸君らは必ずその成果の一端を目にすることになるだろう!」

 精霊の能力で広大な演習場の隅々にまで、蒼龍帝の声が朗々と響き渡った。

 そして、その言葉は驚きをもって地方の民衆にまで伝わっていったのである。


 ――この型破りな就任演説から二年が経ち、すでにさまざまな変化が起きていた。


 シドはまず、蒼城市北方のマルコ港近くの川沿いに、大規模な工業団地を誘致した。

 織物工場が何棟も建てられ、そこにはケルトニアという先進国から輸入された最新の織機が設置されたのである。

 地方政府にそのような財力はないため、土地の無償提供、補助金の投入、辺境産の綿と絹の取引を独占させることを条件に、大商人が莫大な投資資金を工面した。

 その際に手を組んだのは、国内随一の豪商であるボルゾフ家ではなく、二番手の地位に甘んじていたファン・パッセル家であった。


 マルコ港は九年前の帝国軍による黒城市侵攻以来、国家事業として拡幅整備が続けられていたから、この工業団地がケルトニアへの輸出を念頭に置いていることは明らかだった。

 工場ではボルゾ川から水を引いて水車を動かし、大量生産に向く大型の動力織機と、多品種に対応できる足踏式織機を組み合わせた織物生産が行われた。

 これに伴い五百人もの従業員が募集され、その大半が女性であったことは、大きな衝撃をもたらした。


 この時代、女性の職業は非常に限られていた。店員やメイドはいい方で、大半はきつい下働きや性を売り物にした商売しか選択肢がなく、しかも給料は男性の半分以下というのが常識だった。

 それが職工として正規雇用され、男性にひけを取らない高給が約束され、新築の女性寮まで提供されると喧伝されたのである。

 これに対し、蒼城市のような都市部はもちろん、農村部からも大量の希望者が殺到し、大変な倍率となった。


 人が集まれば、それを目当てに次々と商店が進出するのは当然である。女工に応募したのは独身女性だけではなく、子持ちの者も多かったことから、目ざとい教会が学校を建てた。

 工業団地の周辺には新築の建物が続々と出現し、需要に応じて各地から大工職人や鍛冶屋が集まり、材木商の支店ができた。

 わずか二年で、新市街は元からあったマルコの港町と合併し、人口数千人を超す新しい市が誕生したのである。


 労働力の受け皿ができ、物流が刺激されて景気が良くなったのは当然である。

 物資の供給基地となった蒼城市もその恩恵を十分に受けた。

 織物の原材料となる綿や絹は、辺境の特産物であったから、好景気は広大な辺境部にまで及んだ。


 さらに蒼龍帝はレテイシア女王を説得し、辺境開拓村の年貢割合の切り下げを断行した。

 国庫に入る農産物は一時的に減少するが、余剰資金と生産意欲を得た農民たちは、よりよい収入を求めて作付けを増やし、開拓を促進させた。

 好景気で投資先を探していた商人たちは、積極的に辺境開拓に資金を投入したため、この動きは急激に拡大していった。

 すでにこの二年で、辺境から上がる収入は減税分に追いつき、近いうちに増収に転じることが確実視されていた。


 こうした目に見える成果を実際に目のあたりにした市民や農民は、蒼龍帝への評価を一変させた。

 一方、シドは軍を無視したわけではなく、アスカを責任者として北の帝国に対する要塞線(ケルトニアから導入した縦深塹壕)の構築に取り組ませた。

 新たに配備された魔導士の存在を重視し、ゴードンらに命じて戦術の開発・訓練にも力を入れていた。


      *       *


「お、お久しぶりです。蒼龍帝閣下」

 シルヴィアが少し戸惑いながら、膝を折って正式な礼を取った。エイナも慌てて彼女に倣う。

 改めて見ると、シドは魔導院での印象よりも、ずっと老けたように見えた。

 彼はまだ二十歳のはずであるから、〝老けた〟という表現はおかしいのだが、そうとしか見えなかったのだ。

 小柄な体躯に青白い顔、銀に近い薄い金髪が目を隠すように被さっていたが、そこから覗く青い瞳は冷たい輝きを放っている。


「ああ、シルヴィアか。話はゴードンから聞いたが、災難だったね。

 エイナも無事に蒼城市まで逃げてきたとは、大したものだ。

 君たちが保護されたことは、マリウス殿のもとへ一報を入れておいた。

 恐らく、午後の早い時間には迎えが来ることだろう。参謀本部に可愛い後輩をさらわれるまで、あと数時間しかない。

 したがって旧交を温めている暇はないのだ。済まないが、もう一度事の次第を詳しく話してくれないだろうか?」


 少年のような身体から、意外に低い声が発せられる。その声音からは、何とも言い難い威厳と迫力が伝わってきた。


「はい。承知しました」

 エイナは立ったまま、アスカ邸で行った説明をもう一度繰り返した。

 二度目となるので、最初の時には忘れていた細かな出来事も洩らさなかったし、落ち着いて順序だった話ができた気がする。

 それでも、闇の通路に潜ってからのことは、エイナの主観による極めて感覚的であいまいな説明になってしまう。

 それは彼女にはどうにもできないことだった。


 だが、蒼龍帝は一言も口を挟まずに、じっとエイナの話に聞き入っていた。

 その目は彼女を真正面から見据えており、一度も視線を外すことを許さなかった。

 長い話が終わると、その場に同席していた軍の幹部将校には、明らかな疑念の表情が浮かんでいた。

 ただ、彼らは何も言わずに蒼龍帝の言葉を待っていた。


「なるほど、実に興味深い話だ。

 君は暗闇があれば、昨夜と同じことが出来るのかな?」


 エイナは首を振って、アスカ邸で再現に失敗したことを説明した。

 蒼龍帝はアスカに視線を送り、その表情からエイナの話の裏を取った。


「うん、恐らく本当に切羽詰まった状況でなければ使えない能力なのだろうね。

 だが、いずれそれが開花する可能性は否定できない。

 その辺は参謀本部が徹底的に調査するはずだ。まぁ、覚悟しておくことだね」

 シドは唇をわずかに歪めて薄笑いを浮かべた。


「ところで、エイナは辺境の生まれだそうだね?

 今度は君の生い立ちについて聞かせてもらいたい。

 お父上が亡くなられ、母上が行方不明だということは聞いている。君にとっては辛い話だろうが……構わないかね?」


 何故、蒼龍帝が自分の身の上話を聞きたがるのか不思議だったが、エイナとしては拒むようなことではない。

 エイナは自分の幼いころの記憶をたどって、できるだけ覚えていることを話した。

 今度は、話の途中でシドが質問を何度も挟んできた。それも、両親に関わることばかりであった。

 エイナは戸惑いながら、出来る範囲で答えたが、なぜ蒼龍帝が自分の両親について執拗に訊ねてくるのか、不思議でならなかった。


      *       *


 蒼龍帝の謁見――というよりも尋問は、すでに三時間に及んでいた。

 さすがにエイナは話し疲れ、声が枯れてきた。

 アスカが訴えるような目で蒼龍帝の方を見ると、シドはうなずいて話を止めた。

 彼は背後に控える副官の女性に、低い声で何事かをささやいた。


「少し休憩しよう。今、お茶と菓子を運ばせるよう命じた。

 君たちも椅子にかけたまえ」


 その言葉に、二人の少女はホッとしたように腰を下ろした。

 ずっと立ちっ放しだったので、座る瞬間に膝が強張ってひどく痛んだ。

 ほどなく城付きのメイドたちがワゴンに乗せた茶器を運び込み、配膳を始めた。


 その一方で、若い士官が立て続けに入ってきて、蒼龍帝にささやきながら、何かを手渡した。

 シドは小さなメモのようなものをちらりと眺め、小さくため息をついた。


「たった今、白城市から君たちが帝国の工作員に拉致されたという一報が届いたよ。

 それともう一つ、素敵なお報せだ」


 蒼龍帝は二人の少女の方に向けて、小さく笑ってみせた。

「ゴードンの捜索隊が、君たちが監禁されていた小屋を発見したそうだ。

 しかも、帝国の工作員と見られる七名の男の死体付きだ。全員、首を刎ねられていたそうだよ。

 ひょっとして、君たちの仕業かね?」


 エイナとシルヴィアは、青ざめた顔でぶんぶんと首を横に振った。


「まぁ……そうだろうね。

 よかったね、これでもう賊に怯えることもないわけだ」


 だだっ広い部屋に、シドの抑えた、そして冷めた笑い声が響いていた。

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