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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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七 巡回

「いいか、貴様ら!

 これから俺と少尉殿の立ち合いを行う。いわば模範試合だ。

 まっとうな稽古がどういうものか、目ん玉見開いて、よぉく見ておけ!」


 コンラッドが野太い声で、新兵たちに気合をかける。

 エイナは曹長からの申し出にまだ答えていなかったが、こうなると断ることは不可能だった。


『兵たちの手前、あまりみっともない試合は見せられないな』

 エイナは心の中で溜息をしつつ、木刀を握って曹長と対峙する。


「では、お願いいたします」

 コンラッドはそう言って礼をすると、無造作に構えを取った。

 エイナも礼を返して構える。


 さすがに曹長は、新兵たちと構えからして違う。

 どっしりと腰が据わっており、上半身に無駄な力が入っていない。

 曹長は剣先を合わせ、しばらく様子を窺っていたが、エイナに隙がないと見るや、大胆に踏み込んできた。


 その間合いの詰め方に、微塵の恐れも躊躇もない。

 彼の木刀が小さな弧を描いて襲ってきた。

 脇が締まったいい攻撃だった。


 エイナはその剣を受け流したが、手首に痺れるような衝撃を感じた。

 曹長の腕の力は剣を引き付け、できるだけ回転半径を小さくして、剣先の速度を上げることに注がれている。

 だが、その一撃にはしっかりと体重が乗っており、まともに受け止めていたら軽いエイナは弾き飛ばされていただろう。


 エイナは目がよく、反応速度が優れている。

 受ける瞬間、わずかに角度をずらし、相手の勢いを横に逃した。

 そのまま剣を滑らせて、曹長の籠手を狙う。


 するすると延びたエイナの剣先だったが、それよりも速くコンラッドの木剣は戻っていた。

 剣の根元でエイナの剣先を払い、前のめりに姿勢を崩すのを誘ってきた。

 エイナもそれが罠だと分かっていた。

 左足を大きく前に出して踏ん張ると、剣を引きながら横に薙いだ。


 もし曹長の方も踏み込んでいたら、エイナの剣の方が早く当たっていただろう。

 だが、コンラッドは打ってこなかった。

 二人は互いに飛び下がり、再び間合いを取った。


 見物している新兵たちは、目を見開いてぽかんとしていた。

 小隊長と曹長が打ち合ったのは見えたが、あまりに目まぐるしく剣が動くので、何が起きたのかさっぱり分からなかったのだ。

 分かったのは、二人とも〝凄い〟ということだけだった。


 その後も二人の打ち合いは続いた。

 互いに攻撃を繰り出しながら、罠を掛け合い、誘い合う。

 木剣が唸りをあげて空気を切り裂き、蛇のような突きが潜り込んでくる。


 状況が打開できない時間が続き、次第にエイナの息が上がってきた。

 彼女は一人で六人の兵を相手にしたばかりだ。

 もともと体力のありそうな曹長は、まだまだ余裕たっぷりである。


 エイナは覚悟を決めると、いきなり姿勢を下げ、肩から突っ込んだ。

 相手の剣が打ち下ろされるのは、覚悟の上である。

 間合いが急に詰まれば、力の入りづらい根元が当たるから、打たれても致命傷とはなりにくい。

 彼女は裂帛れっぱくの気合とともに、身体をぶつけるような突きを放った。


 しかし、防御を捨てたエイナの身体に、コンラッドの剣は振り下ろされなかった。

 その代わり、身体を横向きに捻って、体当たりをぎりぎりでかわす。


 目標を失ったエイナは、一瞬の判断で地を蹴った。

 ここで踏み止まれば、今度こそ相手の思う壺である。

 彼女は顔面から地面に飛び込み、曹長の後方で一回転をして起き上がった。

 素早く向き直り、剣を構えて攻撃に備える。


 彼女はもう、完全に肩で息をしていた。

 このまま打ち合いを続ければ、体力が持ちそうになかった。


 しかし、ここで意外なことが起きた。

 コンラッド曹長がすっと剣を引いたのだ。


「お手合わせいただき、ありがとうございました。少尉殿」

 彼はそう言って、頭を下げた。

 エイナは訳が分からぬまま、慌てて剣を引いて礼を返す。


 曹長は振り返ると、新兵たちの顔を睨みまわした。

「貴様ら、今の試合を何と見た? 言ってみろ!」


 間近で怒鳴りつけられた兵たちは、震え上がった。

「す、凄かったであります!」

「自分は、速過ぎてよく分かりませんでした!」

「お二人とも防具を着けていないので、見ている方が恐ろしかったです!」

「今のは、どちらが勝ったのでありましょうか?」


 あまりまともな答えは返ってこない。

「俺と少尉殿、そして貴様らとの違いは何だと思う?

 ケヴィン、答えろ!」

「はっ、技術が違うと思いました!」


「ふん……いいか? 剣の技術なんてのはな、二、三年も訓練を続けていれば、自然に身につくもんだ。

 俺が言っているのは、そんなことじゃねえ!

 お前ら全員、十八歳だろう? 少尉殿だって十九歳で、しかもか弱い女の身だ。

 なのに、何故こんなにも強さが違う?

 それはな、少尉殿と貴様らでは〝覚悟〟が全然違うからだ!」


「曹長殿、それはどのような覚悟でありましょうか?」

 ケヴィンの質問に答える代わりに、コンラッドはエイナの方へ顔を向けた。


「少尉殿は敵を〝殺した〟ことがおありでしょうか?」


 不意を喰ったエイナは、釣られたように答える。

「えとあの、あります――いや、ある。

 もっとも剣ではなく、魔法でだ」


 コンラッドは予想した答えに大きくうなずき、再び新兵の方を振り返った。

「いいか! 覚悟とは、敵を殺す覚悟である。同時に、自分が殺される覚悟だ!

 いくら技術が優れていようとも、その覚悟がない者は、必死の素人に倒される。

 それが戦場というものだ! よぉく覚えておけ!!」


      *       *


 その後は、新兵同士の打ち込み稽古が始まった。

 曹長が彼らの指導をしたが、十分ほど休憩を取ったエイナも後から加わった。

 彼らはまだ基本がしっかりしていないので、高度な技は教えられない。

 それよりも、おざなりになっている防御を鍛える方が先だった。


 エイナは新兵たちの手足を取り、相手の攻撃の圧力を逃がす方法を丁寧に指導した。

 それは手先だけの技術ではなく、〝結局のところ体捌きなのだ〟としつこく説明し、体重移動と足運びを何度も繰り返させた。

 若い女性であるエイナが、息がかかるほど身体を密着させ、胸の膨らみが潰れても気にしないので、新兵たちは思わず顔を赤くして、鼻息が荒くなる。

 彼女はそうした男たちの反応に気づきながら、完全に無視していた。

 軍事教練で女を気にしていたら、「貴様、戦場で死にたいか!」と教官の罵声を浴び、平手打ちを喰らっていただろう。


 一方、曹長の指導は、まさに軍隊の伝統であった。

 一度言って分からなければ、罵倒とともに蹴りが飛ぶ。それでも駄目なら鉄拳制裁である。

 新兵たちは、軍における〝鬼の下士官〟の恐ろしさを実感していた。


 彼らはエイナに対し『早く指導を替わってください!』と涙目で訴えてきたが、エイナは助け舟を出さなかった。

『ここは曹長に〝憎まれ役〟をやってもらおう』


 彼女はそこまで甘くはなかったのだ。


      *       *


 翌日、定時の三十分前に集合した第四小隊は、昼間巡回任務に出発した。

 全員が馬に騎乗して蒼城市を出発し、いったんボルゾ川まで北上してから、川沿いに東に延びる道を、隊列を組んで進むのだ。

 この街道には、ほぼ五キロおきに監視所が設置されている。


 監視所は小さな丸太小屋と、高さ三~五メールのやぐらがセットになっている。

 ここに三名の兵と馬一頭が配置され、二十四時間交代で櫓の上から川を渡る不審者を監視するのである。

 もし、何らかの異常を発見した場合、伝書鳩を放して蒼城市に急を伝えるとともに、一人が早馬で最寄りの駐屯所に駆け込む手筈となっている。


 したがって、エイナたちの部隊が巡回するといっても、情報の確認よりも居住環境の援助が主となる。

 食糧などの基本的な物資は、定期的に輜重隊が輸送するが、医薬品など急に不足する物が必ず出てくる。

 巡回する部隊はこれらの要望を集め、次の部隊がその補充を行うのである。


 第四小隊は新設の部隊であるため、今回は顔つなぎという面もある。

 指揮官であるエイナが若い女性であることもあって、どの監視所も小隊を歓迎し、話に花が咲いた。

 そのため、巡回のペースは緩やかなものとなった。


 昼を過ぎたところで、道案内役のコンラッド曹長は、街道から細い脇道へと馬を向かわせた。

「この先、五キロほどのところに最初の巡回地、ヨイド村があります。

 そこで馬を休ませ、兵たちにも昼食を摂らせましょう」

 曹長は馬上で振り返り、エイナに対してそう提案した。もちろん彼女に異論はない。


 ヨイド村には、一時間弱で着いた。

 辺境まではまだかなりの距離がある所だが、百年以上前には、ここが開拓の最前線であった。

 村を囲う、しっかりとした土塁がそれを物語っていた。


 もっとも、村の入口に見張りの姿はなく、曹長はそのまま馬を進めていった。

 すぐに村人が集まってきて、第四小隊の面々から馬を受け取り、厩へと連れていく。

 エイナと曹長は、村の中央にある役屋に案内され、肝煎(村長)の出迎えを受けた。

 兵たちは役屋の軒下で思い思いに休憩し、朝に支給された糧食を口にした。


 内容は黒パンとバター、あとは塩蔵肉の塊りをナイフで何枚か切れば、それで終わりであった。

 村のおかみさん連中が、水と木の椀に入った温かいスープ、そして野菜の煮物を提供し、兵たちを喜ばせた。

 エイナとコンラッドには、もっと上等の昼食が用意された。


 エイナは肝煎に感謝をして、食事を摂りながら村の近況を聞き取った。

 これといった不審者の情報はなく、話題はすぐに日常のことに移った。

 第四軍管内の好景気は、この小さな村にも影響を及ぼしているようであった。


 農産物が高く売れるのはよいのだが、全般的に物価が上がっているので、肥料の仕入れに使う現金が足りなくて困っているらしい。

 そのため若い娘たちが、マルコ港の縫製団地に働きに出る事例が増えているそうだ。


 娘たちは村では得られない高い給与を貰い、蒼城市に次ぐ域内第二の都市となったマルコで、刺激的な暮らしを満喫できる。

 親の方も、娘からの仕送りで貴重な現金収入が得られるから、むしろ積極的に送り出しているのだ。


 ところが、村の若い男たちは、これに強い不満を持っていた。

 簡単に言えば、嫁不足である。

 好景気によって、村では労働力がいくらあっても足りない。男子は娘たちと違って、簡単には村を出られないのだ。


 愚痴に近い肝煎の話だったが、エイナは丹念にメモを取っていた。

 巡回においては、帝国工作員の情報だけでなく、民情をできるだけ汲み取って報告するよう、中隊長から言われていたのである。


「ご懸念は必ず上に伝えます。

 蒼龍帝閣下は、民の声に耳を傾けられるお方です。必ずや、何らかの手が打たれましょう」

 エイナはそう言って、年配の肝煎を慰めた。


「そうですな。前のフロイア様もご立派な方でしたが、シド様の代になって何もかもが上向いてきました。

 あのお方なら、どうにかしてくださいますでしょうな」


 肝煎は立ち上がって、エイナたちと握手を交わした。

 食後のお茶を誘われたが、彼女たちはそれを固辞して馬の様子を見にいった。


 馬たちは馬房に繋がれ、飼葉桶に顔を突っ込んで、のんびりと咀嚼を繰り返していた。

 村の女たちがブラシで身体を擦ってくれるのが気持ちよいらしく、時々顔を上げては歯を剥き出しにして喜んでいる。


「ごくろうさまです」

 エイナが声をかけると、女たちは顔を上げて笑顔を向ける。


「ああ、ちょうどよかったです。

 隊長さん、軍票に記入をお願いできますか?」

 女の一人がエプロンのポケットから軍票の束を出して、エイナに手渡した。

「今回は干し草が四束と、ふすま(・・・)が一袋です。人馴れしていて、いい馬ですね」


 エイナは受け取った軍票に、言われた飼料の数量を書き込もうとした。

 すると、側についていた曹長が、こっそり彼女の袖を引っ張った。


「?」

 エイナがげんな表情を向けると、コンラッドは黙って手に何かを握らせてきた。

 それは折りたたんだ小さな紙片だった。

 開いてみると、『干し草八、ふすま二でサインをしてください』と走り書きがしてあった。


 エイナはその紙片を握り潰すと、メモのとおりの数字を記入し、サインをした。

 軍票は部隊の責任者が、すべて自筆で記入する決まりである。

 これを最寄りの軍施設に持っていけば、村にとって貴重な現金に換えられるのだ。


「まぁ、こんなに!」

 軍票を受け取った女は、満面の笑みを浮かべて叫ぶ。


 すかさずコンラッドが、如才ない笑顔で返す。

「我々は今日が初任務でしてね。そのあいさつ代わりと思ってください。

 兵たちに温かいものを馳走してくれたようで、村の皆さんには感謝しております。

 どうか、これからもよろしく頼みます」

「あらやだ、そうだったんですか! どうりで初めて見る――って言うか、女の隊長さんって、あたしゃ初めてですよ。

 こんな可愛らしいお嬢さんが隊長さんだなんて、曹長さんも鼻が高いでしょう?」


「いやいや、まったく! 寿命が延びる思いですよ。

 ただ、うちの新兵どもには目の毒で、困ったもんです」

「まぁ! だったらいつでもあたしに言ってちょうだい。

 太陽が黄色く見えるまで、面倒見てあげるわよ!」

 たちまち周囲の女たちが、ぎゃはははと下品な笑いを爆発させる。


 エイナは引きった笑いを浮かべ、厩を後にした。

 十分に離れたと思われる場所で、エイナは曹長に問い質した。


「さっきのあれ(・・)はどういうことですか!?

 軍票に虚偽を書き入れるのは、明らかな軍法違反です!」

「少尉殿、言葉遣い!」


「私の質問に答えなさい!」

 血相を変えるエイナに、コンラッドはやれやれという溜息を洩らした。


「よいですか、興奮せずに聞いてください。

 巡回で馬の世話を各村に頼むのは、一種のえきでありますが、当然必要経費が払われます。

 しかし、その算定基準は数年前に設定されたもので、物価が上がっている現在とは乖離しております」

「そ、それは確かに……」


「しかも、経費はあくまで飼葉などの実費しか見ていません。

 実際に世話をする人件費は、役務と見做されて無報酬なんです。

 いくら決まりとはいえ、人が喜んで動きますか?」

「むぅ……」


「ですから、こうした場合、実際の数量の五割増し程度にするのが習慣なのです。

 そうすれば、訪れた村々は我々を歓迎し、協力的になります。

 少尉殿も見られたでしょう? 新兵たちに温かいスープが振舞われていたのを」

「……」


「民衆を味方に付けなければ、我々の仕事は成り立たないのです。

 こうすることで、帝国工作員の情報を収集するという、本来の目的が達成されるのならば安いものです。

 もちろん、会計監査の連中もそうした事情を知っていますから、これが問題にされることはありません」

「……了解だ。

 曹長の言うことは、理にかなっている……と思う」


「分かっていただけて嬉しいです。

 少尉殿は辺境の出身ですよね? やはり理解が早い」

「納得しない将校もいるというのか?」


「そうですね。

 特に、貴族の家柄だったりすると、恐ろしく頭が固いので難儀しますな」


 エイナの頭に、ふとシルヴィアの顔が浮かんだ。

 もし、彼女が自分の立場だったら、間違いなく曹長とひと悶着を起こしていたに違いないだろう。

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