六 立ち合い
使いから戻った第四小隊の兵卒たちには、コンラッド曹長から練兵場への集合が申し渡された。
新兵たちは「やれやれ訓練か」と言いたげな顔で、ぞろぞろと曹長の後についていく。
練兵場は城内にもあるが、月曜日ということもあって訓練を行う部隊が多く、城壁外にある広大な野外練兵場に移動することになった。
更地の練兵場では、すでにあちこちで訓練が開始されていた。
新兵たちは備品倉庫から訓練用の装備を持ち出し、エイナが待っている一画へと集合した。
彼らは軍服の上から革の鎧と手甲に脚絆、そして革兜を着装していた。
得物の選択は各自に任せたが、訓練用の槍を持ったのが三人、木刀を手にする者が三人と、きれいに分かれた。
曹長が整列している新兵たちの装備を一人ひとり点検し、紐を結び直させたり、姿勢を正したりして回る。
ひと通り準備が整うと、エイナは彼らの前に立って訓示を始めた。
「諸君は軍学校での訓練を終え、晴れて栄光ある第一野戦大隊の一員となった。
我が第四小隊には、昼間の巡回任務が課せられており、それは明日から実施される。
本日はその準備に当てられる。各自コンラッド曹長の指示に従い、手順をよく覚えるように。
さて、それに先立ち、午前中はちょっとした訓練を行う。
私と諸君とは、今日が初顔合わせということになる」
エイナは言葉を切って、新兵たちの表情を一人ずつ確認した。
「諸君の顔には、隠しようのない不安が浮かんでいる。
小隊の人数が定員を割っていることもあろうが、それ以上に私という指揮官が、自分たちと歳の変わらぬ女だということが、大きな要因だろう。
それに関して責めることはしない。
だが、私がこの小隊を任されたことには、それなりの理由がある。
諸君はこの先、身をもってそれを実感していくことになるだろう」
彼女は訓示を与えながら、少し面はゆい思いであった。
偉そうなことを言いながら、新兵以上に自分が不安だったのだ。
それを諭してくれたのは、先任下士官であった。今の言葉は、その請け売りである。
彼女は顔を上げ、きっと兵卒たちを睨みつけた。
「まずは、諸君の実力を見せてもらおう。
全員の相手を私が務める。指名された者は前に出て、改めて名前と出身地を申告せよ。
それ以外の者は見学。よいな!」
エイナは槍を手にしている新兵を名指しした。
「ウィリアム! 最初はお前だ」
曹長が他の兵たちを後ろに下げた。
エイナも訓練用の槍を手にして、ぴたりと構える。
その前に、列から離れた小柄な男が、おずおずと出てきて立ち向かった。
「ウィリアム・ギネス二等兵であります!」
「出身はどこだ?」
「蒼城市内、下町の金型職人の四男です」
「なぜ軍を志願した?」
「じ、自分は不器用で、親父から職人は無理だと匙を投げられました。
ほかにやりたいこともないので、仕方なく……です」
「よろしい。では、遠慮なくかかってこい」
「あ、あの……小隊長殿」
「何だ?」
「本当にやっても、よろしいのでしょうか?
その……小隊長殿は、防具を着けておられませんが」
エイナは思わず吹き出しそうになった。
「心配するな、全力でこい!」
エイナは魔導院で六年間、軍事教練を受けているし、入隊してからも鍛錬を欠かしたことがない。
シルヴィアには及ばないが、魔法科の中では常に三位以内に入っていた。
半年余りの速成教育を受けただけの素人に、遅れを取るはずがなかった。
ウィリアムは少し困ったような顔をしながら、それでもエイナと対峙して、槍を構えた。
訓練の成果なのか、一応構えだけは様になっていた。
「では、遠慮なく参ります」
彼はそう言うと、気合を発して突きを入れてきた。
それは気合とは裏腹に、まったくぬるい攻撃だった。
腰も入っていなければ、体重も乗っていない。突き自体の速度も遅い。
エイナは彼の槍先をあっさり払うと、大きく踏み込んで逆襲した。
ウィリアムは槍を引き戻すのが間に合わず、無抵抗のままエイナの突きを喰らった。
ちょうど鳩尾のあたりに槍が入り、彼は後方に吹っ飛ばされた。
革鎧をしていなければ、反吐を撒き散らして悶絶してただろう。
「何だ、今の突きは?
軍学校で何を教わってきたのだ、真面目にやらんと怪我をするぞ!」
エイナの叱責に、ウィリアムは呻きながら立ち上がった。
そして、どうにか槍を構え直す。その顔には悔しさが滲んでいる。
彼は新兵の中で一番背が低かったが(それでもエイナより、五、六センチ高い)、負けん気は強そうだった。
今度は無言で突っ込んできた。最初の一撃とは、全然迫力が違い、遠慮もない。
だが、やはり腰が入っていない。腕力だけで槍を振るっても、槍先が伸びないのだ。
エイナは相手の柄を擦るよう槍を潜らせ、右手を支点にして、左手をぐっと押し下げた。
たちまちウィリアムの槍は撥ね上げられる。
エイナはその隙に再び踏み込んだ。ぶんっ! と唸りを上げて槍が地を這い、ウィリアムの脛を払った。
新兵はあっという間に尻餅をつき、慌てて起き上がろうとした時には、喉元にエイナの槍先が突きつけられていた。
エイナは槍を引き、尻を突いたままの彼を上から見下ろした。
「軍学校では、どんな稽古をしていたのだ?」
「はい、木の棒に藁を巻いた的を立て、それをひたすら突くのがほとんどでした」
「対人稽古はしなかったのか?」
「いえ、週に二回くらいは……。ただ、訓練生同士の試合なので、あまり激しいものではありませんでした」
「なるほどな。分かった、もう下がれ。
次! ケヴィン、貴様だ」
「はいっ」
「ケヴィン・バロー二等兵、自分も蒼城市の出身で、親父は野菜の小売をしている商人です。
自分はその五男で、軍に入れられたのは、口減らしのためであります」
「よし、かかってこい!」
ケヴィンはウィリアムほど馬鹿正直に突っ込んでこなかった。
細かい突きを放って、エイナの様子を油断なく窺っている。
エイナは難なくその槍を捌いていたが、相手はなかなか踏み込んでこない。
いや、踏み込めないのだ。
ウィリアムもそうだったが、彼は対人試合の経験に乏しい。
そして、武器に打たれることを恐れていた。そう、新兵たちは戦いに対する覚悟が、圧倒的に欠けているのだ。
それは無理もない。彼らは十八歳になるまで、人と殺し合う術とは無縁に生きてきた、素朴な青年に過ぎなかったのだ。
エイナは心中で溜息をついた。
軍に入った以上、彼らだっていつ実戦に遭遇するか分からない。
その時になって、小便を洩らして泣き喚いても、誰も助けてはくれない。
生き残るためには、自らが傷つくことを恐れてはいけない。人を殺すという覚悟が必要なのだ。
彼女はケヴィンの探るような突きをあしらいつつ、大きく一歩踏み込んで大げさな突きを放った。
素人の彼でも十分に予測がつくよう、無駄な予備動作を織り込んだ一撃だ。
ケヴィンは割と目端が利くようで、反応がいい。エイナの突きを、どうにか躱すことができた。
攻撃をいなされたことで、エイナの態勢が崩れる。
身体が前のめりになり、槍の引き戻しが遅れると同時に、胴体ががら空きになった。
ケヴィンは目ざとくその隙をついて、初めて思い切った攻撃をしかけてきた。
もちろん、それはエイナの罠である。
彼女は胸に向かって突き出された相手の槍をぎりぎりで躱し、脇に抱え込んだ。
そして体重をかけながら、身体を回転させる。
槍を奪われまいとするケヴィンは、引っ張り込まれてたたらを踏んだ。
こうなれば、後は楽である。
エイナは脇から相手の槍を離し、回転する勢いで自分の槍を振り回した。
呆気に取られるケヴィンの視界の外から、エイナの槍が襲ってきた。
固い木でできた柄が、ケヴィンの側頭部を殴り倒し、彼は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
脳震盪を起こしたのだろう。革兜をしていなければ、頭蓋を砕かれて死んでいてもおかしくない。
「次、サミュエル!」
ケヴィンが仲間に引きずっていかれ、槍を持った三番手が指名された。
「サ、サム・パーカー二等兵、辺境のサイジ村出身です」
サムは開拓農家の出身らしく、横幅のあるがっちりとした体形をしていた。
だが、彼は試合が始まる前から、場の雰囲気に呑まれていた。
前の二人が、小柄な若い娘にしか見えない小隊長に、手ひどく叩きのめされたのだから無理もない。
彼の構えは安定せず、手の震えが槍の先にまで伝わり、ぶるぶると動くばかりだった。
エイナは肩をすくめ、槍を地面に突き立て、代わりに木刀を拾った。
「仕方がない。私は剣を使うから、間合いをうまく活かしてみろ」
マグス大佐の口調を真似して威張った言い方をしていると、抵抗がある一方で、どこか楽しくなってくる。
エイナが木刀を構えると、サムの槍先の震えが止まった。
剣と対峙すると間合いが全然違うから、槍は明らかに有利である。
それが自信となったのか、サムは思い切って突いてきた。
それまでの二人と違って、思ったより腰の入った突きであったが、如何せん愚直に過ぎた。
エイナはあっさりと槍の軌道を見切り、木刀で力を横に逸らすと、一直線に飛び込んだ。
遠い間合いは槍に優位となるが、それを詰められてしまうと立場は逆転する。
こうした場合、槍の柄で剣の攻撃を防ぎつつ、何とか距離を取るのが定石なのだが、エイナはそれを許さなかった。
手甲の上から手首をしたたかに打ち据えると、サムは堪らずに槍を取り落とした。
「なかなかいい突きだった。ただ、三人ともそうなのだが、防御が全然なっていない。
やはり対人稽古をもっと増やす必要があるな。
コンラッド曹長、どう思う?」
「同感です」
曹長は上機嫌であった。
エイナが上官としての権威を存分に示したのだ。
「訓練のメニューについては、後で相談いたしましょう。
よぉし、次は剣の組だ。
見てのとおり、少尉殿は手強いぞ。貴様ら、心してかかれ!」
コンラッドに気合をかけられた三人は、木刀を手にしたまま互いの顔を見合わせた。
エイナは不安そうな彼らの様子を無視して、ウォルシュを指名した。
彼は六人の中では一番背が高い。
ただ、顔立ちはいつもにこやかで、いかにも人がよさそうに見えた。
「ウォルシュ・オルコット二等兵です。辺境のクリル村出身、農家の三男です」
「クリル村といえば、親郷だな?
三男なら、分家も望めるだろう。なぜ軍に入った?」
支郷(開拓村)と違い、親郷の農家は自作農がほとんどで、暮らし向きには余裕がある家が多い。
その三男なら、分家させてもらうか、跡取り娘の婿になることが多い。
「はぁ、自分は子どもの頃から勇者に憧れていましたので……」
「勇者というのは、魔王を倒すという、絵本に出てくるあれか?」
「そうです。
さすがに自分が英雄になれるとは思わなくなりましたが、若いうちに国軍の一員として働いてみたいと思ったのです」
「ほう……」
ウォルシュはこれまでの中で、一番まとも――というか、青臭い動機を持っていた。
要するに、彼は恵まれた生まれなのだ。
「よし、こい!」
エイナが気合をかけると、ウォルシュは大上段に振りかぶって打ち込んできた。
上背のある体格を活かした、まっとうな戦法である。
ただ、太刀筋は単純なので、エイナは難なくそれを受け止めた。
さすがに受け太刀にかかる圧力は強い。
だが、槍組と同じで腰が入っていない。上半身(腕力)だけでしゃにむに押してくる感じだった。
エイナがその力を、斜め横にずらして逃がすと、案の定腰が砕けて姿勢が前のめりに崩れる。
すれ違いざまに、がら空きとなった腹に一撃を入れると、ウォルシュは〝ぐふっ!〟と呻いた。
それでも、彼は膝を突かずに剣を構え直した。
もちろん、エイナがその気になれば、その隙に止めを刺せている。
『槍組よりは、打たれることへの恐れが少ないな』
エイナは少し感心していた。武器に槍を選んだ連中は、自分に自信がなくて怖かったのだろう。
それに比べて剣を選んだ組は、ある程度の積極性、勇気があるのかもしれない。
だが、技術的に未熟なことには変わりなかった。
ウォルシュも元気よく打ち込んでくるのだが、相手を崩そうという工夫がまったく見られない。
逆にエイナの受け太刀で、力が逸らされると簡単に姿勢を崩してしまう。
隙だらけになった彼に、木刀を叩き込むのは簡単であった。
何合か打ち合った挙句、防具のない二の腕にエイナの一撃を喰らったウォルシュは、木刀を取り落として降参した。
息が完全に上がっていて、もう動くのも苦しそうだった。
続いて立ち合ったトッドとケニーも、似たような結果となった。
トッドは辺境農家の六男、無口で真面目そうな感じである。
ケニーは中央平野の出身だが、やはり小作農の五男で、大柄で力は強かったが、動きが鈍く注意力が散漫だった。
二人とも簡単にエイナに翻弄され、エイナの木剣を何度も喰らって(エイナはかなり手加減したのだが)降参した。
そして、へたばって座り込んでいる仲間たちの中に加わった。
六人を連続して相手したので、さすがにエイナの息も荒くなっていたが、まだまだ余裕があった。
コンラッド曹長は新兵たちを叩き起こし、エイナの前に整列させると、破れ鐘のような声で気合をかけた。
「いいか、お前ら!
少尉殿がどれだけ強いか、身に染みただろう?
これが正規の訓練を積んだ、将校というものだ。貴様らとは基本が違うのだ!
これから毎週、俺と少尉殿で、鍛え直してやるから覚悟しろ!」
「はっ、曹長殿!」
新兵たちは強張った顔で、背筋を伸ばした。
曹長は満足そうにうなずくと、エイナの方に振り返った。
「さて、少尉殿はお疲れですか?」
「いえ、大丈夫です」
コンラッドの眉がぴくりと上がり、エイナは慌てて言い直す。
「いや、大丈夫だ。このくらいは何ともない」
曹長の顔に笑みが戻った。
「それでこそ、指揮官というものです。
――では、次は自分と立ち合っていただけますか?」