五 指揮官
エイナは唖然とした。
いくら自分がよそ者で、頼りない新米だからといって、部下の人数を削られるのは納得がいかない。
人見知りで気の弱い彼女が、中隊長に抗議をしようとしたのは、それほどの仕打ちだということだ。
まなじりを決して、口を開きかけたエイナであったが、ちょうどそのタイミングでノックの音がした。
「入れ」
中隊長の声に応じて入ってきたのは、がっしりした身体つきの中年男だった。
彼は後ろ手に扉を閉めると、小気味のいい動作で敬礼をした。
「コンラッド・ハーマン曹長、勤務割当を受領してまいりました。
遅くなって申し訳ありません!」
「ご苦労」
ミラン中尉はそう労って、片手を伸ばした。
コンラッド曹長は、つかつかと中隊長の机の前に進み出て、脇に挟んでいた書類挟みを手渡す。
中尉は受け取った書類の束をめくりながら、ペンを取って何事か書き入れ始めた。
そして、顔を上げぬまま曹長に指示を出す。
「曹長、そこの女性が新任のエイナ・フローリー少尉だ。
君の新しい小隊長となる。挨拶をしたまえ」
「はっ」
コンラッドはエイナの前に立ち、再び敬礼をした。
「先任下士官のコンラッド・ハーマン曹長であります。
少尉のもとで働けることは、身に余る光栄と存じます」
エイナも型通りの答礼をする。
「エイナ・フロリー少尉です。
何分、初めての小隊指揮となります。分からないことはあなたに頼れと、皆に言われています。
よしなにお願いいたします」
エイナの言葉に、曹長はぴくりと眉を上げた。
だが、出かかった言葉を呑み込むようにして、「こちらこそ、よろしくお願いいたします」とだけ答えた。
「少尉」
二人の自己紹介が終わったのを見た中隊長が、エイナに声をかけた。
「はっ」
「これが第四小隊の勤務予定だ。詳細は小隊の控室に戻ってから、コンラッドに聞けばよい。
ああ、それと済まんが、こっちはほかの小隊分だ。各部屋に届けてくれ」
「了解しました」
「うむ、では行ってよろしい」
エイナとコンラッドは、中隊長に対し、馴れた仕草できれいな敬礼をする。
新兵たちも慌ててそれに倣い、ぎこちない敬礼を行った。
コンラッドが大股で出口に移動し、エイナのために扉を開けた。
エイナが「ありがとう」と言って廊下に出ると、曹長は不機嫌そうな表情で、すぐにエイナの前に出る。
「第四小隊の控室はこの先です。ご案内します」
彼はそう言って歩き出した。
エイナと新兵たちが、その後をぞろぞろと付いていく。
廊下の丁字路を左に曲がって、すぐの扉の上に〝第四小隊〟の木札がかかっていた。
その先を見ると、同じような扉が並んでおり、隣の部屋が第三小隊、以下順に第二小隊、第一小隊の表札が見える。
「ここが我々の巣となります。どうぞお入りください」
コンラッドが扉を開けてくれたが、エイナはそれに従わなかった。
「えとあの、その前にほかの小隊の勤務表を届けてきます。
すぐに済みますから、曹長は先に入って休んでいてください」
エイナの言葉に、コンラッドは溜息をつき、首を振った。
「いけません少尉殿。そういう雑事は、部下に命じるものです。
そうすることで軍の秩序は保たれるのです。
それに、新兵どもも各小隊に顔を覚えて貰えますし、礼儀も学べます」
曹長の主張はもっともだった。
「なるほど、そのとおりですね。では……」
エイナは、廊下にぼおっとした顔で突っ立っている部下たちを見回した。
「ウォルシュとウィリアムは第一小隊へ、ケヴィンとサミュエルは第二小隊、トッドとケニーは第三小隊をお願いします」
彼女はそう言って、部下たちに書類を渡した。
「いいか、お前ら!
ノックして中に入ったら、敬礼して所属と官姓名、用件を申告しろ。
他の小隊の奴らはいろいろ訊いてくる。出身地、家の職業、女の趣味……何でも教えてやれ。
そして、お前らが一言答えるたびに、からかってくるだろうが、笑ってやり過ごせ。
『何をへらへら笑っている。何とか言ったらどうだ?』と言われたら、こう返してやれ。
曹長殿から『あいつらは若くて可愛い娘士官の部下になれなくて悔しいんだから、笑って許してやれ』と言われました――とな!
分かったら、とっとと行ってこい!」
新兵たちが敬礼し、あたふたと各隊の控室に向かうのを確認すると、曹長はエイナを隊の控室に招き入れた。
いかにも軍の施設らしく、飾り気のない殺風景な部屋である。
壁面に着替え用の棚が並び、後は長椅子に長机(これは兵卒用だろう)、そして指揮官用の簡素な机と椅子があるばかりだ。
エイナはその椅子に座り、引き出しを開けて備品を確認し始めた。
曹長の方は、机の前に立って、ごほんと咳ばらいをした。
エイナは顔を上げ、彼の顔を見上げる。
「何か言いたいことがあるのですか?」
「はい、僭越ながら、一言注意を申し上げてよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「その言葉遣いです。最前から気になって仕方がありません」
エイナは首を傾げた。
「何か変でしょうか?」
コンラッドは目を閉じ、首を横に振った。
「全くなっておりません!
少尉殿は将校であると同時に、この小隊の指揮官であります。
我々はその部下に過ぎません」
「はぁ……」
「ですから、我々に対して〝です〟だの〝ます〟だの、丁寧な言葉を使ってはなりません。それは、軍の秩序をないがしろにする行為であります。
もっと上官らしい言葉遣いに留意するよう、ご忠告申し上げます。そうでないと、新兵どもに示しがつきません」
「なるほど……分かりました。以後、気をつけるようにします」
コンラッドの眉がぴくりと上がる。
「そうではありません。
『分かった。以後、気をつける』です。
それと、新兵どもを名前以外で呼ぶ時は、〝お前〟か〝貴様〟です。
決して〝あなた〟などと言ってはなりませんぞ!」
エイナがこれまで所属していた参謀本部には、基本的に兵卒や下士官が存在せず、全員が将校であった。
そのため、少尉(最初は准尉であった)である彼女にとって、周囲は上官だらけだったので、丁寧な言葉遣いは当然であり、すっかりそれに馴れきっていた。
言われてみれば、帝国軍のマグス大佐やカメリア少将は、エイナに対して尊大な物言いをして、それを当然という顔をしていた。
なるほど、小隊内ではマグス大佐の口調を真似ればよいのだな……彼女は妙に納得した。
「それで、今週の勤務予定は確認されましたか?」
曹長の次の言葉で、エイナは現実に引き戻された。
「ああ、ちょうどそれを訊きたいと思っていた。
あまりにも内容が簡素過ぎる。
明日から〝東側定期巡回〟とあるだけなのだが、これはどういう内容なのだ?」
曹長はすらすらと答えた。
「第四軍の主要任務は、ボルゾ川沿いの哨戒です。
東側というのは、辺境の沿岸に当たります。
川沿いには一定間隔で、監視哨と呼ばれる小屋と櫓があって、川と沿岸を見張っております。
巡回は、これらの監視哨を回って異常がないかを確認するのと、街道沿いに点在する村々に、不審者に関する情報を聞き出すのが任務です」
「なるほど……辺境の沿岸となると、かなり範囲が広いな」
「はい。ですから、一日に回れる村の数は限られます。
監視哨は毎日巡回しますが、村の方は一週間をかけて、全部を回ればいいという感じですね。
取りあえず、今週の巡回計画は自分が立てますので、参考にしてください。
次からは、少尉殿がご自分で立案することになります」
「了解した。日常勤務とは、定期巡回だけなのか?」
「もちろん、それだけではありません。
監視哨の要員を命じられることもありますし、夜間巡回というやっかいな任務もあります」
「定期巡回とは違うのか?」
「夜間巡回は、監視哨間の河原を夜通し警戒する任務です。
暗い上に足場が悪いので、なかなかきつい仕事ですな」
「つまり、我が小隊は最初の勤務ということで、比較的楽な任務に回してもらったということだな?」
「そういうことです」
「ところで、今日の予定はどうなるのだ?」
「初日は、それぞれの任務の準備や訓練に当てられます。
新兵どもの装備点検は、自分が後でやっておきます。
ほかには糧食と馬の受領ですね。初回ですから、今日は少尉殿もお付き合いください。これは午後からでよいでしょう。
次回からは、少尉殿が新兵に命じてやらせてください」
「そうすると、午前中は訓練に当てる、ということになりますね?」
「なるな? です」
すかさず曹長の指導が入る。
「訓練内容ですが、装備行軍でもやらせますか?
どうも新兵どもは、気合が足りんように見受けられます。
ぴしっとした整列や敬礼ができるようになるまで、基本行動の反復をさせるのもいいかもしれません」
「そうだな……」
エイナは曹長の提案に、少し考え込んだ。
ふと、昨日のアスカ邸で見た、セシルの稽古光景が頭をよぎる。
「いや、新兵たちとは初めて会ったばかりで、私は彼らの何も分かっていない。
立ち合い稽古をしてみる――というのはどうだろう?
実際に剣を交えてみれば、一人ひとりの実力が把握できるだろう」
「それはよいお考えですな」
曹長は嬉しそうな表情を浮かべた。
『少々見直しました』とでも言いたげな顔である。
「決まりだな。
では、兵たちが帰ってきたら、訓練場に移動するから、案内してくれ」
「了解です。獲物は何にしますか?」
「剣と槍のどちらでもよい。自分の得意な方を選ばせろ」
* *
使いにやった新兵たちは、まだ誰も戻って来なかった。
何かヘマをしでかしたのではないかと、上司となったエイナは心配になる。
「新兵たちは、少し遅いのではないか?」
コンラッド曹長は、エイナの不安を笑い飛ばした。
「なぁに、他の小隊の奴ら、新入りに興味津々なのですよ。
おもちゃを与えられた仔犬のようなもんです。今ごろ、散々楽しんでいるのでしょう」
「さっき、曹長が気合をかけた時、最後に不謹慎なことを教え込んでいたな?
あれを正直に言うほど、馬鹿でないといいのだが……」
「いやいや、少尉殿。賭けてもいいですが、奴ら絶対に言ってますよ」
「まさか! 新入りがそんな生意気なことを言ったら、ただではすまんぞ」
「そうでしょうな。
捨て台詞に使って逃げ帰ってきたら上出来ですが、奴ら、そこまで気の利いた面でもありません。
多分、今ごろタコ殴りにされているでしょう。まぁ、それもいい経験です。
少尉殿、奴らが青タンこしらえて帰ってきたら、『よくぞ第四小隊の名誉を守った』と誉めてやってください」
エイナは苦笑いを浮かべた。上官や先輩の理不尽と暴力は、軍の悪しき体質でもある。
彼女自身も、その洗礼を十分に受けてきた。男性に比べて暴力を受けることは少なかっただろうが(少ないというだけで、確実にそれは存在した)、その代わりに女性であるが故の辱めは、枚挙に暇がなかった。
「ところで、中隊長殿には訊ね損ねたのだが……」
エイナは真面目な顔になって、曹長のいかつい顔を見上げた。
「第四小隊は、私と曹長を含めても八人に過ぎない。
なぜ、定員を大幅に割り込む状態で編成されたのか、曹長は何か知っているか?」
「その件ですか……。まぁ、有体に言えば〝人手不足〟です。
これは第四軍に限った話ではありません。
女王陛下の倍増計画は、軍にとってはありがたい話ですが、いろいろと無理な面がありました。
その辺は、少尉殿もご存知ですね?」
エイナは黙ってうなずいた。
「第四軍が管轄する東部及び辺境地区は、蒼龍帝閣下のお陰で、空前の好景気に湧いております。
そのため、軍の募集に応じる者を確保するのが、年々難しくなってきております。
それでも、増強計画に少しでも近づけるために、軍は膨れ上がりました。新しい大隊が次々に創設されたのです。
結果として、何が起きたと思いますか?」
「分からん。教えてくれ」
「軍を支える輜重隊や工兵隊が、割を食ったのです。
戦闘部隊を増強したのはいいですが、それ以外の部隊には、ほとんど増員がありませんでした。
実戦においてはもちろん、日常の訓練においても、輜重・工兵隊の随伴なくして軍は行動できません。
その結果、過重な負担を強いられる両部隊からはもちろん、戦闘部隊からも不満が噴出しました。
そのため昨年度から、新兵が優先的に輜重・工兵隊に配属されるようになったのです。
今年度も三十名が輜重隊に、十八名が工兵隊に回されたと聞いております」
「その残り滓が、うちに来た六名だということか?」
「ご明察です。
我が第一野戦大隊も、一中隊を増強する予定でしたが、ずっと後回しにされておりました。
その罪滅ぼしのつもりなのか、半端な人数をうちに押し付けてきたというのが実態です。
当初は、新しい小隊を編成するには無理があるという意見が大勢で、各小隊に一名ずつ振り分ける予定だったそうです。
それが、少尉殿の転属話が転がり込んできて、急遽新小隊の編成が決まったのです。
少尉殿の転属が四か月の期限付きであっても、その間に新兵を一人前に鍛え上げてくれれば、後任に新人の少尉を宛ててもどうにかなるだろう……ということですね」
エイナは鼻白んだ。
「そう言われれば聞こえはいいが、要は中途半端な部隊を、使い捨ての新任少尉に任せてお茶を濁そうということではないのか?」
「それは違います!」
曹長が語気を強めた。
「どう違うのだ?」
「少尉殿のことを、我々は、ただの新人だとは思っておりません。
少尉殿は魔導士であり、すでに実戦を何度も経験していると聞き及んでおります。
つまり、兵卒の不足を、指揮官である少尉殿が戦力面で十分に補えると判断して、第四小隊は発足したのです」
コンラッド曹長は、エイナの目の前で姿勢を正し、見事な敬礼を行った。
「エイナ・フローリー少尉殿、どうか我々第四軍の期待にお応えください!」